#2 :1018年2月 足利屋敷
「さて、信田小太郎はおらぬか」
「呼んでまいりましょう」
アキラは立ち上がった。そろそろ雑色は奥に引っ込む頃合だろう。
母屋の裏の建屋は下屋と呼ばれている。ここに炊事場や風呂場が設けてある。
下屋の半分は土間、半分は板間になっていた。土間の竈は2つとも鉄釜を据えて炊き上げられ盛大に湯気を吹いている。女房たちが捌いているのは鮒か。
普段から急な供応のために、川から取ってきた魚の一部を裏の池に飼っているのだが、これを浚ってきたのだろう。
酒の甕を持って現れた武者の頭目、信田小太郎を見つけると、頼義殿がお呼びだと伝え、酒甕を受け取った。
酒甕は瓶子を用意していた屋敷の女房に渡す。今日は人数が多いから、膳の用意は頼義、頼季両殿のみで良かろう。そもそも二十も膳が無い。
土間に転がっている竹の子の皮を剥きはじめる。竹の子は料理として出すに手っ取り早い。全て皮を剥き裏手で水洗いすると、これも屋敷の女房に渡す。
かぶらを探して畑にでも行こうかとしているところに、行った筈の信田小太郎がアキラを呼ぶ。
「お呼びだ」
母屋に行けば、頼義殿はご立腹の様子だ。
「引っ込んで良いと言うた憶えは無い」
「さすれども、色々準備がごさいます。裏手が忙しゅうなりますれば、助けが要りましょう。
元よりこの屋敷は人手が少なく、我のような怪しげな輩も使って下さるほどでありますれば」
「弁が立つのは判った。で、いくさ働きのほどは」
「ございません」
ある訳がない。
「弓馬の腕は」
「馬は乗ります」
ようやく乗れるようになった、というのが正しい。まだ走らせるのは難しいし、長く乗るのも難しい。しかしおかげで馬の世話が牧の方でもできるようになった。
屋敷の裏手の山のほうに、馬を放し飼いにしている野原、牧がある。小さなものだというが、歩いて管理するにはちょっと広すぎた。
「して、弓のほうは」
アキラの弓の腕は下手のひとことで足りた。練習はしているが、未だに五間、15メートルも離れると立ち木の的すら外す。最近よく山に狩りに出かけるが、未だに弓で獲物を仕留めたことは一度も無い。
「こやつ、弓の腕が悪いのを弓のせいにしおりまして、好みの弓を拵えるのでありますが、しかしそれでもまだ下手でございましてな」
この時代の弓というのがちょっと大きすぎるのだ。
アキラは冬の間、様々な小間仕事の一つとして弓の手入れもやった。
2メートル以上もある長い、弾力のある木で作った弓の外側に竹を薄く削ったものを膠で張りつけ、籐皮を巻く作業だ。上等なものになるとこれに漆を塗る。弓の弦は鹿の腸を使っていた。
アキラは弓の木の部分の材料である梓が足りなくなったのを、竹だけで作れないかと考え竹を二枚貼り合わせてみたが、やはり性能は落ちるものしかできなかった。
では三枚ではどうか。加工は出来たが弾力はさほど変わらなかった。
こういう時に思い出すのは材料工学の授業の知識だ。こういう材料は繊維の向きを変えて強度を出すべきだ。竹を三枚重ねるにしても、真ん中は向きをちょっと変えてみた。
結果は当たりで、アキラは短く強い弓を作ることが出来た。
だが、皆にはあまり短い弓の評判は良くなく、しかし、その技術を用いて作った長弓は絶賛されることになる。
結果、冬の間にアキラは五張りの長弓を作った。うちひとつは漆塗りで、頼季様のものとなった。
「アキラの拵える弓が凄まじきものなのです!」
頼季様が勢い込んで言う。
「アキラよ。我の弓を持ってきてくれ」
「ついでに、あれも持ってこい」
信田小太郎がアキラにそう言うが、あれとはあれか。
アキラは屋敷裏の置き場に向かう。入ってすぐ、取りやすい位置に弓が並べ立てかけられている。端が頼季様の弓だ。矢筒も取り上げ、更に奥に行く。
馬具や埃をかぶった盾の並ぶ奥、土間の棚にアキラはそれを置いていた。
持ち帰ると長弓を頼季様に渡す。
「これを見て給われよ」
頼義殿は手渡された弓のしなりを確かめると、
「ほう」
矢筒から弓を一本抜き取ると、試そうと母屋の縁側に出た。
日は陰りを見せていたがまだ明るい。門の前に立木がある。普段は馬を繋いでおくのに使ったりする。
そういえば、とアキラは思い出した。あの立木の後ろ、門のところに弓を置いたままだ。
頼義殿は矢を弓につがえると、思ったよりも素早く、矢を射た。
違わず矢は立木に突き刺さった。流石、アキラとは腕が違う。
「確かに強いが、おかしな撓みがあるな。これが取れれば尚良い」
それはそうと、と頼義殿はアキラの手にあるものに注意を向けた。
「それは、弩か」
アキラは頼義殿にクロスボウすなわち弩を渡す。
「ご存知でしたか」
信田小太郎がやってきて言う。
「都に行けば色々なものを見ることがある」
頼義殿は弩を構える。引き金を探して、それが独特の作りになっているのを見て、
「これはアキラが思いついて作ったものか」
「手に入るもので作るとそうなりました」
アキラは答える。
クロスボウの弓の部分は竹、柄の部分は樫の切れ端を削ったものだ。弦をつがえる掛け金はできれば鉄を使いたかったが、下働きの身分ではそんなものを調達することは難しい。
アキラは発想を転換して、弦は柄の溝に引っ掛けるようにした。溝の下に掘った穴から棒で弦を押して溝から外すのだ。
今頼義殿が持っているバージョンは竹をばねにして、押し棒が自動で穴の底に引っ込むようになっていた。ばねになって丸く反った竹の部分を柄ごと強く握ると、竹の部分が柄に押し込まれて棒が押され、弦が外れる仕組みだ。
単純な仕組みだが、この時代こんなものはどこにも無いだろう。
弦の張りを指で確かめると、頼義殿は信田小太郎に、
「さにあの者達の弓の腕が心配か」
「流石に二十人とは数が多うございます」
ふむ、と頼義殿はあごひげを軽くしごくと、
「しかし、これより弓のほうが早く揃えることができるのではないか」
確かにその通りだ。
「アキラは弓を二十、揃えよ。ついでに一緒に弓の稽古もせよ」
そこで母屋の奥から酒と肴が座に運ばれてきて、頼義殿は座に戻っていった。
アキラは縁側に置かれた弓と矢筒、そして弩を手に取ると庭に下りた。立木に刺さった矢を取りに行く。
矢は思ったより深く刺さっていた。門柱の後ろに置いていた弓と矢筒も回収して、置き場に向かう。
春の日差しは少しづつ長くなっていたが、まだ日は短いうちだろう。屋敷は夕方の陰りに彩られていた。
母屋に灯明が運ばれてくる。
照明のための灯りは、この時代この東国では贅沢きわまりなかった。
周囲の農家から漏れる明かりは、夕食をつくる竈のものだ。
農家にはこの時代まだ囲炉裏は無い。家の中は一段深く掘り込まれた、いわゆる竪穴式住居だ。
土の壁が高さ40センチほどもあったし、ちゃんと柱も立って外見は普通の民家のように見えたが、家の中に入ってみれば、すのこを多少マシにした程度の板が床においてある程度である。そのすのこの上に藁を編んで作る敷物、薦を敷いて寝るのだ。
置き場に弓を片付けると下屋に向かう。手と足を洗うと板間に上がり、炊き上がったばかりの飯を碗によそうのを手伝う。
屋敷の郎党どもは既に皆酒目当てに母屋に行っていた。下屋に残っていたのは女ばかり、屋敷の女房二人と、なぜか尼女御がいた。
「尼女御はあちらには行かれないので?」
「しばらくは武者どもの話でお忙しいでしょう」
この屋敷で一番偉いのは頼季様ということになってはいたが、年若い頼季様に代わって実際の差配をするのは尼女御だった。
年齢はおよそ40歳代後半の頃だろうか。この時代の人は良いものを食べてる訳でも無いし衛生環境も悪いから老け込むのも早い。だが例外的に若々しく長命な人間もいるようだった。尼女御もそういう例外の一人に見えた。
尼女御は元は都の貴族の家の娘だった。親は大蔵大丞といってもまぁよく判らないのだが、そんなに高位の貴族ではなかったらしい。
それが疫病で家中の主だったものが死んで、親の付き合いのあった源頼信殿、頼義殿と頼季様の父親のもとに預けられ、乳母となったという経緯であったという。
だから貴族の娘として教養はしっかり抑えており、この東国でお二人に教育を施したのも彼女なのだという。
源頼信殿は6年前までこの東国で受領、つまり国司として県ひとつ分ほどの地域を治めていた。頼信殿の子供三人、頼義殿と頼季様と、あと次男の頼清殿はこの東国で育ったのだ。
三人の実の母親はと言うと都にいたらしい。どうも母親の話題はタブーらしかったからアキラは良く知らない。
頼季様が乳母を必要とする歳でもなくなると、尼女御は出家して尼となった。とはいえこの屋敷でのやることは大して変わらなかったらしい。ただ屋敷の端に仏像を納めた薬師堂が立てられ、その維持を彼女がするようになった程度の変化だった。
この半年、アキラに色々と教えてくれていたのも尼女御だった。
そもそも半年前にアキラを拾って助けたのが彼女だ。彼女は全くの恩人である。
女房たちが飯の盛られた碗を運んでいってしまうと、アキラと尼女御は二人で、中身のすっかり無くなった鉄釜のひとつを外に運んで洗った。
藁を束ねたものでよく釜の表面を磨いていく。釜は単なる鉄で一応表面は黒くなんらかの処理はされているようだったが、それでも手間を怠るとすぐに錆びてしまうだろう。
「尼女御は今日来た者達をどう思われますか」
アキラが聞くと、彼女は、
「当人たちをまだよく知りませんから、今はまだ何もいえません。
ただ、恐らく、あなた次第かと」
思ってもみない事を言う。
「どういう事で」
「この屋敷で、位のはっきりしないのはアキラ、吾子くらいでしょう。
読み書きが出来、算の術が出来、工芸の才があり、人の倍働いて、雑色にて侍らんという訳には行かないでしょう」
「しかし」
アキラは慌てた。
何も好きで雑色をしている訳ではないが、欲がある訳でもない。
そもそもアキラの欲とは、千年後、21世紀並の生活であり、それは恐らく遠く手に届かないところにあるのだ。
だから今は次善を選ぶしかない。このはっきりしない身の上で、この屋敷で働けて、源頼季という気の良い若者の手下となり、その庇護を受けるようになったのは全くの幸運だったと考えている。
そもそもこの時代、身分とは血筋のことだ。一見実力社会のように見えるこの武者の屋敷でも、血筋の差は絶対の前提条件だつた。
アキラには身分と言う点では、そこまでしか考えは無い。
目下の欲は、失敗続きの狩猟の罠づくりとか失敗続きのキノコ栽培とか煉瓦づくりとか釉薬のかかった陶器づくりとか竹のペンの実用化とか、本当にいろいろあって大変なのだ。
繰り返すが身分に関する欲どころでは無いのだ。下手に役目を背負わされると目下の欲が満たせなくなるかもしれない。
「よく聞きなさい。
アキラには頼季様に付いてもらいましたが、頼季様はまだ若く、あなたをうまく使うことができません。
しかし頼義様なら違うでしょう。そして恐らく頼義様は、今最も難しい事、つまり今日やってきた者共をどうするか、そこにアキラを役立てようとなさるでしょう」
アキラは母屋での頼義殿とのやり取りを思い出した。まさにその通りだ。
この裏手のこんな場所で、表のやり取りを全て見抜いていたのは流石と言うしかない。尼女御の才能を改めて思い知る。
「もしそうだとしたら、事は結局アキラ次第ということになりますね」
#2 住居について
千年前の住居は、律令制施行の記録から推定される姿と、物語等から垣間見える姿と、考古学的に見える姿に食い違いがあるように見えます。
考古学的証拠が示す住居の姿である竪穴式住居は日本の夏の気候には適していると言い難い姿をしていますが、一方、夏に特化したような住居に暮らしていた貴族達は、冬より夏のほうが不快だと記録しています。
考古学的証拠は密集した集落が存在しなかったとしますが、一方で奈良盆地などに古代の郷のあとを現代にも見ることが出来る訳です。
筆者はこれを、農村では夏と冬で住居を変えたのだと解釈しています。これは例えば将門記などに出てくる仮屋など、耕作の為に耕地の傍に立てて暮らす小屋が夏の住まいだったと考えています。
後に郷が廃れると代わりに、この小屋が従来の冬の住居も兼ねることになりますが、その時には夏の暮らしやすさが大きく考慮されることになり、現在の農家の構造が出来上がっていく、そう想像しています。