#54:1019年7月 製油
ひと息ついて、これまたひと息ついた産屋から頂いてきた麦湯を池原殿と飲んでいる最中に、アキラは切り出した。
「そろそろ試さねばなるまいと」
「何ぞ」
「菜種絞りを」
屋敷の油不足は深刻だった。もうほとんど屋敷の油は使い果たされていた。
という訳で、アキラは菜種油を灯明油として大いに充てにしていた。明かりが無いと、測量図の書き写しという一大作業が難しくなる。
今年の春は忘れずに菜種を刈って干し、叩いてよく種を落としたのが一斗桶三つ分あった。
これをどうやったら菜種油が採れるのか、擂り粉木で潰してみたが油として分離できる訳ではなかった。潰した粉をぎゅうぎゅうと体重かけて押しつぶして、ようやく油が滲んだ。
必要なのは圧力だ。
という訳で作ったのが試製菜種プレス。小さな木臼の下に丸太を入れ、臼の中の菜種を短い杵で圧力をかけて潰す。杵は横木を付けて、臼の下の丸太との間に縄をかけて動滑車で引っ張るのだ。
「なんぞこれは」
貞松の作業場の隅にあった代物を見て、呆れ声が池原殿から漏れる。アキラは構わず、床に落ちていた縄を取り、池原殿に持たせる。
「こちら持ちて引っ張られよ」
アキラは別の縄を掴むと、二人して息を合わせて引っ張った。
しばらく引っ張ったがめぼしい手応えがなく、アキラたちは縄を軒にかけて体重をかけてみたり、勢いをつけて引っ張ってみたり、しかしそのうち、
「いかん、止めよ」
「如何にした」
「臼が割れおるぞ」
圧力に木臼が負けてしまった。
・
移住者の家作りから戻ってきた貞松を加えて反省会だ。
木工課程の大学生たちも一緒だ。壊れたプレス機を分解しながら適当なことを言っていく。
「木臼で駄目なら、石臼ではいかがか」
「牛馬使うのはどうか」
どれもちょっとの改良でうまくいくという話ではない。
反省会を打ち切ると、貞松が板を持ってきて、ちと良いか、と聞く。
「何ぞ」
「松の板も蒸せるか」
板を受け取るが手がべとつく。松脂だ。板の端からちょっと垂れている。
「まぁ、蒸せるかと」
「そうか、ならば」
舟材として松が使えないかという話だった。粘りのある松は舟の材料に向いていると聞いたことがあるそうだ。
杉板を作るのに夢中ですっかり忘れていたが、近ごろ松材が運び込まれてきて思い出したという。
「待て。松の脂の盛大に出るぞ」
池原殿が言う。
「蒸し箱が松脂だらけになろう」
松脂って膠代わりにならんかなぁ。松脂だらけになるって事は、松脂を採取できるという事ではなかろうか。
そいえば、松根油って聞いたことがあるな……
「伐ってきた松の、その根のほう、掘り起こし運べようか」
聞いてみる。
「根までは知らぬぞ。如何にした」
アキラは言った。
「松の根より油採れると聞いた事あります」
・
松の木を運んできた男に問い合わせて、松の根の手配は出来た。代は屋敷の年末のツケだ。もし油が出来なければアキラはその失敗を糾弾されるだろうが、アキラは楽観していた。
それより今は試したいことがある。
益子で焼いてもらった、それは奇妙な焼き物だった。
これは三つの部品の組み合わせで、まず一番上が径一尺ほどもある底の盛り上がった陶器だった。要するに鍋なのだが、鍋の底がジンギスカン鍋のごとく盛り上がっている。この鍋には普通とは逆に、裏側の底のほうに釉薬が掛かっていた。
その下に円筒状の釉薬のかかった陶器が入り、これらが一番下の素焼きの平底容器に重ね被さる。器の間に隙間ができるのは仕方がない。これら三段重ねはアキラの手捏ねによる代物だ。というか隙間が無ければ安全弁でも仕込まないといけなかっただろう。
三段重ねの二段まで積んだところに松材の割れたものや木屑を入れ、その上に鍋を被せて竈の上に置く。一番上の鍋に水を注ぎ、そして竈に火を焚く。
元々これは酒の蒸留のためのものだった。一番下の容器に濁り酒をたっぷり入れて火にかければ、揮発成分が一番上の水の入った鍋の底で冷やされて、液化したものがその鍋の底を滴り落ちると、それはその下の円筒陶器の側面に落ちる、そういう目論見だった。
円筒陶器の内部側面には、その滴り落ちる成分を受け止める溝と、それを容器の外に出す穴が付いていた。その穴は陶器外部に突き出した小さな注ぎ口のような出口に続いている。
この実験がうまくいけば、松の根から油を採るのも同じような方法になる筈だった。この小さな装置で条件を詰めれば、例えば木材で全て作ってしまえるかも知れない。
「燻りし煙の中に脂があると云うのは判る。しかし油取るというのは判らぬ」
池原殿と蒸し小屋で準備しながら話す。
「水を湯沸かせば湯気出ましょう。あれが屋根や壁で水垂れるのと同じこと」
この容器の内側が屋根や壁の代わりになるのだとアキラは説明した。
「それは水のことであろう」
「脂が水と同じ様であるなら、油もそうであろうかと」
なんか目が痛くなってきた。
それでも我慢していると、白い煙が容器の隙間から出てきた。
「何ぞ臭き。何焦がしおるか」
吹き出す勢いが強くなってきて、アキラは竈の火勢を弱めた。
しばらくすると容器側面の出口から液体が滴り、その下に置いた壷に落ちた。これまた臭い。というか、期待していた油じゃない。焦げたような強い臭いと少し刺激臭、
「油採れたか」
「いえ、これは」
油では決して無い。しかし折角出たものである。取って置こう。もしかして、これが焦げる臭いの元なのか。
「焦げ酢水であります」
適当な事を言っておく。
さて、蒸す方はどこまでやればいいのかわからない。そのうち液体の滴りも止まって、薪の柴が綺麗な灰になるまで待って、ようやくアキラは容器に手をかけた。
うわ。
側面の穴が、これは松脂で埋まったのか。側面は褐色の松脂で覆われていた。油はどこか。がっかりしながらアキラは漏斗の底から竹ベラで松脂をこそぎ取ろうとした。まだ柔らかい松脂はバターのようだ。
手際を間違えて、松脂の塊をひとつ落としてしまう。塊は竈の中に転がり込んだ。
まだ暖かい竈の中から急いで取り出す。灰まみれだ。表面の灰をこそげ落とせばまだ使えるか。
油を入れる筈だった小皿の上で灰をこそげ落とす。取れた松脂と灰の混合物を掌で丸めて、
そこで気が付いた。
手の脂が取れていないか。
石鹸って油脂とアルカリ、だったっけ。たしか牛の脂と海藻灰だったか。
殺傷禁断のこの時代、牛脂は手に入らないものの代表格だった。
しかし、いや、植物性油脂、でも良かったのではないか。つまり松脂だ。
松脂で石鹸、作れやしないだろうか。
まだ柔らかい松脂を削ぎ取ると器に移す。これは膠の代わりとして本格的に使える量だ。
アキラは特に黒く粘りの強い松脂を選んで分けた。
「貞松に持ち行こう」
池原殿はそれを持って貞松の作業場に向かう。
残ったアキラは、焼き石灰を潰したものを少しばかり持ってくる。これは貞松から分けてもらった漆喰用のものだ。石灰を焼くときに塩を入れていると聞いていた。
透明な松脂を更に別の器に取ると、灰と砕いた焼き石灰を入れて潰し混ぜる。
松脂が柔らかくなり、灰と石灰が練り込まれて白くなる。
しばらくしてクリーム状になったそれを器の中に静置する。固まるか不安になってきた。だがとにかく静置だ。
・
油が取れなかったのは、そもそも蒸した部材が松の根ではないからだろうか。松根油と言うからには松の根が要るのだろう。
とにかく油は採れなかったのだから、今は別の方法を考えねばならない。
そもそもちゃんと菜種から油を採ることが出来ればそれでいいのだ。
要るのが圧力なら、面積当たりの力なんだから、面積の方を小さくすればいい。
貞松に相談すると、やはり臼は石が良いのではないかと言う。
「小さき臼で良いなら、河原で石でも拾ってくれば良かろう。窪み穿ちて、窪みに入れた菜種を鑿のごときもので潰せば、目代の言う通りになろう」
では、鑿を一本くれ。何か使い物にならなくなった奴で良いから。
「かような鑿は無い。鉄棒でも削られよ」
まぁ、自分のところの道具は使わせてくれないよな。
しかし、無理を言って岩を削る玄翁を借りることが出来た。あとで返す事にはなっていたが、菜種絞りにちょっと使う事は織り込み済みだろう。
清水川の河原で拾ってきた石の頂部に、玄翁で窪みを掘っていく。
軽く溝が掘れたところで菜種を溝に入れ、玄翁を上に置いて木槌で叩く。
油が石の上に滲む。
溝を深くして一度に処理できる量を増して、木槌で叩いていたが流石にこれは疲れる。というか静的なプレスにすべきだろう。
産屋の庇下のクワメの横に腰を下ろす。
クワメはアキラに一瞥もくれず熱心に麻糸を撚っていた。すぐ横には、アキラの作った撚り糸車が放置されていた。
「使わんのか」
「手の方が早い」
クワメは即答した。
まぁ、そうだろうなぁ。自分で使ってみても、これは手慣れた人間より遅いだろうと思ったものだ。
アキラの作った撚り糸車の特徴は、糸車そのものは回転しない点にあった。糸車に糸を巻いていくアームが同時に糸に撚りをかける。人間は麻の繊維の繋ぎ目で継ぎ足しに集中すれば良い、という理屈だ。
だがどうもアームの回転の為のハンドル操作で手元の糸の継ぎ足しがおろそかになるらしい。ここでどうしても調子が変わってしまう。そういう訳で、全てのタイミングが手元次第な手撚りのほうが良いという事になってしまうらしい。
回転は足踏みに任せるくらいでないと駄目か。
麻糸の面倒なのは、その元となる麻の繊維が中途半端に長いことだ。その長さは、元々育っていた茎の長さと等しい。そして、細い糸ほど珍重されるという別の理由が加わると、麻糸作りは、細い繊維の端を繋いでいくという機械化できそうにない工程になる。
つまりアキラの作った撚り糸車は、ある程度麻糸が太くなる事を許容しなけらばならない。
根本的に、アキラの撚り糸車はどうやっても人気は出ないのだ。
「もう一度作りなおす」
アキラは立ち上がり、放置された撚り糸車を手に取ると、歩き出した。
そろそろ石鹸が固まっている頃合いか。
・
柔らかい塊ではあったが、固体と言えば固体というところか。
端を小刀で採り、小さな欠片を手に産屋の前の手洗いに行く。溜めた水を柄杓で取ると欠片を持った手に掛け、欠片を両手で揉んだ。小さな泡が幾つも立つ。
掌の内側は綺麗に汚れが落ちていた。
石鹸が出来たのだ。
#54 乾留について
各物質の沸点の差を利用して分離する手法の一つに、蒸留があります。
物質を熱して放出されたガスを、それぞれの沸点に合わせた温度の凝縮器で液化する、こう聞くと簡単な気もします。しかし凝縮器の温度をどうやって制御するか、それを考えるだけで頭痛がする話です。
中世や近世だと、凝縮器は鉄鍋でこれに冷却用の水を入れます。冷却水はそのうち熱を貰って暖かくなるので、これは比較的広い水温を許容しなければいけないでしょう。鍋の底となれば更に温度制御は難しいことになります。
例えばこういう装置で原油を精留した場合、得られるのは灯油やガソリンではなく、それらが混じった油になるでしょう。
最初期の精留装置は10世紀に中東で現れ、やがて東西に伝播していきます。日本への伝播は16世紀、らんびきという機器としてでした。これは先立って15世紀に琉球に伝来しています。
らんびきは二段重ねの陶器のポットで、蓋に当たる部分の二段目に冷却水を満たすことができるようになっていました。この二段目の底が凝縮器となって、一段目に入れられた液体から加熱によって放出された成分を液化します。液化されて垂れた雫は容器内壁を伝って溝に誘導され、容器の外部へと取り出されます。
凝縮器が陶器なので熱伝導はあまり良い方ではありません、水冷していても冷却には問題があります。また、陶器ごと火にかけられる温度が加熱の限界でしょう。
らんびきの使い道として蒸留酒の製造がありました。琉球では泡盛、内地では焼酎です。米焼酎は清酒製造後の酒粕を使う事でゼロコストで原料を調達することができました。
大戦中の松根油の採取には乾留器が使われました。乾留とは、ただ原材料が固体であるという程度の意味です。密閉容器内で松根を加熱し、揮発した成分を液化して採取するというプロセスに変わりはありません。さまざまな物質が同時に採取できてしまうので、実利用に際しては更に成分分離が必要でした。