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#83:1020年閏12月 生産

 新殿にも木箱が溢れていたが、その木箱を衝立代わりにして、狭い中に五人ばかりがアキラの前に膝を詰めていた。


「寒き」


 誰かが言う。アキラが火桶を五人の前に持ってくると、彼らはこぞって手をかざした。皆木工の大学生だ。


「前に言っておったが、これが金物ぞ」


 カットされた鉄板を学生に手渡す。釘を打つべき位置には前もって鉄板に穴が開けてある。

 トラス橋を木材だけで作るのはやはり難しい。理想は引っ張り力を別の部材、例えば鉄が担当する事だった。木材の接合部を鉄板で補強すればトラスのスパンを大幅に伸ばすことが出来る。木材の使用量も激減するだろう。


「鉄板が強きはわかる。だが釘は如何であろうか」


 鉄板を隣に渡した学生が発言する。ふむ、良い着目点だ。


「さて、釘はいかほど要るであろうか。太さはいかほどであろうか。これは考えねばならぬ」


 釘を一本手に取って、アキラは問う。


「この釘、少しばかりの力では曲がらぬ。少し歪み撓んだところで、すぐに元に戻る。真っすぐになる。

 しかし、より大きな力を掛けると、曲がり撓んだ後、真っすぐに戻らぬ。釘が同じようであれば、どの釘でも同じ力を掛ければ曲がり戻らぬ。戻るか戻らぬか、その境はその材、あとは太さで決まる。

 同じ太さで有れば材のあれこれによって違う。これを降伏点と言う」


 アキラは探して銅釘を手に取った。


「鉄と銅の降伏点は違う。木にも、石にも降伏点はある。この降伏点の大きさが、橋にいくら釘使うかを決める」


「よくわからぬ」


 学生の一人が手を挙げて言う。まぁそうだろう。降伏点と言う単語そのものがよくわかるまい。

 そもそも部材の質が安定していないこの時期に必要な知識なのかどうか。


 火桶に掛けていた鉄瓶の湯が沸いたのを見て、アキラは学生たちに葛湯を振舞った。


「吾子らはそれぞれ、違うところで違う橋を架けることになろう。筋交い橋がいずれでも正しき訳ではない。

 吊り橋試すものはおらぬか。もし試すなら、縄の太さ重さはよくよく考えねばならぬ。」


「縄に降伏点はありしや」


 学生が発言する。


「縄の曲げに抗う事は出来ぬ事はよく知って居ろう。代わりに、引っ張りに抗うことのできる。この引っ張りに抗うのも材によって皆違う。これ良く知らねばならぬぞ」


 皆が葛湯を飲み終えた頃、時計の鐘が八つを打った。午後二時だ。

 さて次は算術だ。木工の学生は算術を必修としていたため、そのままである。


 最近アキラは、こういう座学の共通科目を担当することが多くなっていた。

 一つには学科の再編があったのもあるし、その学科の実習所が分散してきたのもある。例えば陶工は火工という科目に再編された。冶金を含む高温加工技術全般で、実習炉は足尾と益子に分散していた。

 木工もそろそろ構造と細工に二分しようかと言う話が出てきている。金属加工や、今日のように鉄製構造材も出てくるようになっては、木工という括りではもう収まらない。

 一方で算術は読み書きと一緒に基礎学科となった。

 但し、算術が自分に要ると思っている学生は少ない。


 学生がぽつぽつと集まり、火桶に群がる。やはり集まりが悪い。

 数えてみると四人少ない。


「医術生どもかと」


 そりゃ算術など要るまいと思うよな。しかし、ちゃんと顔を出している農術生を見よ。田堵養成コースである訳だが、多少の足し算は要ろうがその他は要らぬと公言していたこの連中も、先日の幾何では蒙を大きく啓かれたと見える。


 火桶をもう一つ持って来させる。


「数の掛ける割るは皆うまく出来るようになったので、今日は数の乗じるを教える」


 アキラは背後の板に石膏の棒で線を引き、三角を描いた。


「これは私出挙で使いおる算術ぞ。他では使いおらぬし、私出挙でも誰も新たに算せず、答えのみを覚えて使う。

 私出挙では米貸すにあたり、ふた月で八分の一の利息を取る。例えば百斗借りるとする。二月後に返すは百と、百の八分の一、つまり十二と半斗を足したものを返す。

 返すのが四か月後になると、返すは百十二と半斗とこの八分の一、十四斗になる。

 返すのが半年で、返すのは百二十六と半斗とこの八分の一、十六斗を足すことになる。つまり百四十一と半斗、四割増やして返さねばならぬ。

 さて、もし返すが一年後なら、いくらになると思うか」


 アキラは手前の学生に声を掛けた。


「倍ほどか」


 当たりだ。では二年後なら。答えは四倍だ。そして三年で八倍になると言うと、流石におかしいのではないかと言い出すものが出る。


「自ずから算して確かめよ」


 石膏の棒を持たせて、板に計算を書かせてみる。算木数字で、掛け算と足し算を繰り返していく。


「そこ、間違いおるぞ」


 見ている学生に指摘されて学生は、服の裾で石膏の数字を消して書き直す。


「さて、数を乗じるは私出挙のみに使うに非ず。

 ある郷に人が三百、うち子を産む頃の女が百、女が一生のうちに子を五人産むとする。子のうち二人が小さき頃に死ぬ。子の半分が女で、子を産む頃まで育てばまた産む。十五で産みはじめ、四十で人は皆死ぬとする。

 さて、十年後、この郷の人の数はいくらになっておろうか。

 更にもう一つ、五人産んだ子のうち死ぬのが一人だけなら、どうなるか」


 宿題だ。

 人口増加率3パーセント台と5パーセント台の違いにびっくりしてもらおう。


    ・


 昼からは新屋敷で足利郡の郷長を集めての会合だ。


 疫病の後ということもあり、随分と人が入れ替わっている。

 田部郷の郷長はクワメの子の乳母をやってくれていた娘だ。本来なら大人の男性と決まっている郷長だが、この娘の場合は仕方ないだろう。

 彼女の母親は、夫を探しに行った簗田郡で二人して病に倒れ、死んだと聞いた。乳母として関わりのあった人の不幸であり、アキラは絹を送って弔意を伝えた。


「そう思われるなら婿でも周旋されよ」


 本人にとってはそっちのほうが大事らしい。婿取りして早く権力基盤を固めるのが大事なのだ。

 

 会合の主題は来年の徴税方針だ。


「段別二斗五分、但し五分ほどの分の賦役を課す」


 つまり、実質段別二斗だ。これは足利では例年と同じであることを意味していた。賦役、つまり労役がある分だけ税が重くなると言ってもいい。ただ、郷長や郡司にはあまり関係のない話だ。


「先々にては賦役は銭にて払う」


 先日公示した米と銭の交換率は、今の銅地金の価値より少し安く切りの良い値に設定していた。この交換率で賦役労賃の銭を米に交換すると、税は段別二斗三分ほどにまで安くなる。

 この辺りの仕組みを説明したが、まだ銅銭が流通していない段階では誰も興味を持てないようだ。


「不堪荒田のうち一部を麦作に換える」


 税の掛かるのは田んぼにだけだ。田んぼを減らし、別の作物を作るのは減税と言っていい。但し、


「麦の粉にするのに水車の料は十斗につき一斗とする」


 水車小屋の使用料は取る。逆に言うと、使用料だけで使わせるという事だ。

 貯蔵の効く麦粉の流通を増し、麺類やパンへの使用を推進するのもアキラらの方針だった。


(わたくし)で水車作るとしても、この料の割合いは守るべし」


 出来ればどんどん水車は作ってほしい。こういう物への投資に是非とも夢中になってほしいものだ。


籾摺(もみす)りも料取るか」


 訊かれる。

 籾摺りとは籾の付いた玄米から籾を取るローラーのことだ。今年一台作って具合が良かったので、早速各郷に貸し出されていた。


 原理は簡単だ。ローラーで籾を挟んでその外皮を剥ぎ取る。実体は木桶であるローラーは表面を麻縄が覆うようにぐるぐると巻きつけられていて、この麻縄の繊維が籾をひと粒づつ掴む。

工夫は、その二つのローラーの回転速度が微妙に違う点だ。回転速度の差は二つのローラーを実際に噛み合わせている木製歯車の歯数の差が作り出していた。籾は挟まれている間に前後にずらされ、外皮を剥ぎ取られることになる。


 この時代、籾を取ろうとすると木臼と杵でひたすら搗くという効率の悪く長くかかる労働を必要としている。唐棹を使うところもあるが米が飛散しやすいため敬遠されることが多いようだ。そしてどの作業でも、米と籾を分ける後作業がある。

 これがほぼ手間ゼロになる。米の割れる事も少なくなるだろう。


 麻縄ぐるぐる巻きローラーは麻糸紡ぎ車にも導入された。コストの掛かるガイド歯車を省き、金属ローラーは銅製の金属轆轤削り出しとなって大幅に作りやすくなっていた。


「籾摺りや千歯は郷で一つはあるほうが良い。木工所で作りおるゆえ、買うが良かろう」


「大豆も粉にしてよいか」


 誰かが訊いてくる。


 大豆と麦とを組み合わせて栽培することを、アキラと池原殿は推奨していた。

 二人はしばらくの間、米と麦の二毛作を研究していたのだが、今ある品種より早く植えることのできる早生の稲でもない限り、少なくとも下野では二毛作は無理だという結論に達していた。

 その代わりとして、夏に大豆を植え、そのあと麦を植える二期作を推奨しようとしていた。黒ボク土には大豆はあまり適していないが、石灰を撒くと非常に育ちが良くなる。そしてその後の麦の育ちが素晴らしい。

 マメ科植物って窒素固定してくれるんだったっけ。


 問題は大豆の使い道だ。


 一同に菓子の皿が運ばれる。粉を団子状に固めたものを竹串で刺した、きなこ棒だ。

 食べるように促す。


「これは大豆の粉か」


「甘き」


 食べたものは口々に、甘いという。

 きな粉を麦芽糖の水飴で練った、それだけの代物である。


「甘きは麦から作りしもの」


 麦の芽の出たものを焦がし粉にして煮詰めて作る、と説明すると皆の目の色が変わる。麦作先進地域である都で仕入れてきた製法、水飴は麦の流通の切り札だ。


「大豆の使いでは様々にある。味噌、醤油、納豆、豆腐というものもある……」


 但し実際には、大豆の主な用途は採油になるだろう。絞って照明用の油を採り、搾りかすは肥料にするのだ。

 麦は麦酒への利用も考えていた。都行きで得てきた酵母の性能が思ったより良く、更に蒸留すると良い感じになる。それはそうとして酒には税を掛けたいところだ。


    ・


 足利の旧屋敷に戻る頃には夕方になっていた。雪が降る気配は無く、代わりに冷たく強い風が吹いていた。

 新殿には確か農術の学生が一人待っていた。手には計算結果らしき紙が握られていた。


「目代の算術はおかしき」


 学生が言う。


「三十年で人が倍に増えおる」


「それは五人のうち一人しか死なぬ方だな。二人死ぬ方はどうか」


「どちらにしても増えおる」


 そういう学生に、疱瘡など疫病あることを考えよ、とアキラは言う。疫病と乳幼児死亡率を考慮に入れると、人口が緩やかに減る現状を説明できる。


 しかし、

 種痘が疱瘡を追放し、乳幼児死亡率が改善したら、未来はどうなるか。

 算術は間違っておらぬ、とアキラは説明した。


「算で、わかるのか」


 そうだ。三十年後は、そうなる。

#83 二毛作について


 二毛作は12世紀、南宋江南より占城稲と呼ばれる早生種がもたらされたことによって普及しました。それ以前にも早生種はあったようですが、この新しい早生種は特に収穫時期が早く、成長期が旱魃時期に被らない為旱魃に強く、病虫害にも強く、炊くと分量が他の品種より増えるなど利点が多く普及しました。

 日本では大唐米や赤米と呼ばれた品種で、その名の通り色が赤いのが特徴です。ただ比較的粘りが少なく味が悪いことから評価が低い品種でした。

 稲が早く収穫できたことで、その後に麦を植えることが可能になりました。麦は欧米での作付をみればわかる通りそれだけでは連作障害の起きますが、間に水稲の灌漑栽培を挟むことでこれが回避されます。但し二毛作には施肥が必須でもありました。

 二毛作には田の乾田化も必須で、これも稲作の労働生産性を増す事になります。二毛作以前は、多くの田が冬も水を入れ湛水していたのです。

 二毛作が可能な地域とそうでない地域では、田の面積は同じでも生産性は全く違いました。二毛作で飛躍的に増えたカロリー摂取は、中世という時代を生み出すことになります。

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