#15:1018年3月 深山
4日ぶりの我があばら家は、見る影もなくボロボロになっていた。
荒らされたのだ。
家は屋根に石を投げ込まれて大穴が開いていた。柱も押し倒されている。
そしてちくしょう、荒らした奴は家の真ん中に糞を残していきやがった。
貴重品は少し離れた木の洞のなかに隠していて無事だった。家においていた鍬と斧、鎌は無事残っていた。
最大の問題は糞である。寄生虫の塊に違いない。そりゃ自分もそろそろ寄生虫にやられている頃合かも、とか思っているのだが、それでも自分からリスクを負いに行く理由は無い。
鍬を取り、ほとんど山に入ったところに穴を掘る。そして糞を周りの土ごと運び、穴に埋めた。穴は硬く押し固めておく。
家に戻るが、しかしああ、嫌だぞここに身体を横たえるのは。
なかなか堪える嫌がらせだなぁ。
誰がしたのかはほとんど見当がついている。
鍬や鎌を盗まなかったのは、盗んだものを持っているとすぐにバレるからだ。つまり誰の持ち物か周知のグループ、俘囚のうちの誰かだ。
というか大物部季通だろコレ。アキラを雑色呼ばわりした奴だ。
上名草の住人には時々馬や道具を貸すことがあった。木の根を引っこ抜くときなど、馬があれば頼もしいだろう。鋸の扱いは見ていてひやひやしたが、何とか扱いを覚えさせた。
大物部季通はアキラの見ている前で鋸を盗もうとした。見ていないと思ったのか、雑木の中に放り投げるように隠して、アキラは盗みよりもその雑な扱いに腹を立てた。
その場で大物部を殴り倒し、雑に扱うなと怒鳴ると、以後雑な扱いがあれば貸さぬとアキラは一同に宣言した。
恐らく一同は、それが実際には盗みの発覚したのだと気づいていたに違いない。以来、大物部以外のの三人は、道具を借りるのにアキラにいちいち伺いを立てるようになった。
大物部には、やがて誰も道具を貸さなくなったと聞いた。
家の柱を戻すと、家の中の土を入れ替え、屋根を塞いだ。
これで午前中は過ぎてしまった。
馬を歩かせて水を飲ませ、あとは木に繋いで勝手に草を食ませる。
山の更に奥に、小屋とも呼べないただの屋根をつくる。
目を付けていた倒木を斧で分解し、屋根の下に運んでいく。乾燥させるのだ。うち少々を家に運んで薪にする。
気が付くと山蛭に食われているので、その度にファイヤピストンで麻屑を燃やし、ピストンの先を蛭に押し付けて落とす。食われた跡は出血が止まらないので本当に嫌だ。
季節を考えると蛭はまだ少ない頃の筈だ。先のことを考えると憂鬱になる。
垣根に使えそうな細木もどんどん伐っていく。家の周りの木はもっと伐っておきたい。上から蛭が落ちてくるような家は嫌だ。
これで薪を確保するとともに、柴垣用の部材も相当量確保できた。
柴垣は馬を逃がさないためにまず必要になる。何かのミスで逃げてしまっても、垣根があればいずれ捕まえることができる。そして馬が逃げない垣根なら、野生動物も入ることが出来ない。
奥山だからこそ必要な設備だ。
飽きたらひたすら鋸の目立てをする。
鑢と歯の無い鋸は、砥石と引き換えにしてもらった。そのうちまた砥石を持って行って、鍬や鎌の代金を完済するつもりだ。
鑢は断面が三角になっていて、たがねで刻んだ溝が三面を覆っていた。ちゃんと焼きも入っていて、鋸の鉄板もちゃんと削れていく。
作業を始めたばかりの、最初に出来上がった刃の並びには明らかなばらつきがあったが、最近は慣れてきてばらつきが減ってきている。
この集中力の要る作業は長くは続けられない。今のペースだと休憩を入れて一度に山4つ仕上げれば上出来だ。
まだ五分の一くらいしか終わっていない。先の長さにげっそりくる。
あとは粘土運びだ。
陶器になるかは判らないが粘土をみつけた。炉を築く予定の地点までできるだけ運ぶのだ。藁を編んだ袋を天秤棒の両方にかけて、かついで粘土を運搬する。
炉を築く予定の場所はおよそ平坦に均しが済んで、今は炉の部分を掘り込んでいる。
既に煉瓦も100個ほど出来上がっている。
炉の予定地点の山側を削って作った掘り込みを即席の炉にして、削ってでた赤土を練り固めて作った煉瓦を焼いたのだ。
焼成温度は低いし、形はいびつだし、とりあえずこの方法は改善しないと駄目だ。
100個作った煉瓦は即席炉の改善に使おう。どうするかはまだ考えていない。
夕方には身体を洗い身奇麗にして屋敷に夕食を食べに行く。
作る予定の畑に植えるものについて池原殿と話し合う。植えられるだけの苗がまだ育っておらず、だから秋から大根を植えるのが初めになるだろうとの事だった。そうそう、しばらくしたら種を取って、苗を育てる準備をしないといけない。
そこで思いついたが、菜の花、あれって菜種が採れるのではないだろうか。油が欲しい。油で揚げられれば食事の質は一気に向上する筈だ。
あれって大根と同じタイプ、科だったっけ。大根の種を取るタイミングに合わせればいいのかな。
道端の菜の花について聞いたが、あれは食べるためのもので、咲いてしまっては食べ頃を過ぎており、油も取れるのは知ってはいるが取りづらいため、アキラが望むなら勝手に刈り取ってしまっていいのでは、との事だった。
暦はようやく新しいバージョンに差し替えることができた。尼女御はまだ気づいていないようだ。そもそも屋敷の武者どもは日取りとか方角などの吉凶を全然気にしていない。
家を荒らされた話は、頼季様と君子部三郎にもしておく。
特に頼季様は大事である。頼義殿が馬を連れて都に帰られて、再び屋敷の名目上の主は頼季様に戻った。馬の面倒を見るために数名が頼義殿に同行したから、屋敷の人手はさらに減った。
そろそろ頼季様には屋敷の真の主になって頂きたい。
「それでどうする」
勿論、ただでは済ませるつもりは無い。その旨あらかじめ了解を得ておく。
頼季様は良い顔をしない。それはそうだろう。
せっかく連れて来たのに住人にならぬ者が出ては、世話を焼いた甲斐が無い。
入植者の扱いとしては、俘囚たちの待遇は抜群に恵まれたものだろう。家が建て揃うまで屋敷で寝起きして、飯まで出してもらって、嫁の世話までしてもらう。
聞くものが聞けば腹を立てるような好待遇だが、それでも不満が出るのは避けられない。
大物部季通は、武者になるのだと語っていたという。
どこで何を取り違えたか、百姓になるのは不本意であったか。
「仕方のあるまい。アキラの責にあらず。兄背が悪かったのだ。気にするな」
頼季様はそう言ってくださるが、だからと言ってアキラの気分が軽くなる事は無い。
・
屋敷に仕事があれば翌日の朝のうちに片付けてしまう。
昼前には奥山に戻り、仕事を再開する。
今日は塩を持ち帰ることが出来た。最近は昼飯に、出て来た蛇を殺して焼いて食べているが、やはり味付けがないとまずい。
昼飯は、奥山暮らしによって再開したものの一つだ。
とにかく出てくる蛇を食うのがきっかけだったが、おかげで動物性タンパク質には困っていない。毎日の肉体労働にちゃんと筋肉が付いてきている。
奥山でも奥のほう、仕掛け罠の状況を巡回する。結局昼飯はまた蛇になった。マムシが多すぎるし虫も多すぎる。ムカデとヤスデは何か対策したい。何よりヒルだ。
自宅予定地を周辺ごときっちり焼いてしまおう。そう決意する。
鹿が罠にかかっていた。成獣で、既に事切れていた。
罠を外して重たい鹿を木に吊るせるところまで運び、小袖を脱ぐと解体を始める。
二度目となるとかなり手馴れたものとなる。冬のうちにやらされた鹿狩りの後処理の記憶が役に立つ。それでも内蔵はゲロゲロである。あぁ、寄生虫で一杯じゃないか。
内蔵は穴を掘って埋める。あとは血が抜けるまで放置だ。
奥山向こうの牧へ砥石を拾いに行き、ついでに川原で浴びた血を洗い落とす。
肝炎とかヤバい病気の元だったような気もするが、もはや気にしても無駄だ。
戻ると、家まで鹿を運ぶ。担いでもまだ重い。きつい。
皮を剥ぎ、骨を取り、肉を縛る。今日焼いて食べる分の肉を残し、肉は塩を揉み込んで塊を縛って吊るしておく。明日は燻製に再挑戦だ。
夕闇の中、肉を焼く。ひたすら脂の乗った肉を食う。腹いっぱい食う。
今日は屋敷には戻らない。どちらにせよこんな臭い格好では戻れない。
翌日は鹿の骨や腱を煮ながら皮をなめす前処理をする。ものすごく臭い。ダニを取る道具を竹で作った。それでどんどん潰してゆく。いちど川の水に漬けて洗い、皮の裏についた肉を徹底的に削ぎとる。
昼飯に肉を焼く。
午後は原野に残った切り株を馬に引き抜かせる。今年中に田んぼにする予定の土地は大体原野にしてしまえた。あともうちょっと頑張ったら、田んぼの畦の位置を決めたい。
畦つくりの作業のほとんどは石垣用の石運びになる。長い作業になるだろう。平行して用水路も掘るが、それは測量の結果を基にしたい。
測量については、アキラはずっと考えている。
三角測量には角度と長さの計測が要る。長さは紐を使えばいい。角度は分度器に類するものが要るし、そもそも三角関数をどう計算する?
三角関数表が要るのか。
そもそも角度の精度が出るとは思えないから、5度刻みの分度器を作るとする。すると36個の刻みができる。計算するまでもないのが9個、残りを計算で出せば三角関数表ができるか。
いや、そもそもどう計算するんだ?
いざとなれば実測するという方法もあるが、そうなると定規が欲しい。
この時代、刻みの付いた定規は無い。あるのかも知れないが見たことがない。
文字が読めないということは数が読めないという事で、それは寸法指示が読めないという事でもある。寸法を使う作業そのものが少ないし、寸法指示の精度も低い。
定規を作ろう。材料は竹で良い筈だ。
あとコンパスも作りたい。
測量にはあと、基準点も要るだろう。
アキラは奥山の岩山の近くの一本杉の周りの木をちょっと伐って、一本杉を目立つようにしたいと思っていた。
あと杉の頂部をちょっと刈り込みたい。なにか光り物でも据え付けることができれば良いのだが。
あとは屋敷の近くに基準線を決めてしまおう。東西南北がちゃんと出て距離がはっきりした基線を設定したい。
今考えている方法だと、とりあえずしばらくは三角関数は不要な筈だ。
方法とはこうだ。
紙を水平に板の上に広げて、方位をきちんと合わせる。
紙の上に定規を置いて、基準点、例えば奥山の一本杉をその先に合わせる。そのとき定規は紙の上に示した基準点の印の上を通らなければならない。
その定規の位置で線を引き、更にもう一つの基準点に対して同じことを繰り返す。
基準点の位置とその間の距離が判っているなら、現在位置もわかる。紙の上、描かれた線の交点の位置だ。
ただこの場合は、平らな板が要る。こっちが今はまだ難しい。
即席炉に燻製のための煉瓦を積んで隙間を粘土で塞ぎ、肉を吊るす。
雑木のうち匂いがあるものを選んで薪に積む。火をつけて放置だ。
川に戻って砥石を仕上げているうちに陽が翳ってきた。身体を洗って屋敷に戻るか。
肉が食えると奥山暮らしも魅力的になってくる。これに文化文明の利器が付いて来れば言う事は無いのだが。
……貴族的な文明生活まで、まだたっぷりひと月、か。
#15 道路について
律令制と共に全国に整備された官道は、この11世紀には多くが荒廃した状態でしたが、多くがまだ使われていました。
東国には東山道と東海道の二つの道がありましたが、東北へと続くメインコースは、碓氷峠を越える東山道でした。碓氷から松本近辺を経由して南下すると、残りの東山道はのちの中仙道よりむしろ中央自動車道に近いコースを取っていました。
幅6メートル以上の直線の道はローマの道とは違い舗装されていなかったので、人の手で維持され続けていなければすぐに野草に覆われ、大雨で流されていたことでしょう。10世紀初頭まで、東北の戦役が続く限り、東山道は駅馬制と共に維持補修されていたと思われます。
しかし維持の理由が無くなれば、消滅は速やかだったでしょう。地形を無視した直線の道路は自然に還るプロセスが始まると地形の中に消えうせてしまった筈です。特に河を渡る箇所は、堤防の整備が無く浅瀬や枝分かれした支流を一本づつ渡るような箇所は洪水で跡形も無く消滅し、川は流れを変えて道そのものを消してしまったでしょう。
恐らくこの時代、住民の日常使用の無い多くの官道が消滅に瀕したことでしょう。渡河箇所付近では旧来の道は消滅し、新しく小さな、川を渡り易い道が使われたでしょう。
東海道や相模、武蔵では官道に代わって新しい道が生まれています。これら新しい道は山近くを通って難しい渡河箇所を少なくしているのが特徴です。