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#58:1019年8月 合戦

「判っておった事とは言え、やはり来おったか」


 大鎧姿の信田小太郎がつぶやく。

 太鼓の音に皆が耳を澄まして、音を数えた。四つ。これは常陸との国境にある沼の奥に建てた(やぐら)からの知らせで、旧財部郷の南から敵が侵入しつつあるという事を示していた。つまり、目の前だ。


 太鼓はここ芳賀郡で導入した新しい工夫の一つだった。

 この時代、手乗りサイズの小さな鼓しか打楽器は存在せず、アキラは底の無い桶で鼓を作れないかと益子の者に相談を持ち掛けた。結果出来上がったのが径一尺五寸の、それほど大きくない太鼓三つだった。

 但し見た目はアキラの良く知っている和太鼓とは随分違う。皮の張り方は鼓のそれと全く同じだった。まさに大きな鼓だ。

 太鼓はすぐに隊列への指示に使えることが明らかになった。歩調が揃えやすい。太鼓が単調に鳴らされているうちは前進、止まると停止、乱れ打ちで突進だ。

 次いで遠隔地からの合図に使われることになった。この時代、太鼓の音に匹敵するような人工音というのがまず存在しないのだ。


 侵攻時期も方向も過たずピッタリだ。

 ちょうど稲刈りの時期のど真ん中、芳賀郡で稲刈りが始まったことを確認して充分なタイミングでの襲来だ。

 方向は旧財部郷の南。荒れ果てた財部郷に復興の動きが見えたのを蹴散らすのが連中の目的だ。


 現状、常陸勢の動員兵力は極めて縮小していた。

 物資も馬も不足し、歩兵の動員は不可能で、騎馬の為の物資輸送にも支障が生じていた。アキラたちは、常陸勢の動員兵力を二百騎と予想していた。

 この軍勢でおこなえる軍事行動と言うのはたかが知れている。そして、春先の騎馬武者たちが芳賀の百姓たちに殺された意趣返しがまだ済んでいない。

 連中は是非とも百姓たちを蹴散らして溜飲を下げねば気が済まないし、百姓たちをいじめる程度の兵力しか捻出できない。

 こちらとしては、予想するまでも無い話だった。


 頭上で鳴り響く奇妙な音を、常陸の軍勢はどう思っているだろうか。

 奇妙な姿に鬼かと驚き、奇妙な音に凶兆かと驚く、そんな時代だ。もちろん武者はそんなものには動じないことにはなっている。だが内心はどうだろうか。



 財部郷は河岸段丘の台地の上にあった。

 台地の崖下に湧水があり、そこから用水を取った田んぼの跡、風に吹かれる夏草の草原が眼下の平地に広がっている。

 郷の周囲には空堀が掘られていた。芳賀郡の百姓たちは冬のうちからこれを掘り返して再整備し、更に荒垣を巡らせた。

 郷の入り口には板橋を掛け、木材が運び込まれ、燃やされた家屋の建て直し工事が始まっていた。

 ほんの数日前、財部郷の工事現場に行商人がやってきた。郷の再建のうわさを聞いてやってきたと言い、服や鉄鍋をあきなったが、勿論こいつは偵察に雇われた盗賊だろう。

 こういう偵察があることは予め現場に周知されていた。現場の者たちは喜んで服や鍋を買った。郷の再建を疑わせる訳にはいかない。それにどのみち、再建はするつもりなのだ。

 薪が運び込まれ、竈の煙が立ち昇るように見えた頃、それが今だった。



 郷の前まで来た騎馬武者たちは号令で弓を郷内に射掛け、その隙に数十騎が郷内に突撃してきた。

 郷の入り口すぐの坂に仕掛けた縄に脚を取られて二騎ほど武者が落馬した。が、残りは構わず、郷中央に見える障害物の後ろへと回り込もうとする。障害物から矢を射掛けられると考えてのことだろう。

 クロスボウの斉射で五騎が討たれ、しかし郷側の攻撃はそこまでだった。障害物の裏へと廻り込んだ騎馬武者たちは、そこから逃げていく百姓たちの後姿を見た。

 百姓たちは背中に何か、竹を割って並べたものを背負っている様子だった。射掛けた矢はその背負った竹盾に阻まれ、そのまま追い続けた騎馬武者は潜んでいた者が射たと思しき矢によって倒され、そうして郷内にいた百姓たちは全て郷外へと逃げおおせた。


 郷内をひととおり調べた武者たちは本体に戻ると、敵兵無し、罠無しと報告した筈だ。だが、慎重になったのか、郷内に入場してきたのは本隊の半分ほどで、残りは郷の前と付近とに分散して陣を張った。

 すぐに郷内から竈の煙が立ち昇った。

 常陸の武者たちは交代で郷内に入って休み、食事を取るようだった。


 ほぼ想定通りに状況は進行していた。武者たちにはもっと郷内に入っていて欲しかったが、警戒するのも無理はない。特に焼き討ちには。

 連中は、松明を持った百姓が近づいてきて火をつけるのを警戒している筈だ。

 周囲ぐるりと武者を配置しているだろう。

 だが、勿論、焼き討ちするのだ。


 新造された方梁(カタパルト)二基はどちらも、完全に調整の済んだ状態で近郊に伏せられていた。郷と同じ台地の上だが、木々と地形が効果的に位置を隠している。

 規模は小さく、以前つくったものの半分ほどの大きさしかない。しかし投射距離がわずか三町ほどならこれで十分だ。

 朝が近い。発射準備が始まる。


 百姓たちは皆、額の辺りに鍬の刃先を結わえていた。

 これは何か頭を保護するものが欲しくて、百姓なら調達しやすい鉄板として、鍬から刃先を引き抜いて頭に固定するというのを指導したのだが、なんか思惑と違って、刃先を下にしたU字型に額に固定している。

 まぁ何か格好も良いし、別段良いかとアキラは考え直した。


 弾に火が点けられ、発射される。すぐに大勢が寄ってたかって縄を引っ張り、スイングアームを地面に下ろし、固定する。隣でもう一基が発射する。

 弾が準備され、問題ないことを点検者が点検すると手を挙げる。点火、発射だ。


 弾の本体は揮発しやすい松根油をたっぷりと詰めた素焼きの壺で、これを俵で巻いて衝撃から保護するスタイルになっている。

 壺は蓋をして松脂で密封されており、外側の俵に火が点けられてもすぐには中身に影響しない。標的に命中して壺が割れ、中身が燃える俵の火で点火してからが本番になる。

 発射位置からは直接郷内は見えない。だが事前にセッティングは済ませてある。

 アキラたちはあっというまに、多分十分ほどで、用意した弾二十発あまりを撃ち尽くした。


 太鼓が打ち鳴らされる。信田小太郎が率いる本隊が攻撃を始めたのだ。

 アキラたちの位置からも、燃える火が見えるようになった。


 郷内には薪や藁などを積むといった、あからさまな焼き討ち用の罠は用意しなかった。

 用意したのは新造した建屋そのものだ。よくみると柱は古く乾燥したもので、屋根は(すげ)ではなく全て藁で、壁も藁、校倉の奥の俵の中身は柴木、そして荒垣も火が付けば、そこは炎の罠だった。

 勿論、すぐ燃やすために建屋を作るのは抵抗があったし、その建屋の建材にするために古い建物を取り壊して使うのにも抵抗があったし、コストもとにかく高くついた。

 だがこれも、百姓が重武装の騎馬武者に勝つためだ。


 郷を焼く炎が高く昇る。

 太鼓の音が単調なものに変わった。隊伍を組んだ槍兵が前進を始めたのだろう。常陸勢の本隊を台地から追い落とすのだ。

 アキラたちは最低限の後片付けをすると、武器を取って台地の縁の方へと走った。


 ちょうど朝の光が、崖の下の草原を照らし出したところだった。

 騎馬武者たちが草原に馬を駆っていく。

 うわ、結構な大勢じゃないか。半分は焼き殺したいところだったのに。

 だが、その勢いが草原の奥に駆け込んだ騎馬たちから失われていく。


「おお、派手にこけおるぞ」


 草原には草の下に縦横に縄が張られていた。良く伸びた(すすき)野原の根の辺りに張られた縄は、騎馬の上からは見えない。馬が脚を取られ、落馬すれば重装備の鎧武者はそれだけで重傷を負う。


「よし、近きものより射掛けよ」


 草原には所々に棒が立てられていた。それは射程距離を示している。

 そして、台地の上、崖の縁に揃った40名は皆似た条件の訓練場でたっぷり訓練を積んでいた。同じ高さの台地なんて、この辺りにはどこにでもある。

 崖の縁に伏せると、それぞれがクロスボウを撃ち始めた。撃つと後ろの者が受け取り、弦を引いて引き金にかけて渡す。こちらには人数だけはたっぷりあるのだ。

 眼下の武者たちは、弓に矢をつがえると馬の足を止めて狙いをつける。そこらの武者が走りながら矢を当てられる訳が無いのだ。

 つまり、良い的だ。


 農繁期の戦となることを予期した信田小太郎とアキラたちは、交代制で兵力を捻出することにした。七日交代で各郷から十名づつ出す。総勢千名、うちクロスボウの弓兵が計八十名、うちアキラが半分、残り四十名は信田小太郎の本隊に付いていた。残りは槍兵だ。


 広く隊伍を組み、盾を前に押したてた槍兵たちが見えてきた。

 そこで、常陸の騎馬の数が思っていたより少ないことに気が付いた。数えてみれば七十騎ほどだ。見た感じ、充分に多いようにも見えるが、元々の二百騎からすると相当に少ない。

 常陸の武者が一騎、用水に落ちるのが見えた。馬の脚を滑らせたか、いや、矢が馬に刺さっている。

 ようやく連中は台地の上のアキラたちに気が付いたようだ。だが矢を射掛けることもなく逃げる。

 もう一隊、草原の向こうから盾を組み槍を構えた百姓たちが見えてきたからだ。


 草原の東は燃える郷と台地、西は鬼怒川に挟まれ、南北から百姓たちの槍兵が押し寄せていた。

 頭に鍬の刃先を光らせた槍兵たちは、広い草原を挟んで今、常陸の武者たちを圧し潰そうとしていた。


 太鼓が単調なリズムを刻み、槍兵の列は武者たちを挟むその間隙を少しづつ狭くしていく。

 そもそも太鼓の音が異様だった。低く響く、こんな音を立てるものはこの時代存在しない。その音に興奮したらしい馬が背中の武者を振り落とした。

 その間もクロスボウは武者たちを一人づつ減らしていく。


 台地の上から矢が届くところに騎馬がいなくなったのを見てアキラは射撃を中止させた。手の空いたものに竹盾を背負わせて、皆で崖を下りる。

 先頭に立ったアキラは刀を抜いてかざした。


「残り少なき、全て討ち果たせ!」


 竹盾を背負った連中が並んで背を敵に向ける。盾の隙間からクロスボウが構えられる。

 間をおかず、周囲から鬨の声が上がる。九百の槍兵が大気を震わすような声を上げながら、乱打される太鼓の音に合わせて突撃を開始した。


 そこで常陸の騎馬たちは一か所に固まったかと見るや、一方向へ、これまで来た方向へ突撃を開始した。そう、来た方向には縄が張られていない。

 それはちょうどアキラ達に隊列の側面を晒すことになった。


「撃て!」


 アキラたちの一斉射で同時に四騎ほどが隊列を崩して倒れた。

 騎馬のうち幾つかがアキラたちの方へ来るように見え、アキラは刀を両手に持って構えたが、だが何か声がかかって騎馬たちは引き返していった。

 ここを突破脱出するのを優先したのか。ちょっと冷汗が出たぞ。

 そこでもう一斉射が飛ぶ。もう一騎を仕留めた。しかしあれだけ矢が刺さっていて大丈夫なのか。鎧武者たちは平均して三本くらい矢が刺さったままのように見える。

 やがて騎馬武者たちは射程の外へと逃れていった。


 信田小太郎の本隊と合流する頃、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。

 連続して八つ。それは敵の撤退を意味していた。


     ・


 後で数えたところ、武者百二十四人が死に、四十五名が負傷して捕虜となったという。戦場を離脱して常陸へと落ち延びたのはおよそ三十騎程度らしい。

 こちらは死者二十一名、負傷者百十八名、圧勝と呼ぶべき戦果だった。これが武者を含まないほぼ百姓のみによる戦果であることを考えると、奇跡の大勝と呼んでもいいだろう。

 常陸はこれで常備戦力の中核を失ったことになる。もはやいくさをおこなう事はできまい。いや、常陸の統治すら、もやはおぼつかないのではないか。

 信田小太郎は、捕虜たちの右手人差し指を切り落とした上で解放した。まともに矢を引けなくなった彼らはもはや戦力ではない。


 信田小太郎は戦没者の法要を盛大に行うと発表したが、とりあえず今はそれどころではない。戦没者の遺族を弔問に訪れ、彼らの喫緊の問題、生活を助けねばならない。特に稲刈りの時期である。人手を手配し、足りない時はアキラも稲を刈った。


 祝宴も無く、忙しい信田小太郎を置いて、アキラは足利荘へ帰路についた。

 アキラ自身の田の稲刈りはこれからなのだ。

ランチェスター則のいわゆる交換比は1.5程度としました。

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#58 クロスボウについて


 日本においてクロスボウ、いわゆる(おおゆみ)は弥生時代から出土のある武器で、律令の軍制においても弩は主力武器として、製造者である弩師と共に制度化されて配置されていました。

 宮城県栗原市の伊治城跡から発掘された弩の引き金機構、機は5個の部品から構成され、部品のうち4つは青銅製、一つは鉄製、国産品であると考えられています。機構としては中国の漢代のものとほぼ同じ機構です。これは8世紀後半に陸奥国に派遣された弩師の手によるものと考えられています。

 これは良く出来た機構で、弦を掛ける掛け金と引き金の間にもう一つ連動ラッチが入っていて、引き金を引く力を小さく出来、掛け金が外れる反動を手元に伝えず、同時に引き金と掛け金の可動範囲を小さくすることでそれぞれを元の位置に戻しやすくしています。


 9世紀に入ると、わが国独自の強力な弩が発明されます。これは大型で脚が付いており、この据付式のものは単に弩と呼ばれ、従来の弩は手弩と呼ばれるようになります。

 894年の寛平の入寇では、扶桑略記によれば百名の守備隊は盾を立てて弩を撃ち、三百名(日本紀略によれば200名)を指揮官含めて射殺し、2500名の軍勢を敗走させています。

 しかしこれは守備体制は百年後の997年には崩壊して存在していませんでした。1019年も、西国にはもう侵略者に対して使用される弩の姿はありませんでした。

 東国ではもう少しだけ使われることになります。前九年の役では厨川柵で使われたことが陸奥話紀に見えます。

 伊治城跡発掘の機は手弩のものだと思われます。部品は鋳造で高度な技術を必要としました。更に銅の枯渇は機の製造を困難にしたでしょう。


 アキラの作った弩の引き金機構はわずか二個の鋳鉄部品から構成されています。五個の部品からなる機は照星をレバーとして引き起こすことで引き金や掛け金を発射位置に戻せますが、アキラの機構にはこれがありません。扱いにはコツが必要となったでしょう。

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