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#4 :1018年2月 川原

 昇ってきた月が夜道を照らす。

 意識していなかったが、武者どもなら動物の血の匂いに気がつくだろう。尼女御はそれに気づいて、河のドブくさい匂いで誤魔化せと言ったのだ。


 河までひたひたと歩いていく。

 二月の月はまだ寒々しい。


 千年後の二月じゃない。いわゆる旧暦、太陰暦の二月は、太陽暦の三月におおむね相当する。

 太陰暦って奴は本当に面倒で、3年に一度くらいの割で、うるう月、なんてものが存在する。今年だと4月が二回あるのだ。つまり今年は13ヶ月ある。


 季節は太陽の運行によって決まるから、太陽暦ならばっちり三月は初春の陽気だ。だが太陰暦だと太陽の運行に対して最大プラスマイナス半月ぐらいずれる事が有る。

 農業にとって大事なのはもちろん季節の巡りだ。それに対して毎年不定にずれる太陰暦なんて使うのは、それは太陽の精密観測が難しいからだ。

 対して月なら、満ち欠けの周期とタイミングを誰でもチェックできる。月なら28日ごとに校正できるのに対して、太陽には満ち欠けが無い。

 太陽の動きのどこを始まりに取るかと言えば、夏至や冬至の観測が必要になる。

 太陽暦の一種である二十四節季も一緒に暦には書いてあるから、暦を一手に管理する陰陽師も太陽の観測はちゃんとやっているのだろうか。



 あと三日もすれば春分だ。

 この千年後の世界にやってきてからおよそ半年になる。


 ただ、奇妙なことが幾つかあって、例えば半年前、屋敷の前に倒れていたアキラは、紺の水干(すいかん)に紺の袴姿だった。


 水干と云うのはここら辺の農民の着るものではない。袖は胴体と繋がるところが大きく開いていて、背中だけで繋がっている。水干の下には臙脂の小袖(こそで)を着ていた。

 水干も袴も小袖も生地は麻だったが、紺の色は褪せておらず、新品のようだったという。水干はちょっと古めだが正装として通用できる衣装だ。

 アキラの身長に合っていたというのも重要だ。この時代アキラほどの身長の人間はそういないのだから。

 そのとき着ていたものは、今は尼女御に預けてある。


 それ以前に、記憶の最後の時点で着ていた筈のゴアテックスのジャケットも、化繊の半袖シャツも、トレッキングシューズも、リュックも、勿論スマホも活動量計付きG-SHOCKも消えうせていた。

 髪の毛は伸びて頭の後ろで軽く結ばれていた。

 足の裏はちょっと硬くなっていた。

 遅めの軽い夏季休暇の消化のつもりで山歩きをしていた筈だったのに。


 いやそもそも千年前に来ているという圧倒的な不思議に対して、記憶に無いひと月ほどの期間が存在するのではないか、そんな疑問は些細な筈だ。

 が、やはり気になる。

 そのひと月の間、俺は一体何を考えていたのか。


 考え込むうちにアキラは河のそばに辿りついた。川沿いに歩いて、川辺に出る道を見つける。

 藪を漕いで川辺に出た。

 

「誰ぞ!」


 先客がいた。その声は頼季様だ。


「アキラに有ります」


 丸石の転がる川原に歩み出る。

 頼季様は一人、水辺から立ち上がる。暗くて顔は見えない。


「お一人で何をしているのですか」


「吾子こそ今日は何処にいた」


 聞けば今日は例の二十人を近くの郷に顔見せに行ったそうなのだが、


「助戸郷の郷長な、来るなら事の前に予め言えと云うのだ。これまでさような事あったか?」


「……それは郷長の言うことがもっともでしょう。知らない顔が二十も続いて出てくれば色々あるでしょう」


 吾にその旨お使えあれば、先触れいたしましたのに、そう言うと、居なかったのはお前ではないか、と言われる。


「朝方思いついて云われても困ります」


「吾も兄背に朝言われたのだ」


 二十人移り住ませるから引き合わせておけ、と。成るほど。しかし、それは今日せよとの仰せでしたか。


「それよ。助戸郷で不首尾になったとき、思ったのがそれよ。

 何事もよくよく考えねばならん」


 その後仕方が無いから、二十人を連れて近場を案内したとの事だが、早々に連中は疲れたといって不平を述べて、それで昼前には案内は終わりになったという。


「この調子で明日はどうする、と思うとな」


 なるほど。


「それには段取りが要りますな」


「ダンドリとは何ぞや」


 やはりか。段取りなんて言葉はこの時代には無い。


「私のくにの言葉で、物事のやるべき事をよくよく考えておいて、予め順序を決めておくことです。

 頼季様、二十人を住まわせるには家が要ります」


「そうだな」


「畑も要ります。食べ物も要ります。弓馬も要るでしょうがまずは家、田畑、食べ物です。特に田畑は急がねばいけません。もう春です」


 アキラは農家の出ではないが、流石にそろそろ農作業を始める頃合ではないかと思う。詳しい人間に聞かねばならない。


「家はすぐ建てるという訳にはいきません。詳しいものに聞いて何が要るかはっきりさせねばいけません。田畑も同じです」


 そう言いながらアキラは川に入った。水は冷たく、これは服を濡らしたくないと思う。烏帽子を脱ぎ川原に置く。袴をまくり、小袖を諸肌脱ぎにする。


「つまり、大工と田堵(たと)を雇わねばならぬか」


 タトとはアキラが初めて聞く言葉だ。文脈からすると田畑に関する職業だ。

 川の水を身に浴びる。冷たい。ひたすら冷たい。10回くらいやろうと思っていたが、5回に修正だ。


「頼季様には当てがおありで?」


「アキラお前は?」


 アキラは鴉の行水よりもしょっぱい水浴びを早々に切り上げる。これ以上やると風邪を引きそうだ。


「こちらの情実には疎うござりますれば」


「ああ、そうだな、そうだった」


「明日まず、助戸の郷長のもとに参って、色々聞いてきましょう」


「そうだな、その通りだ」


 それから、頼季様は足元から石ころを拾うと、川面に投げ込まれた。あまり大きな石ではなかったのだろう、ぽちゃんと音がした。


「吾に給があればな

 どう考えても吾にはお前のような家人が要る」


 小袖に腕を通し直して襟を直したアキラも、川原の石を拾う。


「さればアキラは頼季様の別当(べっとう)ですな」


 都の大きな屋敷、例えば日本史の授業に出て来た藤原道長の屋敷などには、使用人頭らしき別当という職があるらしい。

 アキラは手の中の石を川面に投げる。


「良いな。それは良いな。

 ……なぁ、吾子はまだ国に帰りたいか」


「この頃は暖かくなりましたゆえ、それほど思うことはありません」



 帰りたいに決まっている。


 だが、どこへどう帰るというのだ。

 山の中ちょっとした登山の筈が、気がついた時にはこの時代ここにいた。

 トラックにはねられたとか、神様に経緯を説明されたりとか、そういうのはアキラの身の上には一切無かった。

 この半年、ちょっと山の中をうろうろしてみたり、じっと情報収集に努めたり、そのくらいしか出来なかった。そして何も変らなかった。


 この半年はつらいことばかりだった。

 常に腹を減らして、ノミとシラミに食われ、そして終わりのない寒さに震え続けた。アキラの半年の記憶は寒さの記憶だ。


 この時代、庶民には服は通気性の良い、つまり断熱性に著しく欠ける麻の服しかない。この時代に布団は無く、服を重ねて着るか、寝るときは身体の上に重ねるか。服は持てば持つだけ暖かく過ごせる。

 しかしアキラに与えられたのは、体格に合わない小袖と袴だけだった。

 アキラは藁を編んだ(むしろ)を布団代わりにしたが、それでも寒く、アキラは冬のうちに自分でもう一枚筵を編んで使った。

 だが、今ようやく春が来た。まだ肌寒いが、春が来た。



 頼季様の投げた石は、ちゃぽんと寂しい音を立てた。


「安房あたりなら暖かいかも知れんな」


 頼季様の言っているのは房総半島の先の辺りか。


「暖かいうちは頼季様のもとで働きましょう」


 嘘だ。勿論嘘だ。

 また冬が来てもここに居るつもりだ。目の前に千年後に帰れるゲートでも現れれば話は別だが、それ以外の条件ではここを離れるつもりは無い。


       ・


 冬のある日、雪が積もったある日、アキラは物置き場の奥で一人泣いたことがある。


 その場所はアキラの特等席だった。やくざな郎党の戯れのダシにされたり、古株の雑色の難癖にあったり、耐えられなくなるとアキラはよくそこに篭った。誰に見つかることの無い場所で、誰もアキラを気にかけていなかった。


 いつもはその隅で膝を抱えて座り、自分の境遇に怒り静かに腹を立てていたのだが、ある日、その日、アキラはそんな怒りが全て無駄である事を悟った。

 アキラは自分の心が折れる音を聞いた。アキラにしか聞こえない、ちいさな音だった。気づかないうちに目に涙が溢れて、そして止まらなくなった。


 これまで、決して人には泣くような真似は見せたことは無い。厳しい環境にアキラが課したルールだった。

 そのルールも今、空しくなった。


 何で自分はこんなところにいるんだ。

 答えようが無い。全ては空しいのだから。怒りすら空しいのだから。


「誰ぞ」


 その小さな声は、そのとき聞こえてきた。

 屋敷の名目上の主である少年、源の頼季だ。一人きり、雪の中、屋敷の隅の物置き場に彼は来ていた。

 少し置いてアキラは答えた。アキラに有ります、と。


       ・


 アキラの涙を知るのは、頼季様だけだ。

 あの日、アキラと頼季少年は主従の誓いをした。アキラは差し伸べられた手を取り、少年に必要な助けを与えようと決めた。

 あの手の暖かさを忘れない。


「暖かく過ごす術を見つけましょう。さすれば冬もここで働けましょう」


 アキラは探していたもの、平たい石をようやく見つけた。

 投げた石は水を切って飛んでいく。ただ、あまり先は闇にまぎれて見えない。ただ水切りの音だけがそれと知れた。


「暖かいというのは良いな。何としても見つけよ」


「承りました」


 そうして二人は暫く、二月の月夜の下、川面に石を投げ続けた。

#4 史実について


 渡良瀬川はこの時期、現在の位置を流れていませんでした。作中で太日川と呼ばれているものが渡良瀬川に当たります。当時の流れはおよそ現在の矢場川及び自治体境界線に沿って存在したと考えられています。現在の流れに位置を変えたのは中世の何時頃なのか、諸説あるものの確たる説はありません。ただ堰にかんする記録から、上杉氏がやってくる前には現位置になっていたとされています。


 本作品は大まかには史実を基礎としていますが、実のところ足利に俘囚郷がこの時期に作られた史実はありませんし、源義家が荘園とする以前に源姓系統が所領としていた史実もありません。この時代の記録は少なく、ただ、摂関期に郡丸ごとが荘園になるプロセスを考えると、恐らく足利では通常とは違う支配プロセスがあったものと想像しています。記述の大半が想像に基づくものであることは強調しておきます。


 主人公の振る舞いは史実からの逸脱を意に介していません。逸脱の影響は物語開始時点では少なく、当分も少ないのですが、しばらくすると大きなものとなります。

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