#35:1018年11月 勧請
石清水より勧請した御神体は、足利屋敷を目の前にして一休みした場所で、その場を動かなくなってしまった。
神人の従者の背負っていた長櫃はもう、その場に根でも張ったかのように動かなくなってしまった。持ち上げようとしても、押しても引いても、もう全く動こうとしない。
そう聞いた頼季様は額を押さえて呻かれた。そんな勝手に場所を決められても困る。こちらでは既に社を建てているのだから。しかしこれは明らかにご神託である。無視はできない。
で、その場所を聞いて頼季様は頭を抱えられた。正確にはその前にアキラに地図を持ってくる様に言い、更に場所をよく聞いてからだ。
間違いないかと更に聞き、そしてアキラの持ってきた地図を母屋の床に開いて、見落としが無いかと確かめるようにある一点を睨んだ後、長い息を吐いて頼季様は頭を抱えられた。
「どこなのですか」
「田中の山の向こうぞ。太日川と山の間か」
足利屋敷の西で太日川は小さな山に遮られて南に屈曲し、そしてまた東にクランクする。その屈曲部の辺りだ。場所的には清水川の向こうに当たる。
「ここも足利荘なのですか」
「大昔の都合らしきが、足利に違いない」
西と南を太日川、北を清水川、東は田中の山と呼ばれる田んぼの中の小高い丘、つまり周囲を何らかの地形で囲まれた狭い土地である。
「渡ら瀬に近いというのは、考えによっては良いかも知れません」
尼女御が顔を突っ込んできた。
「向こう岸には市が立っておるのですから、ならばこちら岸でも立たぬ法はありませぬ」
「渡ら瀬というのは浅瀬でありますか」
池原殿が割り込む。
「昔の話にあります。今は水の深く、渡るに難しいと聞きます」
答えたのは信田小太郎だ。
「しかしこう図で見ると、これは柵なすに良き所やもしれませぬ。
川と山に囲まれ、篭るには強き所でしょうぞ」
「市が作りたいのだぞ」
頼季様が頭を振る。
「浅瀬があったのは昔のこと。道の便は今は無い。文字通り、はずれよ。
ああ、しかし神託ぞ。おろそかには出来ぬ。
アキラよ、貞松と行って社建てる所を定めよ」
しかしアキラは、別のことに気をとられていた。
渡ら瀬。
やはり太日川は渡良瀬川か。
上流側、アキラの知る21世紀においては渡良瀬川がある筈の場所に流れているのは、今それは太日川だった。そして大河は氾濫し河道を変える。
この平安の世から21世紀までの間のどこかで、渡良瀬川が大きく流路を変えたとすれば、渡良瀬川はかつては太日川と呼ばれていたという事になり、辻褄が合う。
だがそれはつまり、やがて足利荘のど真ん中を大氾濫が襲い、荒廃させるという事だ。
「アキラよ」
そこでアキラは我に返って、貞松を呼びに立ち上がった。
・
清水川は冬の間に水量を減らして、浅瀬では飛び石を伝ってほとんど足を濡らさずに渡ることができた。この寒さの中、足を水に漬けたいと考える者はおるまい。
「では、橋の所も変えるのか」
アキラは西のほうを指差した。
「田中の山の北の端あたり、川が狭くなった辺りを考えておる」
貞松はそちらを眺めて、
「少し深く見える。あれは厄介ぞ。橋杭をあそこに立てるは良い考えとは思えん」
橋杭とは橋脚のことだ。
「橋杭は立てぬ。要らぬ」
「六間はあるぞ」
川の両端に少し石組みでもして基礎をしっかりしたほうが良いだろう。橋のスパンは多分20メートル程度になる。
ちゃんと堤防工事がされていて川幅が狭くなっていれば、川の本体に橋をかけるだけなら、橋の長さは半分で済んだのだろうが、残念ながら今はそうではない。橋を架ける予定の場所は、それでも川の幅が一番狭いあたりなのだ。
「五分の一で既に試したからな」
「あれか、あれがうまくいくと思うておるのか」
アキラが考えているのは、純粋な木造トラス橋だった。
最初は楽勝だと思っていたトラス構造だったが、考えてみると困難極まりない構造だった。鉄が、鉄板とボルトが使えれば楽勝なのだが。
問題はトラス部材の接合だった。きちんと接合できればピボットでも構わない部分だ。だが木造ではピボットこそ困難だ。ほぞ組みとの食い合わせが悪過ぎる。
アキラはうんうん唸りながら、接合構造を幾つも、模型を使って試していった。
五分の一の模型で、負荷をかけては構造の破損を調べる地味な作業をおよそひと月続けた。負荷をかける藁縄のせいで、屋敷の誰もが模型を奇怪なまじないだと思っていた。だから皆それを見てしまうと急いで目をそらすのだ。
模型は理屈どおりの強度を証明してみせた。明日にでも破壊試験をやってみるつもりで、それで設計に付け足すものはなくなる。
新しい橋の位置が、従来の架橋予定地点と川の幅が同じくらいと言うのも、位置選定の大きな理由だった。もう設計を変えたくない。
目的の場所の松の木の下に、男が二人いた。石清水八幡の神人とその従者だ。
二人の荷物と思しき中に、背の高い箱がある。背負えるように紐が掛かっているようだ。これがご神体を収めた箱か。
アキラたちは名乗り合うと、この地に社を立てる旨を説明した。それを聞いて、神人たちはあからさまに安堵の表情を見せた。
ここに鎮まれば変事も終わりましょうと聞いて、アキラは肝心のご神体を収めた箱を眺めた。
箱の紐を手に取ってみようとしたその時、アキラはすぐそばに軽く熱気を感じた。何か熱いものが傍を通り過ぎたような。
振り返るが、何もない。拍子に紐を持ち上げてしまう。箱は軽く持ち上がる。
背後で驚きの声が上がった。
「箱を見よ!」
箱の中で何かがカラリと音を立てた。木の焼けた匂いがする。
よく見ると、箱の上に変色した跡がある。薄く焼けた跡、手形だ。大きい。その指先は尖っていて、箱にも傷が残っている。爪跡か。
「鬼の手ぞ」
・
石清水八幡の神人と供の二人は足利屋敷で饗応され、その間に社殿の移築が行われた。
高台に地均しをして、河原から良さそうな礎石を拾い上げる。基礎の突き固めがおこなわれ、社殿が分解されて部材が運び込まれた。
その間、ご神体の箱は松の木の下、急造された仮の屋根の下で、近郷住人たちの訪れては鬼の手の跡を見るのに晒され続けた。
アキラは考える。不可視の存在が箱を押さえて動かないようにしていたのだろうか。
社殿はさっくりと組立て直され、茅葺きが終わらぬうちにご神体は箱ごと社殿に安置された。翌日には神人により祝詞が上げられて、石清水八幡宮の分社として正式なものとなった。
鳥居が立てられ、注連縄が張られ、そしてすぐに新嘗祭だ。
足利荘の主だったものが30人ばかり集められ、寒空の中、ありがたい祝詞が唱えられると、即座に儀式はお開きと言う雰囲気になった。
一同はすぐに焚き火の周りに集まり、振る舞い酒にありついた。
「春には祭りを盛大になさると?」
振舞われた搗きたての餅を手に、助戸郷の郷長が頼季様に訊く。
「ああ、清水川に橋かけるゆえ、その時は何の不便なく集まれよう」
小雪がちらちらと降り始めると、一同はいっそう焚き火に近づいた。
アキラは焚き火の周りから離れると、敷地内に張られた陣幕に入った。中では北郷党が蒸篭で米を蒸しては餅を搗き、盾の上で丸めていた。幕のお陰で中は少し暖かい。
陣幕とは要するにテントだ。行軍の際に宿営として張られる。屋根の代わりに布を張り渡し、壁の代わりに布の幕を巡らせる。
この幕は敵の襲撃の際には矢に対する防護にもなる。陣幕は屋敷の奥から引っ張り出されてきたものでかび臭く、アキラのみたところ改良の余地は大きい。
出来上がった餅を幕の外に運び出したところで、頼季様の声が聞こえてきた。
「二月におこなうぞ。歩き巫女呼びて奉納させる。傀儡子舞、田楽舞もおこなうぞ」
他人事の筈だが、なんか変な約束までされてはいないか。アキラは餅を振舞って歩く。早速餅を焼きたいという奴のために串を作らないと。
雪が本格的に降り出す前に、皆三々五々と帰り始めた。
アキラは残り物の餅を齧ったが、これはちょっと餅っぽくない。もちもち感が無い。そういえば、作るのに普通の米を使っていたな。もち米はあるのだろうか。
最初の新嘗祭はこんな風に、ちんまりと終わった。
・
清水川の架橋作業は測量から始まった。
紐が川の向こうへと張り渡され、水平に調整される。これが橋の床面の高さになる。
紐に結わえられた布の位置に杭が打たれる。ここまで基礎が石積みで作られる。
石積みと聞いて不満の声を上げる北郷党にアキラが示したのは櫓と、そして大きな滑車の組み合わせだった。動滑車だ。
動滑車は地味だが実に効く。21世紀の理科のペーパーテストには頻繁に出た代物だが、アレがこれほど有用な代物だとどれ位が思っていた事だろうか。
河原の邪魔な大岩を藁縄で縛り、川岸から動滑車で引っ張る。アキラは手応えを感じてぐいと引っ張ると、大岩がわずかだが動く。驚きの声が上がる。
岩を引っ張って、基礎とするために掘っておいた穴に落とす。下で北郷党が手伝ってくれて、岩が納まると、さて次だ。
「それを引っ張れば良いのか」
振り返ると、革の上着を着た君子部三郎がいた。
「ちょっと引いてみよ」
アキラは藁縄を君子部三郎に掴ませる。藁縄を引くと下で岩がぐらぐらと動き、岩の周りの北郷党がやめよと言う。
「面白き事ぞ」
君子部三郎は革服をすっかり気に入ったように見える。風を通さず水も通さず、と褒めちぎるのを聞いて我もと作るものも居たが、アキラが作ったようにはうまくいかないようだ。
アキラは今自分の分を作っていたが、まだ足りない材料があった。
「吾にも引かせよ」
北郷党の一人が岩から縄を解いて他の動かす岩に結ぼうとして、君子部三郎と引っ張り合いになる。もちろん遊びだ。だがこうして動滑車の振る舞いを理解してくれるのなら、それに越したことは無い。
積まれた石は、後ろから小石を詰めて石垣っぽくなった。アキラも石垣の作り方など知らないし、貞松もヨシツグも知らぬという。
まぁ作ってみるしか無いだろう。上から棒で何度も突いておいたが、この程度で足りるのかはわからない。まぁ、それらしいものは出来た。
寒い寒いと屋敷に戻ると、敷地には郎党たちが狩ってきた水鳥が吊るされていた。
渡りの季節だ。水鳥の羽は矢羽根になる。
太陽暦だったら、もう年末なんだろうな。アキラはふと思った。
もうそんな季節なのか。
#35 勧請について
神社を新設するために、本社の霊を新設した社に分ける勧請には、実のところ決まった方法はありません。神霊に形は無く、神人の祝詞により神を降ろせば、そこは神域です。
神仏習合が進んだ段階では、仏像並みに実体のあるご神体が必要になります。従って勧請に御神体の移動を伴うケースが現れます。これは何らかの実体に神降ろしして、それを移動することになります。これは現地で神降ろしする必要を減じました。
宇佐の時代から神仏習合の進んでいた八幡宮でしたが、宇佐からの石清水への遷座は大安寺の僧行教によって行なわれ、石清水八幡宮は弥勒寺と一体になり僧である別当、検校が運営の最高位に立つようになります。石清水八幡宮は経営的には当時の仏教寺院の変種と言えます。
石清水八幡宮は十一世紀半ばから各地の末寺末社に対する支配を強めますが、物語中の時期はまだそれ以前のものです。
八幡宮の祭神は誉田別命、応神天皇とされますが、八幡宮は神仏習合が早い段階から進んでいたので、八幡大菩薩、僧形の御神体像がこの時期は製作されることがありました。また、比売神、神功皇后をあわせて八幡三神の像もあわせて作られることもありました。作中では恐らく、木の板に神名を書いた勧請札だった事でしょう。
実際には、高名な神社で貰える一般的なお札を勧請札として神社を建ててしまうという事が多かったようです。平安中期以降の散村の鎮守社は、そうやって建てられたものが多かったと思われます。