#13:1018年3月 国府屋敷
二人は屋敷の門の前で馬を降りた。
「源の頼義と供一人、挨拶に参りました。
光衡様のご都合はいかがか」
武者郎党の出てくることも無く、雑色に案内されて母屋に上がる。
母屋のほかに左右に離れが見えるから、実際には足利の屋敷よりも大きいようだ。
母屋は壁と几帳で細かく仕切られ、二階棚が至る所にあって、それぞれの棚に文書の丸まった束が乱雑に置かれていた。
案内された仕切りは畳が敷かれて、そこに屋敷の主、40後半から50代と思しき人物が座っていた。服装はアキラと同じ水干だが布地は絹だ。細かい模様が散らされた絹の服はアキラが着ているものと同じものとはちょっと思えない。
二人胡坐を書いて座ると、挨拶もそこそこに、屋敷の主と頼義殿の会話が進む。
「ようやく算の出来る目代のあてができますれば、連れてまいりました」
そこでアキラは頭を下げた。
「藤永のアキラと申します」
「どれほど使える」
屋敷の主人、平の光衡殿の質問に、
「こやつ、算木を使いません。それで恐ろしく算が早い。くわえて陰陽に通じて暦がわかります。物忌みも方違いも足利ではこやつが調べます」
「なんと」
「試してみてはいかがか」
頼義殿がそそのかす。ちくしょう。
「ようし……」
光衡殿が思案顔になる。いや、大丈夫だ。大した問題は出されないだろう。
少しその場を離れると光衡殿は何か畳まれた紙束を持って来て、しばらく読んだあげく、やがてアキラのほうを向いて問いを投げた。
「雉子と兎が沢山大きな籠に入っているとする。籠を上から見ると頭が三十五,下から見ると足が九十四あった。
では雉子と兎の数はそれぞれいくらか」
アキラは内心慌てた。割り算で出来る問題か。あ、ちょっと確認せねば。
「足の数は、雉が二つ、兎が四つでよろしいのでしょうか」
「ああ。頭はそれぞれ一つづつじゃ」
光衡殿が面白がるように応える。
さて、頭が35、ならば足は70、おっと人間じゃない、これは全部が雉の場合だ。
すると足が余る。ええと94、94引く70は24。
兎は2つ余計に足が増えるわけだから、2で割って12、
「兎は十二」
で、35引く12は、
「雉は……二十三」
「正しいので?」
頼義殿が聞くのに光衡殿は手元の紙束を見て、
「合っておる。それより、アキラよ、吾子はこの題をこれまで聞いたことがないように見受けたが」
「そうでございます」
「それで算木を使わなかった」
「このくらいなら、そらで出来まする」
光衡殿は袂で口を抑えて、
「恐ろしや」
頼義殿は面白がって、
「このアキラ、相撲も随分と上手でございます」
「鬼人のごときありさまよ」
「しかし弓の腕ははなはだ悪うございます」
光衡殿は一瞬真顔になって、そして吹き出した。
「はっ、ははは、鬼人は弓が下手と」
「鬼ではございませぬ」
アキラはむすっとして答えた。
頼義殿も笑いながら、それではアキラに何か数でも確かめさせましょうと言い出す。何かと思えば、それでアキラは退場と言う事らしい。
几帳で隔てたところの、二階棚の棚に積まれた文書はこの春の作付面積らしい。これを検算しろと言う事らしいが、何を確かめればよいかも判らない。
勿論、それらはただの、光衡殿と頼義殿が二人で話をするための方便に過ぎない。
・
几帳の向こうから、切れ切れに言葉が聞こえてくる。
武蔵の誰それ、陸奥の誰それ、讃岐の受領、近江のどこか知れない寺の坊主、都の誰それ、それらは特にとりとめの無い話のようで、恐らくはこの時代、世間話こそ大事な話なのだ。
アキラは手元の文書をぺろりと広げる。
この時代の紙は、縦七寸幅一尺、大体A4に相当するサイズを横に使うのが基本だ。B版だとばかり思っていたが、かなりA4に近いと思う。
中身は、これは簗田郡のものだ。
簗田郡大宅郷、良田百三十二町、並田が十一町、荒田が八十五町。籾の量とおぼしき数字がある。多いか少ないか数が合っているか、全く判らない。
確か一段二十斗取れれば良田、だったっけ。上野の池原殿の実家で聞いた話だ。悪いと半分の十斗、一町は十段だった筈だ。
税が段別二斗なら税収が計算できる。
でも、そうなると紙が欲しい。墨も。竹ペンは予備含めて持って来ておいてよかった。結構ペン先が磨耗して、小刀で尖らせないといけないのだ。するとどんどん短くなる。
表が作りたい。紙と墨、硯が無いか奥に人を探す。
母屋の裏はすぐ下屋ではなく板間の小部屋があり、これはどうやら物置らしい。
「誰かおらぬか」
人はおらず下屋まで行くとようやく屋敷の女房と雑色がいた。
なにやら色事にでも夢中だったのか、双方互いにぱっと身を離す。
「何事で」
「いや、紙と墨は無いかと」
雑色が立ち上がり、ざっきの物置部屋を色々探し始める。
「二郎様にきけばぁ、わかりますけぇど」
して、二郎様とは、
「二郎様なら出掛けられて夕餉まで戻らんよぉ」
奥からさっきの女房の声がして、ああ困りましたなぁ、と雑色が言う。
勿論、困っているのはアキラただ独りである。
「硯と墨なら、わたくしの使っておるものがあります」
そこに小さな声がした。
物置小屋から西に渡り廊下があるが、その先に、貴族の少女がいた。
アキラはこれまで、貴族の女性を見たことが無い。一番近いのが尼女御だが、彼女は既に出家した身で、身につけるものは質素な僧衣である。
少女は、袴と小袖の組み合わせの上に2枚ほど鮮やかな絹の衣を着ていた。教科書で見慣れた十二単ではないが、明らかに着物の質がアキラの良く知っているものと違う。これぞ貴族だ。
背は低いが、この時代は誰でも背が低いから年齢を推し量る役にはたたない。
顔つきや表情は、ただ教育を受けたのが判るという程度の手掛かりしか与えない。
顔つきから年齢を推し量ることはこの時代特に難しい。アキラはこれまでに百姓たちの知性に欠けた空虚な顔つきを幾つも見てきた。
意思を感じさせる顔つきは、この時代では美人とは取られない特徴かもしれない。
「使われませぬか」
アキラは我に返った。
「いえっ、あっ、有り難く……
いや失礼をいたしました。わたしは名を藤永のアキラと申します。この度より月に三日ほど、こちらで目代働きをいたします」
アキラはこの時代に失礼なんて言葉が無い事をすっかり失念するほど慌てていた。
「使われませぬか」
慌ててアキラは彼女の手にあるものを受け取る。小さな土器の皿と、黒い墨のかけらだ。
「有り難く使わせていただきます」
アキラに頭を下げられた少女はわずかに躊躇して、そして名乗った。
「浮舟といいます」
アキラは改めて少女の顔を覗き込んだ。
こちらを見上げる少女の、黒目がちな瞳と出会う。
かわいい。しかし多分この時代、切れ長至上主義者どもの世の中、まったく評価されることはあるまいと考えると、ちょっと悔しい。
褒めたい。
「浮舟様はおうつくしゅうございますな」
少女の顔色はゆっくりと、しかしはっきりと赤く色を変えた。
彼女は袖で顔を隠すとそのままくるりと後ろを向いて去っていった。
あちゃ。
あんなど直球な褒め方があるものか。もうちょっと含みのある褒め方をしろよとアキラは己を責めた。
それはそうと、とアキラは次いで水差しを探し始めた。
物置にあった水差しを拝借し、水を足すと、元の几帳の間に戻った。
紙は何も書いていないのを二階棚に見つけていた。
この時代、紙は貴重品だが、どの程度貴重なのか、アキラはまだ見当がついていない。今のところ一枚が価値にして食事で一食か二食相当ではないかと推測していた。
まったく、貨幣経済が崩壊していると色々と面倒である。
硯はただの土器の皿で、小さい頃、つまり千年後に使った長方形の硯とは大違いだ。
そこに水を足し墨を摺って墨をつくる。
アキラは予想される収穫量を纏めてみることにした。
下野の国に郡は9つ。郷は全郡全て併せて70。田の広さはあわせて三万百五十五町。紙二枚にまとめられるか。
紙の左端から、郡名、郷名、良田、並田、荒田と並べ、各田の収穫予想をそのすぐ下に書く。最後に右端にその合計を書く。
久しぶりの横書きだ。しかも数字はアラビア数字だ。
これは人に見られたら絶対に問題になる奴だ。
まぁいい。これは算のまじないだと言えばいい。そもそも算数そのものがこの時代まじないの一種だと思われているのだ。
つまるところ、計算をしている段階でもう怪しまれているのだから、その上何をしようとたいして変わりはないということだ。
紙は結局3枚使った。収穫は郡ごとにまとめた上で、合計した。
二度検算した。間違いなし。
では去年の収穫は、と探しかけたが、そこで几帳の影から頼義殿が現れた。続いて光衡殿も。
「静かにしておると思ったが、何をしておった」
「秋の収穫の予想を」
アキラは三枚の紙を差し出した。
「……何のまじないぞ」
頼義殿は一瞥すると光衡殿に渡した。光衡殿は一瞥すると、まじないを避けるようにそれを遠ざけた。
「で、収はいずれぞ」
「およそ四十五万六千八百石」
そこで光衡殿は困惑した声をあげた。
「五十二万七千七百石ではなく?」
今度はアキラがいぶかしげな声をあげる番だった。
「その数はいずこから?」
「兼光が出したものじゃ。しかし数そのものは昔からそうと決まっておる」
光衡殿は確かここに、とそこらへんの棚から一枚の紙を取り出す。達筆そうに見えるが勢いだけで結構な下手糞な筆跡で書かれたそれには、確かに五十二万七千七百とある。
さて何の数字だ。527700を30155で割ると……大体17.5か。半端すぎる。1町あたり17.5石穫れる、つまり1段あたり17.5斗穫れるという事か。いい感じの数字のように思えるがいかんせん半端だ。
というより、ただ単に30155に係数を掛けただけの数字じゃないだろうか。
「光衡殿、米は植えた分しか穫れませぬ」
自分の数字は、良田とか荒田とかの数字を鵜呑みにしたうえで出したものに過ぎない。恐らく現実とは差があるだろう。それでも田んぼの面積全体に係数ひとつ掛けただけに比べれば遥かにマシな筈だ。
「秋になれば判りましょうぞ」
頼義殿はそう言って話を打ち切ると、さあらばと言い残して帰ってしまわれた。
アキラは三日間、ここで働くこととなる。
・
改めてアキラが命じられたのは、秋の租税の徴収高の予測である。
「で、田率はいかほどに」
田率とは税率である。これを訊かなければ始まらない。
「一段につき二斗と決まっておる。しかし……」
光衡殿は言葉を濁した。
「くわしくは判らぬ」
判らぬとはどういう事だ。しかし、
「それら含めて調べよ」
そう言われてはやるしかない。
税の計算は簡単である。後の年貢のような収穫量に対する割合ではなく、田の面積に対する割合だ。
一段につき二斗、つまり面積一町につきコメ二石。三万百五十五町に対して六万三百十石。もう終わった。暗算で済む。
その筈なのだが、去年の文書をひっくり返してみると、変な数字が一杯出てくる。
各郡の田んぼの広さと比較しながらそれぞれの税収の数字を見ると、どうも各郡で税率が違うような数字が出てくる。
いや、余分な税収は本来の数字と分けてある。アキラは更に調べて、全く違う場所にあった文書で、ようやくヒントを掴んだ。
私出挙だ。余分な税収は貸し出しの数字に応じたものだ。
ある名主、おそらくは郷長が春に米を借りる。秋まで食いつなぐためだろう。秋は本来の税率に加えて借りた米の利子も足して税を納めなければならない。これがおよそ一段につき三斗になる。
税が重くなるから、翌年も食いつなぐために米を借りなければならない。つまり、働きは変わらないのに税だけ増える泥沼である。
私出挙の利子率は60日で八分の一。つまり二斗貸せば半年で利子は一斗になる。
私出挙は合法的に税を増やすシステムだった。一度百姓を借金漬けにしてしまえば、永遠に税が1.5倍に増える計算だ。借金は食料だからなお厄介だ。食べなければ死んでしまう。
私出挙は飢えた民に食料を貸し出すという大義名分があるため、これを潰すのは難しい。
豊かな良田を持つ農民は私出挙に頼る必要は無い。私出挙の罠に嵌るのは、取れ高の乏しい荒田を割り当てられた、貧しい農民である。彼らは良田の農民と同じだけ働きながら、悪い田んぼを割り当てられたが故に私出挙の罠に嵌り、重税を課されることになる。
不公正ここに極まれり。
去年の私出挙の貸し出しから、今年の貸し出しを推測する。
本来の税そのものは田率一定の一段につき二斗、余計に徴収した分は倉に納められる。具体的に言うと郡司の倉にだ。都に税を運ぶ分は本来の税から出さなくてはならない。
余分な分はまず郡司の懐に入り、もしかすると受領の懐にも入るやもしれない。
恐らくは上野ではそうなのだろう。
#13 服装について
ここで小袖と呼んでいるのは、筒袖で襟が開き前あわせの上着の一般名称です。狩衣や水干のように袖が大きくなく、丈は様々、男性は袴を着用、女性は帯、これに腰布をつける場合もあるというのが庶民の姿でした。子供は小袖に帯のみです。
忘れてはいけないのは烏帽子で、樵などの肉体労働者が袴をつけていなくても、烏帽子だけは着用を忘れません。
女性の場合、小袖の裾を折ってたくし上げて帯に織り込む、壷装束という格好にすることがありました。足元は動きやすくなりますが、見栄えは良くないと評されています。
上野国司の藤原定輔が着ていたのは直衣、襟の盤領は首の周りで丸く閉じています。袖は大きく袂が分かれています。袖の前側が開いていないのも特徴です。
狩衣は屋外や武官向けの衣装です。襟は閉じていますが脇が開き、そして袖の前側も開いています。
水干は狩衣に似ています。水干を主人公は襟を開いて使っています。紐を使い襟を詰める事も出来ますが、襟を内側に折って紐を背中に通して縛っています。詰襟の襟を折るのはコートと同じですが、内側に折っているのが違うところです。
直垂は襟が開いて前合わせになった水干と考えてください。袖はひとまわり小さくなります。
貴族の少女は、内衣と呼ばれる小袖に袴を付け、その上に衣、一番上に打衣を着ています。丈の長い単衣は着けていません。どれも前合わせの丈の長い服で、筒袖ではないものの袖は水干ほど大きくありません。