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#31:1018年9月 嫁

 19組の結婚、(あらた)迎えとなると、それはそれは大変なことになる。

 神前とか結婚式とか、そういうものは無い。儀式ばったものは無い。基本的に、結婚を申し込んだ夫が、妻を迎えに行く、これだけである。

 だが、そこから新居まで、行列が欲しいと新しい妻達は皆揃って駄々をこねた。

 あと貴人も欲しいと言う。つまり頼季様と尼女御だ。これに信田小太郎とアキラがそれぞれお供に付く。

 毎日4組づつこなしたが、それでも5日かかる。

 このスケジュールは特に尼女御の負担が大変なことになる。二日目から尼女御は休まれて、アキラが代わり、名代となった。新妻たちからは非難轟々である。

 いちおう七位なのだが、とアキラが弱々しく言うと、例外なく睨まれた。

 笏を持って鹿革の靴を履いても睨まれるのは同じだった。笏を持てと言われたのは頼季様だし、足元が似合わないから鹿革の靴を履けと言われたのも頼季様なのに。所詮コスプレか。あとは冠でも被ればよかったのか。ちくしょう。


      ・


 全部済ませると、途端に屋敷は広く感じるようになった。

 俘囚たちは皆自分の家だ。いや、今や自分たちの家と言うべきか。


「奴等めをいつまでも俘囚と呼ぶ訳にもいくまいな」


 頼季様の言葉に尼女御はうなづく。


「妻が出来、子を成せば、誇るに足る名を欲しいと思うものでしょう。

 もし名を与えるなら、あの者らは深く感じ入ることでしょう」


 ふむ、と頼季様は言うと、アキラに、何か考えは無いかと問う。


 アキラはちょっと考える。

 軍団?集団?シンプルに団?軍?

 いやいや駄目だ。

 班は農民くさい。衆、かなぁ。党も良いな。

 足利党、いや足利荘全体を代表するにはちょっと規模が小さい。

 

 しばらく前に、俘囚たちの村をまとめて徴税単位として北郷という仮想の郷を設定するという話があった。

 もちろん彼らは免税である。だが、まずは徴税単位を設定した上での免税でなければならない。いわゆる俘囚郷として、村の一団を北郷と命名する。

 その伝で言えば、


「北郷党、で如何」


 それで決まった。


 さて今の北郷党の陣容を見てみよう。

 総勢19名、アキラも頭数に入れると20名になる。アキラは正式には頭数からは外れてはいるが、実際にはセットで運用される。

 正式な頭目は頼季様で、ただ頼季様の下には他の郎党もいるので、直接指揮に付きっきりという訳にはいかない。

 他の郎党が、頼季様の命を受けた信田小太郎に指揮されるように、北郷党はアキラに指揮されることになっていた。

 

 ただ、実際には頼季様は北郷党にべったり付きっきりである。というのも郎党どもがあまり頼季様を重く見ないから、素直に従う北郷党を鍛えるのに夢中になっていらっしゃる。

 要するにアキラは現在あんまり指揮官らしくない。


 北郷党は騎馬5名(アキラを含めると6名)、残りは徒歩になる。

 主武装は弓、打ち刀は騎馬の5名にしか支給されていない。

 これは現在のやむなき状況からの制約であり、いずれは全員を騎馬の武者にしたいと思ってはいる。

 ただ、牧の馬の増え方、調教の進み具合から考えると、これはまだ先のことになる。


 騎馬集団としては運用するのが難しい訳だが、これは足利荘内に限っては話が違っていた。荘内の橋のほとんどが三枚橋に更新されて、馬車が通れるようになった為だ。


 一台の馬車の荷台に四人が群がる様は、旧ソ連の戦車に歩兵が掴まるタンクデサントの図をほうふつとさせるが、馬車二台を二往復すれば全員を運んでしまえる。

 騎馬ほどではないが、この展開速度はかなり速い。馬を増やすより馬車を4台にするほうが早くできるだろう。となると騎馬軍団より戦車軍団のできるほうが早いか。


 問題は鎧だ。

 大鎧は飛びぬけて高価な装備になる。牛革の小さな札をおよそ五百枚ほど用意し、互い違いに三枚重ねて鹿革の紐で結んで鎧をつくる。牛の革を使うのは、鎧に必要な厚みを稼ぐためだ。

 牛の革をそれだけ揃えるとなるといくらかかるか。アキラはざっくり絹一反ほどと見積もった。

 馬の革で作れば鎧もお値頃になる。ただ馬革は薄い。牛革並みの防御力を持たせようとすると更に重ねるしかない。それでも牛革よりよっぽど安くなるのは馬の産地だからだ。馬一頭から鎧二領分は取れる筈だ。

 だがそれも、馬革が手に入ったら、つまり老衰か事故死か、という話になる。


 それだけ重ねても、矢に対してどれだけ防御力があるかというと、実のところ万全とは言いがたい。昔の梓弓ならとにかく、今の竹を張り合わせる合成弓に対しては心許ない。

 それでだろうか。藤原の兼光の鉄増産の努力は、鎧に鉄の札を混ぜる為らしい。寺岡から引っ越していった鍛冶屋たちが今何をやっているかというと、毎日毎日鉄の札を作らされていると聞く。

 贅沢な話だ。


 そこで今アキラが推しているのが、歩兵の手持ち盾と長槍の装備だ。

 長距離を飛んでくる勢いのない矢を防げる、片手で掲げて身体を隠せる盾と、片手で持って騎上の武者を狙えるリーチのある槍の組み合わせ。

 アキラたちの北郷党はしばらくは歩兵中心にならざるを得ないのだから、それに最適化すべきなのだ。


 勿論言うだけではない。


 まずは、割竹を束ねて作った手持ち盾の試作品を的にして、弓を射かけてみる。

 アキラの矢はまったく当たらないが、最近めっきり上手くなった君子部三郎の矢は盾に当ててきた。しかし傷を付けただけだ。

 次はアキラが実際に手に持って君子部三郎の弓を受けた。

 飛んでくる矢というのは、やはり怖い。

 だが、しばらくすると、見えていれば避けることが出来るという結論にアキラは至った。もちろん盾あってのことである。矢を多く射られればわからないが、盾は体を隠すのに十分な大きさがある。そして軽い。


 次は槍だ。これも竹、つまり竹槍である。

 細めの竹を一間三尺、つまり4メートルほどに切る。これはデモンストレーションだから先は尖らせない。つまり見た目は棒で、周囲への説明も現状、棒だ。

 この時代、そもそも槍と呼ばれる武器は存在しないのだ。


 盾を左手に、槍を右手に構える。槍はちょっと長すぎたか。重くないと思っていたが、こうも長いと、槍を持っているのが結構つらい。


 騎馬の信田小太郎が、十間向こうからアキラに向けて矢を射る。

 速い。

 思わず盾で弾こうとしたが、確かな手応えと共に矢は盾にぐっさりと刺さった。ほとんど貫きかけている。やばい。


「ほう、貫けぬか」


 脇で観る頼季様のセリフだ。

 信田小太郎が馬を寄せようとするところに、アキラは槍を持ち上げ馬上に向ける。

 勢いよく槍を繰り出すのを信田小太郎は軽く避ける。

 アキラは槍をすぐ元のポジションに戻す。


「なるほど、徒歩(かち)の兵に持たせるには良いな」


「その竹鉾振ってみよ」


 信田小太郎は竹槍の事を竹鉾と言う。アキラはその通り振ってみる。


「ふむ、15本並べれば、ひと所守るには間に合うでしょうな」


 信田小太郎のアキラの提案を認める発言があって、それで決まった。

 問題は、武装する立場の当人たちをどう説得するかだ。現状の竹まみれは、あまり格好良いとは言えない。


          ・


 君子部三郎が帰りたそうにしている。今日の用はもう終わった事を告げると、まるでスキップするかのような軽やかな足取りで我が家へと帰っていく。

 ちくしょう。


 そんな事を頼季様にこぼすと、別段一緒におってもよいのだぞ、と言われる。


「いや、まだ迎えた訳ではないので」


「迎えに行かずとも、同じ()の下におるのだろう」


 いや、結婚式とかそういうのが無いのは理解しているつもりだが、何の区切り無くそんなの良いのか。


「しかし」


「新殿が丸ごと空いたろう。あそこに寝起きすれば良い」


 混乱するアキラに、住処について考えているのかと勘違いした頼季様がそんな事を言う。

 稲刈り前に新築したあの建屋だ。そりゃあそこに寝起きしていた俘囚改め北郷党は皆居なくなったのだから、空いている道理なのだが。


 ここでアキラは腹をくくった。またしても区切りをつける必要があるのは、アキラの脳内だけの話だ。区切りが無いのが嫌なら、自分で区切りをつけてしまおう。


 アキラは馬に飛び乗ると、奥山のわが小屋へと走った。アキラはもう馬を走らせることも自在にできる。

 暗闇迫る物悲しい奥山で、アキラは朽木の洞から木箱を取り出した。その中から、(くし)を取り出す。ブナを削った手作りの櫛だ。

 懐に収めると木箱を元の位置に戻し、帰る。


 屋敷に帰り着いた頃は大半がもう夕餉(ゆうげ)を済ませた後だった。


「遅い」


 クワメがぷりぷり怒りながら待っていてくれた。


「さて、こちらぞ。汁が冷めてしまう。もう大概冷めておるが」


「まて」


 下屋の(かまど)の前でアキラはクワメを呼び止めた。


「手を出せ」


 無造作に出された手に、懐から取り出した櫛を載せる。

 触れた手はちょっと冷たい。

 アキラはそのまま、大真面目な表情で、歌を詠む。声に出して。


 枝垂れ花吾に吹き寄せ桑の海 いとしき匂いほのかに消えず


 めちゃくちゃ恥ずかしい。が、真顔でやりきった。


「は、何と」


 返事がこれである。まぁ仕方あるまい。

 だが、アキラのがっかりした様子に何かを悟ったクワメは、


「あ、あっ、歌、詠まれたのか、うわ」


 そりゃ詠われたほうも対応に困るだろうよ。考えてもみろよ。

 貴族スタイルの風雅な求婚なんて一体どう反応すると思っていたんだ。


「あ、あの、嬉しいが、その」


「我が妻となってくれるか」


 その言葉で、クワメはぴたりと動きを止めた。所在無げに動かしていた手も止まる。


「あ、はい、なります!」


 なんか、いい返事だ。調子に乗っても、いいよな?

 クワメの手を取る。クワメの手の中にはまだ櫛がある。それを握らせる。

 失点を取り戻すのだ。強気に行くしかない。アキラはもう一方の手でクワメの身体を引き寄せた。


「今日より藤永のアキラはそなたの夫ぞ」


 耳元でささやく。

 抱き寄せたクワメの身体は小さく、そして腕の中で軽く震えた。

 ちょっと臭い。こないだ大量に収穫した渋柿の処理をしていたのか。

 柿渋を作るのにまだ実が青いときに取ってしまうと知らなかった。砕いて腐らせ汁を取ると聞いた。柿渋のあの匂いが少ししていた。

 匂いも愛おしい気がする。クワメの身体を離す。惜しい気がした。


「あ……あの」


「さぁ夕餉にしよう」


 アキラは明るく言ってみた。

 なぜか叩かれた。


     ・


 えらく甲斐甲斐しく飯を盛ってくれたが、何か目を合わせてくれない。

 北の新殿を使ってよいとの仰せがあった旨をクワメに伝えた。


「……!」


 見るからに挙動不審となって、もはや目を合わせるどころではない。

 だが夕餉を終え、碗を洗うと、見ればクワメは小袖の上に一枚羽織って、長火鉢の用意をしている。

 まだそんなに寒いわけでは無いが、灯火として燃え残りを使っているのだ。

 えらく用意が良い。

 ぷいと目を逸らされた。


 北の新殿まで、クワメを先頭にして歩く。クワメが長火鉢を提げていた。長火鉢には持ち手を付けていたので一人でも持てるのだが、アキラが持とうとすると、クワメは、


「持ちます」


 とだけ言って持たせてくれない。



 ところで、すっかり忘れていたが、新殿には貞松がいた。

 浮かれているのかすっかり挙動不審になっていたクワメは、貞松を見た途端凍りついた。

 あー、そうであったな。寝かけた所を起こされた貞松に、事の次第を説明する。


「つまり、どこぞに行けと」


「いやそういう訳ではない」


 そう言うと、クワメに長火鉢で背中をどつかれた。

 貞松はその様子を見ると、やれやれと立ち上がろうとする。


「いや待て、そもそも行く所があるのか」


「倉にでも行きましょう」


 なるほど出来上がったばかりの倉はまだ空いている。


「いやそれなら吾らが」


 するとまた長火鉢でどつかれる。クワメを見ると、


「あそこでやって、閉じ込められた者がおる」


 何をやって、とは聞くまい。しかしそんなことがあったのか。

 いや待てとりあえず待て、とアキラは貞松の袖を引く。良い機会だ。貞松の家の件を話し合おう。


 貞松の家と言うのは、要するに工房だ。

 かなり広い敷地を用意するが、大半が資材置き場になる。

 更に、この工房は半ば公共の製材所としても用いられる。

 具体的にはこうだ。誰かが板を造りたいと思い、材料の木を持ち込む。ここで(のこ)を借りて板を作るが、但し二枚作って一枚は製材所に納めることになる。鋸の使用料だ。

 鋸は製材所から持ち出すことは出来ない。持ち出し盗みでもしたら、その腕切り落とすと既に罰が決まっていた。

 これでうまくいけば、働かずして板がどんどん増える、筈だ。


 二人で図面を確かめてたら、今度は長火鉢で頭をどつかれた。


「我が夫がどういう人か、ようくわかりました」


「いやいや、ここまで!ここまで!」


 貞松は即座に立ち上がるとその場を辞した。


「明日は先に(やしろ)に使う材木を決めておりますゆえ、ゆっくり出てきて賜れよ」


 そんな事を言って貞松が出て行くと、建物には二人が残され、ややあってクワメが長火鉢を床に置く音が聞こえた。

 貞松が出て行ったあとの(しとみ)を閉めると、クワメはアキラのそばに座った。


「……わたしが妻である由、まことなりと、その手で教えられよ」

#31 鎧について


 武士の鎧としてすぐ想像する姿として、源平期の大鎧が挙げられるでしょう。作中時期から百六十年後の姿ですが、既に院政期には同様の姿で完成していたものと思われます。

 では作中時期はどうだったのでしょうか。瀬戸内海大三島の大山祇神社に伝わる沢瀉威鎧はこの時代のものと思われており、既に大鎧の特徴全てを備えています。

 良く知られる大鎧の姿に対して、兜の吹き返しが小さめである点が特に目につくところでしょう。兜の鉢は鉄製であることはその初期から一貫していたものと思われます。

 沢瀉威鎧を構成する小札は全て革製で、縦6センチ幅3センチの板を少しづつ横にずらしながら三枚重ね、それを横に連結しています。この連結は革紐で、これ全体に漆を塗っています。つまりベースは褐色か黒です。

 この横に細長い革の連結体を縦に連結するのは色糸で、この鎧に使われた連結手法は後世には見られません。肩の大袖も残っており、この時代に既に存在していたことが判ります。

 他の部位はこの鎧には残存していませんが、この時期既に栴檀板があったことは発掘品によって確認されています。

 鎧は様々な金物や色糸を使う高度工芸品でした。このような鎧は宝物となったことからも判るように、その使用された時期から既に宝物に準じた扱いをされていたでしょう。

 以降の、残存する古式の鎧では、小札は三枚重ねのうちの真ん中の一枚を鉄にしたり、二枚に一枚を鉄にしたりします。弓の威力に対するものですが、全部を鉄にすると重すぎたのでしょう。実際、兜は重く、普段は脱いでいました。


 騎乗武者のための大鎧に対して、徒歩武者のための鎧として胴丸がありましたが、これもそれなりに高価についた筈です。胴丸からは大袖や膝当てが省かれていましたが、これも量産は難しく、あまり身分の低いものが装着するものでは無かったでしょう。

 騎馬武者全員に鎧を揃えていたかどうか、作中ではその辺りに差が出てきます。

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