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#7 :1018年2月 田堵

 目的地は上野国庁から南に35里。

 一里が五町、一町がおよそ100メートルだから17キロくらいだろうか。

 前日にまる一日馬に乗っていたお陰か、アキラは今回随分と苦痛が減った気がしていた。結構な大きさの川を、浅瀬をさっと渡る。


 その郷は台地の上にあった。廻りぐるりとちょっとした崖ではないだろうか。

 目的の家は郷長クラスらしいが、家はかなり立派だ。これは竪穴式では無いのではないか。なんというか竪穴式住居と農家の合いの子の様な雰囲気がある。多分茅葺き屋根が立派過ぎるのだ。


 頼義殿の古い知り合いらしき郷長と二人の話は弾み、アキラはしばらく蚊帳の外に置かれた。やがてアキラは郷長に紹介されたが、同時に郷長側からも一人紹介があった。


池原二郎頼忠いけはらじろうよりただと申します」


「こっちがウチの目代に使っているアキラだ。俘囚どもの取りまとめになる」


 どうも頼義殿とは親しいらしい。同年代か。


「それでは、頼義様のお役に立てる時が来たのですな」


「ああ、かねてよりの約束どおり、お前を大名田堵にしてやる」


 仲がよろしそうで何より。しばらく話し込んだ二人は、


「お待ちを。行くならば持って行きたい諸々がございます」


 という事で、馬を曳いて村を出て、山のほうへ歩いていく。アキラも馬を曳いて付いていく。

 どうもこれからすぐ足利に来い、という話らしいのだが、流石に準備が要る。

 しかしそれを今から、今準備をしてすぐ出発という流れらしい。

 何か心に引っかかる。


 なだらかな坂道をしばらく登るとぽつんと小屋があった。

 ああ、作業小屋か。ええと、池原殿だっけか。お仲間だ。アキラは一方的な作業小屋同士認定をこの人物にした。

 それからしばらく、小屋から運び出した袋を紐で結わえたり、馬の背に振り分けたり、三人で急がしく働いたあと。


「よし。それではアキラはゆっくり参れ」


 と頼義殿は言って、池原殿と二人馬に乗って出発してしまわれた。

 アキラの乗る馬は無い。


 やっぱりそうか。

 アキラの役目とは、池原殿と荷物のための馬を、ここまで連れてくる事だったのだ。

 のどかな早春の日差しの中、置き去りにされたアキラはがっくりと膝をついた。


            ・


 ここは何処だろうか。高崎の近くと見当をつけたが、どうか。

 北を眺めれば、遠くに上野国分寺の塔らしきものが見える。今朝ちょっと見えて気になっていた奴だ。日がちゃんと出ているときなら良い目印になるだろう。

 北東に赤城山、更にその山裾の東のどこかに足利はある筈だ。

 遠い。一体どうやって帰れというのか。


 ふらふらと立ち上がり、坂道を下る途中で、アキラはこけた。

 気が抜け過ぎである。

 手をついて立ち上がる。袴の埃を払おうとして、それが黒く汚れていることに気がつく。うわ、手のほうも真っ黒だ。

 最悪である。幸い、濃紺の袴に黒い汚れはあまり目立たない。


 しかし黒い。昔ここで火事でもあったのか、木炭でも作ったのか。

 手のひらをしげしげと眺める。どうも違う。

 石炭、じゃないよな。石炭ってもっと石だよな。


「ご亭主おられるか!鍬があれば今少しばかり貸して頂きたい」


 郷長の屋敷に戻る。ちょっとあの黒い土を掘ってみたい。


「大変でございましたなアキラ殿。お話は聞いております。明日……」


「鍬はありますか!」


「……はい、ありますが」


 鍬を持って戻り、地面を掘る。

 黒い土は地表だけではなかった。つまり石炭だ。褐炭とか粉炭とか、そういう類の奴だと思う。

 特に黒い土をより分け盛る。その上に枯れ草と枯れ木を積む。

 ふところのファイヤピストンを取り出し、巻いている襤褸を裂いて小さく丸めて火口にして詰める。

 勢いよくピストンを叩いて着火。最近うまくいくことが多い。

 枯れ草に移し、息を吹きかける。

 炎は小さく、枯れ草は瞬く間に燃え尽きてしまう。慌てて枯れ草を足す。


「勝手な野焼きは困りまする」


 気がつくと背後に郷長が来ていた。


「確かめたらすぐ消す」


「その土でございますか。確かに強く火であぶれば燃えますが……」


 知っていたか。当然だろう。


「薪の代わりにはならんか」


「よほど強い火でなければ着きませぬ」


「だが着けば、強い火になる筈だ」


「ご存知で」


「練って固めれば、炭の代わりになる」


 練炭とか、なるんじゃなかろうか。

 ちょっとだけ夢が広がる。なんたって石炭だ。見かけは随分違うが、産業革命の立役者がこの足元に埋まっている。

 しかし、こんなところに炭鉱なんてあっただろうか。やはり平行世界なのか。


「なるものでしょうか」


 枯れ枝が燃え尽きる頃、石で灰を掻き分けると、確かにほんのり、褐炭に火がついていた。

 冬までには一度、この褐炭を掘りに来たいものだ。

 もうあんな寒さはゴメンだ。


 褐炭じゃない土を被せて火を消す。よく踏み固めて、郷長と二人屋敷へと帰る。


「今日はうちにお泊りください。明日朝、舟で新田まで行けばよろしいでしょう」


 それでどれだけ近くなるのか。


「五十里は近くなる筈です」


 是非ともお願いします。


            ・


 深い朝霧の中、舟は川面を静かに進んでいく。

 舟はいつのまにか支流から利根川に進んでいた。

 舟にはアキラの他に三人、一人は船頭で一人は館林の東の辺りとおぼしき郷まで行くという農夫、もう一人は鷲宮まで行く行商人だった。


 この舟、実は丸木舟の側面に板を打ち付けただけの代物である。

 昨日渡しで舟に乗ったときには舟の構造まで気が付かなかったが、静かに座って過ごしていると、自分が乗り込んでいるものに注意が向く。

 船底が繋ぎ目無しの一体構造だった。太い丸太から丸木舟をつくって、その丸木舟の側面に板を釘で打ち付けて、舷側を高くすることで船積みできる容積を稼ぐ構造らしい。

 この時代、板のコストが高いのはなんとなく予想が付く。板の表面はボコボコで、(のこぎり)(かんな)のあとは見当たらない。ちょっと大き目の彫刻刀でひたすら削ったような表面で、恐らく実際もそんな作り方なのだろう。

 ということは、舟の数も少ないのだろう。あまり大きなものも無いだろう。


 遣唐使船みたいな大きな船も平安時代なら当然ある訳だが、この利根川にはそんなものを運用する意味が無い。

 みたところ需要はこの小舟で十分足りるのだろう。

 そもそも貨幣経済が崩壊しているのだ。商品流通の需要など存在しないのだ。


 ここ半年、通貨をほとんど見ていない。少なくとも売買で通貨が使われているのは見ていない。唯一見たのはおまじない用だった。

 それも表面が磨り減り歪んだボロコイン、四角の筈の真ん中の穴が菱形になっている。文字もなんとか通宝とか読み取ることも出来ない。


 では普段取引で使われているのはと言うと、布である。麻布を一間、つまり3メートルがひとつの単位になる。横幅二尺縦一間の布を畳んだ物が一日の働きにおおよそ等しい。これが絹になると半月ほどの働きに匹敵する。

 行商人は、取引に必要になる布そのものも用立てるのだとも言っていた。だから殆ど金貸しみたいなものだ。

 米も取引単位である。一日働くと米一升だ。

 もっとも、一番多いのは労働には労働、食料には食料の貸し借り関係の取引だ。


 ではこの舟に乗るときはどうだったかというと、郷長は船頭に木の札を見せて、それでアキラは乗れたのだ。

 行商人に聞けばそれは鷲宮社のお札だという。見せてもらったが、わし宮と読める焼印が押してある。つまりこれをコピーしたら天罰があるという事だ。

 どうやら船頭の組合のようなものがあるのだという。舟座というそこに年に一度、布なり米なりを納めて木の札を得れば、あとはもう一年乗り放題なのだそうだ。

 上手い方法だが、それでは急に川を渡りたいという者が困ることになる。


「まぁうまいこと、渡しには札を貸すものがいるので、そいつから借りて使うことになる訳さ」


 うまいことやれば、寝て暮らして食い料が稼げる、と行商人は言う。

 ただ良く知れた渡し、良い場所は郡司に貢いでおかないと得られないから、結局一番美味しいのは郡司だな、というのが結論だった。


 行商人は足利にも行ったことがあると言い、それでアキラは足利までの道筋を教えてもらった。

 アキラは船頭に岸に寄せてもらうよう言い、そして袴をたぐり上げて舟から降りた。

 利根川の水は冷たく膝を洗う。ざぶざぶと岸に向かう。振り返ると舟はもう10メートルは離れて、更にどんどん離れていく。

 川岸に上がると、自然堤防を昇るけもの道はすぐに見つかった。行商人の言うとおりだ。

 自然堤防の茶色い草はきれいに刈り取られていて、もうじき野焼きなのだろう。おかげで歩きやすい。足元を蛇らしき気配が逃げていく。

 北から流れる小川沿いに北上する。


 霧が晴れて、高く昇り始めた日が辺りを照らしてゆく。


 アキラは歩きながら、昨日の晩に郷長に聞いた話を思い出していた。


「藤原の定輔様、あの受領は一段につき三斗五升を収めよと言われる。うちは古い家だから知っておるが、官物(かんぶつ)段別(だんべつ)は二升と決まっておるのだ。

 それを律令を曲げて、不良郎党を向かわせて民から官物を責め取るのだから、ああ、輩こそ馬のクソよ」


 酒が入ると郷長は恨み節で饒舌になった。


「一段二十斗取れれば良田、しかし今そんな田がどこにある。半分の十斗取れれば良い方という田ばかり。それに段別三斗五升とは。

 そもそも三斗に留まらず、さらに五升取ろうとする悪心が信じられん」


 一日の労賃一升から考えると一段は労働四十日分ということになる。

 ざっくり計算すると農家一軒あたり5段つまり半町が望ましい耕作面積となる筈だが、実際には一軒あたりの面積はそれより多少少なくなる。少なくとも足利のあたりではそうだ。税が三斗五升では一家に必要な食料の半分は米以外に依存していることになる。

 だが、野菜といっても大根しか見ていない気がする。


「更には私出挙(しすいこ)だと。何かと思えば私出挙、貧農に穀物を貸し出す有り難い制だとか。

 そりゃ利息がふた月で八分の一で繰り上がり利息なんてものでなければ、ありがたい制なのでしょうがね、

 去年、多治比の家の前に米俵が積まれて、何かと思えば半年も経って、私出挙だから利息分を足して返せというのです。

 勝手に人の家に米俵を置いていったのに、でずよ。

 半年で利息は十分の四を超えている訳で、そんなもの当然返せない。

 返せないと判っていながらそれから半年、返せ返せと催促を続ける。よそから借りて返そうとすれば悪人郎党が何かにつけて悪さをする。

 そうして一年経ったところで、田も屋敷も何もかも取り上げてしまいました。

 それも多治比が頼信様にご恩のある家だと知ってのこと」


 繰り上がり利息とは、どうも複利のことらしい。とびきりにひどい話である。


「去年は朝廷に収めるべき馬を集めることが出来ずに恥をかいたようですが、さもありなん、不良悪人に呉れる馬がどこにありましょうや。

 あわてて武蔵から馬を得ようとしたようですが、悪名は武蔵の牧にも聞こえておりますゆえ、不首尾に終わった由。

 良い様でございます」


 武蔵か。

 行動半径が広がれば南関東も当然視野に入ってくる訳だが、武蔵でも馬が飼育されているのか。


 さて。アキラは歩きながら思案する。

 俘囚二十人が暮らしていける耕作面積はどうなるだろうか。先々を考えれば一人一町割り当てたい。家族が出来て、さらに家族が多くなればそれくらいは欲しくなる。

 ただそれは、将来の開墾可能性としてあればよく、当座は五町くらいが目標だろう。

 そんなに開墾可能な土地はあるのだろうか。

 今の耕作地が千年後の十分の一であるのなら、その余地はたっぷりある筈だ。

 だがその為には、農業用水とか要るのではないだろうか。


 それはそれとして、いま川沿いに歩んでいる、その川の流れが心なしか少し北西に向いているのが気になる。明らかに近づいてくる山の西側に回りこむぞ。

 だが、行商人に聞いていた通り、足利と上野国庁を結ぶ道、昨日馬で通った道に出くわすことができた。

 あとは気楽なものだ。


 太日川は全部脱いで、服を頭の上に載せて渡った。

 川岸の柳の下で脱いで、さっと渡ったのだ。誰も見ちゃ居ない。

 川の深さはプールほどで、思ったより大したことなかったなと、渡りきってから背後を見て、柳の木の位置がおかしいのに驚く。思っていたより下流に流されていた。

 服を着込み、歩けばすぐに清水川、そして足利だ。

#7 税について


 この時期の税制は口分田を基礎としたものから大きく逸脱したものになりました。税収を確実とするために、各国にそれぞれノルマが課せられ、国司はこれを確実に消化する必要がありました。

 例えば下野国は、延喜式によれば正税30万束、換算六千石はおよそ予想される収量の3パーセントに近似します。この税は他の納品でも代替可能で、例えば絹九十束,綿八束,鍬二束五把,鐵五束という数字が延喜式にはあります。これなら都までの税の運搬はかなり楽になるでしょう。

 徴税の末端だと話は随分と変わってきます。税は田の単位面積、一段あたり二斗が基本だったようですが、尾張国郡司百姓等解文などによれば、これは場所によっては大きく違う税率が適用されていたようです。一段あたり二斗はつまり一町あたり二石、下野国で言えばざっくり六万石、つまり正税の10倍を徴税して、九割を国庫に納めず私物化していた訳です。税率はおよそ収量の三割。受領の利益の大きさは極めて大きなものでした。

 これが段別三斗になると税率は五割に近いものになってしまいます。

 更に、これに私出挙という手法が税収を増すために使われました。種籾の強制貸し出しは初期からやっていたようですが、後には様々な強制貸し出しが行なわれたようです。

 将門記では、武蔵国の足立郡司、武蔵竹芝は郡の倉に定められた米の蓄えが無い事を理由に責められますが、これは受領の興世王と源経基による私出挙を武蔵竹芝が阻止したのだと考えられます。

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