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#52:1019年6月 足尾

 翌日、アキラたちは足尾谷に足を踏み入れた。

 大木生い茂る深山を透かして、あちこちの山肌に地崩れが見えた。この辺りはあまりに山肌の傾斜が大きく、その土は元々火山灰で緩かった。

 木を伐り草を刈って、足尾の境界近くまで真新しい道が作られていた。

 山の険しさは次第にごつごつとした岩肌を見せるものになってきており、ここまで道を作った事はそれだけで称賛に価した。

 上野と下野足尾の境界らしき岩陰には、至安蘇郡足尾とうっすらと彫られた字が読めた。


 そこから先に道は無く、アキラと古部三郎の二人だけで荷を背負って奥地に足を踏み入れることになる。

 古部三郎は塩水を染み込ませた布をアキラの手足に巻かせた。蛭除けだという。


 藪をこぎ草を薙ぎ、木々の茂る中、木に印をつけながら進む。

 花輪村の住人が足尾谷に入るのは、上流で流木が川を堰止めて土石流の原因になるのを防ぐため、ほんの時々だという。河原を遡るのだという話だったが、同時に、河原を通るのをアキラたちには決して薦める事は無かった。


 陽が高く昇るころ、二人は河原に出てみることにした。

 谷底の河原は白い岩で輝いていた。岩の上を歩いていければ楽なように一見見えるが、こういう深山では河原は足場が危うく、開けていても決して歩きやすい場所ではない。

 それでも二人が河原に出るのは、鉱石を探すためだ。


 砂を攫っていた古部三郎が見よ、とアキラに声を掛ける。


「贋金だ。確かに銅あろうぞ」


 掌にあったのは、金色に輝く黄銅鉱の小さなかけらだ。


「もう少し上であろうな。流れ来るからここにある」


 慎重に川原の岩の上を伝い登り、川上を目指す。

 転がる白い岩に青い筋が走っているのが見える。これも銅か。白い岩にコントラストを強調するように砂は黒く、これは鉄だろうか。

 

 陽の落ちる前に谷間に開けた土地に出て、アキラはそこにテントを張った。薪を集めて火を熾し、組み立て式五徳に小さな鉄鍋を掛けると粥をつくる。

 テントは二人には狭く、古部三郎はくさかった。しかも虱を飼ってやがる。


 翌朝アキラは荷物からツルハシを組み立てた。

 斧と山刀で適当な流木を柄に加工する。柄を頭に嵌めると隙間に鉄の楔を打ち込む。


「それは何ぞや」


 もしやこの時代、ツルハシは無いのか。

 道理で鍛冶屋が色々言う訳だ。鍛冶屋はツルハシの先端が一体となった構造にまず文句をつけた。あまり大きくないツルハシだが、それでも鍛冶屋には十分すぎるほど大きい鉄塊だったのだ。こんな贅沢に鉄を使う道具はあまり無い。


鶴嘴(つるはし)ぞ。岩砕くに使う」


「岩砕くと。ほう、遣りてみよ」


 アキラは目を付けていた露頭を、両手で持ったツルハシで砕いてゆく。

 思ったよりずっと大変だ。硬い所はこれは無理だ。岩がスラグ状になった部分が適当に混じっていた御蔭でサマになってはいるが、これは思っていたのと違う。


 しかし古部三郎の反応は違った。


「確かに岩砕きおる。鍬では難しき山ぞ思っていたが、このツルハシ使えば違うやも知れぬ」


 アキラはツルハシを古部三郎に手渡す。


「よし、色々岩試してこよう」


 そのまま山の方へ突っ込んでいく。

 アキラは炉作りの準備をすることにした。持ってきたのが小さな革ふいごなので、つくる炉も小さくなる。

 まずは薪だ。これは大量に要る。それに柴垣にも使う。


 アキラたちは翌日も精力的に働いた。周囲の草を刈り、アキラは動物罠を幾つか設置した。人のあまり入らない深山ならば思ったより効果があるかも知れない。

 木を伐り、柱に加工する。いつまでもテント暮らしという訳にもいくまい。柴木があまり無いので薪に困るかと思ったが、普通に木を薪にすればいいのか。

 細い木でざっくり柵をつくる。この程度では大型動物には突破されるだろうが、無いよりはましだ。

 床を掘り、柱を立てて、細い木や枝を屋根に差し掛けていく。一人で家を作るのは大変だ。


 気が付くと、炉がほとんど出来上がっていた、その周りに採ってきたらしい岩石が積み上げられている。古部三郎も独り黙々と作業をするタイプらしい。


「そろそろ試すぞ。駄目ならそうと早く判る方が良い」


 炉の内側には泥が塗り込まれていた。泥は白く、これは平良衡が安蘇郡で調達してきた石灰岩を焼いて砕いたものが混ぜられていた。石灰を調達する伝手があって良かった。


 薪と岩石が炉の中に交互に積み重ねられていく。小さな炉なのですぐに一杯になる。

 火が付くとしばらくは普通の焚火のように薪を抛り込んでいく。しばらくして革ふいごを使い風を送り始める。しばらく続けたら交代だ。

 ひたすらひたすら、革ふいごを使い交代を繰り返す。

 暑い。熱い。


 やがて、濃い煙が立ち昇り始めた。

 色がおかしい気がする。

 風が変わり、煙がアキラたちのほうに流れた。

 強烈な硫黄臭が鼻を突く。やばい。この煙はいかん。毒だ。

 アキラたちはしかし、頭を低く下げてふいごを使い続けた。ここで止める訳にはいかない。


「この煙、虫除けに良かろう」


 いやいや、そんなものじゃ無いよ。


 炉の下に薪を足す。煙を手で払い炉の中を上から覗いてみた。薪が燃え尽きて中が崩れて落ち込んでいる。

 古部三郎は逆に下から、炉の火口から中をのぞき込む。


 しばらくして、もう良かろう、と古部三郎は言った。

 ふいごも薪もここまでで良い。

 二人はその場にへたり込んで、しばらく動かなかった。腕がもう動かない。


 暗くなる前に二人は川で体を洗い、そしてそのまま寝てしまった。


 翌日はまず飯を炊いて体にカロリーを入れ、そして炉の解体をはじめた。


 この時代、たたらに限らずこの手の炉は一回きりの使い捨てである。石で造っても鉄を溶かす高温では石が火に食われる、という事だった。だから最初から食われること前提で、炉の内側は粘土で作られる。

 ある程度解体が進むと、古部三郎の手が慎重になった。

 木の枝で泥と灰をほじり、やがてでこぼこした黒い塊を取り上げた。


 古部三郎はツルハシでその黒い塊を軽く叩いた。ぽろぽろと黒い物質が剥がれ落ちる。

 しばらく叩いていると、そのうち明らかな銅の輝きが見えた。但しほんの僅かだ。


「贋金には石灰を使えという話であったが、量がわからぬな」


 どういう事だろうか。


 考えてみよう。

 まず、あのいやな煙だが、硫黄臭がしたので元は硫化銅か。焼いて硫黄が酸化して硫酸に、げっ、なんてこった。

 硫化銅は酸化銅になった訳で、あとは還元だ。そこで石灰と言う訳か。


 必要なのは、硫酸の煙対策、石灰の調達と運搬、そして燃料か。馬で石灰と燃料を運搬できるようにすべきだろう。

 硫酸の煙は煙突でどうにかならないものか。いや、どうせだ。石灰でまとめて処理してしまえばいい。

 煙を水に潜らせて、その水に石灰をぶち込んで中和するのだ。そういう沈殿池を並べて作るしかないだろう。

 あとはふいごだ。人力はきつい。水力でどうにかならないものか。


      ・


 翌日アキラは一人、足尾谷を更に遡った。

 今一度、千年後の山登りのルートを辿るのが目的だ。

 勿論、地形は全く違い、見覚えも全くない。これほど深く木が生い茂っていては、二十一世紀の記憶なんてものは全く役に立たない。

 しかし、何か手がかりがあるとすれば、ここだ。


 一度足を滑らせて川に落ちた時はその激しい流れに死を覚悟したが、その後は用心したこともあり危なげなく進むことが出来た。但しびしょぬれだ。

 水の流れは少なくなり、やがてなんとなく記憶にある大きな谷の分岐点に辿り着いた。ここから西に少し入った、よな……

 

 暫くしてアキラは、足元がそう危なくないことに気が付いた。周りの木は下生えも少なく見通しが良い。

 森の中に入る。獣道を見つけ、辿る。

 いや、これは本当に獣道か。

 草原に出る。

 

 谷間に広がる草原の向こうに、こんもりとした小さな森が見えた。


 近づいていくと、木々の間に黒く焼けた木材が見えてくる。

 どうやら数軒、火事で焼けた家があったようだ。


 草原の中の小さな道の中ほどの道端に、小さな岩があった。

 この岩に、見覚えがある。


 アキラは振り向いた。

 見覚えがある。この風景に見覚えがある。


 アキラは走り出した。

 家は三軒あった。小屋も三軒、家の周りには奇麗に刈り込まれた雑木の生け垣があった。

 すごく奇麗な茅葺きだった。壁は白く、思えば漆喰を塗っていたのか。

 今思えば全くおかしな建物だった。あまりにも民家っぽい民家で、アキラはここにいた当時、全く疑問に思う事も無かった。

 礎石の上の四角の柱と床、短い縁側と土間、確か囲炉裏もあった。

 この時代の民家にはありえない構成だった。


 森の木は裂け、雑木は藪になっていた。

 視界が開ける。


 黒い塊だ。数本残る柱が黒く立っているだけ、あとは全て焼けて、灰と燃え残りになっていた。


 焼け跡を歩く。

 赤い花が咲いている。これはケシの花か。


 いつ焼けたのか。灰は皆流れたらしい。焼け跡に草が生えている。一年以上前か。

 動物が荒らした跡がある。

 玄関があった筈の場所から土間に入り、板敷き間があった場所に立つ。


 ここだ。アキラはしばらくここに住んでいた。

 その頃アキラは何故か自分の境遇に疑問を持っていなかった。こう思い出しても、記憶全体が今でも何か靄にでもかかっているような感じがする。

 寝る場所と食事を与えられ、裸足で山野を歩き木を削り、仕事をこなして暖かい食卓を囲んだ。

 あの人たちは……

 アキラと比べても背の高い人たちだった。

 頭に小さな角が、たしかにあったことを、アキラは思い出した。

 何故か、それも疑問に思うことは無かった。



 立木の下に座り込んで考える。

 あの人たちは何だったのか。

 アキラの今の状況には誰かの目的があったのだろうか。いつもの疑問に立ち戻る。

 推測するだけ無駄なのだろうが、ちょっと考えてしまう。


 目的は歴史改変だろうか。それなら何故明らかに知識の足りていないアキラが選ばれたのか。知識があると無効になるタイプの歴史改変モノのお話もあるっぽいし、そういう奴なのだろうか。歴史の修正力とかそういう奴だ。

 アキラはもう結構色んな事を既にやっていると思うのだが、しかしそれらも全て無駄になるのだろうか。


 歴史改変と言うと、復元力とか修正力とか何とかで全てチャラになるか、盛大にやるかの二択だと思うのだが、アキラというチョイスは前者の分類に入るのでなかろうか。

 少なくとも盛大では無い。地道に過ぎるだろう。

 つまり、好き勝手にやっていても、アキラをこの時代に送り込んだ奴の目論見通りになるという事だろう。そう考えると気が楽になった。

 

 ちょっとうつらうつらして、起きると陽がずいぶんと低い。

 陽が落ちるまでに古部三郎と合流できるだろうか。

 アキラは急いで来た道を戻り始めた。


    ・


 アキラは、足尾谷の奥の事を誰にも話さないことに決めた。

 黙ってさえいれば、ただの火事で焼けた小屋の跡に過ぎない。恐らくは中禅寺の僧が言っていた足尾谷の鬼とは、あそこに住んでいた人たちの事なのだろう。

 彼らは何処に行ってしまったのか。ひと月ほど助けて、そして何故放り出したのか。今助けが欲しかったし、そもそもずっと助けて欲しかった。


 翌日は古部三郎が山に籠るための準備だ。荷物は全て置いていくことになる。

 古部三郎はしばらく山を調べ、銅の作り方を更に試す。食料と木炭、そして石灰は補給する約束だ。木炭は古部三郎も自分で作ると言っていたが、本格的な操業には花輪村からの補給が必要だろう。

 馬の通る道が出来れば更に人を送り込んで、本格的な採掘と精錬をおこなうことになる。その頃までには大きなふいご、アキラが考えているのは唐箕だったが、それを持って来よう。


 翌日の朝、アキラは小屋を出発して花輪村へと向かった。

 来る時には道筋の半分は河原だったから、河原を使わない道筋を新たに切り開かないといけない。

 行きの際に切り開いた道に辿り着けたのは、日も遅くなっての事だった。


 真っ暗になる前に河原に出て、大きな岩の上によじ登り、刀を杖に姿勢を固める。

 蛭のいる森の中で寝るのは問題外だ。開けた河原なら蛭が落ちてくることは無い。それにここなら少なくとも獣が近づくのはわかる。

 夜半、うとうとしたころ何やら獣の気配が河原であったが、やがてその気配も消え、そのうち夜が明けた。

 そのあとは順調に山を下りることができた。


 花輪村が見えるところまで山を下りたところで、眠たいアキラの脳裏に、一つの疑問が浮かんだ。


 足尾谷のあの人々、角の生えた人々は、なぜあそこにいたのだ?

ちなみに作者は、歴史の修正力とやらが大嫌いです。好きな時間モノは短編なら「ミラーグラスのモーツァルト」長編だと「タイムスケープ」

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#52 精銅について


 日本における銅生産は7世紀にまで遡るものと思われています。それ以前の国産青銅器の生産には大陸からの輸入青銅が用いられました。

 国内産銅の精錬には、初期にはより容易な酸化銅、孔雀石や藍銅鉱からの精銅が行われましたが、7世紀後半に山口の長登銅山が稼働し始めると、黄銅鉱のような硫化銅を精錬することが可能になったものと思われています。

 酸化銅の精銅は加熱で溶解し、送風で酸化して還元物を得る手法で、これが銅精錬の基本でした。硫化銅では更に脱硫、硫黄分の除去が必要になります。


 硫化銅は江戸時代だとまず焼窯で30日かけて焼いて硫黄をある程度飛ばしますが、これは完全なものではありません。

 次は木炭と融剤と鉱石を炉に積んで、ふいごで送風しながら焼く素吹き行程で、ここで銅を含む金属塊が溶解して炉の底に固まります。

 アキラは誤解していますがこの時点の石灰は融剤、フラックスで、銅鉱脈を含む白い基岩、つまり石英と共に融剤として融点を低くすると同時に、鉱石に含まれる鉄分と結合してケイ酸スラグとなります。

 黄銅鉱は鉄などのさまざまな金属を含んでいて、例えば鉄は20パーセント以上にもなり、そのため鉄を除去することは精錬の重要な工程でした。このスラグはカラミと呼ばれ、剥ぎ取ることができます。

 この工程が素吹き、これで得られたカワと呼ばれる金属塊を更に溶解させて、カラミとして鉄を分離し硫黄を除去するのが真吹法です。

 この工程には高熱が必要で、真吹法では強く空気を吹き込んで、硫黄分が酸化されて亜硫酸ガスとなり発熱、これが必要な高熱の一部を作りました。この工程は転炉の仕組みに例えられることがあります。ここで亜硫酸ガスが大量に排出されることになります。

 真吹行程を終えた時の銅の純度は90パーセント程度、この段階の銅は荒銅と呼ばれます。ここからの精錬はまだ他の成分を多量に含むため高度な技術が必要になります。

 例えば黄銅鉱は金銀も含んでいて、これは鉛を加えて南蛮吹きと言う技法で分離することが出来ます。


 国産銅の生産は10世紀には途絶し、銅製品の枯渇が宋銭の輸入というかたちで補われるまで続くことになります。国産銅の生産は15世紀まで空白となりますが、これは従来の鉱山の鉱脈の枯渇、国策として、また地方官の栄達の手段として鉱山経営が顧みられなかった事、そして硫化銅の精錬手法が広がらなかった事などが理由として挙げられます。

 銅枯渇の影響は、例えば今昔物語集中の釣鐘を盗む話などからも推測することができます。釣鐘一つからどれほどの青銅が採れたか、仏像需要を考えれば買い手はいくらでも居た筈です。例えば更級日記の中で作者が逢坂の関で見た、作りかけの丈六、つまり高さ5メートルの仏像は木造でした。屋外安置の大型仏像も木製にするしか無かったのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白くて勉強になります [一言] アキラが完璧すぎず、ちょいちょい勘違いしてるのがリアリティあっていいですね
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