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#24:1018年7月 大工


「木の軒や板がどれだけの重きに耐えるか、厚みによるという事は知っておろう。ここで言うのは、どれほど厚みによるかという話だ。

 倍の厚みがあれば倍の重きに耐える。三倍なら三倍、四倍なら四倍、きっちり」


 そこでアキラはひと息継いで、続けた。


「では厚みが半分になればどうなるか。そう、重きも半分だ。これはこれから、薄い板を作るようになると大事になる。わかるな?」


 貞松はこくりとうなづいた。しかしすぐに、


「さほど気にすべき事か。木目のほうが大事と思うが」


「……まぁ木材はその通りだが、これは鉄でも同じ事だ。竹でも、布でも、石でも」


「鉄など使うことはあるまい」


「釘は使うだろう。釘の太さと数は気にせねばならん」


 屋敷の母屋の板の間で、貞松は今度こそ神妙にうなづいた。


 貞松は屋敷の住み込みとなった。あわせて、元々手狭だった屋敷を増築しようという話になった。それがとりあえず貞松の初仕事だ。

 貞松には既に鋸と鉋を渡してある。手放してしまったせいで、アキラは奥山の作業ができなくなった。奥山はもう草ぼうぼうで、ひととおり草刈りしただけで疲れ果ててしまった。アキラは今屋敷で寝起きしている。


 鍛冶屋には新しい鋸を作ってくれるよう依頼してある。出来るのは前に作ったものより更に大きなものとなる。幅一尺五寸の板が作れる筈だ。

 払いは都土産の砥石、先払いだ。鉄棒の分と合わせて砥石2個を渡したが、そのときの鍛冶屋の表情は見物だった。

 変な声を出して凍りつき、青い砥石を手にとって、やがて撫で回しながら表情を固めたまま鍛冶屋はヒョッヒョッヒョッヒョッと変な笑い声を立て続けた。

 それ以来鍛冶屋は恐ろしく愛想がいい。鋸の目立ても自分でやってくれると言うし。


 俘囚たちの家を建てるために伐り出して乾燥させていた材木が、屋敷へと運び込まれた。地面に薪を並べてその上を材木を滑らせる。さらに材木は馬で曳いた。

 鋸を使えば材木一本から柱4本が採れる。とはいえ鋸の長さが足りないから、まずは従来どおり鋸は木を縦に割ってからの出番になる。

 いや、まずは縦に切る作業だ。鋸は斧に代わり最初から活躍した。


 ヨシツグと貞松の関係は微妙なものになった。新入りの貞松に指示されることに抵抗をみせたヨシツグだったが、技能の差はいかんともしがたかった。

 自分から技能勝負を申し込んでおいて、惨敗なのだからもう言い訳の余地は全く無かった。仕口の加工精度の差など、もう可哀想になるほどだ。

 負けてへそを曲げたヨシツグの機嫌をアキラは必死にとった。貴重な大工だ。ここで変な感情のしこりを作ってくれては困る。

 ほれ、あれは都の大工ぞ。腕が良いから連れてきたのだ。そもそも吾より巧かろう、え、吾子より巧いのは当然?いや、ええ、そうでございますとも。


 少しのあいだでも貞松と顔を合わせずに済むよう、アキラはヨシツグに個人的な用事を頼んだ。測量盤を完成させるのだ。

 三脚と測量盤の間に、ゆるやかな傾斜を持つ楔とそれに噛み合う溝をXY両軸に仕上げた。プラスマイナス数度程度だが微調整がきく。

 先に作った水準器は結局用無しになった。測量盤の隅から糸を垂らして、盤の下に直角に付けた棒と傾きを比較できるようにしたのだ。


 だが実際には測量はそこからが大変だった。基準点にしようとした杉の木は足利屋敷からは全く見えなかった。屋敷の近くに基準点と基線を設定して、そこから東西の方向を確定しようとして、どうやればいいのか考え込むことになった。


 アキラは周辺に測量基準点をまず決め杭を打った。百姓たちが田んぼの雑草をとる真夏の仕事の傍ら、アキラは畦道に杭を打ち続けた。


 そうしてひとつだけ冶具をつくった。夜の間に微調整して仕上げたそれは、北極星から北の方角を割り出すためのものだ。二本の竹棒の間に、斜めに竹棒が結わえてある。

 二本の棒を立てて、斜めの棒を北極星のほうに向ければ、二本の棒の地面に突いた点を結ぶ線は南北を指していることになる。斜めの棒の傾きはおよそ緯度にあわせてあるから、北極星の導入も楽だ。

 アキラは晴れた夜、一晩のうちに、あらかたの基準点の南北方向を決めると杭の上に方向を刻んだ。


               ・


 新しい建物の広さは6間かける3間、とりあえず太さ5尺長さ3間の木材を量産だ。

 さて、端材が板になる訳だが、やはり慎重さが要る。新しい建物の床は全部板にしようとアキラは考えていた。作りやすい長さ5尺の板材を量産して床にするのだ。あまり従来にないスタイルの床になるだろう。勿論アキラにとってはよく知る板張りの床だ。


 板の床がこの時代大変なのは、板の固定に釘を使わないからだ。釘は太く、板の固定には向かないし、何より高くつく。今使っているのは木の楔だ。

 アキラは板材を規格化して、楔がどの板にも同じ位置に刺さるようにした。貞松は最初は、せっかく長く採れる板を途中で切ってしまうことに異議を唱えたが、すぐに利点を飲み込んだ。


 「いっそ、屋根も板に」


 貞松は大胆な提案をした。考えてみれば板が安くなれば使い道も変わる。理に適った提案だ。

 雨の日は暇な俘囚も板づくりに加わった。鋸は一つしかないから、交代で挽くのだ。お陰で身体が空いた貞松は柱の組木に取り掛かった。


 アキラも手が空いたので、俘囚のひとりを取引して測量仕事を手伝わせることにした。猫車を作ってやると約束したのだ。

 ちなみに猫車を作るのはヨシツグだ。作り方を教えてやると約束したのだ。


 馬車を構成する部品のうち、難しくないものはアキラとヨシツグで作ってしまえた。しかし車輪の仕上げにはどうしても貞松の手が必要だった。

 しかし貞松の仕事は今佳境に入っていた。手が空いたアキラは、鍛冶屋に作らせた鉄棒を試してみることにした。井戸を掘ってみるのだ。

 鉄棒の長さは四尺、1メートル20センチほどのもので、これでどんどん地面を突いていく。勢い良く突くと思ったより順調に深く刺さっていく。

 鉄棒に木の柄を足して、更に突く。


 足利の北の土地は慢性的な水不足だった。もし井戸が掘れるならそれは素晴らしいだろう。

 ここらの地層は梅雨の頃のがけ崩れで多少は判明していた。元は火山灰らしき黒土の下は水を通す砂地で、これは上流の荒廃による堆積物だろうと思われた。

 恐らくその下どこかに堆積した粘土の層があり、その上に地下水が溜まっているに違いない、アキラはそう思っていた。

 問題は地下水がどれほど深いかだ。


 簡単な櫓を組み、滑車を吊るす。

 鉄棒を引き揚げるために麻紐を結わえて、櫓の滑車を使って引き揚げるようにした。そのまま落とせば自重の勢いで鉄棒は地面に深く刺さることになる。

 アキラは麻紐を引っ張っては落とす作業に没頭した。

 鉄棒と木の柄が完全に地面に埋まるようになって、木の柄は逆に邪魔になった。取り除いて鉄棒を麻紐で吊るすだけにした。鉄棒の落下のみで掘ろうとすれば、櫓には高さが要る。


 改良法を考えていた頃、穴から水が染みてくるようになった。およそ10メートルほど掘ったところだろうか。

 地下水は深いところになるから、地表までは何らかの手段で引き揚げるしかない。


 ポンプが必要になるが、歯車式ポンプやアルキメデススクリューは作れそうに無い。ピストン式ポンプになるだろうが、まずはポンプという概念を周りに馴染ませなければならない。

 どうしたものか。


          ・


 俘囚に棒を持たせて、アキラは測量をはじめた。三脚を基準点の上に据えて、測量盤の南北を合わせる。水平を出すと、盤の上に置いたゲージを棒の方向に合わせる。

 棒は別の基準点の上だ。棒には五寸ごとに刻みを入れて藁縄を結わえてある。四尺の刻みの部分、測量盤の高さと同じ位置には麻布が結わええてあり、ひと目でそれをわかるようになっていた。

 ゲージで棒を眺めて、ゲージの向こうに麻布が見えれば基準点の間は水平だ。

 こうしてアキラは地図と同時に高低差も調べていった。

 

 先に作っておいたスケッチ版地図の上の基準点をあらかた調べ終わると、あとは清書だ。ざっくりとした測量地図が、狭い範囲だが、浮かび上がってくる。


            ・


 夕方の屋敷にはまだ昼間の熱気が篭っていた。


「どう読むものなのか」


 池原殿が言う。原紙のアラビア数字やアルファベットを削って漢数字に置き換えても、やはり地図には読み方が要る。絵地図とは違いそれなりに説明が必要だ。


「紙のこちらが北、屋敷はここにございます。で、これが清水川。

 この四角は田を示します。この小さき丸が並、二重丸が良田、三角が荒田、バツはもはや田では無い土地です」


「川のかたちはこのままなのか」


 頼季様が問う。


「田のかたちもおよそ、万分の一の大きさに揃えてあります」


 田の一辺が一町、およそ100メートルだ。それを図の上では1センチほどで表している。縮尺は一万分の一。広げたのは足利荘測量図だ。


「この数は何ぞ」


 尼女御が指しているのは高度を示す値だ。屋敷近くの基準点からの相対値だが、およそ一尺刻みで調べたので、各基準点にそれぞれ相対的な高度をその刻みで書いている。

 そう説明すると、池原殿が驚いた顔でこちらを見る。

 すぐに池原殿は図面に没頭した。

 理解したのだ。これで用水路が設計できる。どこから水をとってどんな勾配で溝を掘れば、どの程度の水田を灌漑できるか。


「この図、渡る所に渡っては難がありますな」


 信田小太郎の着眼点は違う。北の奥にある峠道が描かれているのに目を留めたようだ。


 だが頼季様は、すこし考えて、


「道は隠せまい。誰ぞに訊けばすぐに判ることだ。良く知れてよい道もあろう。

 だが、隠さなければならぬものもあろう。

 アキラよ、いかな図にも浅瀬を描くことはならぬぞ。柵や垣、門もまた描くな」


           ・


 国府屋敷の平光衡殿に提出したのは、測量図から高低情報を取り去ったものだった。それでも充分に精度の高いものであるのは、一瞥すればすぐに判る出来だった。


「田地が二千二百六十七町、うち良田八百四十一、荒田千二百五町」


 足利に関しては、不堪佃田のきちんとした根拠が出せる。


「他の郡においても、同じように田を測れば良いのだが」


 難しいであろうなぁ。何より兼光は許すまい、とは光衡殿のコメントだ。

 足利の例を他の郡に当てはめると、荒田は明らかに過大報告されていた。

自分の郡の適当な田地の広さを、荒田を過大に報告して、税を免じてもらった分を自分の懐に入れている郡司たちは、当然測量を嫌うだろう。


 面白いのは全ての郡が過大報告している訳では無さそうだという点だ。

 簗田郡や安蘇郡、つまり藤原兼光の勢力圏は明らかに過大評価をしている。田地の半分が荒田なのだ。同様の報告をしている郡、河内、都賀、寒川の三郡も恐らく藤原兼光の勢力圏なのだろう。

 つまり下野国九郡のうち五郡が藤原兼光の勢力圏、これらの郡は測量に抵抗するだろう。


 検田使を立てられたなら良いのだが。光衡殿はそう言う。

 だが官位の無いアキラでは検田使になれない。アキラは、土地の高低の情報を交渉材料にできないかと考えていたが、手詰まりだ。


 国府屋敷からの帰り道、どこからか笛の音が聞こえた。

 そろそろお盆だか放生会だかの頃合ではないだろうか。足利でも祭りなど考えても良いかも知れない。

#24 上総国について


 上総国と下総国の境界は特に地理的条件によらない恣意的な分割で、更に先端が安房国として分割されましたが、依然として上総国は田地面積22846町(和名類聚抄)の豊かな大国、親王任国として、律令時代特に条件の良い国とされていたものと思われます。太平洋側に5郡、東京湾側に6郡、国府は市原、温暖で、税収は田地面積の広い下総よりも良いほどでした。

 しかしそれも将門の乱の後では、関東の諸国はみな亡弊の国とみなされます。この時代、相模、安房、上総、下総、常陸は2年の済物、つまり庸調の免除が状態となっていました。戦乱は郷を焼き、住人らは離散し食糧は不足し、そして疫病も広く蔓延したことでしょう。

 平忠常は上総介であった時期があるのですが、それが何時であるのかは判っていません。しかしその任期後も強い影響力を保持していた筈です。

 菅原孝標はこの一番難しい時期の1017年に上総介として赴任しました。任国に連れてきた娘が更級日記の作者です。既に平忠常が好き勝手やっていた頃の筈です。その任期は大変なものだったことでしょう。

 しかし孝標は一巡後再び国司として、同様の亡弊の国である常陸国に1032年に赴任しています。つまり上総での功過定を過無く済ましていることになります。貧乏くじ任命であった筈ですから、国司としての力量は大きかったものと思われます。

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