#59:1019年9月 灰
合戦は流石に大事件だったから、国庁への報告が要る。
アキラはざっくり文面をまとめると芳賀郡の郡司に渡すよう、信田小太郎の使いに託した。信田小太郎はまだしばらく益子から戻れそうにない。
報告書の内容はざっとこのようなものだ。
正体不明の武装した賊が、芳賀郡財部郷を襲い収奪をほしいままにした。これに怒った近郊住民は合力して集結し、財部郷ごと賊徒を焼き滅ぼした。
賊徒はみな焼け死んだ為、その正体も数も不明である。以上。
勿論、国司平光衡殿はこんな話を信じはしまい。しかし、郡司からの報告として国庁に記録として残し、朝廷に報告する内容としては、この辺りが妥当であることには同意して頂けるだろう。
実際のところは、捕虜に死体を全て確かめさせて、その身柄はあらかた調べられていた。
戦死者には大物がいた。平為幹、平維幹の息子で後継者、多気権大夫という良くわからない名乗りを持つ常陸の在庁だ。
7月頃に常陸国司である藤原惟通が病死したあと、その屋敷を平為幹が収奪したと噂が立ったことがあったが、更に、この時に何か訴えられるような事をやっているという噂が立っていた。なんでも都に召喚されているとか。
もはやそれも叶うまい。
合戦の戦利品は想定外の収入だった。
馬がなんと十頭、常陸の武者たちの乗騎だった馬たちの一部がアキラの取り分となった。早速アキラはうち二頭を足尾谷の炉の煉瓦の製造と運搬代の清算に充てた。つまりその場で益子の者に渡したのだ。更に二頭は炭代として上野の池原親子へ渡す事になった。
二頭は平良衡へ貸した。と言っても馬そのものが帰ってくるのは期待していない。平良衡はこの馬を即座に売り飛ばして資金の充てにするだろう。これは出世払いになる。これも石灰の調達のためだ。
一頭は花輪村にこれまでの運搬の労賃として売り、一頭は花輪村に置いて足尾谷への足として貸す。
一頭は鎌倉に売ってこれから買う海藻灰の代金にしたいと思っていたが、流石に馬を鎌倉まで連れていくのは面倒だ。平良衡に頼んで絹に替えてもらわなければならない。
最後の一頭は個人的な報酬に充てた。そろそろクワメにも多少のぜいたくはさせてやりたい。
という訳で、十頭の馬はほぼ一瞬で六頭減り、一頭は売って二頭は近いうちに花輪村に連れていくことになる。
馬の価値を21世紀の価値に換算するのは難しいが、およそクルマと同じくらいと見做していいだろう。
「そもそも十頭、御堂関白に献じれば鎮守府将軍に任ぜられたやも知れぬ」
平良衡に馬を渡す時、そんなことを言われた。余五将軍だっけか、平良衡の祖父はおよそ三十頭以上献上したというから、流石に十頭では無理だろう。
「しかし十頭ならば五位は確かぞ」
そうですか。
官位なんてこの関東では何の役に立つだろうか。
官位より欲しいものに馬たちは充てられていった。今ガチで欲しいのは海藻灰だ。
収穫の結果ははっきりしていた。海藻灰を撒いた田は見たことも無いような実りを見せていた。
去年は田の良し悪しや収穫の良し悪しの見当が付かなかったから、雑な感想に過ぎなかったが、今年は確実なことが言える。
どの田んぼも肥料を切実に必要としている。
開墾したばかりの、ぽろぽろと手触りの良い黒い腐植土の田も、海藻灰を撒いた田と比べると収穫は惨めなものだった。
この黒い腐食土が、田にも畑にも向かないとはとても信じられない。見るからに有機物に富んで、生命で満ちているように見えるのに、駄目なのだ。
池原殿は最初から諦めていたようだったが、アキラのショックは結構大きかった。
他の者にとっては、アキラの春先に撒いた海藻灰の効果こそがショックだった。
アキラの推測通り、海藻灰中のリンの効き目のお陰なら、この土壌は極端なリン不足だ。これはリン鉱石が欲しくなるな。
アキラの脳裏にリン鉱石を採掘する幻想がよきったが、そもそも何処にリン鉱石なんて有るというのか。ちょっと鉱山に手を出したからと言って、何でも好きな元素がいくらでも取れるという訳では決して無いのだ。
足利荘として、海藻灰を入手するための話し合いが持たれた。
荒田から倍の収穫があるとすれば、必死にもなる。
「一町につきおよそ灰一斗、千町で二百俵ほど、足利であればおよそ五百俵ほど要るかと」
「海に生えておる草であろう。勝手抜いて使えばよい」
頼季様は適当な事を言われる。
「取りに行くには海は遠き。それに要るのは灰と」
尼女御は冷静にツッコんでくれた。
アキラも口を出す。
「灰は水に濡れてはその効きが弱うなります。濡れぬよう運ばねば」
リンは海の豊栄養化の主因だった。つまり水に溶ける。
「しかし、浜は燃やすもの少なく、薪も浜に運ぶとなるとその代も」
「こちらで焼くのが良いか」
「上野から買うのが良いかと」
上野では炭団子を作るのに、匂いに構わず生の布海苔を内陸まで運んでいる。布海苔だけではなく他の海藻も運んでもらえばいい。
アキラは、既に上野の池原親子が海藻を運搬していることを説明した。
「では池原二郎に任せる。来年の春までに都合いたせ。要るもの有れば言え」
話し合いはこれでお開きとなったが、直後にアキラは池原殿に詰め寄られた。
「如何いたすか。五百俵なぞ」
「無理にありましょう」
アキラは正直に答えた。
池原殿が腰を下ろしたところで、アキラはざっくりした見積もりの話をした。
五百俵は明らかに無理だ。とりあえず百俵で考えるとする。
灰を運ぶには濡らさないよう柿渋を塗った木箱を用意する。木箱は全て同じ大きさにする。容積はおよそ五斗、一俵分になる。およそ馬車に四つ載せる程度になるだろう。
木箱は何度も再利用する。しかし、春まで貯蔵するため、例えば百箱用意する。
「百箱と」
いや、五百よりはましであろうが、と池原殿の言葉は小さくなる。
「これ全て屋敷が代持つとすれば、米三十俵ほどは要るかと」
箱を作るだけでだ。
「無き事ぞ」
「藻草運びて焼き、灰をまた運ぶとして、米百俵ほどはかかるかと」
「無き無き無き」
「かように、かかる代ざっくり見積もられよ。恐らく灰二十俵分も出せぬという事になる筈」
まず灰撒くは百町ほど試されては、とアキラは締めた。
「……まぁ、そうであろうな」
・
今年の千歯扱きの貸し出しの役目はアキラではなく、北郷党の者に任されていた。そもそも千歯扱きのコピーが既に近郷に出回っていた。
出回っている物のかなりの数は、つくってみたレベルのコピーだった。そもそもアキラの去年作った物も作ってみたレベルの代物なのだから文句の出る道理は無いのだが、コピーは竹歯の幅がやたらと狭いのが特徴で、これで台の方に歯を固定するための溝を掘る必要を減らしていた。折れやしないかと不安になる細さだ。
アキラは藁束を刈り干すのに汗を流した。藁から雑草を選り分ける。くそっ、雑草もえらく伸びてやがる。
雑草をどうにかするのは、本当に考えた方が良いだろう。
稲はおよそ列をなして植えているのだから、列の間にあるものは何でも抜いてしまう、という考えで問題無い筈だ。
稲の列の幅に合わせた器具、例えばカッターのようなものを作って、稲の列の間を滑らせると雑草が切れてしまう、そんなもので良いだろうか。
休憩中はそんな妄想を弄んでいたが、実際には田は小さく、地形に合わせて変形し、そして稲の列もデタラメだ。
勿論一番デタラメなのは、一番上流で一番地形変化の激しいアキラの田だ。
およそ一町近くの田がアキラによって開墾されていた。収穫予想はおよそ十八石にもなる。
本物の優良田なら二十五石くらい取れる筈なので、まだ田には問題があるのだ。そもそも稲穂の実り具合が、アキラの知っている21世紀の様子とは随分と違う。麦みたいに稲穂が軽く感じる。とはいえ開墾したばかりの田でこの収穫は望外というべきだろう。
実際には田植えは全面的に上名草の皆に頼ったし、刈取りも随分と頼った。八石は彼らに渡すことになる。残り十石、二十俵がアキラの取り分となる。
一石で一人一年養えるとして、およそ10人が養える計算である。十分に人を雇える収入だ。
いや、屋敷の建築費に充てるべきかも知れない。だがその前に、収穫を収める校倉が要るだろう。
税を納める必要のない俘囚出身の北郷党は、各村毎に校倉を建てることになっていた。奥山はアキラ一人の一村相当となる。校倉が要るのだ。
刈り干した稲束を脱穀するまで、あとひと月。幸い北郷向けの校倉セットとでも呼ぶべきものが既に製材されており、アキラの分もあとは組み立てるだけとなっていた。しかし屋根は自力調達で、檜皮か菅か、とにかく探してこなければならなかった。
あと麦も半町ほど。刈り干してはいるがこれからどうしよう。
「面倒だなぁ」
そんな事を、牛小屋に繋いだ馬の世話をしながら考える。
合戦の戦利品の馬を連れてきたため、馬の世話の手間が増えていた。アキラは相変わらず牛はまだ一頭も手に入れていなかったが、奥山の牛の囲いは馬に対しても同様にちゃんと役に立つ。牛小屋もだ。
「何ぞ面倒があろうか」
奥山の作業場に置いたロッキングチェアに揺られながら、クワメが答える。
クワメはもうそろそろ奥山はきついだろう。次からは強く言って屋敷に置いてこないといけない。
このロッキングチェアを貞松の作業所の余り部材ででっち上げた時は、誰からも良い顔をされなかった。ゆらゆら揺れるのが楽しいのだと言っても誰一人納得せず、試しに座った奴も、魂消え失せる思いであった等と言う始末。
まぁ、アキラは欲しいから作ったのだし、最近ようやくクワメが使ってくれるようになったので良いのだ。足を伸ばしてリラックスできるのが、やはり良いらしい。
椎の木で造ったが、樫のほうが良かったなぁ。ニスでも塗って渋く仕上げたい所だったが、まぁ良いだろう。柿渋でも塗ろうか。
柿渋の生産も去年の倍に増えていた。薄い釉薬のかかった壺が益子から大量に導入されていた。柿渋生産のボトルネックは柿ではなく壺だったのだ。
「家建てるなら何処が良い」
クワメに訊いてみるが、答えは判り切っていた。
「屋敷の傍がよい」
その足利屋敷に移転の計画があがっていた。
八幡宮のすぐ隣だ。そこは市を開く立地に今は使われているが、ちゃんとした市街として同時に開発しなおすという計画だ。
となると他の者の家も同時に移すかという話になるし、そもそも新しい屋敷の建設は大工事だ。
新しい屋敷は、手狭になった今の屋敷の面積のおよそ倍ほどの広さになる筈で、これまで屋敷の抱えてきた機能の一部が切り離されて新しい街の一部になる。例えば倉は別の立地に分散して置かれる。
屋敷の敷地の中の方が安全にも思えるかも知れないが、屋敷に出入りする人間が多くなると、怪しい奴が出入りして盗みを働くことも考えられるという。きちんと見張りを建てておけばよいという話だった。
「しかし屋敷移すやも知れぬ」
「いつ移すと」
「……来年、かなぁ」
まずは整地だろう。堀を巡らせるとなれば結構な工事になる。堀の総延長は一里ほどにもなるだろう。そうなるとこれは大事業だ。
「つまり、それまで我が家は無きと」
そうなるなぁ。
雑色や女房を雇って屋敷の主人として暮らすのには勿論憧れる。馬一頭に雇い人二人なら、都の官人の大抵の生活水準を超えている。
雇い人は農作業の労働力としても期待できるから、実のところ収穫量は変わらないか増えることになる筈だ。
屋敷の設計、製材まではやっておいても良いな。
「ええと、クワメは何か着るものでも要らぬか」
「放生会の際にでも言われれば良かった」
収穫を充てにして市で着物の生地でも買えば良かったのだ。しかし流石に合戦の分け前までは予想できなかった。
服は既製品が売られている訳ではない。生地を自分で服に仕立てないといけない。
勿論、大抵の男はそんな針仕事はできない。
結婚し妻子ある男と、結婚していない男を見分けるのは簡単だ。結婚していない男は親の仕立ててくれた服を、いつまでもぼろぼろになっても着るしかない。
アキラは例外だろう。別に針仕事が苦ではなかったので、自前で仕立てが出来る。
市が立っていない時期でも柄や色に拘らなければ、布生地の調達はそれほど難しくはない。しかし、クワメを喜ばせようと思ったら話は別だろう。
適当な柄でも、染めてみようか。
「何か良からぬ事考えおらぬか」
いえいえ、滅相もありませぬ、我が北の殿よ。
#59 肥料について
関東の平野部を広く覆うローム層の上には、多くの場合真っ黒な有機物に富んだ黒ボクと呼ばれる土の層があります。
この豊かに見える土は実のところ、極端なリン不足によってススキ以外の植生を許さない貧しい土でした。そのススキも秋を待たずに黄色に枯れるのが常でした。豊かに見えるのは、要するに腐食有機物が分解され難いというだけのことでした。活性アルミニウムを多量に含む黒ボク土は根の成長を阻害する事も知られています。
中世の広大なススキ野原は、こういうリン欠乏土壌が生み出した景色だったのです。
当時の農業知識として、家畜の糞による施肥が行なわれていたことは特筆されるでしょう。ただ施肥の対象はほぼ野菜に限られたようです。
田への施肥はありませんでしたから、土壌から流出した栄養素は減少する一方でした。稲作はその灌漑灌水によって栄養素を水中から得られる利点はありましたが、その水によって流出する栄養素も多かったのです。
黒ボク土に対して、家畜の糞による施肥はリン酸の吸着を減らす効果があります。つまりリン酸の投下効果が大きくなります。
窒素を供給するマメ科植物は黒ボク土の高酸化土壌では成長を阻害されます。そのために消石灰の散布による酸性度の調節が有効になります。作中ではまだ石灰投入は行なわれていません。海藻灰のアルカリがある程度利いているという状態です。
花咲爺さんが撒く灰が枯れ木に花を咲かせるのは、この灰の効果の認識があってのことなのです。