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#32:1018年10月 狩り

 しばらく前のこと、君子部三郎が初めて鹿を射て仕留めた時のことだ。

 北郷党、いやその頃はまだ俘囚たちに鹿の捌き方を教えるのはアキラしかいなかった為、名草谷奥のアキラの土地がその教習会場となった。

 鹿狩りは弓の訓練も兼ねていたから、頼季様も一緒である。


 吊るして血と内臓を抜き皮を剥いで肉を捌き骨を選り抜く。骨と腱は集めて膠の材料とするのだが、今回アキラは腱についてはちょっと分けておこうと思っていた。

 今回肉はその場で皆で焼いて食う。そのための準備をさせながら、肉は血を抜き塩に漬けた後燻して長持ちさせる方法があることを説明し、かちこちのビーフジャーキーのような試作品のかけらを少しづつ食わせた。


「これはまことに肉か。塩気ばかりじゃ」


「刻んで飯にかけてみよ。菜物よりよっぽど良いぞ」


「ふむ」


 頼季様も噛んだ燻製肉に渋い顔をしている。


 その場でざっくり作り小刀でささくれを取った竹串に生肉を刺す。焚火のまわりに築いた石組みの上に差し渡すが、これはうまくしないと竹串が焼ける。


「勿論、燻し肉より、こちらを焼いて食うほうがうまい」


 竹串が焼けぬよう炙れと言いながら肉に串を刺して、俘囚たちに手渡してゆく。

 さて次は茸だ。


「このうちで食えるものはどれか、知っておるか」


 椎茸のほだ木試作三号には、なにやらいろんなキノコが生えていた。手当たり次第に菌糸を植え付けて試したのだ。

 一応、まず椎茸に違いあるまいという茸も生えているので、次からはこれのみを元に生やせばいいが、今生えているものはどうしたらよいか。


「いや、知らぬぞ」


 君子部三郎はそう言う。ほかの者もそう言うのだが、だがうち一人が、これとこれとこれは食えぬ、と言ってくれた。


「ほかは食えるのか」


「いや知らぬ」


 なら食うのは止めておこうとひっこめようとしたのを、せっかくだから食おうなどと言い出す者もいる。


「吾は食わんぞ。あ、それは取ってくれるな」


「なぜじゃ。椎茸じゃろう。食えるぞ」


「それは残しておいて増やす」


 アキラは椎茸栽培についてその場の者に説明した。


「椎茸は干せば長持ちする。畑で作るがごとく数多く作れば売れるようにもなる」


「椎茸畑でもつくれば良いのか」


「いや、洞を掘って、そこにこのような木を立てかけて置いておく」


 家の裏手の脆い砂岩に掘った横穴は既に結構な長さになっていた。横穴には最近カマドウマも出るようになった。次は一気にほだ木を増やす。


「椎茸にも毒茸があるぞ」


 何だそれは。あとそこには菜種を植えたばかりだから入るな。


「それはいいが、ほれ肉が焦げるぞ」


 頼季様の声に一同肉のもとに戻った。アキラは小さな瓶を持ってきた。


「このくらいの焼き加減に、ちょいと(ひしお)を垂らして……」


 貴重品の醤油を、台所から少しだけ分けて貰ってきたのだ。

 醤油の焦げるにおいがすぐに漂い始める。


「頼季様、食われよ」


 頼季様は口をつけると、あとは黙ってあっというまに食べてしまわれた。さすが育ち盛りという食べっぷりだ。


「……うまいな」


 肉汁を手の甲で拭う頼季様の持つ串を取ると、アキラは新しい肉の付いた串を渡した。肉はまだ焼けておらず、頼季様はさっそく熱心に肉を火であぶり始めた。


「こちらの肉にも醤くれ」


「これはもうちょい焼け」


 良く焼かぬと腹壊すぞ、そう言いながらアキラは肉の串を配り、醤油を垂らして廻った。

 20人がかりである。肉はあっというまになくなってしまった。

 おかげでアキラは結局肉を食いそびれてしまった。


 それと、毒椎茸では死なぬ、と聞いて、あとで少しだけ齧っていたが、幸い無事に済んだようだ。


             ・


「そこで君子部三郎が服作ってくれと言ってな」


 日は傾いていたがまだ夕餉には早いころ、アキラは新殿でクワメに今やっていることの説明をしていた。


 鹿革の使い道について、アキラが鹿革で小袖を作りたいと言うと、仕留めた鹿の革の持ち主である君子部三郎が興味を持った。

 風雨を通さぬ鹿革で服を作るというのは確かに良いアイディアに聞こえる。特にさんざん東国の寒さについて聞かされているならなおさらだろう。

 という訳で、アキラが鹿革を預かって、上着に仕立てられるか試すことになった。


「で、これは何ぞ」


 クワメが指さすのは、


「それは五分の一の人型だ」


 胸だけの胸像がそこにある。立体縫製を試そうと思い、まず型紙を作るべく作成したのだ。頭は無い。足も無く、だが腕の部分は後でほぞ穴にねじ込んで付けることができるようになっていた。


「なにかの仏かと。

 ところで、五分の一とは何ぞ」


「……長きを5つに分けたうちのひとつ。二分と同じ意味よ」


 二分とは十分の二分のことだ。


「五分なのか二分なのか」


 アキラは唸った。


「五分ではない、五分の一だ」


 クワメに分数はまだ早かった。


 アキラは紙を当てて竹串を使って印をつけると、竹ペンでその印の跡をなぞって繋いで線にした。のりしろもつける。

 次いで小刀でその線をなぞって切ろうとした。うまく切れない。やはりハサミが欲しい。アキラは砥石と水の入った手桶を持って戻ると、小刀の先を研いで、もう一度やりなおした。


 クワメはそれをじっと見ている。

 クワメは裁縫もできるようになるだろうか。


 屋敷で出される飯を食べているために、アキラとクワメは自分たちで食事をつくる必要が無い。クワメはいちおうは女房のうちに入れられているから屋敷の食事の手伝いはするが、北郷党たちが自分の家庭を持って養う口が大幅に減った今、クワメはちょっと手持無沙汰である。

 では尼女御の手伝いをするかといえば、そうでもない。

 どういうことかと尼女御に聞くと、


「あとはアキラがおやりなさい」


 要するに教育役を引き継げとのお達しだ。つまるところ、クワメは手伝い以前の段階だった訳だ。

 何を、どれほど教えればいいのか。尼女御に訊いたが、あなたが良きようにおやりなさい、としか。


「飯で糊をつくる。ひとつまみ持ってきてくれ」


 クワメは走って飛び出していった。やる気が無い訳では決してないのだ。

 アキラは小さな素焼きの硯を取り出した。持ち歩き用に自作したのだ。幅は一寸、奥行きは4寸ほどの長方形で、墨溜まりが作ってある。細筆も用意したところでクワメが帰って来た。


「さほどまでは要らぬ」


 朝餉の残りを粒単位で拾って洗ってきたのか。ちょっと量が多い。

 クワメが動揺して申し訳なさそうな顔をするのを、アキラは有難いと言って要るだけをクワメの手のひらから取った。残りは捨ててきなさい、と言うとクワメは大人しく従った。


 子供だな、アキラは思う。だが、扱いの難しい子供だ。

 今のように素直に指示に従ってくれるときは良い。だが本人はれっきとした大人であり妻なのだと思っている。だが実際は中学生じみた扱いの難しさで、従って本当に大人扱いすると癇癪を起こす。


 めんどうくさい。

 アキラはちょっと、ちょっとだけこの状況を楽しんでいた。


 米粒を硯に置き、水を垂らして筆の後ろで潰す。指で練り潰して、少しだけ水を足して筆で練る。出来たそれを筆で糊代に塗っていく。

 人型に切り抜いた紙を当て、更に当てた紙を糊代で張り合わせる。前の合わせが少し足りないか。袖の筒を造り、しばらくして人型から剥がした型紙を裏返して、袖を付けると型紙裏の糊代と張り合わせる。

 型紙を元に戻すと、五分の一の小さな紙の服が完成だ。


「どうだ」


 クワメは切り抜かれたほうの残りの紙を見て、無駄が多いのではないかと言う。

 布で作る和服は長方形に切られ、余りが出ないように縫われる。

 こう身体に沿うような服のほうが暖かいとアキラは答えた。そもそも革は布ではない。切れ端にも使い道はある。

 紙の服を人型に着せたり脱がせたりしながらクリアランスを確認する。もう少しだけ緩めにするべきだろう。

 アキラはせっかく作った紙の服を小刀で解体して平らにしてしまう。そうして型紙を別の紙に貼り付ける。


 そうして取り出したのは、竹で作ったパンタグラフ、拡大縮小コピー機だ。

 要するに竹で作った平行四辺形で、てこの原理でストロークを例えば5倍にできる。対辺の平行は保たれるから、角度もまたちゃんと保たれる。

 パンタグラフは昔講義でちょっとだけ見た機構だった。およそ原理は見たとおりのものだったので再現は容易だった。

 パンタグラフとそれぞれの位置を固定すると、クワメに鹿革の上のパンタグラフの端を軽く押さえるように言い、そしてアキラはパンタグラフの中点の支点で型紙をなぞり始めた。

 パンタグラフの端から下に突き出した竹ヒゴが革の上に軽い痕をつけていく。

 型紙の残りの部分も革の上に五倍にコピーしてゆく。全部終わると、アキラは竹ひごを手に取り、革の上の痕のその少し外側に新たに痕を付けた。これは縫い代だ。


 大きい鹿の大きな革だと思っていたものが、あっという間にほとんど使い切ってしまう。余ったら手袋でも作ろうと思っていたのが、あてが外れた。


 鹿革を全て切り出すと、裏返して縫う部分を合わせて、そしてアキラは縫い始めた。

 柿渋でよくなめした鹿革は薄く針はサクサク通る。


 アキラの裁縫の経験と言うのは昔やった雑巾作りが全てであって、従って今作っているものの造りも雑巾の縫い方そのものである。

 まぁ事前に袋などを作る多少の試行錯誤をしていたから、勘所は掴んでいると言っても良い。もしかしたら、いや多分もっと良い縫い方があるのだろうが、それもこれから見つけるしか無いだろう。

 しばらく縫うと、クワメにちょっと縫わせてみるか、という気になる。


「やってみるか」


 クワメはこくりと頷いた。


 その手つきは最初はゆっくりだったが、次第に慣れてきて、縫い方も急速にうまくなっていく。しかし、


「あっ」


 糸が針から抜けて、針がどこかに飛んでしまう。あぶない。

 危ないから慌てて動くなと言い含めて、針を探す。


 あった。手桶の中、革の切れ端の上に乗っている。

 革の切れ端は水の上に浮いていた。

 針を取ろうとして、アキラは手を止めた。


 針を革ごと、水の上で向きを変え、手を離す。

 手桶の中で水面はやがて静かになって、そして針を載せた革はゆっくり向きを変えた。


 これは、磁石だ。

#32 姓名について


 まず古い古い、(うじ)()がありました。そして中国の制を取り入れて下賜される世襲の(かばね)が導入されました。これらは両方が用いられ、両方を同時に持つものもいました。

 中世に発達するのは(あざな)です。本拠地や役職などを名の前に名乗るようになります。これらは平安時代はあくまで通称に過ぎなかっただろうと思われます。

 平安時代、氏や部を持つのは庶民でも普通でした。律令によれば奴婢以外は氏を持つべきとされていたのです。ただ庶民の姓の多くが、過去の部の民の起源を示す、○○部というようなものでした。

 中世もずっと後になると、官職名や地名などの字を名乗るのも庶民では普通になります。

 名のほうも実名を名乗るの避けて、太郎や二郎などのあだ名となり、普段も官職名プラスの二郎などで呼ぶようになります。これら実名の忌避は、実名で呼ぶことが非礼に当たったと言われますし、また呪術的理由もあったものと思われますが、一方でファッションだったのだとも思われます。

 江戸時代に農民に苗字が廃れるのは、ひとつには人口移動が停滞し、近縁で婚姻関係が進むにつれて苗字が淘汰され、意味を失ったことがあると思われます。また、地名の字がやがてその地名と混同されていった場合もあったことでしょう。山田権兵衛も山田村の中ではただの権兵衛となる訳です。

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