#62:1019年11月 鶏鳴
鶏がまた鳴いた。
「うるさき鳥ぞ」
平良衡から馬の代金として要求していた鶏のつがいは、屋敷の中に作った柵の中を今朝も元気に走り回っていた。
卵を産むのを今か今かと待っていたが、まだ産む様子は無い。とりあえず虫を食う鳥として増やす考えをアキラは持っていた。奥山で飼えば、百足はもう怖くない。
「卵よく産めば、色々作れよう」
「何作るか」
貞松の問いに、アキラはまず天ぷらを挙げた。勿論色々作れるが、揚げ物が出来るのは大きい。粉モノもできる。マヨネーズすら出来るやも知れぬ。
「まさか、食うのか」
わざわざ飼いて鳥の子食うのか、鬼ぞ、と貞松は言う。
「いや、卵はまだ鳥の子生まれておらぬ」
「命にかわるまい」
「いやいや、命無き卵あるゆえ」
この時代、無精卵の概念は無い。
「子は父と母おらねば生まれぬ。しかし、鶏は父なくとも卵を産み、そしてこの卵からは子が生まれぬ」
「まさか」
「まことよ。
さて、丸鋸つくる板、出来たぞ」
そう言いながらアキラは肝心のモノを取り出した。
鍛冶屋から上がってきた丸い鋼板は既に僅かに錆び始めていたが、白銀の輝きはこの時代ちょっと見ないものだろう。
「刃が丸うなっておる」
貞松は手に取ると、真ん中の穴に指を通して廻した。
「ほう、軸周り悪しくなき」
アキラは床の上に鋼板を固定すると、定規を用いて中心を出し、更に竹のコンパスで内接する円を描いた。鋼板は有難いことにほぼ完全な円だ。
その円の内側に更に円を描き、その円周を分割していく。アキラがほぼ奇麗に円を6分割し、最終的に120分割するのを貞松は見とれていた。
「上手きものぞ」
「難しきこと無き。円の周りの長さと、円の幅は常に同じ割合となる。覚えておろう」
「覚えておる。が、幻の如き」
「吾子にも出来る事ぞ」
アキラは続けて、先を研いだ小さな鏨で、歯を作るに当たって切り落とす部分の外形を叩いて印をつけていく。
「このまま鏨で歯を作る事出来るやも知れぬ」
鋼が柔らかい。含まれる炭素が本当に少ないのだ。
刃先を研ぐのに回転砥石を使うことを考えている。
既に回転砥石はひとつ作っていた。一人が油を塗った砥石を廻し、もう一人がそこに研ぐ刃先を当てる。研ぎ作業は恐ろしく効率的なものとなった。
回転鋸の為には、もうちょっと薄い砥石も作る必要がある。そして冶具を使って楽に作りたい。
「その丸鋸、廻すに何を用いるか」
貞松が訊くのにアキラは、用水通して水車を設けたいと答えた。しかし用水を掘るのは時間がかかるだろう。
「人で廻せぬものか」
貞松が言う。
「手で廻すは力弱かろう」
「足で廻すはどうか」
貞松が説明したのは、要するにハムスターの回し車だ。ハムスターの代わりに人間が大きなホィールの中に入って動かす。貞松は水車の中に人が入るイメージで考えていた。
「大きな水車ならば人が入れようと、つねづね考えておった」
なるほど。
朝の小学の、勢いの良い暗唱の声が聞こえてくる。
クワメが抜けた後、尼女御が仕切ってくれるようになった御蔭で、アキラも小学の子供の面倒から抜けることが出来たが、文字が読める様になった子供向けの教科書づくりという宿題がアキラには課せられていた。
教科書は子供一人一人に配布するには高価に過ぎ、廻し読みするものになるだろう。厚いものにすることはできない。絵入りの物語にして単語を覚えさせるのが主眼の読み物だが、その物語はいったいどうすればいいのか。
チーン、と、時計の鐘が鳴った。8時の鐘だ。
「吾子はあれを八度鳴らしたいと」
「聞けば時がわかる」
「それはわかる」
だが難しかろう、と貞松は返す。
アキラの時計制作の努力の結晶が今、作業所の奥で動いていた。
動力は麻糸で釣った陶器の壺で、これの落下の勢いが振り子によって調速される。振り子はその長さが調節できるように継ぎ接ぎになっていて、たくさんの刻みが日付と一緒に刻まれていた。調整の跡だ。
振り子の周期、つまり時刻精度隔の調整には二か月以上かかっていた。
調速するのは木で出来た脱進機、逆回転を防ぐ爪と、連動して振り子をわずかに押す機構だ。
時計の難しい部分と言うのは基本的にはここだけだ。あとは錘の落下で駆動される調速された軸回転を、歯車で適切に減速するだけで良い。
アキラはなんとかインボリュート歯車の歯のように見えなくもないものをフリーハンドで描き、しかし結局現物合わせで擦り合わせを繰り返してこの減速歯車を得た。
我ながら見事な出来である。間違いなくこの時代の木工工作の精華と言えるだろう。
全てが木で出来た機構は嵩張って大きく、回転軸周りはやがて緩くなることが運命づけられていた。アキラは時計板になんとか分針と時針を付けたが、秒針は付けることが出来なかった。
勿論この時代、時計板なんてものは存在していない。
針が回転するというところから説明をしなければいけなかったが、いつも、
「何故一日にふた回りするのか」
と聞かれた。
そんなの、歯車の減速率を取れなかっただけの話だ。つまり説明しづらい。
鐘は分針と同じ歯車に付いたアームで鳴らす。アームの回転がラッチを外して一度だけ鐘を小さな撞木が叩く。つまり一時間ごとに鐘が一発鳴る。
噂話によれば、自動的に決まった時刻に鳴る、自鳴鐘なる鐘があるのだという。これは名工が鐘を三年と数日決まった期間埋め、その日丁度に掘り出せば、毎日正午に勝手に鐘が鳴るものが得られたのだという。しかし愚かなものが前日に土から掘り出して、自鳴鐘はただの鐘になってしまったのだそうな。
「吾子のその奇妙なものは、面倒がある分、自鳴鐘に劣る」のだそうだ。そんなインチキ詐欺な代物と比べるな。チキショウ。
時刻の数だけ鐘を叩く場合は、叩く数だけピンが突き出した精巧なカムが使われることになる。アキラはカムとその機構の図を描いてみたが、貞松は一目見て無理だと呻いた。
アキラの時計は現状既に十分過ぎるほど複雑な機構だった。いや、機械だ。
機械というものが日本史に現れるようになるのは一体いつ頃なのだろうか。少なくとも平安時代ではあるまい。
「桐生五郎が同じものを作ると言うておる」
木工の大学生か。まぁ、無理だろう。
暫くしたら手引書でも書いてみようかとアキラは思っていた。力学の基本から歯車とその設計、時計の時刻合わせまで、書くことは広範囲に及ぶだろう。
できれば一年でそれだけ習得してもらいたいものだ。
「だが、とりあえず麻糸紡ぎ車は作っておったぞ」
桐生五郎が仕上げたという改良糸車を貞松はアキラの前に持ってきた。
頼んでいた金属のローラーはちゃんと嵌っているようだ。
細い糸が作れないなら無理やり細くすればいい。
アキラの考えた解決策は、木の歯車で噛んで撚ったあと、金属のローラーの間に挟んで細くするというものだった。
麻布には叩いて艶を出す後工程がある。叩かなくても良いが叩けば高級品になる。
この工程、糸を作る段階でやってしまえないか、とアキラは考えた。同時に太い撚り糸も細く出来れば良い。
ただ、この麻布を叩く工程と言うのが、とにかく木槌で叩くというもので、それなりの圧力が要る。アキラは色々と試した結果、木のローラーでは不十分だという結論に達していた。
必要なのは金属のローラー、それもきちんと丸いローラーだ。
アキラは木工旋盤に鉄棒を固定して加工にかかった。
金属の旋盤のように金属のビットで削るという訳にはいかない。アキラは最初はやすりを当てて削っていたが、すっぱり別の方法を採ることにした。砥石を当てて削ったのだ。
油を塗って砥石を当てるアキラの方法は最初は奇異の目で見られたが、それでちゃんと削れたことは作業所の皆も認めるしかなかった。そしてここから逆に砥石を回転させる事を思いついた訳だ。
そうして段付き丸棒が二本揃うと、アキラは図を描いて新しい糸車の概要を示した。
繊維を噛んで撚る歯車と糸を繰るアームの間に金属のローラーは挿入される。
この図を見て桐生五郎は、自分が作ると手を挙げたのだ。
「奔馬の如き勢いであったぞ」
動かすには結構体力が要った筈だ。
試運転三度目で出来上がったという麻糸を検分する。
「いつのまにか出来ておった。が、動かすのに幾分働き要るぞ」
光沢のある細い糸だ。よく見る麻糸と同じものとはとても思えない。
「一日廻せば糸がいくら出来る事か」
「麻畑一つ糸にするのに三日はかかろう」
アキラは冷静に答えた。普通ならひと月はかかるであろう分量、それを三日で仕上げることが出来るとアキラは踏んでいた。
足利荘の麻畑の広さは、この糸繰りの作業効率によって制限されていた。手でちまちまと繊維を繋いでいく速度が麻布の生産量を決めていたのだ。
この枷は今や過去のものとなった。
十倍の生産量が、すぐそばまで来ていた。
アキラは大きなあくびをした。
「顔色良くないが、何ぞ様子悪きか」
貞松が訊いて来る。
実はあんまり眠れていない。変な夢を見たのだ。
・
夢の内容は鮮明に覚えていた。
夕暮れとも明け方とも知れぬ頃、アキラは足利屋敷の母屋の前にいた。
すると、門を開けて油の瓶がひとつ、ぴょんぴょん跳ねながら入ってきた。油は貴重品なので、油の瓶はちょっと特徴的な姿をしている。
アキラはこれを見て、夢の論理ならではの早合点で、これは平良衡が送ると約束していた越後の臭水、待ちに待った石油に違いないと思い込んでしまった。
その時は全く疑問に思うことも無く、アキラは油の瓶を追いかけると捕まえ、そのまま蒸し屋に持っていった。早速精留するのだ。
蒸し器の中に油の瓶を置くと蓋をし、冷却水を満たして窯に火をつけた。
どんどん焚いていくと、やがて蒸し器から白い煙が出始める。わくわくしながら待っていると、ギャアという大声と共に蒸し器の蓋がはじけ飛び、中から大きく黒い物が勢い良く飛び出し、蒸し屋の屋根に穴を開けて飛んで逃げてしまった。
まったく変な石油だ。これでは内燃機関なんて作れないのではなかろうか。
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「おかしな夢ぞ。悪しき鬼でも出くわさねば良いが」
貞松はそういう見方をするのか。
アキラはそういう見方はしない。体調が悪いのだろう。
心労が溜まっていた。銅銭の鋳造がうまくいっていなかったのだ。
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足尾ではもう雪が随分降ったという。
「雪積もる前に山降りねばなるまい」
古部三郎は、邑楽の沼の鍛冶屋が鋳込んだコインの出来をためつがめす眺めながら言った。
「これで良いと思っておるか」
「いや」
試行錯誤を繰り返した産物だったが、ひどい出来だった。
梨地の鋳肌に細かい所の崩れた文字。最初の頃のように湯、鋳型に流し込む溶銅が型の隅々に廻りきらないような初歩的な失敗は無くなったが、結局これより良い出来のものは作れなかった。
鍛冶屋はこれ以上は吾にはできぬ、と投げてしまった。
「砂など使うのが悪かろう。石でも削りて型としてはどうか」
砂に比べれば丈夫に見える石も、熱を加えれば話が違う。水分が石の中に含まれていたら壊れる。その点は乾燥させやすい砂のほうが有利だ。そもそも銅が溶ける温度は陶器の焼成温度よりも多分高い。陶器で型を作るべきだろうか。
腕にこびりついた白い石灰をぱりぱりと剥ぎ取る。炉のそばにいたお陰でもう服も乾いた。
炉の煙道に壊れた部分があって直していたのだが、足を滑らせてアキラは冷たい沈殿池に落ちてしまっていた。水はぬるぬるして気持ち悪く、そして冷たかった。
沈殿池に溜まった石灰だが、一度掻き出さないといけないだろう。結構溜まっていた。色までちょっと変わった気がする。
ただ、いや今ちょっと思ったのだが、消石灰ってこんなに固まるものだったっけ。
これはもしかして、石膏なんじゃなかろうか。
・
木枠の中、水練りした土に半分コインを埋めると石膏、らしきものを流し込む。
固まった所で裏返し、土を全て取り、湯道を付けて、石鹸を塗り、石膏を流し込む。こうしてタイヤキの型のような二枚の石膏型ができた。
これを炭団子を焼くのに合わせて焼成してもらう。
今では炭団子はもうダンゴの姿をしていない。ここ足尾に送られてくるのは、竹筒を型にして竹輪状に成型された新型だ。焼成が終わるとこの竹輪は崩れて破片になってしまうが、これを丁寧に集めて、次の溶鉱に使う。
焼成が終わった石膏型を磨いて削って形を整えると、これでいいかと、試してみる気持ちになった。
既に得られた銅を溶かすのは簡単だ。
赤土のような色の、樹皮のような薄板。純度は九割五分といったところか。
火床に置いた坩堝の中で、これに鉛を足すと面白いように銅が溶けていく。鉛が銅の溶融温度を大幅に下げるのだ。
火床から坩堝を鉄鉗という名前のやっとこで取り出す。
中身を石膏型へと流し込む。
型から取り出したコインは、盛大にバリが出ていたが、本体のほうは、極めて精密に鋳造が出来ていた。バリを取り除くと、見た事もないほどピカピカしたコインが完成だ。
手元の本物よりよっぽど立派に見える。その金属色はちょっとだけ赤く、銅の純度が9割近いことを示唆していた。
「すさまじき出来よ。しかし」
周りでは雪が降り積もりはじめていた。
水酸化カルシウム(消石灰)+亜硫酸ガス=>硫酸カルシウム(石膏)です。
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#62 ニワトリについて
ニワトリは弥生時代には既にその骨が出土しており、古くから居たものと思われています。古墳時代には埴輪の題材としても多く出土があります。ニワトリの埴輪は墳頂部に置かれる事が多く、鳴き声に呪術的意味が込められていたものと思われます。古墳時代初期のニワトリは止まり木の上にいたらしいことが埴輪から読み取ることが出来ます。
古くは肉も卵も共に食用とされていたようですが、平安時代においては、朝を告げる鳥、闘鶏の鳥であり、食用ではありませんでした。殺生肉食は禁忌でしたし、それは卵に関しても同様だったのです。但し、例えば延喜式を見るに伊勢神宮の儀式内に雉卵を用いる記述があり、仏教から遠い伝統的なところでは食用とされていたようです。
ニワトリの飼育は室町時代頃から肉食用として次第に増えていきます。卵の食用は江戸時代、無精卵の存在が明らかとなってからでした。これによって無精卵の卵食は殺生ではない事になって、食用が一気に進みます。