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#80:1020年10月 凱旋

 大鎧に身を固めた騎馬武者の隊列が国庁屋敷に乗り込んでいく。屋敷の門は下野国判官代、つまり正式な国司代理である頼義殿の前に大きく開かれていた。

 騎馬武者たちは(えびら)の矢羽根の先まで華やかだった。彼らの大鎧は鮮やかな色糸で美しく(おど)されていた。

 頼義殿は狩衣姿で、弓と靭を屋敷の雑色役、つまり足利から派遣している子供らに渡すと馬を降り、屋敷の母屋に向かった。


 母屋には既に下野の在庁と郡司が勢揃いしている。

 彼らの前、上座に当たる位置に、頼義殿が座る。

 アキラは頼義殿のすぐ斜め前に布を敷くと、そこに重い印章を置いて、そして頼義殿の後ろに座った。

 その印章はアキラの銅銭を数百枚ほど鋳つぶして内匠寮で鋳造され、公印としての認証も得た、下野国の新たな国印だ。


「国境の迎え、御苦労であった」


 新しい国司を国境で迎える儀式は大事なものとされてはいたが、実際に出迎えたのは在庁でも何でもない、平良衡一人だけだった。

 宴を催すための何の財も与えられず、ただ、吾子が何とか致せという無茶ぶりを食らったのだそうだ。


 という訳なので、国庁屋敷でのこの発言はただの嫌味である。


 頼義殿を下野判官代に任じる庁宣を読み上げ、文面を皆に見せる。


「国司に代わりてこの判官代が国事仕る。

 なお、正六位内匠助藤永のアキラ、これを目代職に補し、発遣のこと件の如し。在庁官人等よろしく承知すべし。

 一事以上勤むる所に従うべし。違失すべからず」


     ・


 藤原兼光が頼義殿に頭を下げ、それに在庁も倣う。郡司も一人一人が頼義殿への挨拶を済ませると、次は総社への御幣の奉納だ。

 裏方では宴会の準備が始まっていた。


 アキラは裏手に廻ると、平良衡と落ち合った。


「さて首尾は如何であったか、内匠助殿」


「下野の調は全て我らが二人のものぞ、常陸小掾殿」


 怪訝な顔をする平良衡に説明する。春の除目でそう任じられるよう働いたゆえ。春からは六位常陸小掾良衡殿ぞ。

 常陸国の信太郡を小一条院の荘園として献じてしまう謀について説明してやる。


「春になって、文ひとつ書くだけでよい。困るは常陸の在庁のみ」


 都での成果を説明するが、年に三百貫を貢ぐという話に平良衡は嫌な顔をした。


「百五十貫では済まなかったのか」


「更に十貫、国司に貢ぐ」


「おい」


 この十貫はアキラの取り分から出す、と説明する。


「しかし、官位得ることとなっては、都に行く用が無くなるな」


 元々、猟官運動の為の財得ようという目論みだったのだが、と平良衡はこぼす。


「別に、行けばよかろう」


 都で暗躍してくれるなら、是非ともお願いしたい。


 続いて細部を話し合う。


「今年の税は免ぜられると聞いたが」


「今年は三百貫のうち百五十貫は免じて頂いた」


 平良衡はあからさまにほっとした表情を見せた。


「しかし、今年の調無きは痛き」


 そのうちゆっくり話し合う事を約束して、その場は分かれた。


     ・


 宴会は盛り上がらないものとなった。

 芳賀郡や那須郡、新たにこちら側についた河内郡の郡司たちは頼義殿に盛んに酒を勧め、足利側が用意した魚や獣、干し椎茸を使った汁に浮かぶ餅を堪能したが、その他の席は微妙な空気が漂ってた。


 アキラは蒸留酒を注いでまわった。こういう場にツラの皮厚く突っ込む度胸が何よりも大事なのだ、と一人ごちる。

 藤原兼光の前に座り、是非一献と勧めてみる。

 めっちゃ睨まれるが、杯は差し出された。僅かに黄金色のついた蒸留酒を注ぐ。


「憎しげなる顔ぞ。その首刎ねて肴にしたき」


 そうでしょうとも。しかしまぁ、当人を目の前にそういう事を言い、盃を差し出すということは、口で言うほど悪しくは思っておるまい。

 藤原兼光は杯に口を付けると表情を変えたが、そのまま一気に飲んでしまった。

 あちゃあ。


「なん……ぞぉ」


「強き酒にて、少しずつ飲まれよ」


 言うのが遅かった。藤原兼光は白目を剥くと、そのままくにゃりと倒れた。


「何をした!」


 隣にいた藤原兼光の郎党がアキラの肩を掴む。

 場が騒然とする。


「そこの酒を少しばかり多く飲まれただけにて」


 藤原兼光の杯を取り、酒を注ぐ。皆の見ている前で少し口をつけ、そして周囲に勧める。

 奪い取るように杯は持っていかれ、


「はぁぁ、これは強き」


 回し飲みされる。


「更に飲まれるか、注ごうぞ」


 結局、その場で蒸留酒の壺は空になってしまった。

 藤原兼光の倒れたのを見計らって、簗田郡の郡司が頼義殿にすり寄っていった。確かあの人、藤原兼光の長男だったよな。


 藤原兼光の郎党どもは、話し合って藤原兼光を連れ帰ろうとするが、どうも皆足元がおぼつかない。


「寝かせておかれよ」


 とは言ってみたが、結局おぶって帰ったらしい。


      ・


 翌日は文書記録等を根こそぎ運び出す。

 これより国府の仕事は足利で執り行うと、昨日頼義殿は一同に宣告していた。実際には国府の仕事をする場所なんて足利にはまだ無いのだが、宣告するタイミングは今しかない。倉の蓄えの運び出しは明日以降になる。


 アキラは、運び出される書類から今年の分を選り分けて、急いで処理するのに追われた。人が忙しくモノを運ぶ間、一人で文机に向かって忙しく計算とチェックだ。

 今年は税を免じられているから正味の仕事は発生しないが、収量の記録は業務の範疇内だ。あと、年を越すと寺社などに米を給付しなけらばならない。この分はちゃんと確保しておかないとまずい。


 屋敷に調度什器は残るが、がらんとした雰囲気は漂う。

 物置を閉じると、扉に陰陽の封印っぽい張り紙をしておく。得体の知れないものには触れないのがこの時代の住人だ。


      ・


 足利の屋敷に帰ると、母屋が木箱で一杯になっていた。国庁屋敷から持ってきた書類たちだ。早いところ置き場所を作らないといけない。


 上野国の山田郡、勢多郡、佐位郡の郡司に出していた手紙の返事が返ってきていた。勢多郡は山田郡と花輪村の帰属を巡って争った過去があるので返事が怖かったが、色よい内容でアキラは胸を撫で下ろした。


 冬場の山野の住人のために、木材の伐り出しの賦役を課すことで米を給付するのがアキラの手紙の狙いだった。耕作をしない山野の住人は、耕地のある平地の住人より今年は厳しいことになる筈なのだ。

 伐り出した木は足利で使う。下野から上野へ、帳簿上の対価は記録されるが、実体は発生しない。


 堀の工事は後回しにして、新しい屋敷の基礎工事が既に八幡宮のそばで始まっていた。一町四方に縦横に縄が張られ、地盤が弱いとみた部分に河原から小石を運んで埋め、突き固めているところだった。

 水回りの工事は先行していた。表面にタイルを張った三和土で水回りは固められる。上水と下水は分離される。

 風呂は外部に作った釜から湯水が樋で湯桶に流れるようになる予定だ。

 

 屋敷の建物は、従来の工法で作る応接室になる東殿を除いて、全て新しい工法で建てられることになっていた。塗込壁と障子戸の多用がその外見上の特徴で、見えない部分である屋根はトラス構造になっており、その為こけら葺きの屋根に反りはほとんど見えなくなる筈だ。


 図面を作らせたが、見る限りおおむね問題は無いようだった。図面が読める者の数だけ並行して部材加工ができる。つまり大学木工生五人と卒業した足利荘の二人だ。

 建築現場には大量の釘が供給されていた。鋼線の生産はまだ全然うまくいっていないが、試作した鋼線から作られた釘の数はおよそ千本、この時代の水準からすると桁違いの量だ。


 これら工夫は全て工期の短縮に結び付く。農繁期の前にメインの建物は住めるようにして、一年以内に堀も塀も仕上げてしまう。

 実はスコップを数本試作していて、それなりに反応は良い。従来の鍬の刃先以外の木製部分も鉄製にしたものも一本作っていたが、遠慮してかあまり使う者はいない。

 この規模の建築としては賦役の規模を三分の一以下に減らせるとアキラは見込んでいた。つまりコスト三分の一だ。


 そういう見積もりを仕上げている所に、あずさ殿がやってきた。

 最近は菱文の柄の小袖をよく着ているらしい。ぺたぺたと足音が響いたかと思うと、アキラの文机の前にいた。


「文箱はいずくか」


 アキラは後ろの木箱の山を指さした。その何処かに紛れている筈だ。国庁屋敷に置きっぱなしにだったあずさ殿の私物も昨日全て引き揚げてきたのだが、どうも作業者が適当にどれかの木箱に突っ込んでしまったらしい。

 あずさ殿は手近な木箱を幾つか空けて中を探して、そして諦めた。


「西の所は子の泣くのがうるさい。こちらに何ぞ物語でも無きや」


 西殿には亡き信田小太郎の妻キヌメとその遺児も一緒に住んでいる。

 赤子の泣き声が昼も夜も無く続くのだとあずさ殿は言うが、いや、流石に最近は違うのではなかろうか。そろそろ立って歩けるようになった頃、もう一歳に達した筈だ。

 指摘すると、あずさ殿は頬をふくらませた。


「目代は要よく分かって居らぬ」


 あずさ殿の顔の痘痕の跡は、ほかの者に比べればずっと軽いものだ。しかし、決して存在を忘れてしまうほどではない。 

 手元を覗き込まれる。


「まじないか」


 算木の並びをそのまま表した、算木数字だ。

 紙の上に小さな算木を並べて計算するアキラのやりかたのままに描く方法で、唯一違うのは算木の無い桁には丸を描くところぐらいだ。

 この方式は算木を教えるにも好都合で、大学ではこの方式で算法を教えていた。横書きのスタイルだったが、竹ペンや最近流通し始めた羽根ペンにも適した方法だ。

 アキラは個人的な書付にも最近はアラビア数字ではなくこの算木数字を使っていた。


 何か文字だと思われたか。こんなものより都で買ってきた奴がある筈だ。


「文選でも読まれよ」


 せっかく買ってきた詩集だ。読んでくれないと困る。

 全六十巻の漢詩集、文選は都からのすごい荷物になった。二十石ばかりと比較的安く放出されていたから手に入れることが出来たが、源氏物語全巻より分量の多いのだ。

 書物だけで五斗箱が一杯になった。本当に欲しかった法令集、類聚三代格は手に入らなかったが、この時代の学習書である口遊を手に入れたのは嬉しかった。


 手元の算盤、桐生五郎の考案した、算盤と呼ぶしかない代物の桁を揃える。

 算木記法をストレートに木細工に落とし込んだ代物だ。わずか6桁だったが、竹の軸に小さい平たい板のタマが並んで刺さっている。それらが枠に収まって、見た目は立派な算盤だ。


「文選は古き。文集なら読もう」


 嘘だ。絶対に読まない。白氏文集だって似たようなものだ。


「そもそも目代は文選読んでおるか」


 もちろん、読んでいない。ちらりと目を通しただけだ。流石に漢詩を詠むところまで教養レベルを上げようとは思っていない。

 だが、そんな事はおくびにも出さず、


「まずは詩詠まれることです。さすれば自ずと良し悪しも悟り、良き詩にも興が向かうことでしょう」


 屋外を指さし、さあ、花も鳥もありましょう、と言う。


「この頃に花は無かろう」


 稲刈りも終わり、山の木も色づき始めた頃である。確かに今頃咲く花は無い。


「山の方、景色も趣深うなっておれば、尋ね行くも良きかと」


 そこに尼女御が割り込む。

 最近は時々、尼女御の主導で近くの散策に行くのだという。壷装束みたいな格好をするのだろうか。ちょっと興味がある。見てみたいがまだ暇が無い。


「三郎が案内致しますゆえ」


 更にそこに頼季様が割って入る。


「いや、趣求めるに強く急かせるの良くあるまい。

 アキラよ、何ぞ物語でも語れぬや」


 無茶をおっしゃる。


 最近、尼女御は頼季様をあずさ殿とくっつけようと色々と躍起である。しかし、どうも頼季様が乗り気ではない。


「目代が語る物語、確かに良うあった。また語られよ」


 あずさ殿も言う。全く無茶をおっしゃる。


     ・


 頼季様の結婚相手としては、あずさ殿は確かにぴったりだった。ぴったりと言うのは勿論、家柄の事だ。

 子供は家柄の良いところと結ばせる。これは頼信殿の家の極めて重要な方針だった。尼女御もよくご存じの話で、だから頼季様が乗り気でないというのは家の大事になる。


 夕餉のあと、薬師堂に関係者が集まる。

 関係者と言うのは頼季様の家のものの事で、正確にはアキラは違う。しかしアキラは無理やりに頼季様に付いて割り込んだ。


「何ぞ別に好いた女でもおるか」


 北郷党との会合から戻ってきた頼義殿はずばり頼季様に切り込んだ。


 あ、いるのか。


 頼季様は黙ってはいたが、その様子を見れば一目瞭然だ。


「信田小太郎の寡婦(やもめ)か」


 勿論そうだろう。キヌメ殿は疱瘡に罹らず、したがってその美しさは今も全く変わりない。顔の造作からしてずるいくらい美しい。

 袖から伸びた白い整った手を見ただけで、アキラは自分が一年近く禁欲していたことを思い出す羽目になった。目の毒とはまさにキヌメ殿のことである。


「女の家血筋はともかく、子の血は良いな。

 信太小太郎の子の父となるのも、悪くなきやも知れぬ」


 ここで頼義殿はひと息切ったが、続いたのは厳しい言葉だった。


「しかし三郎よ、まこと武者になる心積もりか。

 三郎に武者として成る道は無きぞ。都に登る日も無き。

 ……三郎よ、いっそ出家せぬか」


「太郎殿っ」


 尼女御が何か言おうとするのに構わず、頼義殿は、


新覚位(源満仲)の出家の際も、先に出家した子が案内を致した。

 吾らが父ももう古き年ぞ。出家するなら案内があったほうが良い。それなら、出家するなれば、都にて良い暮らしも出来よう」


「兄背よ!」


 頼季様は叫んだ。


「吾はこの地に思う妻得るならば、埋もれしも構いませぬ!」


「吾子はそもそも武者に成れるのか」


 頼義殿は低い声で突き放す。


「武功無くしてなんの武者ぞ。郎党無くしてなんの武者ぞ」


 まってくれ。


 アキラは覚えている。

 頼季は東国にて好きに生きるが良い、そう言われた。


 アキラはたまらなくなって、声を挙げた。


「武功なら、じきに、いくらでもお立てになる筈」


 全員がアキラを見る。

 頼季様の郎党ならここに一人いるのだ。


「大いくさ、勝つところの旗のところ、三郎様のおられましょう」


 アキラは頼義殿を見つめて、言う。


「吾のいくさの備えとは、まさにそれにて」

#80 国印について


 国印は国司の権威の印であり、国司の発給文書を正式なものとする必須不可欠なものでした。他にも調の布に国印を押すよう律令の定めがあり、これが例えば国司の敵対者に奪われると途端に困ったことになりました。国司の業務を行うに当たって必要なものであり、これの保持者は名実ともに国司の権威を持っていたのです。

 国印は奈良時代に鋳造され、各律令国に一つづつ置かれました。二寸四方の鋳銅製で、現在まで伝わっているのはごく少なく、ただ下野の場合は他国の事例より早く、平将門の乱の際に失われています。

 国印を巡っては、939年の将門は他にも常陸の国印を奪い、後に武蔵、相模の国印を差し出されています。1070年には陸奥で国印と国倉の鍵が奪われる事件が起きています。

 しかし、10世紀半ばに生まれた花押、署名が11世紀に入ると流行し、代わって印章の文化は廃れることとなります。

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