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#82:1020年12月 郎党

 上野国勢多郡と山田郡の花輪村を巡る争いは、花輪村を勢多郡に属させる代わりに、山田郡の郡司の息子を村の荘代とすることで決着が付いた。

 花輪村は小一条院の娘、冷泉宮の荘園になる。冷泉宮は恐らく死ぬまで上野国の国司だろうから、その税の行き先は全く変わらない。

 しかしこれで勢多郡は、赤城山の山麓全てをその郡域に含むと言う旧来の主張を通したことになる。この建前を通す代わりに、現状の山地の入会権は全て認めてもらった。


 という訳で、上野国の利根川から東側の各郡はおよそアキラに好意的だった。

 これは上野国の遙授目代として建前では全権を握っているとはいえ、必ずしも在庁の覚えが良い訳ではないアキラの立場では有り難い事だった。

 利根川の西側も、南のほうは池原家の繋がりで感触は凄く良い。そして北の奥地のほうはまだ付き合いが無いだけに過ぎない。

 だからアキラは郡司たちから敵視されることは無いものと思っていた。但し在庁にはあからさまに敵視する人がいた。


「見えぬふりされれば良かろう」


 勢多郡の郡司はそう言う。


「前の受領にも、前の前の受領にも相手とされなかった者共にて」


 前の受領、藤原定輔殿は郎党たちを使って上野国庁を運営していた。その間在庁たちは何処にいたのか。


「禄わずかばかりあるだけの者、気にされるな」


 国司が遙任となって在庁たちは勢力を盛り返すべく、早速様々に画策していると言う。

 例えば、


「防河犯土の件訴文とやら、こちらにも廻って来おりました」


 少し前に上野国庁でおこなった徴税と賦役の方針についての説明で、まずは河川の堤防つくりを優先する旨を伝えたのだが、それがどうも在庁にはお気に召さなかったと見える。

 氾濫防止というと、普通は防河使というのを立てて、祈祷してもらうのだそうだ。


 そんなものこれまで聞いたことが無かったが、改めて色々調べると確かにそう云うことになってはいた。しかし下野ではかなり前からやっていないようだし、武者はさっぱりそういうものは無視するものらしい。


 祈祷で氾濫防止、それが正しいやり方だという。そして、陰陽の禁忌である土木工事をしようとするアキラは国に災いをもたらすであろうという。今は都に告訴するに当たって郡司に賛同者を募っている段階らしい。


「奴ばらめ、これを見らば、(ひき)のごとくひっくり返って泡吹きましょうぞ」


 広げられた図面はおおよそ測量の終わった上野国東部の地図、そしてそこに書き込まれた用水路の開削計画だった。

 計画は二つ、ひとつは太日川の上流から水を取り、勢多郡と新田郡東部、そして山田郡に流れて新田を計三千町拓くことになる。

 もうひとつは利根川上流から取る。用水路は赤城山麓を横断し、その広大な原野を開墾可能にする。こちらは最初の計画の三倍ほども野心的な計画だった。

 この灌漑計画は上野国を根底から変えるだろう。

 勿論、とんでもない犯土禁忌だ。世界が大爆発消滅するくらいの禁忌に違いない。


 さて、告訴が上手く行かなければ、在庁たちはどういう行動を起こすだろうか。

 在庁たちは武者ではない。だから武力の行使となると選択肢が限られる。


「上野にては盗賊はどのくらいあるか」


「あちこちに蔓延りおります」


 うんざりした顔で勢多の郡司は言う。この赤城山麓にも、知られているだけで三つ盗賊団がいるという。


「足利の武者の見廻りなどは当てに出来ますでしょうか」


 期待に応える事は難しい。


「各郷にて兵働きの稽古させよう。長き竿と盾の用意いたせ。竿の先に金物付け、弩を配ろう」


 自分に郎党がいればこういう時に色々と対処もできるのだろう。


    ・


 勢多郡の郡衙から花輪村への道は、聞いていたものと実際には雰囲気も随分と違い、迷いそうになって心細い気分を味わった。

 旧暦12月の骨まで染み透るような冷たい強い風の中、潅木と草原の入り混じった風景はどこまでも物悲しい。赤城山の雄大な裾野を、風に粉雪が混じる中アキラは進む。


 太日川の上流、両岸の切り立った崖の上に、橋は架けられていた。

 桐生五郎の指揮して架けた筋交い橋だ。見たところ橋は完全に水平に架けられていて、設計と施工の確かさが伺えた。

 橋から下の川面まで20メートルくらいあるのではないだろうか。足元がちょっと怖い。


 足尾まで随分と道は整備された。橋が架かったこともあって、アキラは昼には花輪村にたどり着いた。

 しかし、ここからが厳しい。

 ここまで山を登ると、雪がほうぼうに残って凍り付いたままだ。

 石灰を運んで来た帰りらしき荷馬の列に出くわす。道は乗馬したまますれ違えるほど広くなっていた。これなら馬車も使えるかも知れない。ただ、坂の勾配がまだきつい気がする。


 山の端に陽が陰る頃、足尾に辿り着いた。

 本格的な冬を前に足尾は店じまいの準備をしていた。

 谷底の川は濁っていたが、カラフルというところまではまだ汚染は進んでいない。まだ大丈夫だ。

 しかし、匂いの方はもう漂ってきていた。傾斜地を埋め尽くす段々の屋根、沈殿池の列でも、この硫黄臭は完全には取れないのか。


 足尾に残っている人数はもう少ない。

 古部三郎を探し、早速話し込む。


「石灰はこの年の末までと伝えあったと聞く」


 対策を急がなければならない。

 石灰はこれまで安蘇郡、つまり藤原兼光の支配圏内に依存してきた。これがとうとう駄目になる。という訳で、新たに武蔵の秩父から石灰を採る話を詰める。

 まず数人を秩父に派遣して、地元の人間と話を付けて掘り出し、運び出してみる事になる。この段階で問題点が洗い出されるだろう。輸送ではどこで利根川を渡すかが問題になる筈だ。


 誰に行ってもらうか古部三郎と相談する。実習中の火工科の学生に秩父の郡司への手紙を持たせる。


「吾も行きたきが良いか」


 古部三郎がそんな事を言い出す。まぁ冬だ。どちらにせよ厳冬期のふた月は皆山を下りる。行ってもらおう。

 正月含めてよく休むよう言い。一行の足代は学生の方に預ける。


 古部三郎のいない間の現場監督はどうするか。

 アキラは大物部季通を呼び出した。


「如何にした」


 大物部季通は笠を被り藁の薦を着て、手をすり合わせて足踏みをしながら聞いてくる。最近は鉱石を掘り出す坑道、鉱堀り共の監督を任されていると聞く。


「寒いゆえ用事あれば早く致せ」


「労役の罰の明けるまであと半年だったな」


 うなづくのを確認する。


「吾子を郎党見習いとしたき。いかがか。

 郎党となれば刀預けよう。嫌であれば、残り半年変わらず働けば良し」


 現場を最初から知り尽くしているこいつなら、現場監督に最適だ。


 その半年働き良ければ馬与えよう、と続ける。だがもし半年のうちに何事も吾に背けば、また二年の労役ぞ。


「背けば殺せば良かろう」


「して、どうか」


 大物部季通は少し考えるふりをして、


「吾を郎党に致せ」


 よし。


「吾子はこれより足尾の人足ども暴れぬよう背かぬよう働く役ぞ。者共を逃がすな、喧嘩許すな。博打させるな。酒を多く飲ませるな。よく働かせよ」


 現場監督はこいつに任せた。


「やることの多き」


「今とさほど変わらぬ仕事ぞ。

 あと、盗賊にも気配れよ。加勢欲しくばすぐ言え」


 考えてみれば、盗賊が襲うとすれば、ここ足尾だ。

 宝の山じゃないか。


 腰から太刀を吊るす紐を解いて手に持つ。


「受け取られよ。鬼切りし刀ぞ」


「つまらぬ空事よ。酒酔いて吾が影でも切ったか」


 大物部季通はアキラの刀を手に取ると、重き、という。


「長きに過ぎようぞ。もっと良くある長さの刀を持って来られよ」


 アキラの刀は突っ返された。


     ・


 大物部季通の新しい立場を古部三郎らに紹介するために作業場を探す。

 作業場はめっきり広くなったがまだ拡張しなくてはならない。

 大量の石膏が、鋳造に使う鉄型と一緒に小屋に仕舞われていた。鉄型は石膏の使用量を減らす工夫で、鯛焼きの型のようなこれで石膏型をいわば薄皮にして挟んで溶けた銅を流し込む。

 これをモジュールとして一度に百枚を鋳造する。この鉄型はとりあえず10台整備した。つまり一気に一貫、千枚を鋳造するのだ。

 今年分の貢銭百五十貫は既に生産され、磨かれて船積みされて、今頃は相模沖だろう。


 川の向こうに鉱夫たちの住宅が見える。住人も大部分がもう山を下りており竈の煙も少ないが、湯屋だけはまだ盛大に白い煙を上げている。


 何かに被せてある(こも)を捲ったら、下は上野から押収してきた銅貨だった。銅貨と言っても実質はほとんど鉛貨だ。

 以前上野で、調銭したいと申し出た事があったのだそうだ。狙いはアキラたちと同じ、しかしその申請は都で却下されたという。

 どうも都ではこれら粗悪銅貨から銅と鉛を分離することが出来なかったらしい。つまり銅の原料として役に立たない。

 なるほど、藤原定輔殿は調銭について予め知り抜いていた訳か。

 その時に貯め込まれた粗悪銅貨が上野国庁の正倉に積まれていたので持ってきたのだ。鉛をどこから調達するか悩んでいたが、思わぬところで鉛を大量に得ることが出来た。

 足元に転がり落ちた粗悪銅貨を拾う。


 古部三郎らは作業場の外にいた。火工学科の演習炉だ。


「何しておる」


 覗き込むと、ちょうど炉の下を切って、坩堝に溶けた物質が流れ込むところだった。


「瑠璃ぞ」


 古部三郎が答える。

 透明なガラスを得るために、火工学科では不純物を減らす努力が続けられていた。


「静かにいたせ」


 しかしまだ、細かな気泡がどうしても消えないという。今出来るのは気泡を含んだ白いガラスだ。

 吹きガラスは既に試している。ただ、作った鉄パイプが短すぎて、竹を接いでいるのがご愛敬というところか。泡があって良いなら、ガラスの器は既に出来ている。

 しかしこれでは光学機器は作れない。


 覗き込んだはずみに、手元の粗悪銅銭が転がり落ちた。

 ジュッと音を立てて坩堝に銅銭が沈む。


「何の邪魔してくれようぞ!」


「全く、何を落としおった……待て、待たれよ」


 もう一つ落とされよ、と火工科の学生が言う。

 坩堝の中で、何か変化が起きている。


 思い出した。これは鉛ガラスだ。


    ・


 そんなに大量に銅銭を落としては冷えてしまう筈なのだが、どうも融点が下がっているらしい。透明度の上がった領域が坩堝の中に広がっていく。底に銅の破片が溜まっているのが見えるほどが。


 もう一度坩堝を加熱した上で、吹きガラスを試す。

 もう慣れたもので、ガラス塊は回転し膨らんだそばから冷えていく。火工科の学生はそのまま石板の上にガラス塊の底を押し付け、火ばさみで鉄棒を外すと、その口を火ばさみで器用に広げていく。


「まだ柔らかき」


 口の細いガラス瓶に見えなくも無いものが出来上がった。

 きれいな、緑色のガラスだ。


 恐らくは銅が緑に着色しているのだろう。銅銭から鉛を分離する方法を考えなくてはならない。


「絞れば良かろう」


 古部三郎は気楽に言う。

 よくよく聞いてみると、実に簡単な方法だった。

 鉛の融点は低い。そこまで加熱して鉛だけ溶かして分離するが、銅の内部の鉛は流れ出さないので、叩いて絞るのだそうだ。

 そんな方法で良いのか。というか都で銅と鉛を分離出来ないという話は何だったのか。そもそも合金じゃ無かったのか。


 この程度の知識の差が、技術なのか。


 しかしもう、時間切れだ。

 火工科の学生はもう少し残ると言い張ったが、山に残っていた皆と一緒に下山させる。続きは春にやってもらおう。


 鉱夫の中には疫病で郷を捨ててきたという者もいた。郷を見に戻るという彼らに米を渡してやる。


 こういう事もそのうち吾子が面倒見よ、そう言うと大物部季通はさような面倒、武者のやることで無き、という。


「これも郎党のやるべき事ぞ」


 アキラは念を押す。


「まことなら何事かあるたびに事記して書状残さねばならぬ。字書き算できねばならぬ。それが出来ぬなら、出来ることをやらねばならぬ」


 北郷党でも、部下を持てるようになる者は限られている。読み書きはその資格の最たるものだ。


「おのれの名は書けるか」


 大物部季通は首を横に振った。

 名は書けるようになれ、でなければ書状に名記すこともできぬ。それまでは刀渡せぬ、というと不満を言い出したが、刀振り回すくらいで誰が吾子を郎党の身と思うか、書状にちょいと名を書けるくらいは出来ぬと事は難しき、とアキラは答える。


「何故に吾を郎党にしようなどと思う」


 大物部季通の聞くのに、アキラは、それは都合よいゆえよ、と答える。

 それに、頼義殿に吾子らの面倒頼まれたからな。


「何ぞ、罰やら、仕打ちやら、考えておらぬのか」


 ぽつぽつと搾り出すように言う大物部季通の言葉に、その分余計に働いてくれればそれでいいと、アキラは気安く答えた。


 山を下りる一行の最後のあたり、アキラは馬を曳きながら大物部季通に、この冬はどこで過ごすのか聞く。足利には出向かぬか。挨拶案内しようぞ。


「足利には行かぬ。行ける訳がなかろう。どの面見せられようか」


「吾が連れ行くのだぞ。心配は要らぬ」


 しかし絶対に駄目だという。首をぶんぶん振って拒絶された。

 花輪村で過ごすというので、荘代に字を習わせるよう言うておくと伝えた。


「その件何とかならぬか。

 そもそも足尾には人手人足の百二百はおるぞ、それを御せと言うか」


 来年には倍に増やすぞ。そういうと、駄目だ駄目だと言う。


「ならば代わり良き者見つけて我に推せ。それで代えてやろう」


 吾子より良き者ぞ、と念を押しておく。


「代えたなら吾はどうなる」


 そうだな。


「良き者推せば、馬乗りて武者働きできる仕事をさせようか」


 上野各郡の武者の見廻り、当ての見つかったかも知れない。

 ガラス製品の国産の企ては弥生時代に遡りますが、この時点ではビーズ玉などの装身具に使うのがせいぜいの、木灰を使ったカリガラスやソーダ石灰ガラスでした。鉛バリウムガラスの出土例が知られていますが、これらは大陸からの輸入品でした。

 ガラスに鉛を添加すると融点が下がり透明なガラスが得易くなります。およそ25パーセント以上も鉛は含まれていました。

 ガラス吹きの技法が導入さると様々なガラス器が作られるようになりました。10世紀後半には輸入ガラス製品に吹きガラスで作られた製品が見られるようになります。瑠璃壺と呼ばれる蓋つきの器で、青や緑の色が強くほとんど不透明な製品でした。色は酸化鉄や酸化銅によるものです。鉛はこれら成分の最大70パーセントを占めていました。

 国産鉛ガラスは十七世紀後半になってから現れ、やがて鏡にもガラスが使われるようになりました。江戸時代の鉛ガラスの鉛含有比率はおよそ45パーセントほどです。

 現在我々が使っているような炭酸ナトリウムを使ったガラスは、明治に入ってからの導入になります。このソーダ石灰ガラスは安価で、窓ガラスを作ることを可能にしました。

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