#61:1019年10月 精錬
「気を付けよ。こないだ馬が足折りおった」
太日川の上流、花輪村と足尾谷の境は、通るのに神経を使う険しさだった。雨が降れば足場は危険なほど滑りやすかった。杭を打って道を広げるという話であったが、いったい何時になるのか。
幸い今日は晴れていて、鮮やかな紅葉の中、石灰の荷を積んだ馬も危なげなく山道を超えていく。
一番大きな石造炉から黄色い煙がたなびいていた。あの煙がこっちにたなびいて来ないようアキラは神仏にちょっと祈った。
・
「硫黄の分があまりに多きゆえ」
先に火で燻して銅鉱石から硫黄を抜くのだと古部三郎は言う。石造炉はこの燻し焼き専用のものだ。
肝心の精錬に使う新しい炉は益子産の煉瓦を使っていた。益子の窯で最近使い始めたものと同じものだ。煉瓦をここまで運ぶのにはひと財産かかっている。
これで炉を再利用できる。煉瓦も勿論熱で削られ痩せていくが、定期的な補修でなんとなるのではないかと思っていた。
煙路は古い炉を解体した部材で造っていた。石の隙間はここの土と石灰を混ぜた三和土で埋めている。三和土は沈殿池のほうでも多用していた。
「吾子の段々池はもう出来ておる」
炉から山にかけての斜面に三段の池がちゃんと出来ていた。
排煙から煤塵と硫化物を取り除く方法として、アキラは石灰との反応による沈殿池を考えた。消石灰を溶かし込んだ池に排煙を導入し、排煙の硫酸と水酸化カルシウムを反応させるのだ。
しかし排煙の気圧は思ったより低く、水を潜らせることは難しいようだった。
設計を大きく変更し、排煙に上からシャワーを浴びせることにした。節を抜いた竹に錐で穴をあけて作ったシャワーヘッドを並べて、上流から引いた水を枝垂れ水と呼ぶことになったシャワーに流す。
シャワーの水は真下の沈殿池へ、シャワーを浴びた排煙は煙路を兼ねた屋根に遮られて次の、一段高い沈殿池へと導かれる。
次の沈殿池にも屋根がかかっていて、そこでまたシャワーを浴びて排煙の温度はかなり落ち着くことになる。
三段目が、一番高い位置にあるのが最後の沈殿池、最後の屋根になる。その先に排煙を排出する煙突はあった。ここに至ると排煙はほぼ熱を失って勢いはそれほどでもない。粉塵はほぼ無く、臭いは無くなる訳ではないがほとんど消える。
二段目、三段目の屋根はもう出来ていた。問題は炉に一番近い一段目の屋根で、これは既に一度試運転で燃やしていた。排煙が炉から出てきたばかりで熱過ぎるのだ。
「竹と三和土使おうと思う」
アキラは考えていたことを伝えた。ところで、大物部季通は?
「吾子が来るのは判って居ったから、昨日から山に籠ると」
大物部季通はしばらく前から、仕事の割の良い足尾谷で働くようになっていた。こちらで炭を焼けば麓から運ぶよりずっと楽だ。そして薪も炭もいくらでも需要があった。
「手が欲しかったのだがな」
アキラは立ち上がって、ここに来た目的である作業を始めた。
・
モルタル代わりと言う点では漆喰のほうが良かったかも知れない。
仮設された一段目屋根に棟木を足して縛り、アーチ状に仕上げると、その上に竹の編んだもの、いわゆる網代を広げた。
網代は花輪村で頼んで作って貰っていたものだ。この網代は密に曲面をつくって、厚い三和土を下から支える型になる。
更にその上に、網代の目の粗いものを置く。これが三和土の竹筋になる。鉄筋には劣るだろうが、最低限の引っ張り応力には抗してくれる筈だ。
夕餉には鹿肉が出た。大物部季通が獲ってきたという。
大物部季通の手が小さな陶器の酒甕に伸びるのを古部三郎の手がはたく。
「代は何ぞあるのか」
大物部季通は怒りで少し唸った後、無言で小屋の奥に行き、何か取ってきた。
「色付き六方か。大きいが珍しくも無き」
薄い紫色の付いた透明な六角柱、紫水晶か。
「よし、吾が買おう」
アキラは古部三郎に、次に余計に酒を持ってくることを約束すると、紫水晶を大物部季通の手からさっと取った。
大物部季通はしばらく混乱した表情を浮かべていたが、やがて酒に手を伸ばした。それを見て古部三郎が声をあげた。
「少しぞ。そこで終えよ。大した代にはなりはしまい」
小屋はこの山奥の冬を越すことができるよう拡張されていた。刈草を貯蔵する小屋付きの厩が出ているし、石組みの低い壁のある冬小屋は着実に完成に近づきつつあった。実際には雪が深くなったら山を下りる予定だったが、小屋が雪で潰れていなければ更に翌年は越冬するかもしれない。
だが今のところの寝床は、いつもの柴木で出来た小屋だ。
三和土には骨材として、既に現場に大量に生成されつつある鉱滓、カラミと呼ばれる黒いガラス質の廃棄物を砕いて細かくしたものを混ぜている。
一度三和土を網代の上に塗り固めると、その上にまた荒い網代を敷いて、また塗り込めた。厚みはおよそ八寸。
固化するまでどのくらい掛かるのか、三和土の例から言えば半月以上、ひと月ぐらいは養生したい。草を刈って三和土の上に被せておく。
排煙の熱にどれだけ耐えるか。三和土屋根の上から水でも流すべきかもしれない。
およそ三日かけて沈殿池に架ける小屋をアキラは仕上げたが、その間に鉱石の事前蒸し焼きが終わり、そして夕方、大物部季通が帰ってきた。
「それは吾の獲った鹿ぞ」
「そうか、ならば吾の運んできた飯を食うと良い」
三人で火を囲んで飯を食う。
明日は炉を吹くという。第一段階の精錬だ。
「此度は、炭団子も蒸してみた」
炭に比べ火力のある炭団子も、石灰と並んで搬入量の多い資材だ。この搬入コストもやばい規模になっていた。アキラは池原親子に今いくら借りているか、ちょっと思い出したくない。
それを何でまた蒸したのか。
「少し試したが、火勢強くなりおる」
本当か。
翌日は三人がかりで、炉に蒸された鉱石と、同じく蒸された炭団子、そして石灰を順に積んでいく。炭団子は縮んで脆くなっていた。縮んだ分だけ量が足りなくなったので、普通の炭団子も積む。
火を点けると、水車の駆動軸を唐箕ベースの送風機に繋いだ。唐箕は花輪村でもう一台コピー生産して二連構成になっていた。
ごうという音と共に火勢が強くなる。
しばらくすると、雑な作りの仮設煙突から強烈に毒々しい色の煙が勢いよく立ち昇っていく。早く沈殿池と排煙路を完成させないと。
しばらくすると古部三郎は炉の底あたりの石を鉄棒でずらし始めた。
「もうカワが溶け出おる」
炉から真っ赤に溶け流れるものが素焼きの坩堝に溜まっていく。縦に細長い壺で密度分離させるのだ。
やがて流れ出るものが黒くなり、そして炉の出口が埋まってしまう。送風機の動力軸を外す。
坩堝ごと叩いて割って中身を取り出す。
底位置には銅の輝きが確かに見える。逆に上のほうは黒曜石のような黒いガラス質だ。この段階で中身は真っ二つに割れている。底位置の、従来カワと呼んでいた部位を取り上げる。
「素吹きとは思えぬ」
古部三郎は驚嘆したような声を上げた。
アキラの方はと言うと、ガラス質のほうに目が行っていた。
これは、ガラスそのものではなかろうか。勿論こんなに真っ黒ではどうしようもない。この黒いのは多分鉄だろう。というのも、底に近くなると明らかに鉄の、鋼の色が見えるのだ。
この鉄は脱炭されているのではなかろうか。
今回は相当に炉内温度が上がったようだ。アキラは金槌を手に取って、ガラス質を叩いて鉄の部分を取り分けた。
鉄の成分、これはかなり多い。想像はしていたが、鉱石の中に含まれる量としては銅の倍くらいはある気がする。
これまではガラス質と分離できていなかったのが、今回は高温で分離が進んだものと思われた。
手に持った鉄、いや鋼の塊は5キログラムくらいはある。
これを砂鉄で得ようとすれば、どのくらいかかるだろうか。
これで何本、刀が打てるだろうか。
勿論、銅の方が稼ぎは大きいだろう。しかし、鉄も得られるのなら素晴らしい。
あとはガラスが作れれば最高なのだが。
河原の白い石たちを眺める。真っ白な、銅や鉄の鉱脈の筋の無い石なら、どうだろうか。
ガラスも作ることが出来れば。
ガラスの器が都の貴族にどのくらい珍重されるだろうか、考えただけでもよだれが出そうだ。
しかし、
「よき銅であるが、これでは銭にはならぬ」
古部三郎は当惑するような事を言う。
「銭の元は銅のみでは無きゆえ」
十円玉をぴかぴかに磨いたような色艶にごまかされていたが、もしかして違うのか。
アキラは首から提げた紐の先の銅貨を取り出した。既に少し磨耗しかけている。色は少し黒ずんで鈍い。
「心配は要らぬ。坩堝の方に鉛ぞ溶けおる。坩堝を砕いて水で洗い、重きものを取りおきて焼けば鉛取り出せよう」
そうして、銅塊の底にへばりついた、銀色の小さい粒を取り上げた。
「銀ぞ」
・
採れた鉄は思っていたよりずっと反応があった。
寺岡の鍛冶屋に渡すと、重くなかろうか、と言う。更に鉄塊の光沢のある面を眺め、そしてアキラに塊を押し付けると無言で奥へ行って、やがて小さな刃物を持ってきた。
光沢面に刃物を押し付けて、しばらく比べて、頭をひねって、これは何ぞ、と聞いてきた。
「鉄であろう」
「ただの鉄であるものか。砂鉄ではないな。鉄鉱か」
アキラは頷いた。
「いや、まことに鉄鉱か。これほどの鋼は、これを鋼としてだが、見た事の無き」
名高き刀造れようぞ、という鍛冶屋にアキラは、これで丸鋸を作ってくれと頼んだ。
「丸鋸とは何ぞ。丸き鋸、なのか」
「丸き板にした鉄の端に鋸の歯を立て、廻して木を切る」
とりあえず薄く丸く板を叩き伸ばし、真ん中に四角の穴をあける。まことに丸であるかは後でアキラの方で丸く削るので気にせず良い。歯を立てるのはアキラの方でおこなうゆえ、後で焼き入れをしてほしい。
アキラはおおよそそういう風に説明した。
「丸はおよそ一尺、真ん中の穴は二寸、厚みはとにかく薄く」
最初からあまり大きなものを作る事は考えていない。歯の数はいつもの鋸とそう変わらないものになる筈だ。問題はシャフトと固定法だ。基本使えるのはやはり木しかない。
代は幾らになるか聞くと、鍛冶屋はこの鋼、丸鋸作った後の残りをくれと言う。
「まこと薄く作ろうぞ」
鍛冶屋はにやりと笑った。
・
産屋はすっかり織物工場と化していた。
中からカタンカタンと軽い木の音が響いてくる。
クワメは産屋の軒先、いつもの定位置にいた。麻糸を撚って繋ぐいつもの作業に集中していて、アキラに気づいていない。
「帰ったぞ」
声を掛けると、うわ、と驚かれた。
「腹の子まで驚きおる」
嘘か本当かわからないが、判るほど大きくなっているのか。
「ほれ、土産ぞ」
指先程の紫水晶の塊に、錐で小さな穴を穿って紐を通し、首飾りにしたものだ。
アキラはしゃがむと、クワメの首にかけてやる。
「ふむ。何ぞ守りか」
「よく効くまじないぞ」
適当なことを言っておく。
「ところで、乳母雇えと言われた」
尼女御から言われたらしい。農作業もあらかた終わったし、そろそろヘルパーさん雇ってもいいな。
という訳で、早々に尼女御へ会いに行く。
「田部郷の郷長のところの妻が飛び出してきおってな。娘共々使ってくれと言いおる」
郷長がよそに女をつくって、そっちに入れあげるあまり家に帰ってこないという。
家にある財産は郷長の妻が自由に差配できるが、郷長としての仕事は既に遅滞が生じ始めていた。
という訳で、郷の管理仕事の一部を足利屋敷で引き受ける代わりに働くというのだが、要するに屋敷に寄生しようという腹である。
でも田部郷の管理をほおっておける訳でも無く、結局のところアキラの仕事が増える代わりにクワメにヘルパーが付くという話になる。
という訳で出てきた二人、田部の郷長の妻であろう歳の女のほうはいきなり、
「あの眇目女の言うに従えと申すか」
これは雇ってくれという態度ではない。アキラは、
「然り」
真正面からゴリ押す。別にこの女でなくても構わないのだ。
女は途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。覚えのある表情で、藪の中でちっちゃい虫が口の中に入り込んで来た時などによくやる奴だ。
「なにをすれば良いか」
娘の方はよほどしっかりして見える。身なりは良い。歳は12歳以上か。見ない顔だが、田部郷は少し遠いから朝の小学には参加していないのだろう。
「吾が妻の面倒のみ見ればよい。田植え稲刈りの時も、どちらか一方は妻についておれ。赤子生まれたら世話いたせ」
娘はアキラの言葉にうなづくと、親の方に向き直った。
「良き仕事ぞ。これに勝りし話なぞ見つかるまい」
おっと、忘れていた。
「娘子は朝の小学に出て、読み書き学ぶようにせよ」
娘も苦虫を噛み潰したような顔をした。
しかし結局のところ、話はまとまった。二人はとりあえずは交代で来て、産屋に泊まり込んでクワメの面倒を見る。
さて、これからクワメと正式な顔合わせだ。
頭が痛い。
#61 三和土について
三和土は、土と消石灰、にがりを混ぜたもので土間などを施工する工法で、ポゾランと呼ばれるタイプの土中の二酸化ケイ素が消石灰つまり水酸化カルシウムと反応して硬化するポゾラン反応を利用したものです。にがり、つまり塩化マグネシウムをこれに添加することによって更に固化は促進されます。
三和土の工法は元々は版築由来で、版築の叩く工法をその語源として残しているものと思われます。ポゾラン反応はポゾラン次第で、例えば火山灰土を使ったものがいわゆるローマンコンクリートでした。
三和土の硬化は表面が脆く、これはローマンコンクリートも同様の特徴でした。ローマンコンクリートはそのため煉瓦等で表面を保護していました。この保護表面は同時に型の役割も果たしていました。ポゾラン反応は施工一か月後辺りからゆっくりと硬度を増していきます。
作中でポゾランとして使用されている土は関東ローム、つまり極めて細かい火山灰質の粘土の一種です。ポゾランとしての関東ロームは極めて速い反応速度を持っているとされています。