#29:1018年9月 藤原の兼光
国府屋敷の門で、行く手を武者に阻まれた。
「ここ光衡様のもとで目代勤めいたす藤永アキラと申す」
名乗りはこれで良いよな。ここでの自分の身分、月に三日貸し出されている身というのはイマイチはっきりしていない気がするが、光衡殿の名前さえ出しておけばどうにかなる筈だ。
だが、そこからひたすら待たされる。それほど広い屋敷でもないのに待たせる。座って待つ椅子がある訳でもなく、およそ20分30分は待たされたか。
「吾子か」
現れたのは、髭の男だ。
口髭、頬髭、そしてもみあげをがっちり剛毛で整えている。髭を生やす人物というのはそこそこ見てきたが、これは迫力の有る髭だ。
紺の紋入り直垂に、太刀の金具がひと目みて判る豪華さ、何しろ角ばった鍔らしき部分が金色だ。もちろん武者だろうが、少なくともヒラの郎党ではあり得ない。堂々たる押し出しだ。
じろじろ眺められたが、改めて名乗るのも癪に障ったので、
「何事ぞ」
アキラのこの非常識な発言にいささかも臆すことなく、
「それは吾の言よ」
と男は返した。
これは不毛なメンチの切りあいになるか。男の部下らしき男たちがイラついてくるのがわかる。だがそこで屋敷のよく知った雑色がやってきた。
「内匠大允殿は急ぎ参られよとの由」
目の前の男、恐らくは藤原の兼光が内匠大允なのか。いや、雑色はアキラの袖を引いた。
え、自分なのか、アキラが向き直ると、雑色は軽くアキラに頭を下げた。
何事ぞ。
アキラと藤原の兼光らしき髭武者は揃って頭をかしげていた。
・
屋敷の中は人間で一杯だった。
文机に向かっている人間が少なくとも5人は見えるし、建物の中を歩き回るのはその倍くらい、建物の外、敷地内には30人くらいいるように見える。
光衡殿は板張りの床に茣蓙の敷物で、今日はすごく狭い一角に座っていた。母屋の大半が事務作業に使われているため、一角を几帳で区切って居場所にしていたのだ。
「ああ、申しそこねておったか。
源の頼季殿の郎党、内匠大允藤永のアキラは春よりここで目代勤めをしておる。ここでは主ら算の仕事をば任せておる。
算の確かめはこれが行なう。これが良しといえば文書をまとめて良い。まとまれば印を押そう」
光衡殿の紹介が終わると、そこでアキラは頭を下げた。光衡殿と、もう一人に。
「下野介兼光」
それであちらの名乗りは終わり。アキラは二人にそれぞれ頭を下げたのに対して、あちらは頭を下げもしない。
三人が胡坐で膝を突き合わせている空間は狭く、アキラにも兼光殿にも茣蓙は無い。
兼光殿は勿論お気に召さぬようで、
「これに任せるとの言、おかしき事かと」
「任せるとは言うておらぬ。確かめさせると言うたぞ」
「同じ事」
光衡殿との間でしばらく押し問答が続く。
話の肝は、アキラを介して光衡殿が在庁たちの計算結果を精査しようとするのに対して、兼光殿はこれを潰そうとしている点だ。そのために、アキラが実際のところ国庁の役を持っていない余所者、第三者であることが問題とされている。
役持ちである在庁の計算を、役無しが確かめるとなればそれは越権である。だが、在庁がみな兼光殿の言いなりである現状で、在庁の計算をそのまま信用しようとは光衡殿は思っていない。
「確かめないのであれば、いかがか」
アキラは言ってみた。二人がこちらを向く。
「誰ぞの算を確かめるなど恐れ多き事でありますれば、ならばおのれの算のみを確かめ見れば良き筈。
各郷よりの文書全て吾のみで算じてしまえば、誰ぞの算を見ることはありますまい」
要するに、アキラが一人ですべて計算してしまえば、誰かの計算結果を確かめるという事にはならない。最後にアキラの計算結果と在庁の計算結果を、光衡殿が比べて確認すればいいのだ。
「全て、とは、どこを全てか」
「勿論、すべて」
兼光殿の間抜けな質問にアキラは間抜けな答えを返した。
「全ての郡、すべての郷、いくらあると思っておる」
心配されるな光衡殿。下野にはたったの70郷しかない。
・
およそ10郷分を処理した辺りで、アキラは自分の言葉を深く深く後悔していた。
思ったより確認項目が多い。
よく読むと一つの郷内に複数の田堵、納税代行者が居たり、ある田堵が複数郷のばらばらの地所の納税を代行していたり。
各報告にある田の面積の足した値が、各郷の田の面積とちゃんと整合するか、いちいち確認しているうちにアキラはキレそうになった。ぐちゃぐちゃだ。
まずは田堵のリスト作りからだ。
もうおかしな部分が出てくる。田堵からの報告にある田を足すと、各郷の田より広くなるぞ。
収穫の計算は基本足し算だけだ。だが量が多い。
算木を使ってみようか。ちょっとした数字のメモ代わりに使えるのではなかろうか。
すこし思案するとアキラは、計算間違いをした紙の裏に線を引いた。
紙を縦に置いて上下にまず三分割、縦に六分割する線を引いた。
これで出来た枠の大きさを指で測ると、アキラは庭に降りて適当な柴垣から枝をむしり始めた。枝の長さを、小刀でさっき測った長さに揃える。
上下三分割された枠の上二つに、それぞれ足し算の対象の数をセットする。AたすBなら、AとBをあらわす枝を算木として置くのだ。
算木だと棒を縦に置いたり横に置いたりするが、ここは横に統一だ。そのために各桁を表す分割線を引いたのだ。5の数は皮を削った枝を置いて表現する。
これは実質、紙の上で動かすソロバンだった。
まぁソロバンは作ろうとしたら大変だからねぇ。そのうち作りたいが、簡単に代用品が作れるなら話は別だ。
最初はゆっくりしか操作できなかったし、操作ミスも多かった。しかし計算途中の内容がそのまま見えるというのは、暗算と比べて格別に気が楽になる。
操作に慣れると、ちいさな算木の扱いも変わってきた。
どうしてもうまく掴めない算木を取り換え、複数の指を同時に使う操作を編み出し、次第に操作は早くなっていく。
夕餉が振舞われる席で、アキラは那須と塩谷、郡2つ分しかまだ終わっていないと頭を下げた。
「何が終わったと」
「収穫と税収、それぞれ名主と田堵の報告に過ち無いか、そこまでしか」
光衡殿の問いに、アキラは答える。
昼間の文机が片付けられ、在庁たちが並んで饗応を受ける席の末尾、そこがアキラの場所だった。秋の陽はまだ落ちていない。
在庁たちがささやく。彼らの表情はわからない。
下野に郡は9つ。かなりがんばらないと三日以内には終わらない。
・
翌日は6郡をこなした。足利郡の分は既に済ませていたからこれで全部だ。
夕餉の席これを報告したアキラは、その疲労困憊ぶりに兼光殿からさえ、ひどいありさまだと言われる始末だった。
そしてその席で、在庁たちの計算が全く終わっていない、しばらくかかると知らされ、アキラはがっくり来てしまった。急ぐ必要は全くなかったのだ。
俺はアホだろうか。
「ほれこの膾でも多く取って食え」
もう馴染みになった武者の平の良衡が、ほれ、と皿を持ってきてくれる。
こいつ、いたのか。事務仕事が出来るのか。そして、そんなに疲れて見えるのか。
そういえば、薬師寺の時のことを思い返せば、こいつがそれなりの教育を受けた奴だったことは明らかだ。在庁に混じって兼光殿の補佐をするにふさわしかろう。
平の良衡、こいつは実は結構重要な奴なのか?
その日、振る舞い風呂の一番はアキラが頂いた。
・
「田は多く知らせておるところ、少なく知らせておるところ、様々でした」
アキラは実際の田の面積として推測できた数字を一枚紙に纏めたものを示した。
ふむ、と光衡殿は言うと、
「これは検田せねばなるまい」
兼光殿は怖い表情でアキラを睨んでいる。
「もはや在庁はアキラ一人で良し、残りは要らぬな」
光衡殿が煽ると、更に兼光殿の表情が怖くなる。
やばい。母屋の裏に呼び出されてシメられる。そういう表情だ。
「検田使を立てるぞ」
誰を立てるおつもりで、と兼光殿が問うが、光衡殿の視線は、
「まさか」
「この秋の除目で正七位、内匠大允となったと聞いておる」
誰が。
そういえば、内匠大允、って呼ばれたな。
アキラが。
驚きの声を上げそうになって、自制する。
なんか脂汗がでてくる。
「立派な官人ぞ」
・
後で聞けば、
「吾にも訳が分からぬよ」
光衡殿はそう言われる。
アキラが都へ行くとき持たされた手紙の一つが、検田使として任命できる最低限の官位を持った人間を紹介してくれという、頼信殿への手紙だったのだそうだ。
「それで頼季殿が六位になるか、次郎殿でも来てくれるか、そういう具合になればと思っておったのだよ」
頼季様が官位を得るというのは、それはベストの展開だっただろう。
頼季様の立場を強化するし、禄も出るから正式にアキラを部下に出来る。もちろん頼季様が喜ばれる。
それを、頼季様を差し置いてアキラが官位を貰ってしまった。頼季様に合わせる顔が無い。
七位では給料が出ない。だから今では七位の任官は普通無いのだそうだ。
こんなものを欲しがるとすれば、官位であれば何でも有り難がる地方の人間であろうが、それでも七位は無い。これはただ単に官人という地位にあることを示すだけのものだ。
むしろ怪しいのは内匠大允という職位のほうだ。職位は給料が出ると聞いていた。
「給は出ぬぞ」
光衡殿によれば、職位の給はその職場の管理のもと支出されるのだそうだ。そしてアキラの所属することとなった職場、内匠寮は現在開店休業状態という。
「少府はいまや内匠寮別当の手当てを出すための職よ」
つまり、下々の給料となるべき支出が丸ごと偉い人の懐に入っているのか。
「しかし、そもそも吾は職位など何も言っておらぬ。これは誰の推任ぞ」
どこで付いてきたのか内匠大允。
「吾子は都で何をしてきた」
光衡殿に軽く睨まれた。
ちょっと、心当たりの幾つかが。
「除目は陣定にて大臣参議のかたがたが皆揃って決める事。決まれば帝にまで奏上される。
吾子の名がいかに扱われたのか、考えるだに恐ろしいわ」
除目の詳細は各国にも伝えられる。なにせ貴族皆の最大関心事だ。そのリストの端に変な名前があるのは嫌でも目立つだろう。
「何ぞどなたか、興の乗ってなされた事には違いあるまいが、藤永のアキラよ、吾子の名は今や諸国に鳴り響くものとなった訳だな。
言うておくがな、先例無き事は全て、笑い事ぞ」
勘弁して欲しかった。
これはいじめの一種ではなかろうか。
#29 官位について
おおまかに官位と呼ばれるものは実際には二種類、従二位とか正五位下とか、こういう官位と、左馬充などの職位の二種が混合されたものです。ここでは官位と職位を区別して解説します。
職位は養老律令に定められた律令官と、以降に定められた令外官に分けられます。検非違使は令外官です。
律令官は都で勤務する京官と地方で勤務する地方官の二種にまた分けられます。職位のほとんどは京官です。職位はまた、文官と武官とに分けられます。弾正台や馬寮といった衛府、軍団の職が武官、それ以外は文官です。
この時代、官位の制度は養老律令に規定されたもので、最上位は正一位ですが、これは普通就く人はいません。贈位に限られたようです。二位が実際の最高位となります。左大臣は通常正二位が相当する官位です。三位までが公卿、相当する職位としては大納言があります。最高権力者でなければこの辺りが貴族の栄華の華となります。
四位から参議となり殿上での政議に参加することになります。四位より上の者は、近畿より外へ出るときは許しが必要でした。ちなみに除目時の天皇奏上は四位まででした。つまりアキラの名は実際には後一条帝(当時10歳)の目には留まっていません。
五位はこの時代武者の就くことが出来た最上位の官位でした。下級の文官もここが出世の行き止まりです。そんな文官も長年精勤すれば受領として富を得るのも夢ではありませんでした。五位になる事を叙爵と言い、五位は栄爵とも太夫とも呼ばれました。
六位はこの時代の最下位の官位です。検非違使は武者のエリート官職でしたが、官位は六位相当でしかありません。都ではまったくの下層階級です。そしてそもそも、武者のほとんどは官位を得られませんでした。
七位は一条天皇の頃、つまり作中時代のほぼ直前の頃から叙することが稀になりました。
普通官位を持つものは、相当する官職を持っていました。官職を持たない場合、散官、散位と呼ばれました。官職を持つものは職事官です。