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#43:1019年2月 再び春

 たしか去年の今頃に川から舟を降りて畦道を北上した、その道をアキラは三人連れて南下していた。

 野焼きが行なわれたばかりの乾いた野をくねり走る道は細かったが、アキラたちの馬車が一台通るには充分だった。

 道には板橋が全ての小川に架けられていた。どれも狭い橋で、馬は気にせず飛び越えてしまうような小川だ。橋の板は二枚だったが、真ん中の一枚を省くという方法で三枚橋相当の幅となり馬車の通行を可能としていた。

 しかし三枚にしたほうが安心できるな、荷車の上で揺られながらアキラは思った。


 今回、荷物は多かった。

 利根川の渡し舟には馬車をそのまま乗せることができない。荷物を渡し舟に載せ替えると川を渡る。一行のうち一人はここで乗ってきた馬車で足利に帰る。この手間を一行はうとましく思った。渡ら瀬の渡し舟に慣れてしまっていたのだ。

 利根川の対岸には車引き小屋があり、うまいことに馬車が一台空いていた。料金の米を袋から御者の碗に移して渡す。

 この馬車は足利で造られた車輪を使って上野で作られたうちの一台だった。馬車の車輪は今のところ決まった相手にしか引き渡していない。

 馬車は荷物と人を載せるとすぐに走り出した。


 道は既に多くの轍に刻まれて荒れかけていた。道が運用を始めてまだひと月でしかないのに、道はもう尻にアザをつくりそうなほど荒れていた。

 道路の維持は大変なものになるだろう。

 しかしそれより、わずかひと月でここまで路面をガタガタにした交通量のほうを驚くべきかもしれない。


 足利を朝早く出た一行が、昼過ぎには荒川の渡しに着いていた。

 驚くべき速さだ。


 荒川の南岸は多くの荷馬で賑わっていた。

 しばらく前までは下総に近づくリスクを恐れて、更にここから少し南の入間川まで荷を運んで、その入間川を下っていたらしいが、今は荷運びには川幅に余裕のある荒川の方が好まれているようだ。

 荒川を下る船旅はゆっくりしたものとなった。

 茅野という所で一同は船を下りて宿を取った。元々渡しがあった所らしいが、ここひと月の間に荒川を下る舟の宿として2軒ばかり急作りの小屋ができたらしい。小屋の中は先客でいっぱいだった。

 どうも道路整備は荒川を使う新たな流通の需要に火をつけたらしい。

 碓氷峠の関料が上がった影響は、流通の東海道への切り替えというかたちですこしづつ現れ始めていた。武蔵国内の物流は新しい物流の要求に応える為に、各地で変化をみせていた。


 翌朝荒川を下る舟は3隻に及んだ。

 そろそろ以前自分が住んでいた辺りを通りがかる筈だが、全く地形に覚えが無い。そんなに地形って変わるものだろうか。

 というか、見覚えのある川、利根川と合流してしまった。何かアキラの知っている荒川とはかなり違う気がする。


 河口を海に出て竹芝に辿り付いたのは陽の落ちる直前だった。直ぐに気温は下がるが、海に面しているためか、さほど寒くは感じなかった。

 竹芝は港の整備が進んでいた。渡しで足をぬらさずに舟に乗り込む為の工夫であった桟橋は、ここで早速取り入れられようとしていた。だが、大きい干満の差は川の桟橋のようなシンプルな構造をとりにくくしていた。

 岸に打たれた杭に舟を結ぶ浮き桟橋が試されていたが、まだ完成には程遠いようだ。


 岸にあった舟はこれまでに見たものの倍は大きく、舷側には3本づつ櫓が並んでいた。ここ半年の、炭と塩を安く運搬するための工夫が、ここにも惜しみなく費やされていた。

 商業活動の強い欲求がここでは急激な改善効果を生み出していた。


 翌日夕方、舟は鎌倉の裏手、六浦という砂浜に着いていた。ここは横須賀より横浜寄りだろうか。あまりアキラはこの辺の地理には詳しくない。


      ・


 今回の旅は、源の頼光殿から頼信殿に主君替えした人物の依頼によるものだった。


「こちらに所領頂くに当たり主君替えを致したのだが、この土地なかなか手強くてな。新たな主君筋より水の便法ありと聞きて呼んだのよ」


 碓氷の貞道と名乗った壮年の武者は、鎌倉の背後の山の向こう側に広がる入り組んだ山野をアキラに示した。


「是非ともここに武者が要るのだが、水が無くては話にならぬ」


 実は水はたっぷりある。多分千年後に大船と呼ばれるであろう辺り一面が沼地で、ここを排水すればとりあえず田地が作れる筈だ。しかし勿論、そういう排水技術は今存在しない。堤防づくりと埋め立てしか無いだろうが、


「あそこは捨て置け。まずは谷地を如何にせん」

 

 まずは測量だ。しかし一体どこから水を取ったものか。

 しばらく地形を観察していたアキラは、ちょっとだけ思い付きを試してみたくなっていた。


 台地の崖の下付近、ここぞと思われる位置で、アキラは近くの竹薮を刈って櫓を組んだ。金属棒を滑車から吊るす。

 井戸を掘るのだ。


 アキラたちは丸一日掘り続け、穴の深さは10メートルを超えたがまだ水の滲む気配すらない。

 疲れ果てたアキラたちは、しかし翌日も掘り続けた。

 アキラに鼓舞された一同は掘りつづけ、そして夕方、自噴井を得た。

 ポンプで汲み出す必要のない、勝手に湧いて溢れ出てくる井戸だ。

 やたらと金属臭のする水だったが、それでも水は水だ。

 アキラたちは一日休んで、翌々日を測量と用水路の計画に充てた。


 そうして、

 アキラの作製した図には、二百町相当の灌漑計画が示されることになる。


      ・


 聞いた話では、大船の西の入り口に当たる個所、東海道を抑える要衝に村岡という郷があるという。平忠常の先祖が開拓した由緒ある土地だが、その当の先祖はこの土地を捨てて他に移住し、子孫が残されたという。


「ところが次郎忠頼殿の子が皆死なれてな」


 土地に残った子孫が死に絶えると、この土地、血筋から言うと平忠常のものになる筈である。しかし、こんな鎌倉すぐそばの要衝を仇敵平忠常に占有されるというのは、平直方殿にとっては全くの悪夢だ。

 そこで急きょ、碓氷の貞道殿が実は平の次郎忠頼殿の養子であるという系図が捏造されたのだ。


 そうして村岡郷の支配者となった貞道殿だったのだが、郎党を食わせる土地が無い。

 その村岡と言う土地、とにかく耕地が狭いのだ。という訳で、更に山奥に近い谷地を開墾できないか、という話が舞い込んできたのだ。

 結局、争いごとの話ではないか。


      ・


 平直方殿が都に行かれているため、その留守は鎌倉の郡司殿に任されてはいるのだが、塩作りたちの発言力は今大きく増していた。

 屋敷で鎌倉の主だったものが集まって、葛飾の塩対策に様々なことを言い合っていたが、埒のない話ばかりだ。葛飾を兵で襲うという案は、碓氷の貞道殿が即座に冗談として葬ってくれた。ありがたい。


 武蔵から甲斐への道は、杣人共のものしかないという話だった。整備された道は無く、宿も無いため、普通の旅人が通ることは無い。

 それを聞いたアキラは、恥ずかしさで顔が熱くなっていた。何が代替案だ。アホか。


「相模川を上る考えはあろう。ただ人は甲斐道を行っておると聞く」


 足柄峠から北上する道か。足柄峠を越えねばならないのは難点だが、古い整備された道があるという。


「しかし手痛いよな。葛飾は鎌倉より上野に近き。鎌倉より安く塩作れるやも知れぬ」


 塩の製造コストを更に安くするしかないだろう。アキラは懐から平べったい石を取り出した。宇都宮の北で石工に分けてもらった、細かい気泡の入った石だ。


「かような石、この辺りで見たことは?」


 石が鎌倉の塩づくりの者たちの手を渡っていく。


「似たような石なら」


「ああ、似たようなものなら、あるぞ」


 なんとその辺で採れるという。


「その石で竈作られよ。炭使う分が減りましょう」


     ・


 試しに小さな竈が作られるのを待つ間、アキラたち足利組は風車に取り掛かっていた。

 もし風向きが決まっているのなら、風車から風見の軸が省略できる。海風と陸風で180度風向きが変わるとしても、人が付いて面倒を見てやればいい。風向きが変わったところでクランクを付け替えるのだ。

 アキラは径2メートル両軸持ちの風車を組み立てた。難しい軸の部分は足利で作って持ってきていた。

 軸の先がクランクになっていて、クランクシャフトが揚水ポンプをを動かす。ポンプは例によって箱ふいごの改造品だ。

 鎌倉を流れる小川に風車を据え付けて、揚水デモをおこなう。せっかくポンプで持ち上げられた水はその場で小川に戻される。揚程は2尺ほどか。

 この揚水風車の目的は勿論、塩田への海水のくみ上げの省力化だ。


 期待したほど強く一定の風は吹かない事、思ったよりいろんな方向から風が吹くことなどを教訓として、アキラたちはデモを終えた。あとはここの人たちがこのアイディアをどう思うかだ。


 竈づくりはアキラの珍妙な要求のおかげで遅れていたが、ようやく部材が揃って組み立てが始められるようになった。

 気泡の多い軽量な現地産の石を組み立てて出来たのは、縦に起立した奇妙な筒だ。筒の底には横に二つの穴が開いている。ひとつは焚き口、もう一つは吸気口だ。


 竈の焚き口の底に敷いた粉炭の上で火を熾し、火吹き竹を吹いて粉炭への着火を確認すると、アキラは一旦竈から離れた。


「もう吹かぬのか。ふいご使うか」


「いや、もう要らぬ」


 アキラはわくわくしていた。ようやくロケットストーブが実現するのだ。

 やがて火勢が、ごうという音と共に竈の頂部に達した。この強い上昇気流が燃焼に必要な空気を自然に吸引する。つまりふいごか要らないのだ。

 アキラは炭をかき回すと、鉄釜を上に乗せ、手桶の塩水を中に傾けた。


「少し炭足してみよ。竈の後ろの穴塞がぬよう気を付けよ。火が付けばこの竈にふいごは要らぬ」


 塩作りたちはしばらくこの竈を試して、炭の使用量が多少は減らせるとようやく認めた。風車に関しては、奇怪な代物として取り合う事すらなかった。

 仕方ないか。海岸の黒い砂を踏みながら考える。アキラは頼季様に鎌倉殿の為に何でもせよと言われて、出来る事はたっぷりやったと思っている。受け入れられないのなら、それまでだ。


 ところでこの砂浜の黒いのは、やはり砂鉄だろうか。

 今なら確かめる手段がある。

 アキラは革袋の中から磁石を取り出し、その針を砂の上に置く。

 確かに砂鉄だ。



 碓氷の貞道殿から足利に入植する武者三名の名表を預かる。この三人も頼信殿への主君替えだが、間接的にだが頼季様に付くことになる。

 この三人の下に戦災で常陸から逃れてきた流人たちを領民として組み込んで、足利の西側の未開墾の谷地を領地として与えることになっている。

 勿論未開墾だから、これからしばらく、収穫があるまでは足利屋敷が食料や必需品を与えて開墾を支援することになる。

 この春の祭りの収入があって初めて可能になった入植だった。


 帰りの船には、乾燥させた海藻が山のように積み込まれていた。匂いがひどい。


「これは何ぞ」


 アキラたち四人は、風向きが変わるたびに風上を求めて舟上を移動することになった。


    ・


 その答えは上野までたどり着いて判明した。


「これは布海苔(ふのり)ぞ」


 出迎えてくれた池原殿が言う。


藻草(もぐさ)の灰をどうこう、という話をした事があったろう。あれはよくよく考えると、浜で焼くより上野で焼くのが炭動かさず済む。

 そこで持って来た藻草が布海苔でな、そこで思いついたのよ」


 足元の俵から小さな黒い塊を取り出して示される。

 径二寸身ほどの塊で、手で握り固めたらしい。


 布海苔は煮ると米糊のようにどろどろになって接着剤として使えるという。


炭粉(すみこ)を布海苔で固めてみた。これで俵積みで炭を運べる」


 練炭か。


「炭団子と呼んでおる。まずは鍛冶屋に売って廻っておるが、いずれは各所屋敷にも売ろうぞ」


 アキラは炭団子の小さな塊を手に取った。

 いずれは庶民の手にも入るようになるのだろうか。

アキラはかつての荒川、つまり今の元荒川の川筋を下っています。

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#43 村岡郷について


 平の良文は平の国香の庶子五男として生まれ、兄弟からは遅れて関東にやってきましたが、その後相模、武蔵、上総にそれぞれ村岡の名を持つ土地を開拓入植し、拠点を築きました。どの村岡にも城館が築かれたことが知られています。武蔵の村岡は本作品の本話(#43)中に出てくる荒川の渡しの南の土地のことで、つまりは交通の要衝でした。

 平の良文は村岡五郎の綽名で呼ばれましたが、この村岡がどの村岡であったかは定かではありません。

 その後、平の良文の子孫は関東で勢力を伸ばしました。その中の一人が房総半島を支配した平の忠常です。忠常が武蔵に影響力のあることを主張したのは、この武蔵の村岡郷が関連しているのではないかと思われます。


 碓氷の貞道(平貞道)は頼光四天王のひとり、今昔物語集内のエピソード第二十五巻の十、酒の席で自分の主君の兄でしかない源頼信にだれ某を殺せと言われ、紆余屈折の末結局殺す話で知られた武者ですが、このエピソードの最後の主君替えのあと鎌倉の村岡郷に入植しています。群馬の四万温泉の発見に係る逸話を持っており、碓氷という字からも出身は上野国の碓氷峠付近でなかったかと思われます。恐らくは源頼信の上野国司時代に縁があったのでしょう。相模の出身ではないかと言う説もありますが、本作品ではこれを採りません。

 それが平の良文の末孫として鎌倉の村岡郷に入植する訳ですが、まともに考えると不思議な話にしかなりません。本作品では出自の捏造によりこの要地を急遽占有したという設定になっています。

 中世では古文書偽造が極めて多く行なわれていました。中世では歴史的経緯が書いてある文書と言うのは基本的に偽造とまずは疑うべきでしょう。文章には作られる理由が必ずある筈です。書いてある年月日で偽造と判るような代物が多いのですが、これら偽造文書には真剣な理由があったのです。

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