#20:1018年5月 馬車
都の滞在も半月を過ぎると、アキラはそわそわし始めた。帰りの支度をしなくては。
荷物は膨れ上がっていた。もはや馬の背にはつらい分量だ。
数日荷物の量を考えていたアキラだったが、唐突に思いついた。
これは、馬車をつくっても良いのではなかろうか。
馬車をつくるというアイディアは以前から持っていたが、作って良いものなのかいまいち自信が無かったのだ。牛車については何やら制限があるらしいし。
しかし、馬車がこの都で問題なしとされれば、新規物にうるさい事を言う下野の一部連中も黙らせることが出来るだろう。
アキラは都でようやく牛車を見たが、あの車輪は無い、と思った。それは分厚い木材の円盤で、ごついドーナツとごついハブの間に細い多数のスポークが走っていたが、とにかく重過ぎる。車輪はできるだけ軽量に作りたい。
アキラは大工たちに言って部材を集めさせた。端材で良いのだ。
車輪の基本は部材の結合だ。円弧の一部を紙に描きそれを下書き代わりに使う。紙の線の上から針で下に敷いた部材へ印をつけていく。
針の印をなぞり鋸でおおざっぱに部材を円弧の形に切ると、計算どおりに慎重に、部材同士の結合箇所の加工線を針で軽くけがいていく。スポークの部材も揃い、アキラは長さを揃えて更に細く削った。こういう部分なら素人大工のアキラにも出来る。
ハブもざっくり削り出す。スポーク穴の加工はアキラには出来る気がしなかった。あとで本職の大工に頼もう。
荷台は早々に出来た。荷台は小さく狭くしないと橋を渡れない。荷台と馬をつなぐ方法は馬鋤の繋ぎ方を参考にした。
問題はシャフトだ。木工旋盤がいる。
・
道長邸の仕事が終わる頃合が見えてきて、大工たちは褒美に台かんなを貰えない事に不満をこぼすようになっていた。ならばとアキラの鋸を欲しがる者もいたが、板材を易く作れるそっちのほうがよっぽど無理な話だ。
落ち込む大工たちに、一つ方法があるかも知れんとアキラは言ってみた。下野まで来ればこれはもう秘密を盗む盗まれるということは考えずとも良いだろう。冗談交じりだったが頼義殿を通して頼信殿にも一応話は通したアイディアだ。
「下野まで来れば台かんなと鋸をくれてやるぞ」
もちろん、都から文明未開の東国に来たがる者などいる訳が無い。
「吾がついていくぞ」
ところが、一人いた。
「藤井の貞松にある」
大工たちの中でも一番若い奴だ。
早速アキラは作業を頼んでみた。まずは車輪だ。
流石はプロ、車輪二つ分手際よくほぞ継ぎを仕上げてみせる。ハブのスポーク穴の加工も見ていてはらはらしないで良い。
組み上がった車輪は径3尺のちいさなものだが、その軽さはアキラ自身驚くべきものだった。もっと重くなると思っていたのだ。作業台の端に車軸を固定して車輪を差す。
車軸は結局木工旋盤で、という訳にはいかなかった。長さが問題だ。アキラはゲージを作って少しづつ丸棒を仕上げ削ってこれを作った。この車軸の固定は麻縄で巻いたに過ぎない。
墨を含ませた筆を用意する頃には、頼信邸の手の空いたものたちが周りを囲んで集まってきていた。
人に車輪を廻させると、アキラは筆を近づけていく。
筆先がちょっと触れるとアキラは筆を引っ込め、回転を止めて車輪を下ろした。墨のついたところを削り、再び車輪をまわし、筆を当てる。
退屈な作業に観衆もいい加減減った頃、アキラは槍鉋を取り出した。
まわる車輪に槍鉋の先を近づけると、やがて車輪が断続的に削られ始めた。どんどん車輪を廻させる。
槍鉋が削る木屑はどことなく台鉋でできる木屑に似てくる。
槍鉋を置くとアキラは車輪に指を当てる。
いい出来だ。そして、簡易木工用旋盤の出来上がりだ。
こうして車輪と車軸を削り、組み立てると、その貧相な見掛けに屋敷のものは困惑した。馬に繋ぐとさらにその貧相さは目をひいた。
まるで牛車の五分の一スケールの模型を貧乏人向けにしたような格好だと、アキラは我ながら思わずにはいられなかった。
「舟に積む事を考えたのか」
しかし頼義殿は一発でアキラの思惑を見抜いた。
「馬は曳くのか」
「いえ、牛に使う鞭を使います」
アキラの念頭にあったのは、牛を飼っている農家が鋤を使う様子だった。馬鋤が鋤係と曳き馬係の二人がかりであるのに対して、牛を使う場合長い鞭を使って一人で済ませているようだ。
アキラは荷台の前の部分を示し、ここに掛けて鞭を使うのだと説明した。
「うまくない、と思うが、よし試してやる。
鞭が無ければ棒でも良い、持て」
幸いすぐに牛車用の鞭が見つかり、頼義殿は早速ひとりうち乗って飛び出していった。
明らかに設計時の想定を超えたスピードだ。
アキラは慌てて後を追って屋敷を飛び出したが、そのときには頼義殿を乗せた馬車はもう見えなくなっていた。
だが、しばらくして頼義殿が馬に乗って帰って来た。馬の後ろにあったはずの馬車、荷台は影形も無い。
「アキラよ、あれはものにならぬぞ」
聞けば、五条の通りで壊れて動かなくなったとの事。
アキラは貞松と一緒に、馬車を回収しに向かった。
馬車はすぐ見つかった。広い通りの真ん中で、京童たちが群がっているのをかきわけて残骸にたどりつく。良かった。盗られたものは無いし車輪は無事だ。
壊れたのは車軸だったらしい。ぽっきり折れていた。
そこでアキラは、この馬車にサスペンションが無かったのを思い出した。負荷が掛かったときに衝撃となって車軸を破壊したのだ。
二人は車軸を分解して屋敷へと運んだ。アキラは車輪を転がし、貞松が台車を引きずったが、途中で貞松が車輪を転がしたいようだったので代わってやった。
ふむ、ジャイロ効果は楽しかろう。
サスペンションになるのは竹を削ったものを膠で三枚重ねて貼り合わせたもの、要するに小さな弓だ。
台車を削って竹サスペンションの端が収まる様に加工する。車軸受けは垂直の溝に鉄のスリーブが嵌るようにした。このスリーブが多少だが軸受けの代わりになる。当たりを滑らかにするために車軸に更に叩いた麻布をひと巻きしている。
車軸は台車の溝に下から嵌るだけになる。スリーブの上辺が竹のサスペンションに当たって負荷を和らげることが期待された。
あと、鞭はあまりうまく行かないことが判った。考えてみれば手綱を長くすれば良かったのだ。
新造した馬車に乗って、アキラと貞松は都を走り回った。
内裏の裏手を巡り、朱雀大路を羅生門まで走り、東寺と西寺を訪れた。一度ちらと猫を見かけた。野良猫だったのだろうか。
二条の橋を渡り、清水寺の下まで走ってみる。オフロードカーではないので、やはりきちんとしていない道はきつい。
五条の橋は有料だったので元の道を戻った。
荷物を載せた上で二人乗るのはかなりきつい。帰りは基本一人は歩きになるだろう。
頼信邸へと帰ってみると、変な格好の男たちが数人門前でたむろしているのに出会った。
頭には烏帽子ではなく何やら色々ついた冠があり、紺の袂の開きがない服、袍を着ている。何より矢筒を背負って弓を持っている。武者では無いようだが何者か。
アキラは貞松に馬車を降りるよう言うと、手綱を短くして曳きながら男達へと近づいた。気づいた男達にアキラは止められた。
「怪しき。馬の後ろは何ぞ」
「馬に曳かせる車、馬車にあります」
アキラは雑色のように頭を下げた。
「こちら源の朝臣頼信様の屋敷にて税財物を運ぶのに用いております」
馬車は男達に囲まれた。一人が進み出て聞く。
「藤永のアキラという男を知らぬか」
「吾にて」
目を剥いた男は、ついてまいれ、と告げた。アキラは貞松に手綱を渡して、彼らについていくことにした。
・
彼らは検非違使だった。
連れて行かれたのは今朝通った辺り、内裏のすぐ東そばあたりだった。
アキラは検非違使たちに周囲をぴったり囲まれてはいたが、彼らの役所らしき敷地に入るまでは乱暴なことはされなかった。
敷地に入ると扱いは一変した。雑色の格好をした男達に棒で突かれ、急かされて建物の一つに押し込まれる。棒の突き方には容赦が無い。あとで見ると酷いあざになった箇所があった。
一間四方の狭い土間の部屋に、座るところも無く、アキラは土壁によりかかって時を待った。
何が始まるでもない。ひたすら待つ。
やがて夜になる。部屋の扉には外から閂がかけられ、周りには誰もいなくなる。
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変な夢を見た。
今閉じ込められているこの部屋の隙間から、大きな板が一枚入ってくる。
アキラはこれを不思議とも思わず、多分ちょっと床板に鉋をかけすぎた影響だろう、この板にも鉋をかけてやった。夢だからか、どこからともなくアキラの手に台鉋が現れる。
しかし少し削ると、板は耳をつんざく悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
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目を覚ますとアキラは土間にあぐらをかいて座っていた。憶えていないが流石に立ったまま眠るのはつらい。
部屋の隅にくさい穴があり、小便が我慢できなくなってようやくこの穴の用途に見当がついた。大便もこの穴でするのだろうか。
昼になってようやく訪問者があった。
部屋から引き出されて、別の部屋に押し込まれる。その部屋も土間だったが、椅子がある。座って待つと、黒の袍を着た男がやってきた。歳はアキラより少し上だろうか。
「悪陰陽との訴えが上がっておる」
アキラの犯したらしき罪行が並べられる。いわく偽暦をつくり、女子供をかどわかし、在庁の官人を呪い……
この辺りで誰の差し金か、およそ見当がついた。
下野から、敵が追いついてきたのだ。
「全て身に憶えのなきこと。まず、吾は陰陽をおこないませぬ」
「暦をつくると聞くぞ」
「吾は既に有る暦の端に24節季を書き込むに過ぎませぬ。
これは算を立てることができれば、あとは太陽しか要らぬゆえ。
そもそも百姓に要るのは太陽に基づく24節季でございましょう。月に基づく暦は詳しくは知りませぬが、およそ算でわかる分は書いております。
ただ、月の、すなわち陰陽のことは全く知らぬのです」
流石にここで太陽暦を吹き込もうとはアキラも思ってはいない。
「暦博士相手に思い上がるな!
天文の巡りを知らぬものが暦を作ろうなど!」
大声で怒鳴られる。
アキラはムカッときたが、平静を装って言い返す。
「天文博士は頭の上を見るのはお上手とお見受けするが、この足元、大地の事はいかほどご存知か。
例えば、この大地が大きな、ひとまわりおよそ八万里の玉であることはご存知か」
アキラは畳み掛ける。
「海のものに良く知られた話がございます。フネがみな、津にやってくるとき、まず帆柱の先から見えると。
これと同じことが階段を昇り来る人にも見えまする。
一拍置いて、言う事を素早く整理する。
「まず烏帽子が見え、顔、そして装束が見えましょう。つまり、海は遠くにおいては階段のごとく低く、曲がっておるのでございます。
海人はまた申します。海の中に出て、陸が見えぬとき、囲む海は丸いと。
これは海が丸く曲がっておるからでございます」
実際にはアキラはこの時代でそういう話を聞いた訳ではない。実のところまだ海さえ見ていない。
しかし目の前の男にそれが判る筈も無い。
暦博士の眉が釣りあがるのにも構わずアキラは続ける。
「ある土地と、そこよりまっすぐ南にある土地、この二つで、同じ日同じ時に、太陽の地平からの高さを測ります。
大地は丸いので、そのためにこの二つの高さは食い違います。この食い違いから算を立てれば、およその大地の大きさが判るのです」
アキラは土間に指で線を描いてゆく。大地を丸く書き、太陽光を示す平行線を二箇所に引き、そして大地との角度を示す。
平行線の大地に交わる二箇所から、大地の中心に向けて線を引く。
「ご存知の通り、どのような三角の各辺にも、短辺の長さの二乗の和は長辺の長さの二乗に等しいという性質を持ちます。
二箇所の間の距離が判っておれば、ここに三角が出来、ここの角がわかります。あとは大地の真ん中までの長さを算じることができましょう」
円周率の説明はパスだ。小数点の概念の無い時代だ。説明が面倒くさくなる。
あとから考えれば、短辺も長辺も二乗も相手には判るまい。ただ、相手を煙に撒く効果はあったことだろう。
「吾子は宋人か?」
「いえ。下野の源頼季様の郎党でございます」
暦博士は歯軋りをすると地団太を踏んだ。リアル地団太だ。もし頭をかきむしれるものならやっていたのだろうが、人前で烏帽子を取れない以上、イライラはこういう形で発散される訳だ。
「坊に戻せ」
アキラはまた臭い穴のある部屋に逆戻りした。
腹が減った。
夕方にざっと雨が降った。もう梅雨が近い。生暖かい風が強く吹いて、これは季節の変わり目なのだろう。雷が鳴った気がしたが、稲光はみえなかった。
部屋の外は薄暗く、アキラは酔ったような軽いめまいを感じていた。風邪の引きはじめに感覚は近い。体力が落ちているのだ。
ぼうっとした気分の中、部屋の隅から、小さい黒の文官装束の一行が現れる。
この時代版の小さな大名行列か。それぞれ背の高さは三寸ほどだろうか。可動フィギュアよりひとまわり小さいが、リアルだ。
5人、いやまだ続く。袍を着て冠を付け、それぞれ笏を持っている。服の色が地味なので、そもそも高位の貴族ではあるまい。いや三寸の貴族がいるものか。
アキラは感覚の麻痺したまま、さわれるかな、と考える。
ゲット、できるかな。
そこで掴もうとして、三寸の文官たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
しばらくアキラは彼らを追いかけまわした挙句、一人を糞穴のそばに追い詰めた。
じりじりとあとずさる文官はもう後が無い。だが気づかず、足を滑らせる。
背後を悟った文官の絶望の表情をアキラははっきりと見た。
そこを救ったのはアキラの手だった。間一髪間に合った。そこでアキラは気がついたが、今手の中に三寸の文官を捕まえている。
普通、ここで手のひらを開くと、いなくなっているんだよな。
しかし、手のひらにはしっかりと三寸の文官が。
なんというか、逃がしてやる気になった。
解放された小さな文官は、笏を構えてこちらに頭を下げると、急いで走っていった。
気が付くと、部屋は真っ暗で、ただ風雨の音だけが響くだけだった。
アキラは床に横になったまま、その音を聞いていた。
あんなもの見てしまうなんて、ちょっと衰弱し過ぎだろ。
翌朝アキラは開放された。
・
屋敷に戻り聞いたのだが、誰某からの訴えは取り下げられたのだそうだ。はて、取り下げとは。
昨日の雷は、下野から馬を曳いてきた老雑色だけが憶えていた。
老人はアキラに雷を避けるまじないを教えてくれた。桑原と唱えると、道真公の在所と勘違いされて雷が落ちてこないのだそうだ。
出立の準備は大急ぎのものになった。財物が馬車の荷台に積まれる。積み過ぎたので少し降ろす。降ろした分は、頼義殿に付いて馬を曳いてきたものたちが下野に帰る際に持って帰ってくれる事になった。
アキラの刀は預けているうちに拵えを作り直されていた。頼清殿が屋敷の住み込みの細工にやらせたのだそうだ。
柄は藤の皮でひねりを入れて編まれ、鞘は削られた上で黒漆を塗られていた。鞘に付いた帯から下げるための紐も新しいものが付いた。
たんまり手紙を持たされて、アキラと貞松、そして馬一頭は出発した。
#20 検非違使について
この時代、武者が得る官職として検非違使は人気がありました。検非違使は令外官で、衛門府との兼務となっていました。
当時の警邏職としては京職、右京と左京とで分掌する官位がありましたが、その実権は既に検非違使に奪われています。
検非違使はその点格好も活躍もぱっとしたものがあります。頭には烏帽子ではなく緌を頭の両側につけた冠(烏帽子も多かったのですが)、着るのは袍で、靫を背負って目立つ格好でした。武装していても鎧を着ていないのでスマートに見えます。手下には放免、罪人を罪を免じる代わりに使役される者達がいました。
検非違使は刑部や弾正、衛府の職域も侵して兼ねていました。権力の集中もさることながら、武士の出世コースとしても有名でした。派手な活躍ができる権力があり、活躍を望む権力側があり、本人たちもやる気がありました。但し本人達の態度は清廉とは程遠く、盗人の逮捕に行った家で盗みを働く話なども伝わっています。
本人達の官位は低く、六位の者達で構成されていました。30年ほど前から七位の任官がほぼ無くなったため、この時期六位は官位の最下層です。また五位に昇官すると検非違使を辞めなければならない決まりでした。
ただ、法律の専門家である坂上家、中原家のものだけ五位で留まることができました。過去の法律である律令そして比較的新しいが膨大な格式を現実の状況に当てはめようとしたとき、法律の専門家は絶対に必要でした。
武者に人気の官職といえば禁中警護の職である近衛府は勿論人気でした。頼信の次男頼清はこの時期左近衛将監でした。官位が上がって左近太夫になるのは少し後のことになります。この時期頼清はひどい貧乏暮らしをしていたようで、とある阿闍梨の飯をたかりにいって「此の御房には粥こそ汁なりけれ」などと抜かしていました。駄目野郎です。