#38:1019年1月 新年
「妻迎えられたと聞きました」
第一声がそれだった。
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新年の国庁屋敷は忙しい。
屋敷のすぐ近くの総社と呼ばれる神社で、元旦の朝から朝拝と呼ばれる儀式に光衡殿は付きっ切りだ。在庁たちも、もちろん藤原の兼光も、みな総社に詰めている。
屋敷は儀式の終わったあとの宴席の準備で忙しい。下野国の各地から郡司たちがやってきては国司に挨拶をすることになっており、母屋にはびっしりと席が用意されていた。
宴会は本来ならば三日間続くとされていたが、質素倹約の為に一日で終わらせるという。それでも宴会はちょっと見ない規模のものになるだろう。
アキラはというと忙しいのは既に終わっていて、そして今は別の仕事を割り振られていた。
この屋敷にも訪れるようになって結構経つが、西殿に入ったのは今日が初めてだ。
西殿は母屋の西側にある、母屋よりわずかに小さな建物だ。母屋が基本的に壁が少ないのに対して、西殿は国司家族のプライベートスペースで、だから塗込壁が至る所にある。
しかし、壁は個室を形作るところまでは行っていない、必ず片方は解放され、御簾がかかっている。
西殿は御簾だらけだった。
アキラは熾火を起こした長火鉢を持って、御簾のそばに腰を屈めた。
「アキラにあります」
入られよと言うのは偽浮舟、あずさ殿の乳母だ。
御簾の裾を持ち上げて膝をつき、にじり入る。室内は壁と御簾のおかげで屋外ほどではないが、やはりまだ寒い。
部屋には畳を二枚敷いてカーペットか何かの代用にしているようだ。その上に置かれた褥の縁には錦が使われていたが、何か見覚えがある。そうだ、アキラの都土産だ。
散らかった服をかき分けて長火鉢を置くスペースを作る。火鉢を畳の縁近くまで押し出すと、あずさ殿と乳母殿はさっと長火鉢の上に手を殺到させた。
あすざ殿はそうして、ようやくアキラを見た。
そうして発せられたのが、妻迎えられたと聞きました、である。
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「然り、去る年の末に」
アキラはできるだけさりげなく返事をした。
「卑しき出の者と」
今度はあずさ殿の乳母が訊いてくる。
元は貴族の息女だと聞いていたが、知識学識の方はちょっと心もとない方だった。仕方あるまい。東国まで来てくれる乳母を探すのは大変だったろう。
しかしまぁ、悪い人物ではないとアキラは評していた。屋敷では学問の道に厳しきという評判をとってはいたが、実際にはあずさ殿には激甘である。
手に入る源氏物語の巻は全て集めたとの評判である。勿論本人の伝手ではない。どこか、多分京で書き写して下野まで送り届けるのは、藤原兼光の手配によるものだ。
要するにこの乳母殿はしっかりと藤原兼光に懐柔されていた。だが狙いはあずさ殿ではない。光衡殿の息子、二郎殿だ。
本来なら受領の娘あずさ殿こそ大人気になるところだろうが、ここは都ではなく東国だ。将来に不安を抱えている受領の息子を、例えば郡司の家に紹介して、郡司の郡と受領の家双方に影響力を獲得しようという、傍から見ればアキラにも判るほどの割とあからさまな工作が展開中だった。
「我が妻の家の事、詳しく申すは障りあるゆえ」
流石に卑しいとか言われるとムカッとくる。この時代の基準でまったく本当のことだとしても、答える義理はあるまい。
「歌は贈られたのですか」
「然り。日頃管弦して過ごしております」
ほぅ、とは乳母殿の声だ。まぁ嘘は言っていない。
「如何にして見初められたので?」
あずさ殿だ。
あぁ、コイバナ好きなんですね。
さて、どう答えたものか。まさか、集団結婚のハズレを押し付けられた、なんて言う訳にもいくまい。
「妻に見初められたのですよ」
嘘ではない。
「ほぉ」
これはあずさ殿だ。
「風雅愛情の径は、歌を詠むのみでは無いのですよ」
実際は酒をくれと言われたのがきっかけである。
絶対に口外できない類の話だ。
そこで表が何やら騒がしくなる。どうやら儀式が終わり、使者たちが各地の神社に官幣を奉納しに向かうらしい。
これは本来ならば国司が直接行うべき儀式だった。そのために延喜式に廻るべき神社のリストが載っているのだ。
総社はその辺を楽にするために考案されたシステムらしい。神社の中には二荒山神社をはじめとする各社の小さな分社が並んでいて、ここですべての儀式を理屈の上では済ますことができるようになっていた。
実際にはここでは総社は、国司に国内を廻らせないためのシステムとして機能していた。
同様に、国司は国内の各郡を廻って視察し勧農に努めることとされていたが、郡司が向こうから出向くことで、その必要もまた理屈の上では消滅していた。
ここに平光衡殿は、藤原の兼光によってシステム的に幽閉されていたのだ。
さて、これから宴だ。
「では、朝餉を持ち戻ります」
アキラは御簾から出て下屋へと向かう。廊下は女房たちが忙しく動いていたが、さっと身をその流れに割り込ませると板間に上がり、用意しておいた膳に飯が盛られているのを確認すると持ち上げて来た道を戻りにかかった。
狭い廊下である。女房たちの肘がガンガンぶつけられてくるが、膳の上にこぼれる様な、たとえば酒が無いのはその点ありがたい。
膳の上にはたっぷりと味噌と醤油が使われていた。
去年の末あたりから、北関東に安い塩が出回るようになっていた。
安い塩は飛ぶように売れた。塩売りや馬借があっというまに在庫を捌いてしまって、二度三度と足利を通って下野の北に新たに仕入れた塩を運んでいた。
しまいには米による支払いには応じない、布のみを受け取るとまで塩売りは言い出したが、それでも順調に塩は売れ続けた。
料理はとたんにバリエーションを増やした。特にこの新年の宴会ではそれが顕著だ。大根にも塩が効かせてある。これで酢が使われていればなぁ。
あとは酒と酢か。
酢は酒造りのプロセスの先にある製品だ。聞いた話だとそうなる。
酒造りのプロセスの大型化も、木桶が安くできるようになったから始まるはずだ。酒もずっと安くなるだろう。そうすれば酢も安くなるに違いない。
清酒は、どうだろうか。
澄み酒はあるらしいから、清酒はあるのだろう。見たことも飲んだこともないが。都で飲んでくるんだった。
自作は、難しいかなぁ。少なくともアキラには作り方は分からない。
だが、蒸留酒ならどうか。文字通り蒸留すれば何とかなるんじゃなかろうか。
理屈の分かりやすさは蒸留酒に分がある。
研究してみるか。
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アキラは一度母屋で挨拶を済ませると、再び西殿に戻っていた。
客人が何かの拍子に西殿に迷い込んだりするのを防ぐためだ。一応ボディガードの役でもあったから、今日のアキラは水干に太刀拵えをしたいつもの長刀、つまり太刀を佩いていた。儀礼の場で佩ける太刀があると便利に使えてよい。
とは言っても誰も来ぬので、やがてアキラは御簾の前に陣取った。ここならちょっと暖かいし、目配りも効いて良い。それに雑談で暇も潰せる。
しかし雑談でも、乳母殿の色恋話はこれはちょっとあずさ殿に聞かせるのは問題なのではなかろうか。幸いあずさ殿は理解していないようだが、聞かせちゃいけないディティールで満ち満ちている。
藤原の正頼殿、簗田郡司もあんたと寝ていたとか、ちょっと、もう。
聞かせちゃいけない内容は、自分で判断して欲しい。下帯の話を元旦早々聞かされる身にもなってくれ。
話の種が尽きてきて、乳母殿の話が更に下世話になる雰囲気を感じたアキラは、では物語をして進ぜましょう、と切り出した。
物語は秋以来のアキラの研究題材の一つだ。そしてお嬢様方の大好きな恋愛物となると、これは思い切って超古典をぶつけるしかないだろう。
「郎身王と朱里姫の物語であります」
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いずこの時ぞ、天竺の西国に聞こえし事を申しまします。
楼那という都に、門宅といふ一族と毛振といふ一族が代々事を構えて争いおりました。
ある日も、毛振の郎党を見咎めた門宅の郎党の喧嘩ぞ始まり、それを止めに入りし門宅の若君も、狼藉を煽りし由を毛振の長者の甥に咎められし。
かの国の大君はこの様子を見てお嘆きになり、門宅のものに禁門をお命じになりました。
あるとき、毛振の家では屋敷にて大いなる宴を催し、宴に参るものは皆それぞれ趣向の面をつけ衣を着て訪れおりました。
あるものは翁、あるものは法師、して門宅の若君、郎身王は京太夫の衣と黒の面を付けて参りけり。
無論、郎身王は禁門の身なり。されど郎身王に恋焦がれる姫君あり。かねてより郎身王は密かに通いており、しかして姫君とは、あろうことか毛振の姫君、朱里姫でありぬ。
毛振の郎党は郎身王に気づき、捕らえ狼藉せむと欲せども、毛振の長者はこれ宴に相応しくなきと郎党を留めぬ。
またあるとき、郎身王は毛振の家の築地壁を越え、釣殿の下に待ち侍り、高欄に立ちし朱里姫と睦言を交わしけり。しかし其の言はもはや生まれを恨むものとなりにけり。
「あな郎身王、吾子は何故に郎身王よ」
郎身王にはもはや毛振の家に忍ぶにも雑色や女房の手引きもあらず。互いの家の争いの構えは、もはや妻に迎えるも婿に取らるるもむつかしき有様なり。
かくして二人はさる法師の手引きにて、駆け落ちして寺に身を隠す事を企てたり。
しかしその後、郎身王としたしき御牧の中将、毛振の長者の甥と喧嘩となり、郎身王は二人を止めしものの、ひきょうにも毛振の長者の甥、御牧の中将を斬り殺したり。
しかして怒りし郎身王は毛振の長者の甥の刀をば取り上げ、仇を討ちたり。
大君は禁を破りて争いし事を咎められ、郎身王を流刑と定むるなり。これは門宅の家も毛振の家も一人づつ失い、命も一つづつ失われるのが為との大君のお考えなり。
郎身王と朱里姫の仲を知りし法師いたく悲しみけり。なぜならば二人の仲が両家の仲を繋ぐるとのおん考えゆえ。
法師は一計を案じ、煎じ薬を用意したり。
深山の毒茸を干して刻みて粉にしたものにて、呑めば直ぐに打ち倒れ、息をひきとるものの、しばらく待てば再び息を吹き返す秘薬なり。
法師の計りにて郎身王かの偽毒を含みたり。しかし法師の企みを言付けられし女房、朱里姫にこれを伝えず。
朱里姫、郎身王のもがりの床で伏して泣き、両家二人の仲を知るなり。姫夜になりても縋り泣き、やがて小刀で我が命を絶てり。
やがて郎身王、息を吹きかえすも、その床に朱里姫のむくろをみつけたり。
嘆けし郎身王は、やがて御身もその命を絶てり。
日があけて死せり二人に気づきし両家のもの、法師の計りを知りて、事のはこびに心持ちを空しうしけり。両家の長者、二人を並べ葬りけり。
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「あな郎身王!」
あずさ殿は感極まった様子で、芝居めいた仕草をした。
「ああ、二人はなんとか共暮らしできなかったものでしょうか」
「郎身王は財を良く用いて、毛振の雑色や女房の一人や二人は味方に付けるべきだったかと。つまりは慮浅き方、毒茸使うてもまた良からぬ運びとなったでしょう」
乳母殿は辛らつだ。ここではこういう教育をしているのか。
「しかし、慮浅きは人の常。良い物語を聞きました」
気に入って頂けたようで、何よりです。
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二日後、それぞれの神社に行っていた使いが戻って、それぞれの仕事が果たされた事を記録すると、アキラの仕事は終わった。楽なものである。
良い気分で帰ってきたアキラを待っていたのは、池原殿だった。
「待っておった。さぁ、行くぞ」
馬に乗って待っていた池原殿は、そのまま馬の向きを返すと、来よ、と言う。
「何事ぞ」
「委細は道の上で話す」
#38 国司の仕事について
国司の大きな仕事として、国内の神事をおこなうことがありました。年に一度は国内の神社を巡って官幣と国幣を供えることになっていました。このための神社のリストが延喜式神名帖です。
下野国にはリストに上がった式内社が12社ありましたが、これらは各地に散らばっていてすべてを廻るのは大変でした。そのために、これ一社ですべて済んだことになる式内社の神を合祀する総社が発明されることになります。総社は国庁に隣接して建てられました。
国司が赴任して国印、印綬を受け取る儀式は総社で行なわれました。次いで都から持ってきた官幣を捧げ、国内の式内社には、国司が現地で作って奉納する国幣を、部下に持たせて奉納させます。
任地に赴かない遙任は、国司による神事が行なわれないことになります。これが問題とされて任国へと神事を行なう為にだけ赴く貴族もいました。
毎年元日に行なわれる朝拝も国司の重要な仕事でした。通常はこれが年に一度の神事の扱いでした。二日目からは宴を催し、在庁や郡司をもてなします。この饗応もまた国司の大きな仕事でした。
勿論国司の仕事の最大のものは税の貢納で、次が財産の保全でした。しかし他にも規則で決まった、やらねばならない事が多くあったのです。
総社はやがて荘園が国司の権力に優越する実力を持つようになると、新たな一宮制にとって代わられる様になります。