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#78:1020年8月 思惑

 新たな下野国司、藤原定輔殿の屋敷は四条の一町四方の広大な屋敷だった。去年の今頃には既に買っていたのだそうだ。


「東洞院の隣に住めと言われたが、流石に鬼住む処には住めぬ」


 あの方は悪所好きゆえにあのような所住まれるが、鬼出るとなれば流石に付き合えぬ、と定輔殿。あの方とは藤原能信の事だ。

 藤原能信の屋敷のすぐ近くに荒れ放題のでかいぼろ屋敷があったが、あそこに鬼が出るという。一町四方の広大な屋敷も、場所を選べば安く買えるという事か。

 定輔殿は受領で随分と貯め込んだのだろうから、こういう屋敷も買えた訳か。値段は米五千石と聞いた。上野国から搾り取った租税はこんなところに使われていた。

 屋敷内は様々な所が新築よろしく修繕されていた。これはまだまだ財が要るだろう。


 アキラと定輔殿、そして源頼義殿の間には袋が一つ転がっていて、中身を覗かせていた。銅貨千枚、一貫文だ。


 今日は下野国司への挨拶だったのだが、アキラはおまけで、源頼義殿が判官代に任じられたのが主題だ。

 判官とは在庁の大掾とか小掾とかを指す用語で、だから下野介の藤原兼光よりは位階がひとつ低いのだが、しかし国司から直接に権限が委任されている場合、事情は全く違ってくる。


 アキラが今のところ飲み込んでいる話は以下のような状況である。

 小一条院の受領任となった下野国だったが、任命したい適当な人間が突然現れる訳でも無く、その辺りは小一条院の別当、世話担当のトップとなった藤原能信に推薦が一任された。

 しかし藤原能信にも都合の良い家司がいない。強く下野国司を望む人間もいたが、家司の藤原定輔殿の強い反対もあって躊躇していた所、アキラの持ち込んだ調銭の話が関係者の欲望をえらく刺激した。


 梵鐘の鋳造失敗というのは思っていたよりずっと重大な話だった。

 以前、藤原道長本人の臨席した鋳造で大失敗があったらしい。その上でこの春、鋳造失敗が繰り返された訳で、工人を替えて何とかしたものの原材料不足が主な原因であるのは誰の目にも明らかなことだった。

 この梵鐘が藤原道長の造営する巨大寺院、法成寺の鐘で無かったならば、ここまで問題とはならなかっただろう。

 今なら、もしかすると銅は黄金より価値が有るやもしれない。鐘に出来るほどの量さえあれば、の話だが。


 下野国からの三百貫は藤原能信にまず納められ、そこから分配される。下野国司の取り分は無い。だから国司は受領ではなく遙任となる。

 そうなるとなり手は少なくなる訳で、いわば貧乏くじを藤原定輔殿が引いた格好となった。

 アキラとしては知った顔であり、知らない人物よりずっと良い。受領でなく遙任となったのも都合がよい。

 更にアキラは、藤原定輔殿に三百貫とは別に年十貫を貢ぐ約束をしたばかりである。


「平の維衡なら是非とも首落とせ」


 酒が入ると定輔殿は他人には聞かせられない物騒な発言を連発した。


 どうも定輔殿と新たな常陸介、平維衡とは既に合戦をやった後だという。何かの例え話かと思ったら、定輔殿の上野からの任期帰りに近江でガチの軍事衝突をしたらしい。一人殺して一人捕虜にしたという。

 思ったより平維衡の郎党が弱いのか、それとも定輔殿の家来が強かったのか。平維衡は武者の家だと思っていたが、それほどでも無いのかも知れない。

 平維衡は受領として常陸に赴任するつもりらしいが、まだずるずると出発を延ばしているらしい。まぁそうだろう。疫病で今年は徴税免除になっている。今年は全く旨みの無い年なのだ。


「ほう、常陸切り取るか」


 頼義殿は説明する。下総と接して荒廃した常陸の郡、信太郡の郡司は不在の状態が続いていた。これを小一条院の荘園として丸ごと献上、分捕ってしてしまおうというのが陰謀の骨子だ。

 その為には、当の郡を献上する主体が無ければならない。

 ちょうど良い事に、常陸の在庁は一人減っている。信田小太郎が討ち取った平為幹のポストだ。

 その枠に、こちらの都合の良い人間を任じてしまうのだ。


「平良衡、これは余五将軍の末孫と言ったか」


 ならば容易かろう、血筋の者に推し文書かせて高松殿に届けよ、と定輔殿は言う。


 御給というものがあるそうだ。

 小一条院には年に数人の官人への推薦枠の権利がある、という。これは本当に単なる推薦枠なので、これを小一条院が収入にするためには推薦の対価を取らなければいけない。勿論、対価を取るも取らないも自由だ。

 これが普通の親王なら、東国の親王任国の国司としてその給が得られた筈だ。しかしその枠が無いからこういう工夫が要る。

 ただ、これではあまりに収入が不安定なので、架空の人間を推薦する事で、その人間に入るべき給料を全て懐に入れる手法が発明されていた。これが役職を持たない小一条院の基本収入となる。

 この枠をひとつ使って、常陸の在庁へと推薦するのだ。空きポストの小掾にでも任命すれば、これは相当な権力になる。


「藤原の兼光の兄文行は使いようによっては、常陸に使えよう」


 下野守の候補に挙がっていた文行とは、藤原兼光の兄弟だったのか。そんなのが下野守になっていたら、アキラの仕事はやり難いどころじゃなかっただろう。

 ところが、そうでもないと言う。


「あの佐衛門尉はかつて平の正輔と争いよる」


 平正輔とは常陸介平維衡の息子だ。安農津の平正度の弟か。

 つまり常陸国司に対する攻撃には好意的である可能性があるという事だ。


「下野の俵藤太の末共は一つ岩のようにも見ゆるが、大きく割れておる」


 藤原の兼光とその兄文行の仲は、それほど良い訳では無いのだとか。

 すごいな。知らなかった人間関係の情報がポンポン出てくる。


「これで面白きこと楽しめよう」


 これで本性がこう悪くなかったら本当に良かったのだが。


    ・


「戦はあると思え」


 頼義殿は馬の上からアキラに声をかけた。

 藤原定輔殿の屋敷から六条の頼信殿の屋敷への帰り道、夜は暗く、アキラが松明を持って先導していた。

 アキラは七位だから馬に乗れない。六位以上じゃないと駄目なのだ。

 来月の秋の除目で、武者のために特別に六位を増やすという話で、喜ばしいことに頼季様とアキラもその数の中に入っているという。

 しかしそれは来月のことだ。


「吾子はそれに備えるが勤めとなる。

 追討の官符の出て、それで勝ちの半ば、残りは備えで決まる」


 ここで戦の相手として想定しているのは、平の忠常である。

 常陸勢ではない。源頼信の家が想定しているのは大規模な謀反、反乱とその鎮圧である。過去常に彼らはそうやって勢力を広げていったのだ。


「相手に悪訴の口実与えるでないぞ。難しきは判っておる。

 だからこそ、アキラよ、吾子の働きを試そうぞ」


 藤原能信は関東の争乱に関する源頼信殿の憂慮を取り合わなかった。

 平の忠常が関東半分の実質の支配者である状況に対して、単なる目代に過ぎないアキラが残り半分の行政を統括するのは、危険に過ぎた。騒乱が起きることは目に見えている。

 だが、反乱と呼べるものが実際にあるまで、朝廷のアクションは無い。

 これは確定した話で、覆せない。


 これを奇貨とするのが源頼信殿、そして源頼義殿の考えだ。

 アキラは平の忠常の暴発を誘わなければならない。平の忠常の権益を侵し、追討の朝宣が出るような種類の痛手をわざと受けるのだ。


 自分の手で戦争を起こさせる。かつてなら忌避した考え方だが、今は違う。

 全ての敵を片っ端から打ち倒せば、その中には必ずいるだろう。

 吾が妻の敵が。


    ・


 貢物しか見ていない人々と、戦しか見ていない人々がいて、そしてアキラと見ている方向が同じという人は誰もいない。

 財が欲しいというのが商業に興味がある事を意味しない、というのがこの時代の面白いというか面倒なところだ。

 だから、アキラの興味のある諸々はアキラが骨を折らないといけない。


 新しい上野国司、藤原兼貞にも挨拶に行った。

 上野国は親王任国、つまり本当の国司は別にいるのだが、それは小一条院の娘、冷泉宮であるという。つまり国司任命は小一条院別当であるところの藤原能信の意のままなのだ。

 本人は何ともお年寄りである。というか、見覚えがある。二年前に、右京の外れの河原で、魚釣りをしていた老人だ。

 漢詩に釣りの詩があるので真似ていたのだそうだが、


「疫病多くて河原は風情悪うなってな」


 最近は釣りもしていないそうだ。だがしばらくすれば河も奇麗に澄むようになるだろう。アキラは釣り針を献じることを約束した。

 藤原兼貞殿は長年の蔵人務めを評価されて国司に任ぜられたが、もう長旅は辛いとの事。一方、新しい上総の国司も相当な年寄りらしいのだが、任地へ赴かれるのだそうだ。但し行くのは来年との事。


 平の直方殿に挨拶に行く。以前検非違使に捕まったことを考えると、今この方が検非違使にいるのは心強い。

 平良衡の身元保証の書類を作ってくれるよう、越後の余五将軍こと平維茂に手紙を書いた。手紙を託した使いの報酬も旅費もアキラの負担だ。


 大学に書籍を集めるのも今回の上京の目的の一つだった。

 書籍を集めるために様々な人に聞いて回ったが、本は店頭で売っているものではない。買おうと思えば持ち主と交渉しなければならない。そして一番コストが低いのは書き写しだ。

 アキラの欲しい書籍は多種多様に渡っていた。物語、法解釈と判例、漢籍、仏典、そして辞書、歴史書、和歌の選集。

 アキラが一人で書き写せる訳ではないから人に頼むしかない。できれば本を持っているところに依頼してしまいたい。依頼は長期にわたるだろう。となると、依頼先はとにかく本を沢山持っている所が良い。

 本持ちで知られていたのは今だと御堂関白こと藤原道長、だが勿論これは問題外だ。他にはと言うと学者の家として有名なのが大江と菅原、そういえば菅原といえば前上総介殿、千葉で席次を教えてもらった方がそうだ。是非ともお願いしたいところだが、残念ながら前上総介殿は今頃都への旅路の途中である筈だ。


 あと、陰陽法師を探している。是非とも一人雇いたい。

 まじないとか陰陽とか祈祷とか、そういう代物への対処をきちんとする必要がある。


 そうして、暇があればアキラは木工寮に入り浸った。

 猫車を作って当初の信頼を得ると、回転砥石を披露してアキラは一気に工人たちからそれなりの敬意を得るに至っていた。

 回転砥石は都の西で採れる砥石を贅沢に丸く削ったもので、よくある木曳き轆轤に取り付けて使う。刃物研ぎはあっという間の作業となった。


 アキラは猫車の制作を推奨したが、最大の用途が死体運搬だとは予想していなかった。木工寮に隣接する長屋にはすぐ隣の立ち入り禁止の公園、神泉苑の世話をする者も一緒に住んでいた。彼らが最初に使ったのだが、それは神泉苑に捨てられた病死体を都の西まで運ぶというものだったのだ。


 アキラが今作っているのは、木製のころ軸受だった。都は硬木を手に入れ易い。木曳き轆轤で削った硬木の小さな軸木をフランジの軸受保持器の中に並べて、そして中央に軸を挿入する。

 燈明油を差し、蓋を嵌めると、車輪を軽く廻した。

 ふむ。いい感じだ。

 アキラは近くで見ている工人に、廻してみよと誘った。


 径五尺の車輪が軽く廻る。がたつきは勿論あるが、回転は止まらない。


「軽き」


 さて、あとこれを三輪か。背伸びをすると、

 アキラのすぐ背後に、僧が一人立っていた。


   ・


「源円と申します」


 痩せた僧は大きく頭を下げた。


「興福寺で修養しておる身にて、主に唯識の学論をしております」


 アキラは板張りの床のある小屋に僧を案内した。


「学僧の方がこちらに何用にて」


 興福寺って何処だ。都には条里の内側に寺がほとんど無いからよくわからない。アキラが知っているのは東寺、清水寺と絶賛造営中の法成寺くらいだ。


「下野薬師寺の弁徴法師より諸々文にて知らせあり、是非にも、と」


 薬師寺と付き合いがあるという事は、密教の寺ではないのか。念仏の寺でも無いだろう。唯識と言っていたから、薬師寺と似たような所なのだろう。


「御身は弁徴師に、数は識であるかと問われたと聞きます。

 この件当寺でも相論ありましたが、概ね答え得られたと思いしゆえ、当寺の考えをお伝えしたき」


 なんとまぁ、真面目な話だ。

 アキラは姿勢を正して、源円という僧に向き合った。


「数は思惟のうちにしか無く、これは未那識のうちにあります」


 アキラはしばらく続きを待ったが、


「それだけであられるか」


「これが全てにて」


 ふむ。アキラは道具箱から竹尺を取り出した。

 思ったことを言ってみる。


「人がもの見るに、あれは大きい、またはちいさきと言う事あれど、竹尺を添えて測れば例えば二尺であったとして、これは他の者が測りても変わらぬ。

 二尺と言う数は何処にあったか。果たしてこれも思惟の中にありしや。

 測れば五識はみな数に定まる。なればこれら数は物に属するのではなきや」


 アキラの言葉に、源円法師は袈裟の袖を振って姿勢を正して、そして答えた。


「数に(じつ)は無き。

 桶が一つあり、しかし、この一つという数の実相が桶かと言えば、それは違う。小石一つにしても、石は数の実相にあらず。

 数がどこにも無きものとすれば、それは心になければならぬ」


 源円法師の言う事はある意味もっともだ。当たり前だが数は概念に過ぎない。


「貴僧の仰せの通りであろう。

 しかし、では何故尺を当てるだけで、五識の各人のありように関わらず、同じ数を知るのか。心はみな誰もが違う。ならば何故同じ数を拾われるのか」


「……御身は何と考えられる」


「誰もが同じように物事を観、識る法がある、と考えます。

 これ称して、測定と」


 源円法師は顔をしかめた。

 アキラの言葉の意味を考えているのであろう。表情が変わっていく。怒りだ。

 法師は怒りに立ち上がると、アキラの頭上から罵声を浴びせた。


「素人の呆れた修法ぞ。竹棒当てるだけで未那識に直覚しおると言う」


「測定を軽く思われるな」


 アキラは声を張り上げた。


「竹尺にて二尺と計ったとする。しかし果たして二尺丁度か。

 二尺と百分の一寸か、百分の二寸か。竹尺は曲がれば測りし数も違いおる。よその竹尺はここの竹尺とはわずかに違うやも知れぬ。

 これら全てを勘案し、細工に細工を重ね、正しく測る工夫が測定にて」


「たかが手先の技ぞ」


「しかし正しき手先の技にて。

 五識に介添えするのが測定の法。どれほど助けられるかは、まだまだ判りませぬ」


「……ふむ」


 源円法師は改めて座ると、アキラに頭を下げた。


「先ほどは心に任せ荒き事申しました。許されよ」


 アキラもまた頭を下げる。


「相論激しきは学僧の常と聞きますゆえ」


 変な話になってしまったが、この手の雑談が将来の足利の寺院造営の妨げになったら問題だ。全くの後の祭りなのだが、この手の話題は避けたほうが良さそうだ。


 しかし、誰かが自分に興味を持ち、訪れて来てくれるというのは、良いものだ。

 肩の力が抜けたところに、本題が来た。


「ちなみに御身よ、疱瘡除けの印とは如何に」


   ・


 再び声荒げること数度の激論となったが、アキラはとうとう、河内でやっている種痘の試しこそが重要であると、源円法師を納得させることに成功した。

 源円法師はいまだ八割がたアキラの言葉を疑っているようだったが、河内まで確かめに行かれると言う。


「確かめる事こそ確かなる事、これこそ真にありましょう」

#78 伊勢平氏について


 作中の常陸国司、平維衡とその一族の背景は、伊勢国を舞台として少し複雑なものとなっていました。 

 この時代、伊勢国を舞台として、平維衡と平致頼の紛争が続いていました。この二人はまたいとこの関係で、998年には既に戦争状態にありました。今昔物語集では二人の争いの発端は互いに告げ口をするものがいたからで、それで関係が悪化し合戦となったとあります。しかし争いの原因は伊勢神宮の領地に割り当てられていた度会、多気、飯野、員弁、三重、安濃らの神郡を二人で押領して奪い合ったためだと思われます。

 二人は元々伊勢北部の住人でしたが、これら合戦を通して伊勢全域に勢力を広げていきます。

 五位以上の位階を持つものは近畿から許し無く外に出ることは禁じられていました。それを破って二人とも伊勢にいたこともあり、998年の合戦では都に二人は呼び出されて尋問を受けます。平維衡は過状を提出したものの平致頼は出さなかったため、平維衡は淡路に短期間移配となったのに対して平致頼は遠い隠岐に3年流されることになりました。

 1006年には平維衡は藤原顕光によって伊勢守に推薦されますが、伊勢で同族で争いを続けているという理由で藤原道長の反対を受け、任官は無くなった筈だったのですが手違いで奏上文に伊勢守として平維衡の名があったため、二か月だけ伊勢守とされました。

 その後は上野介、備前守、常陸介と国司を歴任していますが、いずれも遙任でした。

 平維衡は左大臣藤原顕光の家人で、堀河殿は平維衡の財力によって築かれたものでした。対して平致頼は藤原伊周に近いところにいました。どちらも当時の政治の主流から外れたところにいたのです。

 二人の争いは子孫の代に受け継がれ、やがて平維衡の子孫が覇権を確立します。航海術の発達によって、安濃津は伊勢平氏の富の源泉となっていきます。

 中央政界から遠ざかり、当時勢力の強かった源氏の下に付くことも無かった伊勢の平氏は、平家の長者であった平直方の平忠常追討の失敗によって代わって政界に復帰するきっかけを掴みます。

 しかし平家が政権を握り、わが世の春を謳歌するのはまだ先、平維衡から六代のち、作中年代からおよそ140年後のことでした。

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