#48:1019年4月 近郷
「目代殿」
新しい測量盤の出来をチェックしていると声を掛けられた。
「測量の術、子に教われよと申されたか」
山田の郡司から派遣されてきた男だ。どこぞの郷長の息子だったか。
アキラは測量部隊の教育に追われていた。足利荘のではなく、他の郡、芳賀郡と山田郡から派遣されたものがおよそ10名、新殿に寝泊まりしていた。
それだけいると、アキラ一人で教えるというのはきつい。アキラも忙しいし、教育の大半は屋外での実習だ。すると測量に慣れたものに、つまり子供に教育を任せるという話になる。
「昨日申した通り、あれらは測量の術全て修めた者であれば、心配なく良く学ばれよ」
「せめて目代殿から教わる訳には出来ぬか」
もしやこの男、昨日から全く測量の学習に参加していないのか。フタロウとアサマルに丸投げしていたツケだな。
しかし、ここでアキラが教えるというのはまずい。アキラも忙しいし、技術指導者制度を構築する、つまり能力のある子供に丸投げするという方針にも反する。
「フタロウもアサマルも、吾よりよっぽど上手き故」
吾も時々あの子らに学ぶのですぞ、とちょっと嘘もつく。
男の背中を叩いて、
「良く学ばれよ、さもなくば郡司殿に申し訳立たぬ、そうであろう」
と念押しした。
・
山田郡の郡司が測量、つまり検田に強い意欲を見せているのは、それが別の郡、勢多郡との係争に絡むからだ。
山田郡の土地はざっくり、太日川の西、そして桐生川の西となっている。一方、勢多郡は赤城山のぐるりという事になっていた。これは太日川の西岸が同時に赤城山の麓であるような場所で問題となる。
昔は耕地はずっと下流で山地の利用は限られていたから、こんな雑な仕分けでも問題は無かった訳だが、炭焼きで山地利用が進んだこの今の時代、山地も奪い合いの対象だ。
さて、太日川のずっと上流、渡良瀬渓谷の中ほどに村が一つある。
過去の逃散した住民が作った隠れ里だったが、流石に人口が増えてくると隠れてもいられなくなる。
この村がどの郡に帰属するか、山田郡の郡司は検田で確定しようとしていた。
山田郡の郡司の打った手はもう一つあった。
貞松の作業場では、一枚の巨大な板が槍鉋で削られていた。鋸で切り出した板をわざわざ槍鉋で削るのは古風に見せかけるためだという。
「文面はこれにて、尼女御にお渡しあれ」
渡された紙には、豊作祈願のために絵馬を奉納するという内容に貞観戊戌年、山田郡花輪郷一座の署名のある文面があった。この文面で尼女御に絵馬に書いてもらうのだそうだ。
要するに、山田郡に帰属していたという過去を偽造しているのだ。
山田郡には延喜式の式内社が2柱、つまり充分に古い神社がある。そのどちらかに置くのだろう。
「適当な馬描いて、あとは柿渋で古び見せて、表に晒し置けばよかろう」
山田郡の郡司はそう言うが、雑な話だとアキラは思う。
山田郡の郡司は古い郡司の家系にも関わらず武者のような髭を伸ばした、野心的な男だった。武者のような太刀も佩いていて、自分の郡を脅かす賊党は自ら討つと公言していた。
気骨のある人間に見えるが、官位を夢にまで見るという酒に酔った時に漏らした告白はちょっと切なかった。
この郡司が足利荘に近づいたのは筋交い橋を見てからだ。もともと目端の利く男であったが、あの橋を見て目の色を変えた。
無理もない。太日川の上流に行けばわかる。
山田郡は太日川に分断されていた。太日川の東岸である桐生は桐生川の西岸でもあったから山田郡なのだが、ここは実質足利と言っても良かった。同じ太日川東岸の足利のほうが交通に便利なのだ。
太日川の上流ともなると、川は渓谷になって舟で渡ることも難しくなる。渓谷の幅は狭い所でおよそ十間。この時代の既存の工法ではこの30メートルの距離を超えて橋を架けることはできない。
しかし、もしそこにスパン十間の橋が架けられるなら、山田郡は実質倍の広さに拡張される。
貞松の作業場にも技術を学ぶために山田郡の人員が送り込まれていた。
そして勿論、芳賀郡の人員もいる。
目の前を、最終タイプのカタパルトが分解されて搬出されていく。これから太日川の河原で据え付けと舟積みの検証を行うのだ。
方梁と呼ばれたその装置は既に昨日、飛程の測定を済ませていた。
アーム長は4間になり、2間の杉材を継ぐ組み立て式になっていた。飛程の調整は、結局紐の長さで行うことになった。木箱に水を入れることで重りとすることにしたからだ。これで重りの重量をきちんと毎回合わせることができるし、重りも水だから現地調達出来る。木箱には水がこぼれないよう蓋まで付いていた。
ただ、昨日は検証試験のあとで重りから水を抜くのが大変だった。手桶で少しづつ水を汲んで捨てたその反省を生かして、木箱の底には木栓が急遽仕込まれていた。
そんな工夫を凝らした方梁だったが、本番では終わったらその場で手斧でぶっ壊して燃やしてしまう手筈になっていた。
その搬出する人員に簗田郡の人間も混じっているのにアキラは気が付いた。
簗田郡の郡司には、こないだの大雨以来、舟づくりを学ばせるためにと人員を送り込まれていた。
邑楽の鋳物屋に行ったときに使ったボート、あれが大雨で流されて、簗田の浅瀬に引っかかっているのが見つかったのがきっかけだった。板でつくった変な舟はすぐに郡司の注目するところとなったのだ。
オールも二本とも失われたかと思われたが、両方とも下流で見つかって更に興味を惹く結果となった。
現在あのボートは簗田の浅瀬の下流に泊めてある。簗が作られたら川は上下に行き来が出来なくなるのだから、簗の流れの下に置いておけばよいとは簗田の郡司の弁だ。
簗田の郡司は、太日川の河川交通を大きく変えるものだと例のボートを見ているらしい。
考えてみればそうだ。これまで舟をつくるには結構な大きさの丸太が必要だったのだ。これが板で済むならいくらでも舟が作れる。
ボートの幅の広さも衝撃的だったらしい。オールを二本使い後ろ向きに漕ぐやり方もだ。オールを二本使う従来のやり方も一応あるらしいのだが、オールを両方同時に、足を突っ張り体全体で漕ぐようなやり方では無いらしい。
なんというか、タダで技術を教えるのは割に合わない。足利荘の負担がこれ以上増えるのはまずい。
学校作ろうか。今なら話も通りそうな気がする。
・
馬に曳かれて杉の丸太が作業場に運び込まれると、一斉に人員が丸太に群がった。
この丸太は渡良瀬渓谷の奥で伐採されたもので、建築ブームで杉材不足に悩んでいた足利荘にとって願ってもない資材だった。これで妊婦たちを収容する建物、産屋を造ることが出来る。
北郷党の妻たちの妊娠ブームに頭を悩ませた尼女御とアキラは、一か所に妊婦たちを集めてしまうことにしたのだ。手間のかかることは判っているのだから、集めて手間を減らすのだ。
産んだ後も、子供もそこに集めておけば良いし、なんなら働く場所を造ってもよい。量産した織機も、各戸に分散するより一か所にまとめたほうが糸の融通など便利ではないかとは、アキラが頼季様に言ったことだった。
という訳で、作ることは決まったが、内容をどうするかは尼女御に一任された。
産屋は板間の細長い長屋構造だ。板間の脇には土間が続く。土間側は外に解放され、奥は逆に塗壁で仕切られる。板間は几帳などで区切られることになる。
板間は幅三間、奥行き十間、新殿の倍はある。貞松はこれを最初柱のない単一空間として提案してきた。トラス構造の梁なら可能だが、却下だ。柱を建てれば構造強度は数倍になるのだから。だがトラス構造はそのまま採用だ。
問題はこの建屋の構想が過大に過ぎた事だった。使える木材が無い。
材木が調達できるまで、産屋づくりは足踏み状態となっていた。
杉丸太が次々と搬入されて、産屋づくりが本格化すると、アキラと尼女御は細部に取り掛かり始めた。
建物の入り口には手洗い桶が置かれて、手を拭く布が用意される。建屋の端には風呂が設けられるが、風呂桶は檜の木組みでこれまでのものより数倍大きなものとなる。
風呂場の床は三和土という硬質の土間になる。石灰と土を混ぜて塗り固めたもので、時間を置くと次第に固くなるという。アキラは初めて知ったことだが、安蘇郡に石灰岩が採れる場所があるという。コンクリートほど固くなる訳では無いだろうが、防水なら素晴らしい。
湯を沸かすための専用の釜がその外には用意されるが、これは日光の南の例の気泡のある石を使ったロケットストーブだ。
暖房もどうにかして入れられないかとも考えたが、いざとなったら建屋の端から暖かい空気を床下に流すくらいが精々、それも出来ないかもしれない。
アキラの興味は建物の外、敷地の境界に向いていた。境界に木を並べて植えたい。
去年まだ屋敷の裏山が自由に使えたころ、禿げ山への植林のために育てていた苗木がある。まだ枯れていなければ使いたい。
苗木を植える場所を確定しようと杭を打っていたアキラの後ろに誰か立った。
「そろそろ約されたものを」
山田郡の郡司だ。
「用意あるゆえ、付いて参られよ」
・
産屋の材木は、山田郡の郡司との密約によって調達したものだ。
表向きは、アキラが持っている鋸を渡す代償であるし、今渡そうとしているのも確かにアキラの私物の鋸だ。だが、その意味は皆が思っているより大きい。
その材木は、足尾谷までの道筋に生えていたものだ。
勿論まだ道は無い。木が生えているだけだ。その木をどんどん切ってゆき、奥へと伐る場所を移してゆく。その過程で道が出来るやも知れないが、それは山田郡の杣人の都合だ。
山田の郡司はアキラの鋸を、山中の村、花輪村を慰撫するのに使う。村に製材所を造らせてそこに鋸を置く。製材で村は栄えるだろう。
今、貞松のところに通わせているのが、その花輪村の若い連中だ。山田の郡司の甘言に乗せられてここまでやってきた彼らに、郡司はトラス橋を造らせようとしていた。
「宝のごとく使われよ。よく目立て欠かされるな。よいな」
アキラは自分の鋸を郡司にそっと渡した。
どうせここ最近なにも切っていなかったのだ。
#48 トラス構造について
部材を三角に接合して連結するトラス構造は近代の構造物ではよく見かけますが、これはトラス構造の普及が鉄鋼材料の普及にともなうものであったからです。トラス構造そのものは三角屋根として古くから利用されましたが、その構造が力学的に検討されるのはずっと後の事になります。古い三角屋根は実際にはトラス構造の利点をほぼ利用することがありませんでした。
橋をかけるところを想像してください。ただの板で済まないスパンの橋です。長い板だと途中で折れてしまうでしょう。これは自重などによって板を曲げる力、せん断力がかかるからです。板の厚みを増しても、対応して板が重くなるので折れるのは同じです。しかしこれはせん断力に抗う力が強い材料、例えば鉄なら話は違ってきます。
また、せん断力に対して、横から支えて荷重を軽くするという方法があります。日本で中世に作られた木造構造橋、刎橋はこのパターンです。アーチ橋もこのタイプです。これには圧縮力に対して強い、石材を使うのが普通です。
材料はせん断力、圧縮力、そして引っ張り力のそれぞれに対して違う特性を持っています。木材は重量の割りにせん断力に対して強く、しかし引っ張り力にはその木目等の特徴から弱くなる事が多くなります。
そしてトラス構造はその部材に引っ張り力と圧縮力の双方を要求しました。
ただの三角形一つではその一辺の変形に対して抗えませんが、他の三角形が連結する事で三角形の角度は保たれ、各辺の変形に抗います。
トラス構造の橋は、上下の部材にせん断力と引っ張り力、斜めの部材に圧縮力と引っ張り力が作用し、せん断力に対してトラスの三角形が変形に抗うことで強度を出します。
さて、木材でトラス橋を作る場合、問題となるのは引っ張り力の弱さでしょう。従ってこれを増強する工夫が必要となります。具体的には釣り構造の導入でしょう。例えばワイヤでトラスの上下部材を連結すれば良い訳です。
ワイヤではなく木を使うと、これは普通のワーレントラスになるでしょう。あとはそれぞれの部材の接合部に工夫が要ることになります。トラス構造では部材の角度は三角形の各辺の長さのみで保障できるため、接合部には角度を固定する仕組みは実は必要ありません。繋がってさえいればいいのです。
鉄なら簡単な話ですが木材ではこれは難しいので、ワーレントラスの垂直部材が、下部の部材を釣るような構造が必要になるでしょう。トラスの斜材はこの釣られた構造の上に乗っかるかたちになる筈です。