#6 :1018年2月 上野国府
その後はしばらく、夕方に利根川に辿りつくまで、休憩は無かった。
アキラは生まれたての小鹿のように足をがたつかせながら馬の手綱を取り、渡しの船に乗り込む。
船はどれも大きくないので、一隻に馬一頭づつしか乗らない。そして渡しに船は見たところ一隻のみ。頼義殿が先に渡り、アキラがその次に渡る。
渡し舟の上で馬の安定を取るのはちょっとコツが要ったが、思ったより何とかなるものだ。
夕闇の迫る中、上野国府へと辿りつく。
正確には国司の屋敷だ。屋敷には浅い空堀と土塁が巡っていた。
「源の頼義と供一人、夜分ながら参りました。
定輔様のご都合はいかがか」
アキラの馬も屋敷の家人に手綱を取られて連れて行かれる。アキラは頼義殿の後に続く。
どこまでついていけば良いのか判らなかったが、多分「ここで待て」等と言われるだろうし、それまでついていけばいい、そう考えると気が楽になった。
足を洗って板間に登り、板張りをしばらく歩くと広い板間に出た。足利の屋敷の三倍くらいの広さがあるように思えた。
板間は几帳でざっくり区切られていた。几帳と言うのはホラ、几帳面の語源だ。木のコート掛けみたいな奴に布を掛けて、仕切りに使っているのだ。
上座に座っているのは、白い貴族風の服を着た、40代ほどと思しき男だ。
貴族風と言うのは、要するに襟の開きがない服だ。脇も開いていない。
頼義殿の後ろに胡坐で座る。
「藤原の定輔様、機嫌よろしう見えて嬉しく思います」
一緒にアキラも頭を下げる。
こういうがっちりした礼儀作法を見るのは初めてかもしれない。相手は高位の貴族なのだと悟る。
「東国へはいつ参られた」
「おとといで御座います」
「ほう、では都の様子はいかがか。能信様はいかがであったか」
「お変りございません。秋の除目では権中納言に登られて、ますます御軒昂でいらっしゃる」
「それは勿論目出度いが、他に無いのか。もっと心踊り出すような、童が囃すような」
「幸いにも、おととしの騒ぎ以来、噂にのぼるような話は聞いておりませぬ」
「つまらぬのぅ。
ところで後ろの、表を上げよ」
頭を下げっぱなしで正解だったのか。アキラはここで頭を上げた。
あ、これはアカン顔だ。
目の前の貴族の顔には、その服装と違い品性らしきものが欠落していた。
「足利で目代をさせております、藤永のアキラと申す者です」
自己紹介するまでも無く、頼義殿が紹介してくれた。
「今日はそやつの目通しか?」
「いえ、話は別に」
そこで頼義殿はアキラに振り返り、下がれ、と言う。
さて、どう下がったものか。何か礼儀みたいなものはあるのか。
すこし悩んで、剣道のやりかたで行くことにした。剣道は小学生の頃すこしやっていたのだ。ただ痛くて臭いばっかり、嫌な記憶ばっかりしか覚えていないが、今となるとちょっとは役立たないか、等とも思う。
ただ、実際のところこの半年役立ったことといえば、袴の着方がわかるくらいだった。刀を振るうことはおろか、刀を持つ機会もない。
前に手を付き、胡坐から膝をついた蹲踞にして、そこから真っ直ぐ立つ。
何か驚かれた。間違えたか。まずったか。
構わず摺り足で三歩下がり、そして振り向いて下がる。
こんな感じで良いよな。さてどこに下がっているべきか。
そこでこの屋敷の家人に案内され、そしてようやく夕餉にありついた。
・
「吾子は源頼信殿の子の郎党と聞いたが、えらく背があるのう」
「六尺あるのではないか」
「もう何人くらい殺しておる?」
「まだ戦手柄には恵まれておりませぬ」
いかにも人相の悪い家人たちの質問に、アキラはこう返した。
十人ばかり、火の廻りで白く濁った酒を飲んでいる。勿論アキラもだ。
酒はアルコール度数はかなり低そうだが、臭いがなんというか、する。正直アキラの好みではない。ビールが恋しい。
しかし、薦められれば断れない。
この匂い。悪酔いしそうだ。
そこに頼義殿が現れて、参れ、という。
ありがたい。これでもうあの酒を飲まずに済む。
「呑み過ぎるな」
勿論です頼義殿。
二人は庭に出て、裸足のまましばらく歩き、庭の端にある小屋に入る。
「昔の通りだな」
頼義殿はそう言うと、薪の上に座った。アキラも腰を下ろす。二人の姿は小屋の暗がりにまぎれてもう定かではない。
「アキラよ、お前はあの方の相手もせねばならなくなる。
だから事の次第を教えておこう。
藤原の定輔様は、藤原の能信様の家来だ」
二人の会話に出て来た能信様だ。権中納言で、おととし騒ぎを起こしたとか。
中納言と言えば水戸黄門くらいしか思い当たらないので、これがどのくらい偉いものかわからない。三位とか五位とかわかりやすい階位でいてほしい。
しかし、今時権勢のある人物ならば、
「能信様という方は、御堂関白(道長)様の」
「そう、御子だ。四男に当たる」
四男とは、これは家を継ぐのは望めないのではないだろうか。たしか道長のあとを継ぐのは別の名前の筈だ。
「おととしの騒ぎには、定輔様は」
「関わっておらぬ。しかし他に多くの騒ぎに関わっておられる」
10年ほど前、少将藤原伊成様を能信様がひどく嘲られたさい、少将伊成様は怒って笏を振るわれたが、逆に能信様の家来である定輔様に取り押さえられたとか。
土御門の屋敷の縁側から地べたに突き落として組み敷いて、髪を引っ張り殴って更に辱めたのだという。
あまりの恥辱に、伊成少将はそれきり出家されたとの由。
「辱めとは……」
「袴を脱がせ奪ったという」
子供かよ。
おととしの騒ぎとは、能信様の友人が若い未亡人を強姦しようとして捕まり、そこで能信様に助けを乞うたところ、能信様の家来と未亡人に加勢する衆とで争いとなり、死人は出るは未亡人の宅は略奪されるはと滅茶苦茶なことになったのだという。
最低である。
「更にだ」
まだあるのですか……
その更に2年前、またもや強姦を企てる能信様の友人が、事前に能信様に加勢を乞うたと言う。これに応えて家来を向かわせるのだから酷い話だ。
「それがこの悪党ども、加勢に来た奴となぜか口論となり、合戦となり、それで能信様の家来は殺されてしまう」
この能信様の家来を殺した能信様の友人と言うのが、下野国の国庁を牛耳る在庁、藤原兼光の息子なのだとか。
はぁ。
何ですか。この時代はレイプマンしかいないのですか。
「ゆえに、当時同じく能信様の家来であった定輔様と、藤原兼光の仲は決して良くない」
昔はそれなりに仲良くやっていたようだが、と頼義殿。
「アキラは定輔様をどう見た?」
アキラは少し考えて、言う。
「くにの言葉に、”ヤンキー”という言葉がございます。かの方は正にそれ。
ヤンキーとは危うき奴、そう思わせるのが上手い衆でございます。自然周りは彼らを恐れ、ヤンキーはそれに乗じて好きに振舞います」
「やんき、か。面白い語だな。
では、やんきと武者は違うとおもうか?」
言葉が、重く感じる。頼義殿の姿は影に隠れて見えない。
「……武者は、あるじを選ぶとき、現世利益よりも重きものを見ていると思います」
アキラは言葉を選んで言う。迷って、そしてぴったりの言葉を見つけた。
「信じられるかどうか、大事はこれに尽きます」
「……ふむ。
吾子は頼季に仕えると誓ったそうだな。
給も出ないのに、何故だ」
「吾は頼季様を信じておりますゆえ」
答えはすぐに出た。
今度は頼義殿が黙り込む。しばらくして、
「……これから言う事は他の誰にも言うな。頼季にもだ。守れるか」
「誓って言いません」
「よし。
これは人より聞いた話だ。まことの事とは限らん。
あるとき、父上が御堂関白(道長)様に言うたそうだ。
頼義は武者にして仕わせ、頼清は蔵人にする。三郎は不要の者にて候、と。
どこから漏れた話か知れん。父上に聞こうとも思わぬ。
聞けば恐らく、父上はその通りだと言うだろう。
だからと、父上が頼季のこと、何も考えておられないとは思わん。
吾は思うのだ。
頼季は東国にて好きに生きるが良い、そう父上は思われておるのだ、とな。
だが、それは頼季に出世栄達の道が無いという事でもある。
そこでだ、アキラよ。
吾子はこの話を聞いてもなお、頼季に仕えると申すか?」
不要の者、か。
随分と大事な情報が提示された気がする。これは大きな分岐点じゃないか。
しかし、不要の者と聞いて感じた怒りは、迷いを不要にしていた。
「先ほどのお話を聞いて、迷うところは一つもございません。
吾は頼季様をお助けいたします。信じておりますゆえ」
「……よし」
後になって思うと、アキラはこの時、源頼義の完全な信任を得たのだ。
#6 通貨について
10世紀半ばの乾元大寶、本朝十二銭の最後の鋳造から、宋銭が国内に流入してくる12世紀まで、日本には硬貨の空白時代が存在しました。これは他の銅製品、例えば梵鐘でもこの時期の製品は極めて少ないことが知られています。
これは国家運営の採銅所の枯渇の影響が大きく、また仏像への利用が優先されたことも理由の一部をなしているものと思われます。本朝十二銭は銅の枯渇をごまかすため次第に鉛の成分を増し、最後には柔らかいほとんど鉛銭となってしまいました。鋳造品質は落ち、発行枚数は少なくなり、通貨として流通する枚数を割り込み、使われなくなります。
ではこの通貨が使われなくなった時代、何が使われていたかと言うと、基本は布でした。今昔物語などにも、布を運ぶ商人の荷を騙し取って長者になる話があります。今昔物語には銭が出てくる話と出てこない話があり、それぞれのエピソードの時代が大体推定できます。
もともと布は徴税単位であり、労働と並んで価値のはっきりした交換可能な単位として地方経済の主役であったと想像しています。