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25/111

#25:1018年7月 盂蘭盆会

 そろそろお盆だか放生会だかの頃合ではないだろうか。


 実際、その通りだった。


 足利屋敷に戻ってみると、敷地は近隣の百姓で一杯だった。

 敷地内はかがり火が燃やされ、コンコンコンと小さな鼓の音がする。裏手から厩に馬を繋ぐと、さっそく吾子も手伝えと言われた。

 盂蘭盆会、なのだそうだ。


 ここ足利郡に寺は無い。昔は有ったのかも知れないが今は無く、そのため尼女御は屋敷の薬師堂を郡内の百姓の為に開放して盂蘭盆会を開いたのだ。

 勿論、ただそれだけでは誰も集まらないだろう。酒と麦湯が振舞われていた。

 あとで聞けば、酒は足利郡内の世帯調査の意味もあるのだそうだ。酒は各家庭の戸主に一杯づつ振舞われる。その際戸主の名前を記録する。こうやってざっくり世帯調査ができるという訳だ。

 麦湯は麦茶そのもの。流石に冷やしておけないが、陽が落ちた後なら、暑い麦湯もいいものだ。こちらは誰にでも振舞われる。


 アキラは早速、振る舞い酒の戸主の名前書き取り役と交代させられた。

 しばらく苦手な毛筆と格闘する。数十は名前を書いただろうか。百は書いたと思う頃、ようやく振舞い酒を求める人の列は途切れた。


「粟田部のクワメ」


 名前を書きかけて、若い娘の声であることに気づいた。子供の声と言ったほうがいい。それほどはっきりした声でなかったならば、即座に子供の声だと思っていただろう。

 頭を上げると、女の子がいた。やせっぽちで、明らかに丈の足りていない小袖の姿で、顔を眺めると、さっと目を合わせるのを避けた。


「子供にはやれん。戸主にだけだ」


 そうアキラが言うと、女の子は口をむくれさせて、戸主が飲まない分を貰うだけだと言う。

 年齢はどのくらいか。郷の子供の年齢を押し計るのは難しい。17歳より若いだろう、という程度の事しか言えない。

 人口からは、17歳から20歳前半くらいまでの層がごっそり消えていた。また年寄りも少ない。数十年ごとに、免疫が薄れるたびに繰り返し訪れる疫病のせいだ。


 勿論、子供に飲ませる酒はない。

 だが、子供ではないと少女は頑として譲らない。では呑まない戸主とは誰だと聞くと、少女はアキラを指差した。


 は?


 そこに頼季様が来て、ああ、アキラの嫁も来ておるか、と言う。


 は?


 当然ながら初耳である。そもそも秋の予定ではなかったか。

 そもそもアキラの目論見とかなり違う話だ。


 娘たちにまず夫を選ばせ、その中から比較優位でアキラが選好されるのを、そこからアキラが指名で一番良さそうなのを選ぶ。それがアキラの目論見だった。


 だが、娘たちに夫を選ばせるプロセスは、どうやら話を聞くに、この三日アキラのいないうちに実行に移されていたようだ。俘囚たちのシナリオ通りに。

 アキラの一番人気を見越して、アキラ抜きで顔合わせをやったのだ。

 そうして一人残ったのが目の前の娘、余り物。

 それが既に決定されたアキラの嫁だった。


 少女が余り物になった理由はすぐに判った。

 斜視だ。すぐには気づかないが、少女が目を逸らし続けるので逆に気づかせることになった。

 この時代、斜視は眇目(すがめ)と呼ばれて不吉とされていた。


 眼鏡が似合うだろうな。よくよく少女の顔を眺めたアキラの感想はそんなものだった。眼鏡が無いと色々と不便だろう。

 勿論この時代に眼鏡はない。ガラスがまず無い。都にはあるのかも知れないが、まず間違いなく国産はあるまい。

 近いものを見るときに、額に小さな皺が寄るようだ。ちょっと白眼がちで、これもあまり良いとされてはいない。

 だが顔は整っており、比較的身奇麗にも見える。口は大きくへの字になっているのは、この時代では不美人の特徴だ。だが唇がはっきりしていて表情に何やら魅力がある。

 何より表情に意思がはっきりしている。


 だが、ちょっとまてアキラ、今おまえちょっとほだされていないか?これで良いとか思ってんじゃないよな?

 まぁ従順ロリ嫁も良いかな、なんてちょっと思っていたのが、これは大違いじゃないか。これは変人枠ではなかろうか。いきなり酒欲しがるんだぞ。


「知らぬうちに決められても困ります。嫁ですぞ。犬や馬とは違うのですから」


 アキラが抗議すると、前もっての顔合わせだけという話だったのだと頼季様。そうやって乗せられた訳ですか。


「夫が嫁を見初めて求めて、それから夫婦となる。ゆえにアキラが求めぬなら夫婦ではない。先走った。すまぬ」


 アキラについては嫁の話は無い事にしようと頼季様は仰る。だが、と話は続く。


「聞けばこの娘、家戸をもう出た身である。今は刈り入れ前の一番ひもじい時ゆえ、家のものを思って出てきたのだそうだ。

 戸主は先ほど挨拶してきおった。アキラに挨拶させようと思っておったが、ただ酒飲んでさっさと帰りおった。

 ああいう戸主ならば娘が家戸を出ようとするのも判らぬ話ではない。

 アキラに世話でもさせようと思ったが、頭を冷やしてみれば流石に嫁と云う訳にはいかんな」


「迎えてはくれぬのか」


 少女が割って入り、アキラに言う。


「何が悪いか。良かろうに」


 だがアキラとしては思いついたことがある。


「この娘、屋敷で女房として使ってはいかがか。色々と人が増えましたゆえ、女方の手も増やさねばなりますまい」


 それは良い考えだと頼季様は賛同してくれた。そこに丁度よく尼女御が来てくれたので、頼季様は早速相談に行った。

 少女はアキラの水干の袖を握って言う。


「どうしても駄目か」


「屋敷勤めとなればここに住み、飯も食える。良かったな」


 アキラとしては全部解決のつもりだったが、少女は言い募る。


「嫁のこと、どうしても駄目か」


 何故にそんなに嫁に拘るのか。


「良い男であるとは聞いておる。見てもよく、やはり眇目をしてよかった。

 ところで、何が悪いか。何が駄目か」


 少女の顔を見ると、あ、今は斜視ではない。しかし額に皺がよっていて、やはり目は悪いのか。

 どうも本当に軽度の斜視であるようだ。気にしなければ判らない程度の。

 そこを更に酷い斜視を演じてみせたというのか。


「目を寄らせておると、そのうち戻らなくなるぞ」


 本当か、と少女。

 ええと、つまり、この少女、売れ残りになるようわざと仕向けていたのか。

 ちょっと興味が沸いてきた。ちょっとだけだが。

 だから、つい、希望を持たせる言い方をしてしまった。


「夫婦というのは、幾度も通って様々なこと確かめた上で行なうものであろう。

 確かめねば良い悪いは言えぬ」


「では、確かめておくれ」


 そう言うと、少女は尼女御が手招きするのに応じて歩いていった。


           ・


 新しい建物の棟上げはあっという間だった。

 部材が揃っていたから柱はさっさと組みあがって、屋根葺きが始まった。その屋根も板材だから、作ったものをさっさと並べるだけだ。

 屋根になる板材には予め、やたらと臭い液体が塗られていた。思い出した。柿渋だ。防腐と多分防水用か。柿渋ってまだ取ってあったのか。腐るものではない筈だが、ここまで臭いと使うのが躊躇われそうだ。

 屋根の固定は楔だ。アキラが以前に計算しておいた位置に穴が開けられ、屋根の板を支える横木に開けられたほぞ穴とぴたり合うと楔が打ち込まれた。板の幅と長さを揃えておいて良かった。


 残念ながら、壁に筋交いを入れることはできなかった。アキラは模型まで用意して説明したのだが、どうしても必要性を納得させることはできなかった。

 壁は、南側を開放して三方を土壁にしようと決めていた。アキラは篠竹と藁紐で心材を組み立てると壁の間に固定した。

 壁材は赤土を一度焼いた上で砕いて、竹の篩にかけたものを水で練ったものだ。西と東の壁もすっかり土を塗り込んでしまう。

 南側の壁には、嵌めこむ格子が貞松によって作られていた。南側には更に縁側と屋根が延ばされ、雨に濡れない土間も用意された。

 もうちょっと寒くなったら格子を障子にしてみたい。


 プレハブじみた貧相さがあるな、と出来た建物をみてアキラは思った。だが屋敷を作る訳ではないのだから、これは上出来の部類だろう。これはアキラの自邸の予行演習でもある。本番はもちょっとリッチ感を出したい。


 頼季様と尼女御による落成検分は、翌日雨の中となった。叩きつける様な勢いで降る久しぶりの雨だ。

 屋根の板はそれぞれ上の板が下の板にオーバーハングして継ぎ目をカバーするようしていたが、早速雨漏りが見つかった。

 それ以外は特に問題なく、でもまぁ雨漏りが直るまではお褒めの言葉は無しだ。


「これで大勢を纏めやすくなろう」


 俘囚を戦力として組織化し運用するとき、この建屋が拠点になる筈だ。

 これで足利郡の在地戦力を最低限の定足数、30名まで拡充する計画は大きく前進した事になる。

#25 婚姻について


 この時代の頃までの婚姻は、妻の家への通い婚、妻問婚が普通でした。基本的には二つの家の間の人間の移動です。これは男女別姓、分割相続制度などと組み合わせて理解する必要があります。

 男が女の家に通い、女の親に受け入れられて婚姻が成立します。男の通いは以降も継続しますが、ある時点で同居に移行します。同居先は妻の実家が提供する家屋となるのが普通です。夫が遠方に赴任するときなど、妻がついてくるかは様々でした。

 通い婚は婿入りではありませんから、子供は夫の姓を名乗ります。また夫婦の財産を相続します。夫婦の財産は子供たちで分割して相続されます。つまりその親である夫の財産も妻の財産も分割済みで、婚姻によって統合の機会を得ることとなります。但し土地は、家長の妻、刀自(とうじ)が全て相続しました。ただこれは実際には家長の相続と変わるところはありませんでした。

 子の住処が妻方の家になるだけで、妻の家の財産を全て相続できたりする訳では決して無いことに注意が必要です。

 妻は元の姓のままです。家も信仰も元のまま、本人にとって氏神が変わる事はありません。でも子供は夫の姓を持ち、従って氏神も違います。一つの家に複数の氏が混在する訳ですが、子供は妻方で育てられますから、氏が乗っ取られるというような事にはなりません。この養育方式のため、貴族の家では乳母は絶大な影響力を持っていました。

 女子はというと、実名が記録に残されることがほぼ無いので実態はよくわかりませんが、結局、娘が家を相続するかたちになります。

 勿論、妻方の財産を相続させることが狙いの場合もあります。これは後述します。


 夫の家へ妻が赴く場合は新迎えと言います。この時代男性の行き来が自由であるのに対して女性の外出、行き来には制約がありましたから、こういう例は少なくなります。妻に身寄りが無かったり、身分が低かったりすると、最初から妻を家に迎えて同居する事はよくありました。

 一夫一妻とは決まっておらず、男女共に複数の関係がありえました。男性が女性を攫って強制的に婚姻するというのも存在しました。フィクションですが拉致のよく知られた例はみんなご存知源氏物語の紫の上ですね。

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― 新着の感想 ―
結婚のくだり不愉快。ただ結婚相手がいてすぐ結婚でいいだろ。俘囚供とかクズにさえならない頼季とかいらない。
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