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#44:1019年2月 防衛線

 下野の東端、芳賀郡の検田には護衛が付いていた。


 ひと月前に鬼怒川を遡って下野に入った、その辺りの土地だ。つまり常陸に接している。常陸の騒乱のあったばかりであり護衛は仕方のない処置である筈だが、その割には武者たちは勝手にどこかへ行ってしまう。偵察だろうか。

 アキラたちは今日の測量予定地で馬車から荷物を降ろした。


「目代殿よ、磁石はどこぞ」


 余戸村のフタロウが荷物を漁りながらアキラに聞く。


「昨日はどこに置いた」


「知らぬ」


「あ、ここにあるぞ」


 アサマルが手を挙げて言う。


 フタロウとアサマルは測量の人手不足のために雇った近郷の子供だが、もう二人とも測量盤の扱いも手慣れたものとなっていた。既に測量盤は水平出しも終わり、南北を合わせるだけになっていた。それもすぐに終わる。

 もう一つの測量盤はいま二町先で降ろされている。半町、50メートルの長さの紐を持った子供たちがそれを追いかける。距離を測っているのだ。

 もう一台の測量盤がきっちり二町の距離に調整される前に、アサマルは測量棒を持って歩き出していた。

 フタロウは墨の準備をしていた。竹ペンの先を少し削り、書き味を調整している。


 フタロウは既に平仮名が書けるようになっていた。まだ細部は怪しいが、既に漢字も30字ほどなら書ける。ただ、字より絵を描くほうが好きだという。

 アサマルは製材所の手伝いもしていて、貞松から見込みのある奴という評価を貰っていた。貞松の評価は伊達ではない。なんと台鉋の手入れを任せているというのだ。

 アサマルが一番手先が器用で、そして細かいことに拘る。フタロウはその点少し雑で、そして一番雑なのがアキラであることは衆目の一致した意見だった。ここ暫くアキラは測量盤に触らせてもらっていない。


 子供たちの学びの速さ、新しいものを取り入れる速さは驚くほどだ。中世の保守化し硬直化した世の中では、子供たちの柔軟性はまぶしいほどだ。

 寝る前のアキラの与太話にも物凄く食いついてくる。


「アサマルよ、鳥が飛ぶのは如何にと思うか」


「それは翼あるゆえよ。なければ飛べまい」


「ではアサマルよ、吾子に翼付ければ飛ぶのか」


 そこでフタロウが口を挟んできた。


「一間ほども広き翼付ければ飛ぶやも知れぬ」


「三間は欲しいな」


 アキラは人力飛行機のTV番組を思い出して呟いた。


「飛べるのか」


 アサマルが言うのを聞いて、アキラは面積計算をし損じた紙を折って、紙飛行機を作り、飛ばした。


「飛んでおる……」


 図らずも二人声を揃えていた。紙飛行機が壁の藁束にぶつかって止まると、アサマルが拾って紙を広げ、そして再び折った。


「いかに飛ばせるか」


「横に軽く投げよ」


 アキラが手振りで示す。二度目でアサマルは紙飛行機を飛ばすのに成功した。

 アキラは一枚、まっさらな紙をフタロウに渡した。


「良いのか」


「後でよく伸ばして返せよ」


 ぱぁあっと、暗い長火鉢の明かりのもとでも判るほどフタロウの顔が輝く。

 早速アサマルによく見せよと良い、嫌だとかなんとか言い合いになる。



 翌朝、アキラが最初に折ったのと違う形の紙飛行機が飛んでいた。


「もう一度紙鳥飛ばしめてみよ」


「ならばよく見よ」


 子供たちが紙飛行機に夢中になっているのにアキラは嬉しくなるが、言わねばなるまい。


「そろそろ今日の分用意いたせ。紙はよく伸ばして返せよ」


       ・


 常陸国境に近い土地の測量で、アキラは信田小太郎から、田ではなく牧といたせと言われていた。


「これは荒田では」


「これ方便よ」


 見ると何か担いだ人の列がやってくる。担がれているのは縛った柴木だ。


「牧であるから、これより五里ほど荒垣をつくる」


 なるほど、馬を逃がさないための境界と偽って、事実上の国境防衛ラインを構築するのか。

 アキラはようやく、この急がれた検田のスケジュールがここに防衛線を構築するための名目であった事を悟った。


「垣より南に一町、田とする。耕し水入れるが、植えず、代わりに所々穴掘っておく」


 簡易版の堀か。馬の脚が落とし穴に嵌ればひどいことになるだろう。


「縄張っても良いでしょうな。植えぬならそのうち藪茂るでしょうから、その中に縄張れば見えませぬ」


 アキラの意見に、それも良いな、と信田小太郎は頷く。


「では、東西に五里、細い牧といたす事で良きか」


 こう土地利用が自由にできるのは、芳賀郡の郡司、そして住人たちの協力があったからだ。アキラたちの扱いが随分と好意的で当初驚いたが、どうも以前から信田小太郎を中心として交流があったらしい。


「皆小太郎殿の婿入りは何時かと待ちわびておりますれば」


「吾子に娘おらぬ事、知らぬと思うな、全く」


「キヌメ殿養子に取っても宜しいのですぞ」


 芳賀郡の郡司と信田小太郎のこんな会話すら漏れ聞こえてくる。

 五里の荒垣なんて今日明日で完成するものではない。しかし既に三町、300メートルの荒垣が構築されていた。あっというまだったし、これからも続々と、本当に五里作ってしまうらしい。どうやら荒垣の材料は以前から蓄積していたようだ。

 そこには田畑や郷を荒らす武者たちへの怒りがあった。


「さて、ここは如何に守るので?」


 アキラが訊くと、


「人張り付ける。アキラよ、いつぞの竹盾竹鉾、郷村の者に持たせよ」


 信田小太郎はさらりと無茶を言う。

 しかし、その話は既にそれぞれの郷に伝わっていた。


 物部と氏家、二つの郷でいわば防衛隊が組織されていた。

 彼らは郷守の衆と呼ばれていた。

 およそ30人づつを選抜して、他の郷からいつのまにか供給されていた竹を加工して盾と槍をつくり、あとは北郷党のものが指導する。連中、これで竹盾竹槍から解放されると思ってやがる。

 村の入り口に馬を阻害するバリケードを構築して、更に後ろに槍衾を並べる。

 バリケードはただの柴垣よりはちょっと頑丈に作っていて、二人がかりで担いで移動できるようにした。


 更に、見張り兼牽制役を訓練する。偽の牧場の荒垣を見張らせるのだ。

 二人交代で、荒垣に一か所作った出入り口に張り付ける。

 この出入り口は罠だ。ここに続く畦道の両側は穴だらけの偽田んぼで、入り口を入ってもしばらく左右に荒垣が続く。そして奥の突き当りにも荒垣を設ける。

 そしてその周囲には、泥で汚して見えにくくした藁縄が縦横無尽に張られていた。


「人張りつけるなら楽になるようにしましょう」


 これはアキラの提案だった。どこに押し寄せてくるかわからない一帯を見張るより、来たら利用しそうな出入り口を用意して待ち構えていれば良い。そしてその出入り口は完全に罠であっても良いのだ。

 この辺りの具体的な作業はアキラが指図した。


          ・


「火鉢は荒垣に近づけるな。できれば窪み作りて置け」


 陽が傾いてきたので火鉢を用意しようというタイミングで、アキラは最初の見張り二人に言う。荒垣が燃えてしまってはたまらない。

 アキラと見張り二人は、荒垣の出入り口のすぐ内側に座り込んでいた。

 本日が見張り初日だった。陽が落ちてもしばらくはここで見張っていることになっていたが、しばらくとはどのくらいなのか、今更だがアキラは悩んでいた。時計が欲しいところだ。

 測量隊はもう足利に帰り着いた頃だろうか。クワメがまた怒るだろうな。アキラはそれを思うと少し憂鬱になった。信田小太郎は何か口添えでもしてくれて良いのではないだろうか。

 馬は100メートルほど離れたところに繋いでおり、煮炊きや寒さを凌ぐのに使う柴木はその馬のそばに積んでいた。そこから使う分だけを取って使うようにと言うと、不満の声が上がる。


「皆ここに置けば不便なかろうぞ」


「馬のそばに置くはこれ用心ぞ」


 アキラは説明する。馬のそばに身を隠せる場所を用意しておくのだ。だが納得しない男に、もう一人の男が、静かにせよ、と小声で言う。

 とたんに空気が変わった。


「騎馬が十か二十」


「水は灰立つゆえ、埋めよ」


 火鉢に水をかけて消そうとするのをもう一人が制止した。素焼きの火鉢をひっくり返して穴の中に捨てて、手で土をかける。

 その間にもう一人はクロスボウを引き絞り、引き金に弦をラッチする。アキラはもう一人の弦を引くのを助ける。

 矢をつがえたクロスボウをアキラは点検する。アキラのクロスボウはいまいち弦をラッチしづらく、今はまだアキラは引き金への引っかかり具合をいちいち点検していた。よし、と言うと、見張り二人はクロスボウを持って柴垣の後ろに隠れた。アキラもその後ろにしゃがみ、頭を低くした。

 アキラの分のクロスボウは無い。ただ刀があるだけである。


「騎馬武者が三十」


 ここらを荒らす騎馬武者の標準編成か。三十対三ではちょっと勝負にならない。


「郷に戻るか」


「吾は少し奴ばら減らしたいが、目代はどうか」


 さて、どうするか。

 基本は逃走だ。だが、多少はこの場所とこの二人、そしてクロスボウを試したい。

 盗賊を殺すは良き事ぞ。


「どのくらい減らせるか、試そうぞ」


 アキラが言うと、


「ようし」


 二人は俄然やる気になった。


「十間より近ければ外すことなきゆえ、もう少し」


「あの杭が十間であったか」


 畦に打っておいた杭は荒垣からの距離を示していた。


「では、まず」


 ヒュウ、と小さな音を立てて、矢が放たれた。アキラはそのクロスボウを受け取ると弦をつがえて渡してやる。弦のつがえ方には少しコツが要るのだ。


「では吾も」


 荒垣の向こうが騒がしくなるが、アキラは構わずクロスボウの弦をつがえ直していく。この弦はちょっとテンションがきつく、張り過ぎだったかも知れない。今後郷民に供給するクロスボウはもっと弦のテンションを弱くして良いだろう。

 つがえ直して7本、そこで、


「来るぞ、逃げよ」


 三人は腰を上げて、馬を繋いだ場所へと逃げだした。

 そこに、ヒュン、と矢が掠めて飛ぶ音がする。


「止まるな、走れ!」


 アキラは一人が取り落としたクロスボウを拾って走る。そのまま馬のそばの柴木を積んだものの後ろに隠れる。


「早く郷へ知らせよ」


 そう言うとアキラはクロスボウの弦をつがえて、柴の後ろで寝そべって構えた。予備の矢も柴と一緒に置いてあったのだ。

 武者ども、ちょうど馬が縄に足を取られているところだ。

 おお、一人落馬だ。さて、


 寝そべって撃てるのはクロスボウの大きな利点だ。これで身体を大きく相手に晒さずに済む。

 アキラが撃ったクロスボウの矢は、大きく外れて馬の尻に当たった。乗っていた武者は棒立ちになった馬から振り落とされた。あれはきつかろう。

 矢が飛んでくるが、アキラには当たらないとわかる。


 さて、二射目だ。今度こそ武者に当たった。どうやら矢は大袖を貫通したようだ。

 飛んで来る矢が多くなる。これは結構怖いな。


 三射目を用意していると、武者の一人が倒れるのが見えた。

 首を回すと、二人のうちの一人が残って、アキラのように寝そべってクロスボウを構えていた。


「もう一人には郷に行かせたゆえ」


「よし、もう一人づつ減らしたら逃げよう」


「逃げるのか」


「そろそろ縄切ってくるぞ」


 ちょうど下馬して縄を切ろうとしている武者を狙い、外す。が、その腕に矢が刺さるのが見えた。


「確かにもう良かろう」


 逃げるか、と二人示し合わせて馬に飛び乗り、駆け出した。

 幸い追ってくる様子は無い、と見えたが、後ろを眺めるとやはり追ってくるようだ。二人は再び駆け出した。


 物部郷の中へと駆け込む。堀を超え、来るぞと叫びながらバリケードを迂回する。

 ずらり、竹槍の槍ぶすまが前を塞ぐ。立派なものじゃないか。そもそも彼らも国府に徴発されれば矛持つ兵士なのだ。


「空けよ、ヤゴロウと目代殿ぞ」


 ざわざわと立ち上がり、隙間が空くのを通り抜ける。


「さて、構えなおすぞ!」


 後ろで声がかかる。アキラたちは馬を降りると北郷党の一人と郷長に迎えられた。


「三十から八は減らした筈」


 一緒に逃げてきた男、ヤゴロウの言葉を聞く。七面鳥撃ちのような一方的な攻撃の筈だったが、思ったより減らせていないな。


「倍で掛かれば皆討ち取れたろう」


 そこまで言うか。ヤゴロウの言うのを聞きながら、アキラは先に郷へと戻っていた男にクロスボウを渡す。

 クロスボウを持った二人が郷の入り口に走っていくのを見て、アキラも歩いて郷の入口へと向かう。腰の刀がそこにあることを、アキラは改めて確認した。


 ちょうど、バリケードの向こう、堀の向こうに、騎馬武者が二騎ほど見えた。

 しばらくすると、夕方の光の中、遠くから十騎ばかり近づいてくる。思ったより少ない。

 だがそこで、二騎の騎馬武者は首を還して十騎たちの待つ後方へと帰っていった。そして合流すると、やがて騎馬武者たちは皆南へと帰って行った。


 勝ったのか。

#44 真壁について


 本エピソード(#44)の舞台、下野国芳賀郡の南端、常陸国との境から東南に13キロの地点、大河にざえぎられることもない位置に、常陸を牛耳る支配者の一人、平維幹の本拠地のひとつ真壁がありました。

 真壁は筑波山の真北、筑波山系の加波山麓の地です。真壁は古くは彼らの租、平国香の本拠とした地でしたが、国香は筑波山の真西に築いた石田館を焼かれ、平将門に討ち滅ぼされました。

 真壁は恐らく平安時代前期から中期にかけての開拓地だったものと思われます。古く存在した鳥羽の淡海が後退し低湿地となった時期、桜川上流でも開拓が進んだのでしょう。

 その後平国香の孫たちは筑波山の南で安定した勢力を築きます。作中時期は平維幹の子である平為幹が本拠地多気を本拠として多気権太夫を号しており、平維幹は常陸大掾を名乗っています。

 彼ら常陸平氏は将門の因縁から平忠常とは仇敵同士として争うことになります。

 しかしその後程なくして常陸平氏から常陸国在庁としての権勢は失われます。本拠地名を名乗った多気氏が八田氏によってその地位を失うと、残された子孫は真壁氏を名乗り地頭として生きていくことになります。以降真壁の地が歴史の表舞台に現れることはありません。


 本作品では、平維幹らは子貝川の効率的な渡河のため、下野との国境付近での渡河を模索しています。子貝川はまだ鳥羽の淡海の雰囲気を残した低湿地で、その真ん中を渡るのは困難で、ずっと南側の子飼の渡しでの舟による渡しに頼っています。

 そもそもこの子飼の渡しより南の鬼怒川と子貝川の間は下総に属するため、子飼の渡しは常に平忠常に圧迫される危険があったのです。


 真壁は現在、歴史的建造物、町並みが良く保存されていることで知られています。また真壁城も戦国期の関東平城としてその遺構を比較的良く留めており、これも見所でしょう。真壁城はかつての郡衙の跡に建てられたとの伝承がありますが、それは15世紀のことであり別の場所からの移転であるとの事です。

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