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#33:1018年10月 検田使

 検田には、アキラから事前に測量のレクチャーを受けた北郷党の二人が付いてきてくれることになった。馬二頭に機材と当座の荷物を積んで彼らは出発した。

 まずは隣の安蘇郡からだ。安蘇郡は足利の倍ほどの面積となる。


 アキラたちはまず藤原兼光邸へと出向いて、検田と測量の趣旨の説明をした。

 屋敷は山を背にして三方を堀で囲っていて、門前には一直線の街路、その左右には家が並んでいた。この家は郎党のものらしい。都をちょっと真似したのか。寺らしきものも見える。

 郡衙(ぐんが)っぽくない、というのがアキラの初見の感想だった。古代からの行政施設である郡衙は各地で現役バリバリで使用されていたが、どれも広く古風で倉が雑然と立ち並ぶものだった。ここは明らかに武者の屋敷だ。


 以前散々源頼義殿に脅されていた藤原兼光との面会だったが、既に国府屋敷で顔を合わせていることもあり、すんなりと母屋へと通された。ほとんど待つことも無く本人が現れた。


「こういう図を造ります」


 これは足利のものですが、と、高低情報と田の情報を削除したものを見せる。

 兼光殿の目はじっと地図に注がれる。手元に引き寄せようとするのを、アキラの手が引き留める。


「地目が書いておらぬぞ」


 地目とは田の情報、良田とか荒田とか、そういう種別分けだ。


「しらべるのが収納の後ゆえ、地目の詳しきところは不明となります。しかるに後ほど詳しき方に地目の書き込みを願いたい」


 収納とは稲刈りのことだ。

詳しき方に地目の書き込みを願いたい、つまり、地目は好きに書いて良い。

 アキラの言っている意味を兼光殿が理解するまで、少しの間があった。


 兼光殿にしてみれば、隠し田もあらわにされる筈が、何故か白紙の小切手が転がり込んでくるような話だろう。どの田も荒田だとでも好きなように書けるのだから。困惑する話だろう。

 普通、国司がおこなう検田は、税をより多く取るためのものである。


「検注、ではないのか」


 しかし、平の光衡殿にしてみれば、将門の乱以来失われていた国図を完成させれば、それだけで大きな手柄である。

 それは亡弊の国の復興の大きな一歩とみなされるだろう。報告する田の様子がどうであれ、光衡殿は褒められこそすれ責められることは無い。

 これが、兼光殿にこの検田を承認させる策だった。


「いや、検注であるは確か。これに当たりて、地目の件、助力頼みたく申し上げる」


 しばらくして、よかろう、と兼光殿は言った。


「但し、人をつける」

 

 案の定、現れたのは平の良衡だった。


      ・


 測量は三人でやることによって飛躍的にスピードアップした。そもそも田の輪郭と道、川を測っていくだけだ。郷もその周囲輪郭しか測らない。

 棒と杭を持った二人組が田んぼの向こうで杭を打ち、その上に棒を立てる。

 その向きを測量盤の上で紙に記録すると、アキラは白い小さな旗を振った。それで田んぼの向こうの二人は次の測定地点を決めるため移動する。

 平良衡はアキラの隣で興味深げにそれらを眺めていた。


 ひととおり終わると、測量盤を移動させる。前もって杭を打って向きを記録し、そしてロープで距離も調べる。

 磁石で向きを合わせ、紙の上に新しい原点を記すと、また二人組みにはさっきと同じ杭を廻って棒を立ててもらう。

 磁石に関しては、陰陽の者どもは皆持っておる物ぞ、これで方角を占うのだと大嘘を付いて誤魔化したが、何せ田舎だ。そう聞けば成る程と皆深く納得した。

 新しい原点から棒の向きに線を引くと、前の原点から引いた線と交わる、それが棒の位置だ。

 アキラはまた旗を振る。今度は杭を引っこ抜かないといけない。杭は使い捨てではないのだ。

 この郡では測量図に高低情報は書き込めない。平良衡が隣で見ているのだ。


 最初は一日500町くらいのスピードで処理できていた。だが山沿いにかかると途端にスピードが落ちた。

 最初は気にも留めなかったのだが、明らかに飼われている牛が多い。これはずっと後で思い当たったことだが、鎧の材料として牛の革を得る狙いがあってのことだろう。

 食事と寝床は平良衡の案内で近隣の郷にとることができた。

 結局、安蘇郡全体を測ってしまうのに15日ほどもかかってしまった。


 これは長期戦になる。


 ある時、何の益あってこれをやるのか、平良衡に聞かれた。


「国司殿の益となりますれば」


「いや、吾子の益はなにぞと聞いておる」


 正直なところは絶対に言えない。

 高低差情報は、藤原兼光の勢力下に無い郡に切り込む武器だった。那須や芳賀といった郡では高低差情報も測量して、郡司に提示することになる。


 高低差情報は開墾余地を計算することを可能にする。

 川のどこから、どう用水路を掘って引けば、どこに水を導けるか。それがわかる。

 武蔵の国府にいた武者たちを思い出す。具体的な開墾余地を示しさえすれば良い。郡司と調整すればすぐにでも開墾は可能だ。

 新しい開墾者はやがて税を郡衙に収める訳だから郡司としても嬉しい。これは郡司たちが足利方につく大きな理由になるだろう。

 もちろん武者たちは足利側の戦力になる。

 アキラは平良衡がしつこく追求するのをなんとかごまかした。


 写しを作ると、再び藤原兼光邸へと赴く。


「地目をお書き込みいただければ、取りに参ります」


「……いや、光衡殿には吾が届けよう」


        ・


 測量に15日は長すぎた。

 ついてきた二人は、足利屋敷についた途端荷物を置いて家に飛んで帰っていった。風呂を用意するというのを無視してである。


 クワメはめっちゃむくれていた。

 どうも、当日か翌日には帰ってくるものと思っていたようだ。

 アキラはひたすら謝るしかない。


 次の測量とひと言言おうものなら、次はもう行かないと北郷党から全拒否を食らってしまった。

 方法を考えねばならない。

 一つは人手を増やすこと、もう一つは測量盤をもう一つ増やすことだ。後者はそれだけで測量速度が倍になる。よし、更に測量班を複数にしよう。

 アキラはヨシツグに測量盤をあと3つ作るよう頼んだ。

 あとは磁石だ。

 

    ・


「あの針か、あれはここの鉄ではない。ちょっと待て」


 鍛冶屋はそういって建物の奥を探る。出てきたのは鉄の板だ。


「これの端から採った。誰ぞの刀を潰したものだったか」


 別の土地の磁鉄鉱だったのか。

 たしか、TV番組で知った情報だったか。古い石は、生まれたときの磁場方向をその中に保持する事がある。それは溶岩が固まって石になる、その冷えたタイミングで地球の磁場方向を記録するからだ。

 例えば鉄でも同じように冷えるとき、地球磁場を記憶させることができる筈だ。

 アキラは、自分で焼入れをしたいと頼み込んだ。そのためにアキラは手桶と磁石を持参していた。


 鍛冶屋は炉に火を熾すと、(たがね)で鉄板から針になる部分を切り離しにかかった。できた切れ端を炉内に突っ込み、しばらくふいごを動かし、そして赤くなったのを取り出して叩いてゆく。

 鍛冶屋の金床は、黒い木のブロックの上に載った厚みが10ミリほどの鉄板だった。

 鍛冶屋は床に座り込んでどんどん叩き、金床の上で切れ端は針に変わって行く。

 再び切れ端は炉内で赤く熱されて、そして、よし、焼き入れよと言われて、アキラは火ばさみを受け取った。


 手桶には水を入れ、その向きは南北を予め確かめてある。アキラはまだ赤熱した針を南北に向くようにして、水に沈めた。

 じゅっ、と音がする。

 火ばさみを放すと、針は手桶の底に落ちていった。手で攫うと針はまだ暖かい。

 よく冷えたところで、針を白木の上に置く。細長い白木の上には溝が掘ってあり、針が納まるようになっていた。これを手桶の水の上に浮かべる。


 アキラと鍛冶屋が見つめる中、白木はやがて南北を向いた。


「何のまじないぞ」


 アキラは白木を取り上げて、裾で水を拭う。鍛冶屋の問いに答える。


「これ南北を指す石、磁石なり」


 鍛冶屋は焼入れの部分を何かのまじないと思ったのか、その後あと2つを仕上げた後でも、アキラよまた造ってくれと言う。南北に合わせて焼きをいれるだけだと言っても、とうとう信じてくれなかった。


     ・


 アキラは北郷党の家々を巡って頭を下げて検田への助力を乞うた。

 農繁期を過ぎたとは言えやることは幾らでもある頃である。反応はよくない。

 しかし月に5日だけ、それで5斗出るとなると興味を持つものも出てくる。アキラは彼らに新しい測量方法を教えて、おかげで北郷は詳細な測量地図が得られた。


 北郷の用水設備のうち月谷の溜め池は修理済みだったが、堤田の溜池は大規模な修理が必要だと思われた。堤防の破損箇所が地層の砂地をえぐっていて、そこから水が全部消えてしまう。ここを塞ぐには防水に粘土が要る。

 北郷党総がかりの補修計画が立てられた。別の谷の粘土がある箇所から土を持って来ないといけない。

 他にも用水路の開削計画はまだ掘る段階まで進んでいない。今回の測量でようやく正確なルートが決定された。


 池原殿はというと、なんと二十里堀なんて計画をぶちあげて呆れられていた。田地を一気に倍増するという大計画だ。全長10キロの用水路の開削なんて、20人ぽっちでは絶対にやりたくないぞ。


 仕方が無い。アキラは一緒にやってくれると言った5人を連れて、簗田郡の検田に出かけた。測量盤は2つしか使わない。更に、毎日家に帰ると約束した。

 その為に清水川を越えて簗田郡に馬車を持ち込んだ。川には橋が無いから持ち込むのも大変だ。更に簗田郡も馬車が走り回るには橋が狭い。

 アキラは十枚もの板を簗田郡の既存の橋に足して、馬車の渡れる三枚橋にした。

 

「武者が橋を焼くというのは聞くが、橋を架けるとは聞いたことの無い」


 馬から降りた簗田郡司、藤原の正頼殿はそう言うとアキラの脇に立った。


 千歯扱きを貸す際に既に挨拶は済ませている。既に子供も大きい壮年のオッサンで、父親似の立派なヒゲの持ち主だ。父親とは勿論藤原の兼光殿、この人物は長男だ。

 従って父親の地元の権威を継ぐことは規定の話な訳だが、どうも都で華々しい暮らしをしている弟がちと妬ましい、とは酒の席で聞いた話だ。


 千歯扱きの利用が一巡し、その噂が正頼殿に届いてアキラは改めて郡司屋敷に招かれた。

 昔ながらの校倉の立ち並ぶ古い郡司屋敷で、正頼殿は武者としての立場と郡司としての立場で揺れているように見えた。

 酔った正頼殿は、頼季様と一度話したい、飲みたいと言い出した。


「都鳥の風雅も知らず、この東国で埋もれるのかと思うと悲しゅうてな」


 頼季様をお仲間と見ての事か。

 話題の大半は武者というより、農業経営者の話だった。良い田堵が居るというのは本当の話だった。郡司がこれほど熱心なら田堵もやり甲斐があるだろう。

 アキラは河川治水と猫車の話を熱心に吹き込んだ。太日川という大河に面した土地では治水は魅力的な概念だろう。

 いつのまにか猫車も貸す方向で話が進んでいた。正頼殿にいつのまにか話を転がされていた。猫車なんて工事で使う日数など限られている。そりゃ買うより借りるほうが安くつくだろう。



「実のところを申せば、正頼殿にはこのように良く迎えらるるとは思っておりませんでした」


 アキラはそう言って頭を下げたが、


「頭下げるまでも無いぞ。そもそも吾子が無位無官なればさっさと切り殺しておったろうよ」


 アキラはぎょっとして正頼の顔を見る。


「吾子の寒川の乱行、吾の耳にも聞こえておるぞ。

 されど官人なれば、殺せば朝敵。ならば致し方なし」


 正頼殿はそう言って笑う。笑い話なのか。ジョークの一種なのか。

 ちょっと判別がつかないが、ここは笑い話として流すべきなのだろう。


 そう言えば言っていなかったな。


「清水川にも橋架けたいと思いしを、いかがか」


 正頼殿が顔をしかめる。


「何の為ぞ。殺生供養か何かか」


 武者に公共事業という概念は無い。だが郡司の視点ではどうだろうか。


「清水川に橋架ければ、太日川まで、つまり舟使うのが気安くなります。

 足利では色々作れるようになりましたが、大川が遠く、売り買いに諸々面倒がありましたゆえ、諸々便法よろしくしたいと考えての事」


 正頼殿は黙ってしゃがみ、張り渡し終えた板を叩く。


「これは盗む者出るぞ」


 簗田郡は足利郡と違い、山林資源に乏しい。郷周りに竹を植えることを推奨しているようだが、その辺りが簗田郡では限度だろう。


「盗人には仏罰が落ちましょう」


 アキラは馬車の荷台に積まれた板を一枚裏返した。


「何ぞそれは、いかな(いわ)れの悪鬼ぞ」


 ミ○キーマウス、だった。しっかりと寛仁戌午年藤永明銘とサインも入れている。


 橋は水辺に架けるものなので、うまくすれば水中で長期にわたって腐食せずに残るかもしれない。これが将来発掘されたらどうなるだろうか。ウォルト・デ○ズニーこそがアキラの著作権を侵害したことになるのだろうか。いや流石に、いかなベルヌ条約で遡及しようとも著作権は切れている。

 今回、橋に使う板の裏はアキラの落書きまみれだった。これを盗んで何かに使うのはちょっと気が引けるというものだろう。

 お経でも書けばというのが尼女御のアイディアだったのだが、流石に一枚で飽きた。残りはまじないと言う名前の落書きだ。盗めばデ○ズニーから追訴されると威書きも付け加えた。


「有難き鼠頭大王の御姿にあります」


      ・


 今日の測量もようやく終わり、北郷党たちも帰り支度に気もそぞろだ。

 どんどん陽が短くなり、作業時間も減っていた。

 びゅうびゅう鳴り響く冷たい風に、アキラも揃って震え上がる。その風にようやく、既に足利に来てから一年経ったのだという事に気が付いた。


 もう一年と二か月くらい経っている頃間だ。

 気が付かなかったのは、最初の二か月が苦しく無我夢中で、あまりその間の記憶が無いからだろうか。

 気が付いてみれば、アキラはこの冷たい風のなかにいたのだ。


 太陽暦ならもう年末だろう。

 とうに冬になっていた。

#33 測量について


 アキラが行っている測量のスタイルは、平板とアリダード相当品を使った三角測量です。アリダードは定規の両端に視準上の目印が立っているもので、この目印を測量点方向に向ければ平板の上に定規が測量点に正しい角度で向いている訳です。

 この作業のためには、平板が水平であることと常に正しい方角を向いていることが大事になります。


 長さと方向の分かっている基準線の両端で、まだ位置が未確定な点Aの向きを、基準線に対する角度を測れば、その角度に引いた線の交わる位置に点Aはあります。この三角測量は原理的には、基準線から言える範囲の空間全てが測量可能です。

 しかし実際には視界を遮る家や木や山があり、基準線ひとつでは測量すべき空間をすべてカバーするのは困難です。だから基準線を連結しながら増やしていかなければいけません。しかしこの連結は誤差蓄積の大きな原因になります。

 この測量法でできるだけ精度を出すには、長い基準線を結ぶ大きな三角形の構築が必要になります。

 そのためには、例えば山頂などの基準点を活用する事が有効となりますが、そのためには各基準点間の距離を出さねばいけません。

 ロープなどによる直接距離測定では困難な距離には、視差に基づく測距が有効でしょう。しかしこれには精密な角度測定と、角度から距離を出すための三角関数計算が必要になります。

 単純な三角測量は狭い範囲では問題なく使えるのですが、測量が広域化すると上記のような問題が待ち構えることになるのです。

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