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#46:1019年3月 紛争

 眼下に広がる原野は、かつては全て豊かな水田だったという。


「およそ一千町、河内郡で最も豊かな郷が二つ、今はもう潰えて失せた」


 鬼怒川の西岸、田川という川と鬼怒川の間の低地は、今や潅木混じりの低湿地だった。アキラたちの測量も、ここは川のみを測って済ませたところだ。今や道すらない。


「道は潰しておる。ここは常陸から鬼怒川を渡りて、武者どもにちょうど良い宿であったゆえ、糧財奪われ郷焼かれ百姓は逃散し、荒れ果ててしまった。

 こうなればせめて道使えぬようにせぬとな」


 ここが通れないと、常陸からは鬼怒川を渡るのはここの下流か上流か、という事になる。

 上流は芳賀郡側で阻害線を構築したのがどのくらい効くかにもよるが、そもそも下総に攻め入るのが目的であれば、上流は遠回りになる。

 だが、下流に堀越まで行くと、流石に対岸の防御が厚くなる。


「水嵩が増せば舟で渡せる瀬が、ここより下に幾つかあるゆえ」


 この南、下総の最北辺である北結城に常陸の軍勢は渡河上陸するであろうと、平良衡はそうアキラに説明した。


     ・


 再び常陸の平維幹の軍勢に動きがあり、対応するために足利勢は芳賀郡に、藤原兼光の軍勢は薬師寺の南、つまりここに布陣していた。

 今回アキラはいわば連絡将校として藤原兼光の陣にいた。アキラにぴったり付いて平良衡がいつものように便宜を図ってくれたが、これはアキラに勝手にあれこれ探られるのを防ぐためだろう。

 

 足利勢は例の荒垣に張り付いている筈だ。新造したクロスボウ、弩弓は今回2挺しか増やせなかった。間に合わなかったのだ。

 邑楽の沼の鋳物屋に桶を持って行くと、部品が2挺分出来ていた。ただ、(やすり)で盛大に削らないとまともに動くものにはならなかった。

 今鋳物屋に渡しているのはその辺り改良を加えた木型だ。同じ形のものを4つづつ渡したから、4挺分同時に鋳造できる。

 あとひと月あれば40挺揃えることもできたのだろうが、今回荒垣の陣容は二月のときと大差ないものの、ただ前回の教訓を受けて馬繋ぎへの道筋の防護が足されたらしい。


「足利では弩弓(いしゆみ)を使いおると聞くが、一挺頂けぬものか」


「弩弓はまだ足利でも足りぬゆえ」


 下野介殿にお渡しできるようになるのは先になると、アキラは断りを入れた。勿論渡すつもりは全く無い。


 

 今のところ常陸の平維幹の軍勢は、かなり南側に集結中で、下野を侵す兆候は見えない。一方で平忠常の軍勢も結城の南に集結中のようだ。

 水田はどこも田起こしの真っ最中で、こんなタイミングで戦争しようというのは、本当にクソである。

 しかしこれはつまり、百姓の動員抜きで武者郎党のみを動員して行なわれる戦争だと言う事でもある。

 勿論百姓を兵に動員する事もできるだろうが、その場合、秋の収穫は絶望的になる。それはつまり自滅だ。


 武者郎党のみの戦争の特徴は、全員が騎馬による構成になる事だ。

 行動は素早く、重い鎧で守りは堅く、とにかく手強い相手だが数は少ない。

 そして渡河に徒歩とは違う制限が入る。

 徒歩では難しいが騎馬なら渡れる浅瀬もあるし、馬を乗せるのが難しい渡し舟もある。

 思ったのだが、川に追い詰めたら、騎馬武者は鎧の重さで溺れてしまうだろう。


 藤原兼光の陣には気の抜けた雰囲気が蔓延していた。

 まぁ、騎馬武者二百騎に突っ込んでくるような馬鹿はいないだろう。そんなことをすれば、平維幹にしろ平忠常にしろ、仇敵に背中を見せることになる。


 逆に言うと、藤原兼光と同盟を結んだほうが勝つと言う事だ。

 アキラたちはこれを警戒していた。

 というか、藤原兼光は既にどちらかと手を組んでいるのではないかと疑っていた。

 平維幹と平忠常、どちらも藤原兼光と組む強い動機がある。断れないほど良い条件が提示された筈だ。

 今のところ藤原兼光は中立のポジションを見せている。しかし、どこかでその隠された本当のポジションが明らかになる筈だ。


 その辺り探る意図をごまかすべく、アキラは平良衡に話しかける。


「足尾谷の杣人(そまびと)の事、何か判れば知らせられよ。

 そもそも足尾谷が安蘇郡となった経緯、明らかとなりましたか」


 中禅寺で聞いた話は既に平兼光に展開されていたが、その後進展はまったく無かった。


「その経緯とやらは全く判らぬ。文書全て繰ったがわからぬ。

 杣人は嘘偽って安蘇の者だと言ったのであろう」


「では、直に杣人に問わねばならぬか」


「そういたせ」


 平良衡は気楽に言う。

 足尾谷、めちゃくちゃ遠いぞ。中禅寺の直ぐ裏手だと言う事は、中禅寺と同じくらいの奥地だと言う事だ。

 中禅寺の場合は麓まで馬で行くことができた。対して渡良瀬川を遡る場合は、これは道があるかすら判らない。

 山田郡の郡司に聞いたところ、太日川を遡ると山中に村があり、そこまでは馬で行けると言う。ただ、多分そこは渡良瀬渓谷の半ばほどにも達してはいないだろう。期待したいところだが、冷静に考えると村が3つか4つ欲しい距離だ。

 

「ところで、足尾谷への入り合いの権、足利にも欲しいのだが、いかがか」


 気がつくと、アキラの本命の願望がそのままに漏れ出してしまっていた。

 もうちょっと巧いことカモフラージュできないかと考えてきた願望だったが、ついに巧い方法を思いつけなかった。

 もうちょい頑張るつもりだったが、口から出たものは戻せない。


「何ぞそれは。入り合いとな。何故に欲しいか」


「いや、ただ荘の者に便利を」


「何ぞあるのか。隠さず申せ」


 アキラの目を覗き込んで平良衡は問う。アキラは耐え切れず目をそらす。


「……誰にも言わぬゆえ、言ってみよ」


 平良衡の底の言葉に、アキラは逡巡する。

 言って良いのか。言ってしまうか。いや、そもそもこの男は、誰にも、藤原兼光にも言わぬとなぜ約束できるのだ?

 むしろ、それが気になる。


 言ってしまおう。


「足尾谷から銅が出る」


「……金物(かなもの)の、銅か?」


「銅の元の石が出る。焼いて溶かせば、銅が採れよう」


 銅の精錬をどうすればいいのかは知らない。しかし酸化か還元か、まぁ熱を加えれば何とかなるのではなかろうか。


 平良衡の声は、低かった。


「この事、他の者にはどのくらい言っておる?」


「誰にも言っておらぬ」


 平良衡が初めてだ。


「よし。しばらくは誰にも言うな。入り合いは何とかしよう」


 そこでアキラの顔色が変わったのを見た平良衡は、


「但し、(しろ)が要るぞ。足尾を足利の入り合いとするなら、足利のどこかも安蘇の入り合いとせねばならぬ」


 実際には、足利のどこぞを入り合いにする代償として足尾が充てられる筋書きとなる、と平良衡は言う。

 それなら、アキラが入り合いを自由に出来る土地がある。


「名草谷の奥山、十里より奥を安蘇の入り合いとしてよい」


「良いのか。いや、そもそも何処ぞ」


「飛駒の牧の南よ」


「……あそこか。相判った。文書作りおく」


 藤原兼光殿には巧い取引だと思わせておくと、平良衡は言う。

 こいつも一体何者なんだ?


「残るは道と人か。人は何とかしよう。道は目代殿に任せるゆえ」


 大変なほうを任せられてしまった。


     ・


 常陸の平維幹は早朝のうちに鬼怒川を渡河したらしい。恐らくは二手に分かれての渡河で、渡し舟を子貝川かその支流か、どこかから持ち込んだようだ。

 というのは平良衡の受け売りだ。藤原兼光はそこまで状況を把握していると言う事だが、さて、そうなると下総側、平忠常の出方が気になる。


 昼頃になると(とき)の声らしきものが聞こえてきた。平安時代でもやっぱ声出すんだな。


 陽が傾く頃には戦いの趨勢(すうせい)は、平忠常の完全勝利ということで決まったようだった。

 平維幹の常陸勢は渡河後ばらばらに結城を南に浸透する計画だったようだ。これが片っ端から捕捉され各個撃破を食らったと言うのが今日の昼の顛末らしい。


 どうしてそんな一方的な事になるのかと平良衡に聞くと、


「それは地の利よ」


 結城の辺りは周囲から一段高い高台になっていたが、周囲には谷地の入り込む、入り組んだ地形になっているという。


「谷地に踏み入れば上から矢が降ってくる」


「しかし、それは常陸勢も知っておろう」


「勿論気にしおったろうな」


 しかし、例えば下総の者共が他所にいると信じていてはどうか、と平良衡は言う。

 そこに誰もおらぬと信じておれば、罠にも堂々と踏み込もう、と。



 ごく少数が捕捉を逃れて下総を南下しているらしいが、猿島には平忠常の別の軍勢が待機しているだろうと言う。


「北に押し通ろうという勢二つ三つありしも、弓の弦切れば通してよいとの下野介(藤原兼光)殿の申し出に従いて落ち行きした由」


 勿論北へと逃げる奴もいる。藤原兼光の軍勢に捕捉されて武装解除させられたようだ。

 弦は外すのではなく、切れと言ったのか。勿論そっちのほうが確実な武装解除だ。

 夕餉を頂戴し、アキラはそのまま藤原兼光の軍勢の陣で寝た。

 朝には陣を引き払う準備が始まり、アキラは藤原兼光に退去の辞を伝えると立ち去った。

      ・


 薬師寺の門前でアキラは頼季様の一行と合流した。


「して、藤原の兼光はどちらか」


 頼季様はアキラの馬に並ぶと、まず初めにこれを訊いた。


「忠常にあります」


「確かか」


「忠常の軍勢およそ五百、糧食の施しが行なわれた由にて」


 アキラは糧秣の俵の数を数えていたので、どのくらい減ったかざっくり推定する事ができた。

 藤原兼光の軍勢が二百騎。比べるにそもそも用意されていた糧秣が多過ぎた。数日居座るのかと思っていたのだが、今朝見ると半分ほどになっている。それに昨日の夕餉は煮炊きが始まってからの時間を考えると、ちょっと遅く始まった。

 炊かれた米は米俵に詰めて、まだ近くに残留している勝者、つまり平忠常の軍勢の陣に運ばれたものとアキラは推定していた。中身の無くなった米俵を数えて答え合わせして、昨日炊かれたのはおよそ七百騎分と推定できた。


「五百か」


 大軍勢と言う訳では決してない。だがそれで完全勝利を収めた訳だ。


 そして下野国もまた実質、平忠常の勢力下にあると云う事か。

 香取で見た男の顔を思い出す。

 あれが、東国の覇者か。

#46 結城と小山について


 下総国の最も北の土地である結城は古くから養蚕が盛んで、これは下総国の税の一部として延喜式にも挙げられていました。これは鬼怒川の古名としての絹川、子貝川の古名としての蚕飼川、といった部分にも反映されていたと思われます。

 そしてその南の猿島、相馬は馬の産地として知られていましたが、これは要するにこれらの土地は耕作に適さないという事でもありました。

 下総からは渡河せずに他の関東各地に移動しようとすると、その地理的特徴から結城を通過する必要があります。

 軍団が川を渡るのにはリスクがありました。平将門は鬼怒川を渡る際には堀越の渡し、子貝川を渡る際には子飼の渡しを利用しましたが、いずれも渡しをめぐって合戦になっています。

 その点、下野へは陸続きの移動が可能で、結城を超えて幾らでも大軍の動員が可能でした。これは同時に将門の敗因となります。農繁期に入って歩兵を解散した将門勢に対して、歩兵を動員した藤原秀郷らは下野で合戦し勝利すると、そのまま南結城に侵攻し将門の主勢を打ち破り、将門はそのまま勢力を回復できず討ち取られることになります。

 将門は武蔵にもちょっかいをかけていますが、これは利根川、太日川の河口を渡ったものと思われます。恐らくは干潮時に兵馬の通行に適した平地が現れたことでしょう。


 後年、下総への大軍の侵攻経路は大抵の場合、やはりこの河口の経路となりました。例えば国府台合戦の際も北条勢は河口を渡って侵攻しています。

 これが常陸への侵攻となると話はややこしくなります。上杉謙信は小田氏治を攻めるに当たって、上野からわざわざ下野宇都宮まで移動して、鬼怒川を騎馬渡河可能な地点で渡って、そこから陸伝いに南下するという侵攻経路を採っています。


 下野国の最も南、結城の西隣である小山は、作中時代はただの郷村でした。その後小山は北関東の中世交通の要衝となります。思川の水運もありますが、恐らくは古河から思川の自然堤防上を北上して、かつての東山道に合流する道があったものと思われます。この道は源頼朝の奥州征伐の経路とも言われており、また(実在が疑われていますが)関が原の戦いの前の小山評定の場所でもあります。この道は後に日光街道となりました。


 対して結城は小山から下野国を支配した下野小山氏の支配地となり、小山氏の累系である結城氏が支配する地となります。

 結城氏は鎌倉幕府の要職を務めて繁栄します。結城は鬼怒川水運の中継地、鬼怒川の渡しの地として栄えました。1440年には結城合戦があり、鎌倉公方の遺児を擁した結城氏朝と持朝の父子が結城城で戦死します。結城氏はその後もこの地方に勢力を維持しました。やがて結城家は1590年に徳川家康の子秀康を養子として迎えます。しかしその後越前への移封によって結城家の在地勢はばらばらになり、その後は百年ばかり天領となり、その後水野家の治めるところとなり幕末を迎えます。

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