#71:1020年4月 荒廃
翌朝、アキラはふらふらと起き上がると、小川で顔を洗った。
考えないようにしなければならない。
考えてはいけない。
ただ、今救える人を救う。機械的に、何も考えずに行動する。
種痘だ。種痘をおこなうのだ。
ここでじっとしていたかったが、そうして失われてしまうかもしれない命について、考えない訳にはいかなかった。
薪を積み、敷き詰めて、その上にクワメを横たえる。
服を整えてやる。クワメには絹の服も着せてやることができなかった。
首にかけていた紫水晶を形見にしようかと思ったが、やめた。これはクワメに持たせることにした。
薪に火をつける。
髭を剃り、髪を洗い結い直す。
竹串の数を当たる。充分だ。
牛は垣根に戻す。しばらくは世話もできないだろう。
兎は籠を半ば食い破っていたが動作は鈍かった。新しい籠に移す。小皿や前掛けなど道具を揃えて馬に積む。
兎の籠を抱いて馬に乗り、出発した。
背後で、クワメを焼く炎が高く昇っていた。
水田が視野に広がってくる。
田植えがされていたが、良くみると列がいびつに見える。田植えは集団作業だ。勿論一人でも出来るだろうが、そうやってバラバラにやった結果か。
田植えは一気にやってしまう必要がある。でなければ稲の成長はばらばらになってしまう。今の状況はまさにバラバラになったそれだ。
田植えされていない田もあるし、水が掛かっていない田もある。もう雑草が伸びていて見る人が見たらイライラもするだろう。
屋敷までで見かけた人間は一人だけ、遠い田で何かしている男が一人、それだけだ。
屋敷の正門を叩く。物忌みの札はもう剥がれかかっていた。
「藤永のアキラ、戻りました」
しばらく繰り返して、ようやく門の戸が少し開いた。
「アキラか」
老雑色は門を通してくれた。
「何かしたか」
「疱瘡除けの法の出来た」
そう聞くと老雑色の顔に喜色がみえた。そのままアキラを置いて母屋に走っていく。
「尼女御様、皆様、アキラの疱瘡除けの法ぞ来ました!」
そう叫ぶのを聞きながらアキラは馬を厩に繋ぐ。
厩の中はほとんど空だった。ああ、牧に放ったのか。
荷物を降ろして、そして、匂いに気づいた。
死臭だ。
ここでようやく、尼女御はまだ生きているのだと気が付いた。
母屋に上がると、尼女御と頼季様が待っていた。二人だけだ。
座ると、戻ってきた旨挨拶した。
「二月ではなかったのか」
「思うより早く出来ました」
「クワメは如何した」
尼女御が訊く。
「……死にました」
「殺したのではあるまいな」
その尼女御の言葉は一瞬理解できなかった。そんな事を言われるとは思ってもみなかった。強烈な失望がアキラを襲った。
「……まさか」
アキラは絞り出すように答えた。
すぐに頭は冷えた。冷えすぎるくらいだ。
呪いやまじないなら、人身御供は普通の考えだ。そしてアキラはまじないをやっていると思われている。
当然の反応だろう。
「クワメを救う事叶いませんでした」
そう言ってアキラは俯いた。
もうこいつら、全員死んでもいいだろうよ。
くそ、勝手に泣けてくる。
アキラはとにかく説明だけ先にしてしまおうと思った。
そうしてから、丸まって小さくなっていたい。
「聞いて下され」
機械的に、やると決めたことを先にやろう。
「疱瘡除けの法は、まだ疱瘡に罹っておらぬ者に印をつけるものです。
疱瘡に罹ってしまったものには効きませぬ」
後ろに置いた兎の籠を前に出す。
「兎に疱瘡の毒を植え、その膿を別の兎に植え、更に出来た膿を植えたのがこの兎にあります。
この兎、弱ってはおりますが、死ぬことはありませぬ。
疱瘡の毒は兎の中で弱うなりました」
アキラは直垂の腕を捲って、種痘の印、接種痕にようやく出来た小さな水疱を見せる。
「その弱りし毒を植えたのがこの印にて」
そのまま向き直る。
「竹串にて腕に少しばかり刺し傷作り、兎から膿植えます。
三日ばかり経つと少しばかり熱を発しますが、酷いことにはなりませぬ。ごく軽いものです。
七日経つと傷跡に小さな膿が出来ます。これは広がらず、しばらくすると瘡蓋取れます。これで印の出来上がりにて」
「……疱瘡の酷くなる様子に何か似ておるな」
頼季様が言う。
「これはごく弱き疱瘡にあります。
知っての通り、一度疱瘡に罹った者は二度と疱瘡に掛かることがありません。これはこの弱き疱瘡でも変わりませぬ」
「毒は人から人にうつりはしまい」
尼女御の言葉は、感染症の原因についてもこの時代の理解から来るものだ。
感染性に注目すれば、病の原因は毒ではないと結論できる。別の目に見えない何か、例えば鬼が人から人へ移り、鬼が人を呪い病に冒すのだ。
そういう理解だ。
「疱瘡の鬼は、蛇のごとく毒を持ちます。この鬼はごく小さく、疱瘡の熱の出た者の唾や汗に乗って散らばります」
「ふむ」
「鬼は小さく、退治難しく、それゆえ毒のほうを当たります」
「ふむ」
「では」
と言った頼季様を手振りで押し留めると、尼女御はしばし黙考した。
「似たような話聞いた事無き。いくら思い出しても例無き事。
アキラよ。これはまこと陰陽か。鬼道か」
「陰陽にあらず。鬼道にあらず」
アキラは答えた。
「草生え伸びるのは何の業でありましょう。弓引いて矢飛ぶは何の業でありましょう。
この法は、そのような物であります。
疱瘡の鬼は虫よりも小さく、虫よりも心ありませぬ。呪いでも神仏の技でもありませぬ。虫を散らすのと同じ事」
「如何にその法を知ったか」
「吾の知りし他の事と同じにあります」
尼女御は再び押し黙った。
やがて、アキラを真っすぐ見つめて言った。
「……では、わが身で試しましょう」
・
頼季様の反対を尼女御がことごとく退ける間に、アキラは種痘の準備をした。
裏手の下屋に行き、火種を探す。薪が乏しい気がする。竈は冷たく、しばらく使われた形跡が無い。長火鉢を探すと、アキラは久しぶりにファイヤピストンで火を熾した。
長火鉢を母屋に持っていき、持ってきた小皿を水で洗い拭いて並べる。
兎を籠から出すと手際よく革帯で縛り、籠の上に固定する。
前掛けをして、マスクをする。
竹串の先を小刀で少し削り、火で軽く炙る。
小皿を用意すると、小刀を取って兎に向き直る。
いつのまにか頼季様が兎の籠の向こうに廻っていた。アキラの手元を見ている。
「静かに」
アキラは、無傷なほうの睾丸に刃をほんの僅か入れた。
「なんと」
頼季様のつぶやきは、兎の悲鳴でかき消されそうだった。
「兎の金玉であるか。これは痛かろう」
傷跡から滴る体液を小皿で受ける。血と、黄色く濁った膿が、ほんのわずか。
充分だ。
蒸留酒の小壺の口に小さく切った麻布を当てて、布を蒸留酒で濡らす。
「蒸し酒か」
アキラはうなづいた。
「では、腕出されよ」
尼女御は僧衣の袖を引き上げて腕を差し出した。
細い。枯れたような細さだった。
「肩が見えるほど出されよ。肩近くに印付けます」
アキラは再度自分の袖を捲って、再度種痘の跡の位置を示した。
「もっと腕先では良からぬか」
「印は傷になります。目立たぬところに付けたき」
「ならば、印見せ易き所が良い」
アキラは、どうしようかと考えた。仕方がない。別に何処でも良い筈だ。
尼女御の二の腕の中ほど辺りを、蒸留酒で濡らした布で吹く。
「含ませるのではなかったか」
「強き酒は、病の鬼より強きゆえ」
竹串の先を、兎の睾丸から採った液で濡らした。
「刺し傷作る故、痛うあります。我慢されよ」
そして、刺した。
驚いて腕を引かれるのを、強く掴んで制止し、そして念のためもう一度刺す。
血が滲んだ。
竹串を置き、布を当てる。腕を掴んでいたのを放す。
「しばらくこの布を当てておかれよ」
尼女御は恐る恐る、布を抑えた。
「これで終わりか」
「三百数えたなら、布はもう要りませぬ。あとは待つだけにて」
「ふむ、難しき事無き」
様子を見ていた頼季様が言われる。
「一つ一つ間違い無ければ、他の者にもさせる事出来ましょう」
「七日待つ。それまでは怪しきまじないぞ」
尼女御が牽制する。僧衣の袖はもう戻している。
「それまでは、吾がよく働きましょう。吾はもう疱瘡に罹りませぬ」
アキラは努めて明るい口調で言った。
「そういえば、赤子は如何した」
頼季様が問われる。
「鬼に取られました」
正直に答えるが、多分死んだと思われるのではないだろうか。
・
屋敷にはあと武者たち六人と老雑色一人がいるだけだった。
物置小屋に雑色が一人、校倉で女房が一人、武具小屋に武者が二人死んでいた。ほかの死体は門の外に出したという。
生き残った武者たちは産屋の奥に立て籠っていた。疱瘡除けの印の話に興味を示したようだが、死体を片付ける事には当然だが断固として手伝いを拒んだ。
老雑色には尼女御と頼季様の世話を頼んである。要するに、アキラは一人で死体をどうにかしないといけない。
女房の疱瘡の一面に浮いた腕を掴むと、皮膚がずるりと剥け、膿の腐った匂いが直撃した。膿の汁が飛んで前掛けに盛大に付着した。
校倉から死骸を茣蓙の上に蹴落とし、茣蓙の端を掴んで少しづつ運ぶ。
雑色の死体は服を掴んで引っ張った。液体のような重さ。蠅が一斉に飛び立った。死骸に蛆が白く蠢いている。見てはいけない。
武者は、うわ。
赤黒い疱瘡のかさぶたの下で蛆が動いているのが見える。目は落ち窪み潰れて、直垂は膿の黄色にまだらに染められ、便の匂いが死臭に混じり、まさに地獄のようなありさまだ。いっそ小屋ごと焼いてしまいたい。
アキラは茣蓙の上に死骸を次々と積んでいった。酷い匂いだ。体に染みついて離れなくなるような匂いだ。マスクを二枚重ねにしていても鼻が曲がりそうだ。
茣蓙の端を引っ張って、屋敷の外へと運ぶ。当然だが四人分、重い。
茣蓙の端から腕がこぼれて落ちた。拾って乗せる。
清水川の河原の藪の中になんとか運ぶ。
このままほおっておいても、この時代の流儀では問題は無いのだが、焼こう。
屋敷にあった薪を積んで、とりあえず火をつける。
死骸は薪の下なので、多分これで燃え尽きることは無い。が、とにかく焼いてしまいたいのだ。
屋敷に戻って、死骸の膿や体液で汚れたものを片っ端から集めて、火の中に投じていく。アキラは終いには自分の服も脱いで火にかけた。
持って来ていた替えの服と石鹸を掴むと、河原に出る。
死体があった。
最悪だ。
腐敗ガスで腹の膨れた死体を引っ張って、燃える薪の方に寄せる。アキラよ、よくやった。
死体は濡れているし火は熱いし、火の中に放り込むという具合にはいかない。後でどうにかしよう。
川に戻って、もっと上流で身体を洗う。
石鹸でよく洗う。髪も洗う。
寒いが、臭うほうが嫌だ。
死体、ちゃんと燃えるといいなぁ。
火を眺める。あったかそうだが、嫌だ。
アキラは河原で改めて流木を集めると、火を熾した。
風が寒くなってきて、アキラは服を着込んだ。
屋敷へ戻る。
焼いた石灰を石臼で粉になるまで砕いて、死体のあった場所に撒く。きれいに清掃するのは明日にしよう。
思い出して、門の北東の端を見る。小さな紙が張り付けてある。奇妙なことに濡れた跡も無い。これが鬼の言っていた代物か。剥がして破り捨てる。
鋤を持ち出して、屋敷敷地の北東隅を掘り返す。ちょうど表土が新しくなっている場所があって判りやすい。少し掘ると甕が出てきた。猛烈に臭い。動物の死体でも入っているのか。
甕の中には、細長い木の板が二枚入っていた。呪いの人形の代わりらしい。頭に当たる部分が丸く角を削っていて、足に当たる部分は逆に削って二本の足に見立てていた。
いろいろ墨で書いてはあるが、まんなかには、ひらがなで、ふじながのあきら、と書いてある。
こんな呪い人形、何の役にたつのか、と思ったが、その手の中でもう一枚の木の板が、くしゃりと潰れた。
黒く変色しぼろぼろのその板には、くわたべのくわめ、と書いてあるのがなんとか読めた。
小刀で板から文字を削り、板は薪のところに置く。壷を洗い割り捨て、掘り返した穴を埋める。
暗くなる前に薪を取りに行こう。
屋敷の後ろの山に登ると、遥か遠くまで霞がかかっているのが見えた。
今なら判るが、霞は風に飛ばされた土煙だ。強烈な上州の風が、土壌表層の土を飛ばしているのだ。
相変わらず、貧しい風景だった。
足利荘を眺めて、見慣れない建物に気が付いて、そういえば。
貞松と池原殿はどうした。
アキラは山を駆け下った。
#71:地方の陰陽術について
官制としての陰陽術が確立すると、貴族の出先である地方の国庁にも陰陽術は導入されました。ただ、官人の陰陽師が配属されることは少数の例外を除けば稀であったため、地方では民間の陰陽師が儀式に当たりました。
民間の陰陽師は僧侶の姿をしていて、儀式の時には紙製の冠を被ることによって陰陽師となりました。ここでも神仏合習に近いかたちで仏教儀式と陰陽の儀式は入り混じることになります。例えば、雨乞いの儀式は地方の国庁近くの川辺でよく実施されましたが、この実体は密教の祈雨法でした。しかし同時に、遺跡から出土する木簡からは、陰陽特有の龍王使役のための文章が書き連ねられていました。
少数の例外とは東北、例えば出羽国には9世紀半ばに正式に陰陽師が配属されます。これは蝦夷の反乱や災害など天変地異に対する、占いによる現場対応を想定したものでした。ただ、実際には都の陰陽術を地方にもたらした他には特に影響をもたらすことはありませんでした。
地方と都の陰陽儀式の違いで目立つのは竈神の祭祀です。都でも竈神は祭祀されましたが、実際の竈とは既に切り離され独自の祭祀の建物を持つ存在でした。
地方ではこれは実際の竈に対する祭祀で、これは弥生時代以来の伝統的な儀式の延長線上にあるものでした。これに用いられた土器に五芒星や九字を簡略化したものとみられる井の字が墨で描かれていたことで陰陽術との関連が判明しています。
人型を使う儀式は基本的には儀式対象者に降りかかる不幸や呪い、穢れなどを人型に移すのを目的として使用されました。この時代の人型は木簡の先を人に似せて削ったもので、ただ頭と足だけが判別できるものでした。腕は見ることができません。これも発掘品が各地で出土しています。
人型は後に紙を使うタイプや、更に人に似せた木像を用いたりすることになります。
人型は勿論、人を呪うのにも用いられました。様々な陰謀の主幹を陰陽の呪いが占めることもよくあった事でした。他人に対する攻撃の基本手段だったのです。