#69:1020年3月 発熱
「半月経ちしゆえ、それほど行きたきなら行かれば、と」
生きておるか死んでおるか、確かめてすぐ戻ればどうかと、そう乳母に言われて屋敷を出てきたという。
半月、14日は、天然痘を生き残った患者が安全になるまでの期間だ。その安全期間を生き残ったならば良し、死んでおればこれもまた良し、妥当な判断だ。
「この通り、生きておる。しかし、何にも触るな。塩売りは死におった」
ネ子を抱いたまま近づいてきたクワメの足がとまる。
「そちらに行て良いか」
どうしたものか。
返すべきだ。しばらくすれば種痘が完成する。もう完成は見えているのだ。クワメは安全な場所にまだ居たほうが良い。
「生きておったと屋敷に伝え帰れ。吾はまだ暫く帰らぬ」
「何をしておる」
そういえば、何をしている事にしていたっけ。
疱瘡の毒に勝つ、そうだった。
「疱瘡の毒に打ち勝つ術が、もうすぐ出来る」
「いつまでかかる」
そういえば、そろそろ完成予定が計算できる筈だ。
兎は発病から重症になるまで3日ほどしかかからなかった。弱毒菌の採取には3日で良い。そしてあとは兎で一度、牛で一度。牛から弱毒菌が採れるようになるまでどのくらい罹るかわからないが、5日と仮定して、合計8日だ。
「八日待て」
そこでクワメはずんずんこっちに歩いてきた。
「待て、止まれ、すぐ止まれ、止まらぬと」
「こっちにおる」
クワメはアキラの手を掴んで、そう言った。
「こちらにおる」
・
冷静に話を聞けば、クワメの判断も妥当なところだったと言わざるを得ない。
屋敷では既に三人が発病し、一人が死んでいた。
アキラが屋敷を出た後、尼女御は家に戻ることのできるもの皆に暇を出し、門を閉ざして物忌みの札を貼った。
屋敷にはそれでも30人あまりが残った。一番多いのは行く所も無き武者郎党たちだ。
隔離は疱瘡を穢れとみなす尼女御の基本対応だ。尼女御の偉い所はこれを徹底するところにある。
乳母は屋敷に残り、娘は実家に戻った。流石にこの状況で郷長の家族が郷を空けているのはまずい。娘は刀自として最低限の仕事はこなさなければならない。
その翌日、行商人の面倒を見ていた雑色が一人発病した。面倒はもう一人と交代で行っていたが、もう一人の老雑色は昔疱瘡に罹ったことがあるため発病していない。
発病した雑色は作業小屋に押し込められ、みるみる衰弱し、それから五日後に雑色は息を引き取った。
遺体は老雑色が引きずって、門の外に捨てたという。勿論門のすぐ前ではあるまいが、さほど遠くでもあるまい。遺体はどこかに穴でも掘って埋めるべきであったが、穴を掘るには陰陽の指図が、つまりアキラの指示が必要だった。
アキラがいれば話は全く違った筈である。アキラなら焼いた筈だ。作業小屋ごと焼いたかもしれない。
ただそれも全て、かもしれない、という無意味な話だ。
二人の発病者が出たのは、つい昨日のことだ。
遺体の処理のどこかで問題があったのだろう。服か物か、そういった遺品を介して感染したのだろう。クワメの話を聞く限り、そこで感染して、七日の潜伏期を置いて発病したように思える。
武者が一人に女房が一人。武者は熱病に浮かされて行動があやしくなり、暴れた後に倒れた。この時にどのくらい誰に感染したものか。
二人は新殿に移された。屏風をひとつ置いて寝かせているという。
クワメはこれら全てを離れて見ていた。
クワメは乳母からネ子を受け取ると即座に屋敷を抜け出し、そしてここにやってきたのだと、そう言ってクワメは息を吐いた。
「尼女御は」
「まだ倒れておらぬよ。若殿も」
二人が無事なら。いや、屋敷の状況ではいつ倒れられてもおかしくない。
思案のしどころだ。
基本的にここ奥山は安全にした筈だ。最大の危険物は壺、一応バックアップとして行商人の膿を柔らかい瘡蓋ごと取って、壺の中に密封して保存しているが、あれもいつまで感染力を維持するか判らない。
壺と言えば一つ既に膿のサンプルは駄目にしていた。アルコールに漬けるつもりが小分けにしていた木酢液に漬けてしまったのだ。匂いで気づけと言う話であるが、マスクと腐敗臭で鼻がバカになっていたのだ。
ほかに有るのは感染第二世代の兎だけだ。
もう一世代、兎に感染させよう。感染を確認したら第二世代を処分、それで更に安全になる。
クワメとネ子はここに置く。一緒に住むのだ。
・
アキラは細々とした注意をクワメに与えた。まだ毒が残っておるゆえ、牛小屋には近づくな。特に牛小屋の隅の壺には毒が詰めてある。絶対に触るな。
兎どもには毒与えたが生きておる。これは毒が弱くなった証ぞ。されどまだ弱くせねばならぬ。だから兎にも近づくな。
クワメは重々しく頷いた。
普段よりクワメも立ち入る場所とはいえ、アキラの思い付きや試行錯誤の数々があちこちに散らばるこの場所、慎重に振舞うようにというアキラの小言はもう耳に胼胝が出来るほど聞いている。
「で、何をすればよいのか」
いいや、何もしなくとも良い。
念のためエプロンとマスクを着用させた。
アキラもエプロンを着けると湯を沸かし、兎への接種の準備をする。最初に用意した雄兎の最後の一匹だ。あとは狩りにいかねばならない。
兎を板に縛り、睾丸の毛を剃る。竹串は削って先を尖らせたあと、軽く火で炙っている。感染した兎の睾丸を竹串の先で刺し、滲み出る汁を小皿に受ける。
そして、その汁を竹串の先に漬け、兎の睾丸に刺す。
「うるさいのぅ」
兎はそれはもう騒ぐのだが、構わず済ませると、竹串を火に投じて小皿には湯を掛ける。兎は檻に戻して板から解放してやる。
「もう脱いで良いぞ」
小皿は更に石鹸で洗う。クワメは見ていただけだが、そばで仔細に手順を見た訳で、いざという時には助けになるだろう。
手袋とエプロン、マスクを桶に入れて湯を掛ける。
「これも湯をかけるのか」
クワメが脱いだエプロン等を差し出すので、空いた桶を示す。クワメはそこにエプロンや手袋を入れると湯を掛けた。
アキラは竈の火を落として、石鹸の欠片をクワメに渡す。
エプロンを洗う。
「あとは待つだけだ」
その日の夕餉はいつもより豪勢にしてみた。岩で竈を組んで鹿肉と椎茸を焼き、炊いた飯で食べる。野菜も食わせたいところだが、春も盛りを過ぎるとなかなか食べられるものが無い。
「夫殿は野で飯食うのがまこと好きよな」
正直、暗い屋内で食べるのが嫌なだけである。室内は多くの場合、臭く火も湯もそばには無い。
今アキラはキャンプ気分を謳歌していた。
組み立て式五徳と携帯釜で一度沸かした水を冷ますために下ろす。益子でひねり作った持ち手つき湯呑に、葛湯を入れ、湯で溶かす。
子を産んでまだ三か月。クワメはまだ体調が回復していない。
北郷党の連中にはもう次の子を孕ませた連中もいるが、そいつらと一緒には出来ない。そもそも難産だったのだ。
クワメに湯呑を手渡すと、少しだけ舐めるように口を付けて、熱き、という。
次に言う事は判っている。苦い、だ。
水飴の作り方を知ったのは最近のことだ。ずっと、もち米が要るものだと思っていたが、普通の米と麦でも作れるらしい。
麦に芽を出させて、それを乾燥させ潰し摺り、これまた潰した炊いた飯と混ぜて粥のごとく茹で、釜蓋閉じて藁巻いて半日置き、汁を取るという。これを煮詰めると水飴になるという話だ。
さらにさっきの汁を取ったものに再び湯を足し、濁り酒を作るときに出る泡を入れてまた数日ほおっておけばまた酒が出来るという。
是非とも作ってみたいが、まだ暇が無い。
水飴があれば、甘い葛湯ができるだろう。
「苦き」
ほら。
アキラは麦湯を煮詰めたものを飲んだ。少しだけコーヒーの気分が味わえる。
・
仕掛け罠は小型化して、要するに兎狩り専門に作り直す。兎の体重に合わせて罠のラッチを弱くしたが、風に吹かれるだけで罠が動いてしまう。
結局、まともに動くのは体重検知タイプだけのようだった。
翌日、ようやく兎を一羽得ることが出来たが、雌だ。
寝床として校倉を使えないかと見に行って、鼠の糞を見つけた。
ちくしょう、四畳半ほどの小さい代物かも知れないが、それでも校倉だぞ。鼠返しもちゃんと付いた対鼠用フルスペック倉庫の筈だ。どこから入ったのか。
やがて気づいた。はしごを掛けっぱなしにしていた。自分がアホだった。
鼠はこの時代、辺りにうじゃうじゃいやがる。狐はどうした、いないのか。ああ、うちの子じゃない方のネコがいてくれれば。
考える。天然痘はペストじゃない。鼠を媒介に感染する訳ではない。鼠がいても大丈夫な筈だ。
雨が降り出したので早々に作業小屋に引き返す。
クワメは作業小屋の庇の下、揺り椅子に座って寝ていた。
毛布でも掛けてやりたいところだが、あいにく麻の上着しか掛けてやれるのものが無い。
接種した兎には感染したと思しき症状が出ていた。前の世代より症状が軽い気がする。
その晩、クワメは熱を出した。
・
クワメの発熱は朝になっても続いていた。
ネ子は昨晩のうちに藁を敷いた飼い葉桶に移している。
疱瘡か。感染していたのか。これまでは潜伏期間だったのか。
アキラは一瞬、立ち竦んだが、すぐにやることを決めた。
兎の膿を、自分に接種するのだ。今こそ試すのだ。
兎の感染の潜伏期間の短さに賭ける。兎は接種からおよそ翌日には発病していた。勿論人間と兎は違う。だが、クワメからアキラに感染した天然痘の潜伏期間のうちに、弱毒化したほうが発病すれば、そっちのほうで免疫が出来る、筈だ。
兎を籠から取り出し、袋に入れて縛る。睾丸を剃って傷を付けて、膿を採取する。
蒸し酒を布に取って腕を拭き、竹串の先も拭く。
その先に膿を少し点け、そしてアキラは左腕の肩近くに刺した。
血が滲むまで刺し、念のためにもう一度刺す。
済んでしまえば、後はクワメの看病に没頭できる。
水を汲んできて、クワメの肌に滲む汗を拭く。
少し遅くなったが、朝餉を作ろう。ちゃんと食べて体力をつけて、そして乗り越えるのだ。一番危険なのが体力の消耗だ。
クワメは産後あまり体調が良くなかった。最近では歩き回る程度はできるようになったが、仕事をさせようとは思わない。
思ったのだが、風邪かもしれない。クワメはただ体調を崩しただけなのかも知れない。その可能性は大いにありそうな気がする。そもそも屋敷からこの奥山まで、結構な距離があるのだ。病み上がりに歩く距離じゃない。
クワメは病気に耐えられるだろうか。
やたらと塩っぱい干し肉を細かく刻んで粥に散らしてみた。
クワメは食欲があまり無いようだったが、半分ほど食べてくれた。
「ああ、生まれ変わりし方が楽やもしれぬ。小鳥などで良い。粟など与えてたまわれ」
縁起でもない。
翌日、アキラは少し熱が出た。風邪の引き初めにちょっと似ていたが、じきに気にならなくなった。
ネ子の排泄物の世話をする。
このまま母乳を与えられないのはまずい。昨日の晩から与えておらず、既にネ子はぐったりとして見える。離乳食を食べられるようになるのは、まだ数か月は先だ。
牛乳を使おう。
飼っているのが牝牛で良かった。乳製品を作るには乳の量が少なく、アキラがときどき牛乳として飲むだけ程度の量だったが、出るには出るのだ。
絞った牛乳を沸かした水で薄め、折った布に湿らせてネ子に与える。
乳児に牛乳を与えるのは、勿論まずいに決まっている。乳児に牛乳を与えるなんて話、聞いたことが無い。何か問題があるに決まっている。
ぎりぎり山羊の乳は聞いたことはあるような気がするが、ここには山羊はいない。
クワメの食欲は更に細くなっていた。しかし何とか、少しだけは食べてくれている。
しかし、夜になってクワメは食べたものを吐いた。
木酢液は0.05%ホルムアルデヒド水溶液とお考え下さい。
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#69 種痘について
ジェンナーの種痘の逸話はよく知られたものですが、1796年当時に種痘されたワクチン菌を経代培養した菌株、ワクチニアウイルスは、実は牛痘とは全くの別物でした。牛痘も実際には主たる保菌者はネズミなどだったことが判りました。
ワクチニアウイルスは牛痘ウイルスと混ざって繁殖していたものが、ワクチンとして経代培養されることによって選択的に選り出されたものと思われます。
病原菌で他種の生体で繁殖する事は稀ではなく、その症状の発現が大幅に違うことも稀ではありません。そして、違う環境では違う形質が繁殖に有利になります。新たな環境での経代培養は、そういう新たな環境に適した形質を持つものへと淘汰を促進します。
ウサギを使った人痘の弱毒化は、日本では大正時代から試みられてきました。結果はおよそ三代の経代培養で性質の変化が見られるようになります。これは勿論突然変異などではなく、全く異種の生体であるウサギの体内での生存に適した弱毒性のウイルスが、天然痘ウイルスの中から、いわば生体フィルタによって選り出された結果です。
つまり、作中のアキラの、突然変異によってワクチンが得られたというのは誤った理解です。兎の体内という異質な環境で生き残ることが出来たウイルスを取り出しただけに過ぎません。
病原体を違う環境に置き、そこから弱毒種を得るという手法は、ワクチン開発の基本的な手法です。1887年にパスツールは家禽コレラを培養液に長期放置し、生き残った菌が弱毒性の特徴を持つことを発見しました。以降、この異種環境に置く手法は洗練され基本手法となります。
実際には作中の弱毒性ウイルスは現代のワクチニアウイルスとは全く違う株種でしょう。しかし同じ弱毒化手法を用いることによって、同じ傾向を持つウイルスが選り出された訳です。ウイルスの変異性の高さは、つまり感染者内部のウイルスの遺伝子が必ずしも一致せず、分散することを意味します。この分散の中から選りだすのです。