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#60:1019年10月 国図

 平光衡殿の前で、アキラは図面を一枚一枚広げていく。

 国庁屋敷の母屋の廻り縁にまでその端ははみ出した。全て繋げると、計九十二枚、それが全て精緻な線で埋め尽くされていた。


「下野の新しい国図にあります」


 平光衡殿はうち一枚手に取ると、しげしげと眺めた。

 

「それぞれの郡、それぞれの郷の田の広さは別の紙にあります」


 アキラの細かい字で書かれた表が、これも各郡ごとに一枚づつ用意されていた。


「これは正税の文書として正倉に収めてよい出来であろう。

 良いぞ。これは都でも評判取ろう。しかし済まぬが写しの要る」


「写しはこちらに」


 アキラは別の包みを解いた。


 先程の図面と寸分違わぬ内容に、平光衡殿は声にならぬ声を漏らした。


   ・


 大事業はようやく終わった。

 足利屋敷はこの界隈ではありえないほどの紙と墨を消費し、いっとき紙の供給が滞って薬師寺など近郷の寺社から苦情が来たほどだった。


 文字以外の書き写しは主に子供たちにやらせた。新しいパンタグラフが書写専用の板と共に用意された。子供たちはアキラよりよっぽど細かい作業に向いているようだった。

 田畑の面積計算は最初はまじめにやっていたが、やがて面倒くさくなって、小さな紙の切れ端を幾つか作って、これを図面の上で組み合わせて近似を取るようにした。紙切れには面積を示す数字を書いていたから、あとで足すだけで面積が出せる。

 最初にまじめにやった総面積計算と部分の総和を最後に比較して、食い違った分をそのまま補正係数として部分の面積に掛けて、辻褄合わせもバッチリだ。


 判っていたことだが、測量図は繋ぎ合わせてみるとその境界で盛大にズレていた。国庁に提出する分は繋ぎ目を適当にごまかして綺麗に繋がるようにしている。


 作業時間は夜間にも及んだ。燈明油には炒った菜種油を圧搾したものを使った。松根油はどうも匂いが気に入られない傾向がある。

 菜種油は小さなプレス機を作ってみたところ思ったより調子が良く、必要な分はそれで大体作ってしまえた。

 石に掘られた深いV字の溝に炒った菜種を盛り、玄翁型の鉄棒で上から押し潰す。絞られた油は溝を伝って下の皿に落ちる。鉄棒は台によって支えられ、更に長い長い梃子で上から押される。一度に作れる量は少なかったが、ひたすら繰り返したのだ。

 来年からは他の者にやってもらおう。プレス機を増やしても良いし、菜種をもっと栽培しても良い。大麻の種でも出来ると聞いたからそのうち試してみたいが、今のところ大麻は実が熟す前に刈り取ってしまっているので、その辺もどうにかしたい。

 灯明の煤は墨の材料になる。できればこれも生産したい。


 出来上がると、改めて足利屋敷の主だった者たちがこの図面を囲んだ。


「田がこれほど少ないとはな。この辺りなぞ、田に出来そうなもの」


「思うに水の便かと」


「それは勿論、水であろうよ。吾が思うは、これぞ」


 頼季様は離れた川を指さした。


「図があらねば、この川から引く途は見えなかったであろう」


 足利荘の次の開拓は西側になるだろう。


    ・ 


 しかし、国庁への提出分、いま平光衡殿に見せている分には、その肝心な高低差情報は省かれていた。

 しかし国図、収益計算の基本となる図面としては十分すぎるほどの出来だ。

 ここまで精緻な図面から割り出した田畑面積は、収税の根拠としては十分すぎるものだ。これを根拠に税の減免を申請するなら反論は難しいだろう。

 この国図は、平将門に国庁を焼かれて以来の下野の復興が成し遂げられた証でもあった。


 国司の任期の終わりに向けて、アキラの仕事は着実に消化されていた。

 放置されていた訴訟はあらかた片付き、未納の税も片づけた。

 大抵はつまらない計算ミスが原因の食い違いに過ぎず、半分は帳簿上で消し去り、半分は不足分を今年の税に加算して終わりだ。国司の任期は正確には来年の八月までだが、来年の税処理は新任の国司の仕事である。

 中禅寺からの訴訟は、アキラが足尾の入会の権利を持っていることが確認されると、中禅寺としてはそれ以上何も言えなくなってしまった。勿論そのうち亜硫酸ガスがたなびけば文句が出る筈で、その為にも排煙対策は是非とも必要だった。

 常陸の平維幹から朝廷へ、信田小太郎なる賊徒を讒訴する訴えがあったようで、事実関係を確認するよう求める通知が下野国庁に来ていた。

 アキラは都への報告として、逆に平維幹らが下野を荒らした記録を山ほど付けたものを作り上げた。信田小太郎については知らず存ぜず、だ。


 都への税の運搬は、調の絹布およそ八百反がメイン、うち朱や紺、黄色に染めた布がこの半分を占めていたが、この染色は藤原兼光の地元が独占していた。

 実はこの、染色の独占こそが地味に藤原兼光の権力に結び付いていた。藤原兼光が首を横に振れば、国司は朝廷に税を納めることが難しくなる。


 足利では養蚕があまり盛んではない。そのため調の絹布はよそから買って対応していたが、これは高くついていた。

 絹が高くつくのは、これが税に用いられるだけでは無いからだ。

 遠国の国司たちは受領として蓄積した富を都に持ち帰る為、税の米を使って、運搬容易な、やはり絹を買い求めた。つまり、絹は人気商品で値上がりするのだ。絹の生産者たちも、税に黙って取られるよりも高く売る方がよっぽど良い。

 とりあえず税の分は全て調達している。あとは国司殿の私的な富に変換するための絹をどうするか、これは悩みどころだった。


 国庁の財産も整理され、文書に起こされた。

 庁舎の再建はかなわないが、後任者が暮らし、仕事をするのに必要な什器は全て揃っている。

 その什器の一部は、先月アキラが納めた陶器だった。国庁屋敷のこまごまとした雑器はみな素焼きから施釉陶器に切り替わった。

 美濃瀬戸で作られる陶器はもちろん此処でも使われていたが、宴の席などに使用は限られていた。普段使いから施釉陶器を使うようになると、ぐっと生活がアップグレードした感じになる。この時代としては贅沢な話だったが、益子の窯はその贅沢を可能にしていた。

 さて、次の国司の感想はどうだろうか。アキラは密かにそのときを楽しみにしていた。益子の商業的成功には、とにかく評判が立つことが重要だった。


「目代が納めし皿はいくらか厚いな」


 アキラの書いたリストをチェックする次郎殿、国司の息子がそんなことを言う。


「作り始めですから、唐や美濃の物のようにはなかなか」


 益子の陶土には焼き上げる温度にたぶん厳しい上限がある。釉薬でごまかしてはいるが今のところ出来は素焼きより多少上等と言う程度でしかない。割れないぎりぎりの厚みの追及は今も益子の現地で続いていた。


「法師どもが使うには良かろうな」


 次郎殿は時々だが書類仕事の手伝いみたいなものをする。将来の為の勉強をせよという光衡殿の言いつけがあるからだが、本人も自分の将来に多少の不安を抱いているからだろう。

 次郎殿の兄は都で文章生をしているという。要するに学生、いや、司法試験生みたいなものか。

 学問の出来で出世するルートらしいのだが、どうやら聞いたところ、その学問と言うのは中国史(もちろん漢文)とか漢詩とか、そういうものらしいのだ。

 何と言うかアレな訳だが、それで成績が振るわないとの事で、次郎殿の兄もなんというか大変である。

 次郎殿の方はと言うとそういう道はどうやら最初から捨てているようである。しかしそれでも、地方官吏として食っていくには最低限の知識と学問が必要だろう。


「足利に何やら勝手に大学作りおるようだが」


 吾も大学生として入れておくれとは次郎殿。勿論揶揄だ。


「あれは物の真似にて」


 京の大工に物教えさすのに都合名乗っておるだけにて、あれも便法のうち、とアキラは弁解した。


「筋交い橋、見たぞ。

 そこの田川に水車掛けおったのも足利の怪しき学校の者どもと聞く」


 次郎殿は書類をまとめると書箱に収めた。


「怪しき大学の博士のほうが余程面白きか知れぬ」


        ・


 一方、出来なかったことも多い。

 私出挙は減らせなかった。

 荒田悪田を良田にして私出挙から足を洗うというアキラの提案は、どこでも反発にあった。

 一番話に乗ってきた芳賀郡の郡司も、収が減るのは駄目だという。ようやく引き出した取引は、田を増やして私出挙を無くして減る分の税を補填できるなら、という線だった。

 これはかなり譲ってもらった取引で、税収見込みさえ得られれば私出挙は待ってもらえる手筈になっていた。

 しかし、田を増やすのと言うのは基本難しい。結局、良田化することで収穫量を増やして困窮を緩和するのが精いっぱいとなる。


 良田化の基本は馬による深耕と畜糞だった。この辺りは足利荘で実践済みの改善策だ。

 各地の牧と馬借に話を通して、春の田起こしに馬を貸すのと、馬糞を土地の百姓に引き取らせることを約束させた。どちらも収入増に繋がる話であり、牧に拒否されることは無かった。馬糞は糞ゆえに敬遠する百姓が多かったが、目端の利くものが全部持って行っていると聞く。

 海藻灰を肥料に使うのは既に良い結果が見込めていたが、草木灰でもそれなりに効くのではないかと言うのが池原殿の意見だった。というか石灰でも効くかもしれない。

 

 成果が出るのはまだ先の事であり、そして平光衡殿の任期は終わりかけていた。今年までの税収をもとに解由を作成すれば、およそ目代稼業のヤマは越す。実際のところ解由は既に九割がた仕上げており、あとはちょいちょい、の筈だ。


 昼過ぎに平良衡が国府屋敷を訪れてきた。光衡殿に挨拶を済ませると平良衡はアキラを渡り廊下に呼んだ。


 「少し、貸し給われ」


 無理だ。


 アキラと平良衡は私財を足尾谷の精銅にたっぷり突っ込んでいた。最近では知り合いに借りまくっている。二人ともだ。

 こいつ、藤原兼光の私財にも手を付けているのではあるまいか。アキラはひそかに平良衡を疑っていた。アキラこそ足利荘の財産には手を付けていないが、近場の郡司たちには盛大に借財をしていた。


 鉱山開発を中間管理職に過ぎない二人で黙ってやってしまうというのは無茶な話だったが、そもそもこの二人、立場があやふやである。

 平良衡はその出身からして、藤原兼光に忠誠を誓った子飼いではなく、その事務能力を買われはいるらしいが、ほとんどアキラ担当になっている現状からみて幹部と言う訳でも無いだろう。

 アキラはといえば、源頼季様の郎党であると常々宣言はしてはいたが給がある訳でも名表を提出した訳でも無く、いわばアキラが勝手に言っているだけに過ぎない。官位はあってもこれも給がある訳でも無い。

 アキラにとって頼季様は21世紀風のいわゆる上司ではない。もっとずっと緩い関係であり、アキラは自分の権限を自分自身で拡張しなければならない。その拡張を許すのがアキラと頼季様の関係の骨子だと言ってもいい。

 頼季様の為にやることをやっていれば、自分の仕事をおろそかにさえしなければ、あとは私欲を追求するのは全くの自由なのだ。もちろん私欲を追求しなくてもいい。自由なのだから。

 とはいえ私財を貯め込んでいる訳でも無く、となると資金調達は自ずと借財頼みになる。

 そしてそんなことは、二人とも互いの状況は、よくよく知っている筈なのだ。


「いや、僅かで良い。布一反ほどで良い」


 そのくらいか。


「下屋に皿など置きたる故、適当に摘み持っていかれよ。一枚二枚づつ数減ろうと気付く気配無かろう」


「皿などこれはもう収めたものであろう」


 妙なところで建前を気にする奴だな。


「実録帳のほう改めれば、それが正しいゆえ、構わず持ち行け」


 ふむ、と頷くと平良衡は立ち去った。

 足尾谷はそろそろ山場である。成果を出して借財を少しでも返したいところだった。

#60 納税について


 律令制の税制、いわゆる租庸調ですが、基本的にはこの制度は11世紀にも維持されていました。

 租は田の面積に応じた米穀の徴取ですが、これは各郡の郡衙に収められ、そこから持ち出されることは想定されていません。郡衙の米の蓄えは維持することが義務となってました。

 但し近畿の国には京米という米穀の都への運搬納入義務が課されましたが、これは調の中身の一部が米になったものと考えるべきでしょう。

 庸は労役ですが、国家が要求する労役や兵役はやがて課されなくなり、労役分は雑物の納入で代用され、後にはほぼ制度化して調と一括して扱われもしました。


 調は人頭税で、各郡ごとにまとめて拠出されました。人頭税の対象は律令で定める成人男子、正丁でした。庸も労役の代用としての物納でしたから、調と同じ性格を持ち、同様の物品を税として徴収します。都に毎年これらを運ぶ貢調使には在庁の一人が充てられ、書類である調帳と庸帳が同時に提出されました。

 下野国の貢調は、緋色に染色した絹布が百反、紺の絹布が百二十反、黄色が百反、茶色(つるばみいろ)が五十反、白の絹布(あしぎぬ)が四百反、紺の麻布が八十反、(はなだいろ)の麻布が十五反、黄土色(はしばみいろ)の麻布が十反、後は麻の実が百五斤、紙、紅花、ケシの実などが少々という内容でした。

 庸は麻布、正丁一人当たり一尺三寸、一反を五十尺、下野国の正丁を仮に三千人とすると、七十八反になります。

 他に年料別貢雑物という制度もあって、下野国では筆百本、麻紙百枚、麻の実三斗が課せられていました。


 これら制度は、作中時代から少し経つと公田官率法へとそれぞれの国例として成立、移行していくことになります。祖税率は段別三斗に固定され、臨時雑役は廃止されていきます。

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