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#47:1019年4月 益子

 移住者を迎えに行った筈が、信田小太郎に言われるままについていくと山あいの村にたどり着いた。


「逃散の者共はいずこぞ」


「昨日のうちに足利へ発たせた。これは別事ぞ」


 信田小太郎はその屋敷の主人のように村の屋敷に入っていく。迎えのものが馬の手綱を取り、弓を預かる。これは武者の屋敷だ。


    ・


「常陸どもはこの間の負け戦で懲りおるゆえ、秋までは襲い来ることは無かろう」


 百姓たちで構成された歩兵が、オウという掛け声とともに揃って槍を突き出し歩くのを見ながら、信田小太郎はアキラに言った。


「だが、奴ばらは必ず仕返しに来る。ならば備えねばならぬ」


 そんな会話の合間に、足揃えよ、と信田小太郎は歩兵たちに声を掛ける。


「柴垣は火付けるにも盗りゆくのも良い的ゆえ、秋には除かねばならぬ。

 して常陸が来るのも秋、あと半年しかない」


 半年以前に田植えが、農繁期があるだろうに、一体どうしようって言うんだ。

 実際、この盆地の田も代掻きで忙しい様子だ。


「だから、吾子よ」


 竹盾と竹鉾で急を凌ぐというのは良き考えであった、と信田小太郎は言う。

 馬に付ける車も良かった。尺測りし図も良かった。道程がひと目みて正しく判るのが良い、あれらは武者揃えるに等しき事ぞ、そう言われてアキラは、ようやく自分が褒められているんだと気が付いた。


「されど、あれらは皆足利の為であろう。足利の為を向き過ぎており、ここ益子向きではないが、これは益子向きに考えさせておらん為であろう。

 アキラよ、益子向きの事を是非にも考えよ」


 アキラはようやくここで口を開いた。


「これは頼季様の言われし事か」


 褒められて嬉しいが、頼季様以外の命令を聞くいわれはない。

 このあたりははっきりさせておきたい。


「……これは頼信殿との約に基づくものぞ。つまり、頼季殿も必ず承知なさる事」


「つまり、言われておらぬと」


「後ほど必ず承知頂く故、吾子は今は頼まれてくれ」


 命令ではなく、頼まれたのなら、やってもいい。


「承知した」


「おお、吾子はまこと忠義の者よな」


 信田小太郎は手をひらひらさせて言った。しかし、皮肉を言われてもこの点は曲げる気はない。

 頼季様は何の権限もない子供かも知れぬが、アキラ一人でも支えてみせよう。


 ところで、気になる単語を聞いた気がした。


「ここは益子と言うのか」


「然り」


 その名前は聞いたことがある。益子焼だ。つまり陶土がある。


「では今より始めよう。郷の主だったものより話聞きたい。

 小太郎殿よ、いくさはまず財物持つことより始めようぞ」


     ・


 陶土のありかはすぐにわかった。

 五里ばかり奥に行った山肌が地滑りを起こしていて、灰白色の陶土の地肌を見せていた。

 足利では地層に白い筋が見えるだけで、もうそれは焼き物の粘土として大当たりだった。渇望したものが、文字通り山のようにある。


「あの麓に窯を構える。日光の南、大谷に窯を造るに良い石が出るゆえ、取って使え。

 薪と炭が要る。あと灰も」


 灰と陶土が反応して釉薬になる。釉薬で防水性のよい容器を作ることがアキラの目標だった。

 充分な防水性があれば密封して酸化を防ぐことも、蒸留に使うことも思うがままだ。


「あの白きはざれ石ぞ。焼き物とする水練り土と違えておろう」


「粉に砕きて使われよ。水車構え砕かれるが良い」

 

 足利で水車を見せる約束をする。水車を造らなければならないが、その前に道具が要る。まずは鋸からだ。


「日光の南にある石とはいかなものぞ」


「これ見よ」


 懐から石のサンプルを見せる。本当にサンプル貰っておいて良かった。


「目代殿、漆ゆえそこ触られるな」


 藪を刈り開きながら窯と水車の位置を検討している最中に、そんなことを言われた。

 あぶない、かぶれるんだったっけ。しかし漆、あるのかよ。


「漆あるなら、取りて足利に売れ。鋸など道具の代に良かろう」


「アキラよ、馬車も作り方教えよ」


 信田小太郎の言葉に、はいはいと答える。


「では大工二名、半月ほど足利で働かせるゆえ決めよ。そこで諸々学ばせる」


       ・


「アキラよ、財物ではいくさ勝てぬぞ」


 夕方の屋敷の母屋の縁で、信田小太郎は焦れたようにアキラに言った。

 屋敷は小高い丘の上にあり、眼下には田植えが始まった水田が光っていた。どの田も条里田ではない。この中世に開墾されたものか。


「今財物作りおるは糧蓄えるため」


 戦いに専従する武者と比べて、百姓には農繁期という大きな枷がある。この枷を緩めなければまともに戦うこともできない。しかしそもそも、


「まともに戦えば必ず負けましょう」


 アキラは熱い麦湯を舐めるように飲みながら答えた。

 歩兵が数百集まろうと、重装備の騎馬武者に突っ込まれて蹴散らされるのがオチだろう。

 一方向からの突撃なら良い。長槍の餌食にできるとアキラは思っている。

 しかし騎馬武者には機動力がある。槍衾の横や後ろに回り込まれたら、それで終わりだ。


「勝つなら術は3つ。戦う地を選ぶこと、大将を狙うこと、飯を狙うこと」


「……詳しく言ってみよ」


「戦う地とは、谷間、または川のあいだ。つまり敵馬に後ろに回り込ませぬ地のこと。牧のごとき草原では負けましょう」


 アキラの念頭にあるのは、この間の結城での紛争だ。平の忠常が完全勝利を果たしたあの戦いは、結城の地形によったところが大きかった。

 結城に限らず、平地に広がる台地状地形は、実際には複雑な谷を内部に抱えていることが多い。谷底と谷間の高低差は低いが、そこには崖のような地形が至る所にみられる。谷間に迷い込めば、台地の上から良いように攻撃されるのは目に見えていた。


「ふむ。その通りだが、そう都合良き谷地があろうか」


「探して、誘わねばならぬかと」


 信田小太郎はわずかに考え込んで、そうよな、と言った。だが、大将首は難しかろう。


「大将は真壁から動かぬからな。さて、飯とは何ぞ。おおよそは判るが、何か考えあるか」


「三百の兵が一日に米四俵を食います。どこか郷を充てにしても、長く居れば米が尽きましょう」


「郷を充てにするは水のためぞ」


 水のない原野で煮炊きはできない。大軍勢となればなおさらだ。だから大軍は確実に水のあると分かっている場所を抑えようとする。つまり郷村だ。


「米はどこからか運び込まねばなりますまい。この米の来る源を潰せば勝ちでしょう」


 常陸はどのように米を運んでいるのかとアキラが訊くと、気にしたことは無いと信田小太郎は言う。アキラはしばらく信田小太郎から細かい点を聞いた後、常陸の平維幹のロジスティクスについて大まかには理解できるようになった。


 平維幹の構築したロジスティクスは恐らくこの関東随一のもので、これこそが常陸勢の勢力を維持する源泉であろうと思われた。

 常陸勢は水守の宿営というロジスティクス拠点を筑波山の南西、恐らくはつくばの辺りに持っているようだった。

 物資が集積されていて、必要な分はここから必要なだけ調達できる。運搬には恐らく、霞ヶ浦の沿岸を巡る塩売り、馬借たちが駆り出される。

 常陸勢は大軍をずっと維持している訳ではない。大軍を必要な時に必要な場所で出現させることが出来るだけだ。そしてそれを支えているのが水守の宿営だ。


「つまり、水守を襲うと」


 それもまた難しかろう、国境(くにざかい)から遠い、と信田小太郎は言う。

 だがアキラはあきらめない。


「その、真壁と水守、川は近くにありますか」


「川から襲うか。面白き考えだが、真壁は遡るに遠き。水守も川から一里は離れおる」


 川から襲うというのは成功は難しいだろうというのが信田小太郎の意見だ。しかし、アキラの念頭にあるのは別の攻撃方法だ。


「確かに一里で」


「一里か二里か、いずれにせよ崖と柵があるぞ」


 射程範囲だ。


「川幅は、舟は」


「舟で香取の海から遡れようが……」


 舟で運搬して、河原で組み立てて、撤収時には焼いてしまえばいい。


「ふむ、まずは作りますゆえ、それ見てから考えられよ」


「何を作る」


「カタパルトを」


     ・


 カタパルトの原理は簡単なものだ。それは梃子の原理の応用に過ぎない。

 シーソーの片方を下に引っ張れば、もう片方が上に動く。シーソーの片方を長くすればその分動く距離を長く出来る。それを下に勢い良く引っ張れば、もう片方も長くなった分更に勢い良く動くだろう。その勢いで何か飛ばせばよい。


 シーソーとなるアームは竹を麻縄で束ねて長さ二間二尺とした。二間と二尺のあいだにシーソーの支点を置く。アームは舟に積むことを考えるとあまり長くは出来ない。

 架台は木で造ってもらった。これは実験用なので雑なものだ。

 シーソーの端につける錘も砲弾のバスケットも藁の薦でつくる。錘はひたすら土を入れるだけだ。この錘が落下する勢いが動力源になる。

 シーソーの長いほうの端に結んだ藁縄を引いてバスケットを地上に下ろす。アキラの体重では引き下ろせなかったので数人呼んで引き下ろし、地面に打った杭に固定した。

 バスケットには小さな俵を置いた。俵の中には土が詰まっている。重さは数キロといったところか。

 アキラは最近ではあまり重さの感覚の基準が曖昧になってきている。近いうちに水を入れる升でも作って重量原器を作りたいところだ。


 初回の投射では、俵弾は屋敷の敷地内に叩きつけられて終わった。飛程は一里はおろか一町にも届いていない。

 手にて投げたほうが飛ぶぞとの声を尻目に、アキラはバスケットとシーソー端の間の紐の長さを長くした。投射角がほとんど水平だったのだ。

 アームが頂点に来たときが一番勢いがあるタイミングに違いない。このタイミングで俵弾が離れる訳だが、その離れる位置は紐の長さで調整できる。この位置が投射角を決める。そして投射角は45度がもっと遠く飛ぶ筈。

 二射目は敷地を遠く飛び越えていった。

 さらに調整した三射目では、俵弾が遠い水田に落ちるのを屋敷から見ることが出来た。


「狙うこと出来るか」


 アキラは同じ重さに調整しておいた俵弾をもう一つ見せた。

 四射目は、三射目の俵弾が落ちた辺りにほど近いところに落ちた。

 カタパルトは弓と違い、その性能は人の技量に依存しない。


 錘のほうか紐の長さか、射程と関連付けた表は作らないといけないが、それは本番バージョンのカタパルトが出来てからだろう。


 信田小太郎は少し考えて、言った。


「かたぱる、使おうぞ。先の俵に火付けて水守に放り込んでやろう」

アキラはカタパルトと言っていますが、トレビュシェットですね。

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#47 益子焼について


 益子焼の歴史は浅く、幕末、ペリー来航の同年にまでしか遡りません。技法は程近い笠間に由来しており、笠間焼は更に八十年ほど起源を遡りますがこれも近世の窯と言っていいでしょう。その笠間の技法は信楽焼に求めることが出来ます。益子は笠間と並んで、幕末から明治にかけて江戸・東京の陶器供給源となった窯でした。

 益子の陶土原料は結晶度の低いカオリナイトにハロイサイトを伴い、これに石英が混じったものでした。いわゆる蛙目粘土(がえろめねんど)です。もう一種の陶土、木節粘土に比べて高熱に耐えます。

 益子の陶土はローム土の下に白い粘土層となって存在しました。困ったのは鉄分が混入する事で、これが益子焼の耐火温度を低くすることになります。焼きあがったものの収縮率も高いため、大きな薄手の焼き物も作れません。

 欠点は多いものの、その厚手のぼってりした焼き物の姿は後に民芸運動の中で評価されることになります。

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