#34:1018年11月 盗み
居心地が悪い。
アキラは竪穴式住居の床に座って、目の前に進行しているらしき儀式を見ていた。
子供が殴られ、土の床に叩きつけられる。
小袖と言うには袖が短すぎる襤褸に帯をしただけの、少年だ。さっきチンコ見えた。
歳は小学生高学年ほどに見えるが、この時代の年齢はアキラには判別が付き難い。顔や表情は、いやそもそも顔が思い出せないほど腫れあがってしまっている。
父親は、アキラたちからどのような刑罰が言い渡されるのか恐れている。子供を殴るのは罰の代行によって刑罰を緩和したいという考えからだ。
「そこまでにせよ」
壁際に藁束をうずたかく積み上げた竪穴式住居の中で、アキラは父親に命じた。
・
板泥棒は足利荘内で起きた。
大窪郷のはずれの小川に架けた三枚橋から一枚、差し渡しは三尺程度の短いものが、おとといの朝無くなっているのが見つかった。
まだ板の裏側にアキラの落書きが無かった頃のものだ。
鍛冶屋に炭を運んでいた北郷党のものが、小川で一人何かやっている子供を見かけたのが今日の午後。彼を見て逃げたので追って捕まえてみれば、板を持っていたという。
板にうっすらと残っていた黒い筋で、やっていた事は知れた。
「砂鉄を採っていたのか」
すこし、子供の頭が動いた。
「腕折るか」
北郷党の者が言うのを、アキラは益無きと言って制する。
「稚児働きさせる」
千歯扱きのせいで、この時期の子供の働かせ方に空白が生じていた。
いつもなら朝から晩まで箸扱きで脱穀作業に従事していたであろう労働力が余っていた。藁細工をさせるにはまだもう少し藁を乾燥させたい。大人たちは冬野菜の畑仕事に忙しく、勿論子供に手伝わせはするが、手軽な軽労働が今ちょっと無い。
で、この子供は、盗んだ板で砂鉄採りをしていた訳だ。
板を売ることも出来ただろうが、砂鉄採りに使うという辺り賢いかも知れない。板を売るより資本として再生産に生かしたのだ。勿論板を売るアテが無かっただけでもあるのだろうが。
「律令では盗みには倍の購いをさせると決まっておる」
「そんなもので良いのか」
北郷党はそんな感想を漏らす。
子供の親がものすごい勢いで頭を地面にすりつけた。板の対価に釣りあう購いとなると、この家の状況では難しいだろう。
「相当分を子に雑役にて購わせよう」
・
来年11月まで、一年の住み込み労働で話はまとまった。
日が近いゆえ正月には家に帰さぬが、働きが良ければ盆には家に帰すと約束した。
働き手は減るが口は減るし、一年経てば働き手として戻ってくる。親にとっては痛いところの無い話だ。
そして少年の働く場所については、アキラに考えがあった。
屋敷に連れてこられた少年は、期待にその打ち身と青あざだらけの顔をほころばせて、あ、痛みに顔を引きつらせた。
「ここで働くのか」
アキラの答えは違った。
「ここではない。北郷の山奥だ」
頼季様と尼女御に事の次第を説明した。頼季様に名を聞かれて、少年は、犬丸、とだけ答えた。
風呂に入れ垢を落とす。痩せているだけの健康体だ。まだ歯も揃っている。腫れはかなり引いたが青痣だらけだ。歳は12だった。
子供に着せる服が無い。いや、あるのだが頼季様の服は立派過ぎる。春先までアキラが着ていた服をとりあえず着せる。服が大きすぎるが、仕方ない。
「何させるぞ」
そういう犬丸に、アキラはまず説教でもしないと、と思った。
このまま、奥山で盗みでもやられては困る。
「盗みの悪しきは何故か、わかるか」
はーい、こっちの考えを推測させる、ダメなやり方のパターンですね。でも好きに後出しジャンケンできるので、とりあえず説教したいときには好まれるパターンです。
「わからん」
くそっ、最初から計算が外れてしまった。これだから中世人は。
「鍬盗まれれば、盗まれたものは困ろう。吾子も物盗まれれば困ろう。
人を困らせるのは悪、ゆえに盗みは悪しき。
これがわからんとは何と愚か。犬のごとき愚かさよ。
今日より吾子は犬丸ではなく、犬、犬で決まりよな」
囃し立てるようにアキラは続ける。
「悪行なすものは輪廻転生にて畜生道に落ちるとの事、これ何故かと思っておったが、なるほど畜生ほどの愚かさでは畜生道に落ちるより他あるまい。
さて考えるに、犬ではまだ吾子より犬の方が賢げなる。さて、蛙か虫か」
吾子は虫か、虫丸か。イラッとくるような口調でアキラが囃すと、
「武者が殺しおるよりましであろうよ」
犬丸は吐き捨てるようにうそぶいた。
・
さて、どう言ったものか。
アキラは殺人を犯しておらず、だが、だからと言って、ああ武者共は皆地獄行きよ、等と言う訳にもいかない。アキラは武者側に立たねばならないのだ。
論旨をどう組み立てようか。
「もちろん殺しも悪、だがな、うむ、盗まれたものを取り返すは悪ではなかろう。これは良き事。
盗賊を殺すはこれに似た事ぞ。殺すものを殺すは良き事ぞ」
「殺しは殺しであろう」
内心思っていることをズバリ言われた。
「殺すものを殺すもまた殺し、ゆえに悪であろう」
こんな子供に言い負かされているのも癪だが、だが、言わねばならない。
不破の関の山で賊に襲われたときの事をアキラは思い出していた。
頭を掠めて飛んできた矢を思い出す。
「誰かに殺されかけた事はあるか」
犬丸は首を振る。
「さすれば判る。殺すものを殺すは良き事ぞ」
思わず声に確信が篭る。アキラはやがて自分が人を殺すであろうことを、その響きに予感していた。
・
犬丸は夕餉を食った後ころりと寝てしまったが、やがて熱を出し、翌日は一日新殿に寝かせた。翌々日には元気に起き出したので、アキラは馬を曳き出して犬丸を自分の前に乗せた。
北郷へと向かう道すがら、犬丸は様々なことを訊いてきた。
「水車を作ったのは都の大工か」
「吾と、都から連れてきた貞松とで作った」
犬丸はあからさまに疑わし気な目をしてくる。
「都へ行ったのか」
「うむ。御堂関白様の屋敷の仕上げをしたぞ」
確実に、嘘つき野郎だと思っている目だ。
上名草村で、一軒の家に寄った。小金部岩丸の家だ。
ちょうど岩丸は手押しポンプで井戸から水を汲み上げているところだった。
金棒で各村に一本づつ井戸を掘り、生活の水の便の問題はほぼ解決した。
ポンプで汲み上げないと使えないから灌漑用水にはならないが、ちょっと使う分には十分だろう。
地面から四角の箱が生えていた。箱の上から飛び出しているのはピストンのシャフトだ。この先は継ぎ手になっていて、梃子の先に繋がっている。
梃子の支点は箱のそばの地面から生えた棒の先になる。梃子を上下に動かせば箱の側面から水が出てくる。
ポンプは、箱ふいごの仕組みを流用することで実現した。細部まで箱ふいごそのものと言っても良い位だ。横に置くものを縦にしただけ、空気の代わりに水を扱うに過ぎない。
そう、名付けて水ふいご、そう命名した貞松がいつのまにか発明者みたいに思われていた。
汲み上げられた水が桶に溜まっていく。
竹で箍をした水桶は北郷の各家に行き渡るようになっていた。
好奇心を剥き出しにして手押しポンプを見つめる犬丸をよそに、アキラは岩丸に話しかけた。
「上名草の人手、半人分程だが連れてきたぞ」
いぶかしむ小金部岩丸に事の次第を説明する。
「確かに人手は足りぬが」
そりゃ新婚家庭に大きな子供を一人預かれと言うのは酷だ。しかし、かと言って一人で暮らさせる訳にもいかない。
「水車小屋の番でもさせればよい」
灌漑用の水車とは別に作った、脱穀用の水車小屋だ。小さな小屋に小さな水車で、小屋の中には臼が二つ、水車の軸から突き出した腕木で持ち上げられ、臼に落ちてはまた持ち上げられる杵が二本あった。
小麦や雑穀の製粉も視野に入れた、いや、本当はそっちが本命だ。
ただ、もう小川は最近の晴れ続きの乾燥した天候のせいで干上がりかけていた。春まで水車は休みだ。
つまり、水車小屋は空いている。
「いや、ちと、そのようには」
渋る小金部岩丸を問い質して、その答えにアキラは呆れた。ラブホかよ。
「色宿表というのが、ほら、あそこに」
水車小屋の軒下にあるのは予約表だという。水平に吊るした棒に刻みが入っているが、そのどこにも木の札が下がっていた。刻みは日付をあらわすのか。つまり今月は予定ギッシリだ。
「あらかた孕んだかと思っておった」
夏には出産ラッシュが待っている。夏の一番忙しい頃に人を割かれた上に大忙しになる。
「その残りがそれよ」
全員妊娠させるつもりか。
しかし、これだけ需要があるのか。これは使用を禁止できない。
「判った。我が小屋に住まわせる。ただ、飯だけは食わせてやってくれ。料は出す」
・
「許しておくれ」
更に奥山へと向かう馬上、次第に木の影が濃くなる路上で、犬丸は身を震わせてアキラに哀願してきた。
「かようなところに住めるものか。酷き所ぞ」
「いやいや、住めばなかなかに良いぞ」
だが、びゅうびゅうと吹き渡る寒風に消えそうなその言葉に、説得力は無い。
やがて石垣に囲まれた田んぼ予定地が見えてくる。まだ水を入れていないので、ちゃんと水田として使えるかは未知数だ。
「狭くて変な田だ」
そりゃ地形に合わせればこうもなる。
「田はこれだけか」
無理を言うな。
石垣を組めたのは田んぼ三枚分ほどでしかない。流石にそれ以上は限られた暇のうちには無理だった。だから周囲には切り払った草原が広がっていた。菜種を播いていたが、出た芽も雑草に埋もれていた。
長めの材木を乾燥させる為の小屋を抜けると、柴垣が続くのが見える。
馬に食わせるために伸ばしていた夏草が盛大に枯れている。あとで刈って焼かないと。薪小屋の後ろには煉瓦作りの炉がある。
結局、陶器作りは断念した。かつてはこの土地でも焼き物を作っていたらしいが、残念ながらその土は陶土ではなく、釉薬のかかる温度に耐えない。
最近は瓦を作れるか試していた。とはいえこれも開店休業状態だ。
その隣にはひとまわり小さな煉瓦の炉がある。これは上に板を組んで作る蒸篭を置く前提の炉で、桑の枝を蒸して紙の材料として取り出すために作ったものだ。
紙作りも挫折したままだ。桑の繊維はたっぷり取れたので、多分紙の原材料として売りに行った方が良いのだろう。
蒸籠はもう一個、薫蒸用のものがあったが、焦がしてしまっていた。
続く崖沿い、崖の下に小屋がある。
「あれは椎茸を生やしておる洞ぞ。あれの世話は小金部岩丸、さっきの男に頼んでおる。犬丸はあれに入る際は必ず岩丸と一緒でなければならぬ。さもなくば岩丸が斬るぞ」
この時代キノコは高級食材、そのうちでも椎茸は安定した人気を誇っていた。キノコは栽培されておらず、ゆえに安定された供給はどこにもない。
晴れた寒い日が続くようになって、干し椎茸を作るちょうど頃合だ。そろそろ食卓にUMA味を効かせてやりたい。
そしてようやくぼろ小屋もといアキラの我が家が見えてきた。
犬丸の家より明らかにボロである。よく見ると大物部季通に壊されて直した筈の部分がまた壊れている。
「あれは何ぞ。山賊の巣か、鬼の塒か」
「これでなかなか住み良いのだぞ」
そう言いアキラは入口にかけた蓆を持ち上げたが、その蓆の裏に付いていたらしい、でっかい百足がぽとりと足元に落っこちてきた。
すぐ足元に。
アキラは一瞬飛び上がってじたばたした。声を上げそうになる。百足はさっと奥の暗がりへと姿を消した。
息が落ち着くと、アキラは刀を抜いて百足退治に乗り出した。
百足は結局二匹殺して、アキラは今やこのぼろ小屋の薄屋根や藁材に虫が大量に潜んでいることを悟っていた。恐らく越冬のためだ。思い返してみれば百足もちょっと動きが鈍かったような気もする。
これは火をかけて焼いてしまうべきだろう。
アキラは刀をまだ納めぬまま、振り向いた。
「いやじゃ」
犬丸は後ずさる。
「ここは嫌じゃ。なんでもするゆえ、ここだけは嫌じゃ」
アキラは刀を納めて、流石にここには住まわせられないと考えた。
「何でもするのだな」
・
「何でもする。何でもするゆえ、置いておくれ」
犬丸は、地面に叩頭して小金部岩丸に哀願した。
小金部岩丸はしばらく思案して、言った。
「何でもするなら、置いてやろう」
「良いか?」
「良くはない。しかし人手足りぬはまこと。代わりに何か良くしてくれ」
アキラは少し考えると、
「椎茸のほだ木、二本やろう。採れた分は全て吾子のものとする。あとで選んで印をつけよ」
・
あとあと考えるとアキラは椎茸のほだ木二本で犬丸を売ったかたちとなった訳だ。全くひどい話である。
一年と年限は切っているし、そもそも盗みの贖いである訳だが、アキラの雑役から解放されるまでのおよそ半年を思い出すと、やはり同情してしまう。
とはいえ、この時代、食事がちゃんと取れるかどうかも分からないのだから、恵まれたほうだと言う事ははっきりと言える。それに、どうせ親元でも、同じように雑役にこき使われるだけだったのだ。
#34 揚水ポンプについて
揚水ポンプには様々な種類がありますが、本作品の範囲では歯車ポンプもターボポンプも出番は無いでしょう。アルキメデススクリューは古い歴史のある揚水ポンプですが本作では出番は無いでしょう。アキラもどういうモノであるかは知っていますが、作れるとは思っていないでしょう。
揚水水車は回転ポンプの一種です。揚水水車をコンベアー式に拡張した龍骨水車は中国では二世紀の発明ですが、日本への伝来は遅れます。作中時代には伝わっていません。
往復動を使うポンプとしては、エアーポンプであるふいごが存在します。ふいごの語源は吹皮、つまり皮袋がまず使われました。平安時代には大規模な炉では踏みふいご、小規模なものなら箱ふいごが使用されました。踏みふいごは板をシーソー動作させて床の空間容積を変化させますし、箱ふいごは内部のピストンを前後に動かすことで内部容積を変化させて吐出気圧を作ります。
ここでは作中の揚水ポンプについて説明する前に、その原型となった箱ふいごについて説明します。
箱ふいごは四角のほぼ密閉された箱の内部に、前後に動くピストンがあるものです。ピストンは棒を介して、箱の側面の穴から棒を前後に動かすことによって動きます。ピストンは狸の毛をブラシにして箱との隙間を埋めて密閉度を上げていました。
箱の側面、ピストンの動く奥と手前にあたる位置に、逆止弁がありました。この逆止弁は驚くほど簡単なものです。箱の内側に、穴を塞ぐように板を吊るすだけです。吊るしてあるだけですから板は動きます。ピストンが引かれたとき、板も手前に引かれて空気を内部に通します。しかし逆にピストンを押すとき、板は箱が邪魔になって動けません。つまり押すときだけ弁が塞がるのです。
箱の側面には、ピストンが押されたときに開く逆止弁が付いています。これは箱の外側に、やはり同様に穴を塞ぐように板がぶら下がっているだけです。箱から空気を出すときに板は箱から押されて穴を開きますが、逆にピストンが引かれて内部が負圧になるとき、板は箱に張り付いて穴を塞ぎます。
この穴からの空気を炉に導入する、最後の部分のパイプを火口と呼びました。
箱ふいごは、鍛冶屋が座ったまま、手で箱のピストンを前後に動かして使いました。
作中の揚水ポンプの内部構造はほぼこの箱ふいごと同一です。ただ違うのは空気の代わりに水を扱い、加圧ではなく負圧をつくる点でしょうか。
箱ふいごを縦に置き、底位置に来る逆止弁の位置を、上総掘りした井戸の上に重ねます。この部分にはパイプが必要でしょう。ちなみにここのパイプはたたらでの類似部品にちなんで水口と呼ばれているという設定です。
箱の位置がずれない様に、箱は地面に少し埋めて固定されるでしょう。
頂部の逆止弁は不要になります。穴だけが開いているでしょう。ピストンのシャフトは箱の外の梃子の先に繋がっています。梃子を上下に動かすとシャフトも上下します。
実際には梃子の先は円弧を描くのに対してピストンは直線運動ですから、そこを誤魔化すために継ぎ手には摺動みぞが刻んであります。この辺りは貞松にえらく感心された構造です。
箱の中のピストンにはパッキンとして柿渋で処理した鹿革が挟まれています。耐久度はあまり無いかも知れません。
箱ふいごの側面には、箱組みされたパイプ状の構造があります。これはこの揚水ポンプでは負圧で汲み出された水が次に加圧されて出て行くための配管になります。この箱配管の先から水が溢れ出す訳です。
我々が良く知っている鋳鉄製の揚水ポンプと大きく違うのは、ピストンに逆止弁を内蔵するような面倒くさい構造になっていない点でしょう。鋳鉄製の良く知るポンプは梃子の支点もポンプとほぼ同一位置にあり、そのため円弧を直線運動に変換するのも更に面倒になります。しかし鋳鉄の工作精度はメンテナンスの手間を大幅に省きます。