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#エピローグ:1035年5月 百合若 5

 最初の冬に読んだのは、短い物語を集めた冊子であった。

 冊子とは沢山の紙を糸で綴じ合わせ、片方を開いて紙に書かれた字を読めるようにしたもので、ここで初めて見た姿の書物である。

 

 百合若は「先世物語」や「毛博士島」や「天人暴乱」、「月行物語」といった物語に夢中になった。

 先世物語の冒頭の理屈、この世には縦横高さという三つの向き、そしてもうひとつ、時間の流れという第四の向きがある、というのはちょっと面白い理屈だった。

 先の世に行くと公卿殿上人は歌を詠んで暮らすだけの小人となり、地の穴から沸いて出る下衆共に夜のたびに貪り食われるという物語中の描写はぎょっとするものだった。


 島に住んで畜生道と人道の間をさ迷う者たちが、いざ人の心を捨てて畜生に戻るという話を読んだその日はよく眠れなかった。そんなときに限って、姉が子狐と猫を抱いて暖かそうに寝ているのを見ることになるのだ。


 天人が人を滅ぼしに攻めてくる話は、悪鬼の如き天人たちが赤疱瘡(あかもがさ)にかかって皆死んでしまうという結末で、これはちょっとお話としてどうかとも思った。


 月行物語は特に読んで混乱したものだった。ものが落ちるのが重きものが互いに引き合うため、というのは話の都合とは言えもうちょっと本当のことのように書けばよいのに、と思ったものだ。

 ものの落ちるのを遮る桂馬皮で造った箱の舟で月に行くという話だったが、月がものすごく遠いというのは嘘のようには思えなかった。


 その冬から、算術の授業もはじまった。

 (あわび)10個を2倍掛けても、実際に手元の鮑が2倍に増える訳ではない。なんの使い道があろうぞと百合若は思ったが、


「月に鮑30個採れるなら、年に幾つ採れるか考えてみて」


 姉はそれらしき事を言う。

 島の周りの海底で鮑を採るのは、百合若の大事な仕事だった。さざえも採れるのだが、鮑は干物にすると船で買ってくれる。


「月に採れる数は決まっておらぬ。確からしき数にはならんぞ」


 言い返すと、


「鮑は育つに10年かかる。採りつくせば島の周りから鮑は消えてしまう。

 よく算術をして月に採る鮑の数を決めておけば、採りつくす様な大事は起きない」


「そんなもの、多少採り残せばよかろう」


 そう言い返したが結局、姉の理屈を負かすことは出来なかった。釈然としないものを感じたが、算術でいろいろ判るというのは正しかろう。


  ・


 次の年は、地理書を読んでいた。

 農業書や土木の本も読んだが、実地に使うことができなくては面白くない。地理書も同じようなものだが、島に縛り付けられているからこそ、遥かな海の向こうに興味が持てた。

 姉は源氏物語を読んでいる。「つまらぬ」との事。


 貝殻を集め焼いて石膏をつくり、モルタルで小屋を補強する。

 弓の腕は強い風の中、海鳥を落せるまでに上達した。


 畑を広げていると、昔の人が作った家の跡に出くわす。よくある掘っ建て小屋ではなく、石組みのあるもので、姉いわく牛頭の者共の住処であったという。釉薬のかかった器などもよく土の中から出てきたが恐ろしく割れやすく、一つなどこなごなに割れて小石のようになってしまった。


「牛頭の作りしものは時経つにつれ脆くなりおる。本を写すのはそのためよ」


  ・


 そんなある日、百合若の前に細長い木箱が置かれた。


「そろそろ、見せておいても良いと思ってね」


 姉の言葉使いは普段から奇妙に訛っていたが、どこでそんな言葉を覚えたのだろうか。そんなことを思いながら姉の説明を聞く。


 箱の中身は、長く黒い、鉄の棒だった。中を貫くように穴が開いている。

 いや、反対側は開いておらず当て木で終わっている。

 姉が重そうにその鉄棒を持ち上げようとするから、百合若も手伝う。確かに重い。


「吾らが父の作りし、火撃ち鉄弓の八つのうちの一つ」


「弓と」


 百合若の知る弓とは似ても似つかない。


「火薬を使います。穴に二両ほど入れ、鉛の玉を入れ、底までよく押し込む。

 当て木のところで火をつけるようになっています。そこで穴の底の火薬に火を付けます」


 姉の言葉はどことなく単調で、実のところ良くは知らないのではないか、と百合若に疑念を抱かせた。


「火薬は強く燃え、鉛弾を押して、この鉛の玉が」


 と、百合若の掌に丸く鈍い鼠色の玉を転がせる。


「矢のように飛んでいく」


 大したことは無さそうだ。


「では試そうぞ」


 箱から取り出し、火薬と鉛玉を込め、火皿と火縄というところを姉が弄るのを待ち、持ち上げて屋外に出る。

 風はこの時期に珍しく弱く、どうやら姉はこういう日を待っていたようだ。

 からくりというものの細工仕掛けについて説明されたが、どう持てばいいのかよく分からない。

 うまく持てなかったので、土の上に置いて筒の先を近くの木に向ける。


「では撃つぞ」


 姉が耳を抑えるのを怪訝に思いながら、百合若は当て木下の引き金を引く。

 爆音とともに、手の中のものが爆ぜた。



 百合若は腕の骨を折って、姉の手による当て木とやらを付けて春頃まで過ごした。その間だけは姉はひどく優しかった。


  ・


 島にやってくる船から時々、赤銅色の大きな筒が運び込まれることがあった。

 筒はそのまま、石組で造られた大きな室に収められる。ここは冬の住処よりずっと大きく寒く、溝や冷たい水を通す銅管など湿りを取る為の仕組みを備えており、長居すると喉がからからに痛くなった。

 ここにこの島の本のほとんどが収められている。ほとんど、というのは、ここの本を書き写した本は別の場所に置かれているためだ。聞くと、本そのものは室から持ち出してはならないが、写しならよいとの事。


 では、あの筒は何か。聞けば佐渡の別院などで書かれた書物であるという。


「末法の世の近きゆえ、暗黒の世の過ぎたのちの世の為に、大事な書物など隠し納めるのよ」


 筒は青銅で、水や風、虫など入らぬよう隙間なく作られ、中の書物を何百年か守るのだという。


「あれも写し作らば、読んでも良いか」


 姉の許しを得ると、百合若は青銅の筒を開けて、中身を漁りはじめた。


  ・


 書き写すための小屋は、書物を納める室より少し離れたところに、石組みの中に造られていた。ここで火を使わない用心は度を越しているのではないかと百合若には思われた。

 明かりは小屋の外の灯篭から導かれる。小屋の下には石組みの、いわゆる温戸(おんどる)と呼ばれる仕組みが作りつけられていた。

 姉はここに快く過ごせるよう皮衣など多量に持ち込んで、それらを被ると寝転がって書物など読むことが多かった。


 色々に書き写しを行うようになって気が付いたのが、前より岩室にある綴じられた本と、島の外から持ち込まれる書物の差であった。

 字が違う。漢字も色々違うように思える。字の姿も全て崩さない楷書で書かれている。

 内容はもっと違う。言葉も色々に違うように思える。


 百合若はそのうち、小辞典という本を見つけて、これを参考にすることで多くの本の中の謎の言葉を読み解けるようになった。まず写すべきはこの小辞典であった。

 これで、姉が使う言葉のかなりの数も分かるようになった。

 これら本は、この島の鬼たち、牛頭の者たちの書いたものだったのだ。


 島の外から持ち込まれる書物は、巻物か折り畳まれた折本のどちらかで、後者が多いように思えた。

 どれも最近に書かれたもので、多くが小辞典の言葉で言うところの自然科学に属する内容に思われた。土地について、木について、虫について、あるいは仏典について書かれたさまざまな書物は、その多くが牛頭の者たちの本と食い違うように思われた。


 やがて百合若は、牛頭の本の中に、ぎりしあ哲学と題した本を見つけた。

 他にも、運動力学、機械工学、飛行機、自動車、ろけっと、ろぼっと、人工知能。西洋文学史、経済思想史、そして、世界史。

 中身は全く訳の分からないものもあれば、その表題ほどはっきりした内容を持たぬものもあり、何とも寄せ集めた代物という観がある。


 百合若は小辞典の毒にようやく気づいた。

 姉は気にせず会話に使うので百合若も釣られて使うのだが、小辞典の中の言葉は島の外では使われていない。船で来た者に話が通じなかったとき、百合若はこの危険を悟った。

 "会話"も、"言葉"も、"危険"も、島の外にはそんな言葉は無く、使ってはならないのだ。


 更にしばらくして、島の外から持ち込まれた本の中に、明らかに素姓の違うものを見分けられるようになった。

 文字、言葉が違う。牛頭の本ともまた違う。内容はと言うと、違い過ぎる。

 欠片ほどもわからない。書いてあることが何もかもおかしい。牛頭の者の描く先の世とは違う、もう一つの大きな流れが、そこにおぼろげに見えていた。

 百合若は遠い先の世の本の中に迷い込んでいた。


  ・


 もうすぐ、島に来て四年になる。


 百合若の背は伸び、様々に肉も付いた。

 海に潜れば魚のように深みに行き、蟹や魚、さざえや鮑など自在に採ることが出来た。

 弓矢の腕は、揺れる小舟の上から風を読んで海鳥を落すまでになっていた。


 姉は以前ほど強く百合若を従わせようとすることはなくなっていた。有無を言わせずあれをせよこれをせよと、そういう事の多かった姉だが、流石にこの頃は考えを幾分改めたのか、理非を説いてからあれをせよという。

 まぁ、大抵の理屈の話では姉に全くかなわない為、前とちっとも変っていないとも言えるかもしれない。大抵はなんとなく納得しきれないまま押し切られるのだ。


 侍女としてタウメの仕える様子も板についてきた。タウメは陽に焼け、手足もよく育った。

 百合若はそういうタウメの何げない振る舞いに奇妙な動悸を感じるようになっていた。何か重いものが、身体の中、腹の下あたりで暴れ出そうと準備しているかのようだった。


 島の冬は退屈だ。

 海に潜る事のできぬのがつらい。

 水の中では目当てを持って自由に動くことが出来る。蟹や蛸が取れれば取れただけ嬉しい。分かりやすい楽しみがそこにはある。

 冬はそれが無い。強い冷たい風に吹かれるばかりだ。姉との問答はどこか噛み合わず、タウメは話し相手には物足りない。

 本を読み写すしかなく、それがまたつらい。


 百合若は島を出る準備を始めた。

 

 本の中から、この先使えそうな内容を写し書く。

 地図はまず要る。山に潜むならば山のものを知っておきたい。いくさの旧例を知りたいと思ったが、出てきたのは先の世の例だった。だが役に立つ。


   ・


 そろそろ訊いても良かろうと思った。


「姉君はなぜこの島に居続ける。何が望みぞ」


 朝餉のあと、百合若は姉にそう切り出した。

 ずっとはぐらかされ続けていた問いだった。水洗便所のある為だという姉の言葉を一時は信じていたりもしたが、やはり違うと思った。


「百合若よ、父の仇はどう討てばよいと思う」


 姉は変なことを問い返す。かつて姉の言った通りであれば、先の世の仏神のいずれかに父は拐かされたという話ではないか。


「そう。仇はそのいずれかの仏神。

 吾等は父も、そして結局のところ母もその輩に奪われたのです。何が悪いかと言えば、一番は神か仏かその類でしょう」


 神仏では討ちようなど無かろう。弓矢の届くとも思えぬ。


「だが、吾等は連中より前にいます。幾らでも世を、歴史を曲げることができます」


 変な事を言い出した。前とはどっちだ。

 だが、なんとなく判る。これは例の物語の中、縦横高さの三つの向きとは別の向き、時間という向きの、その前後のことだ。


「父は吾が母の仇を討ちました。

 吾は父の仇を討ちます。だから吾子は、吾等が母の仇を討ちなさい」


 百合若の母と姉の母は違う。それを思い出すと姉は心でも読んだのか、母は吾にとっても母ぞ、と取って付けたように言う。


「生みの母は吾を産んですぐ死なれ、顔も知りません。我が父だけが生みの母を気にかけていました。

 父が仇を討たねば、誰も生みの母の無念を晴らす事無かったでしょう」


 だが今は二人います、と姉は言う。


「吾等の母の仇を討つのは、吾子に任せましょう」


   ・


 次の船で、百合若は島を出た。

 さよならの言葉は無かった。 

#108 北宋と塩について


 唐の滅亡から半世紀ののち後周を廃して宋が建国されると中国統一は大きく進み、979年には宋によって統一されることになります。

 唐の滅亡からの混乱期は、地方でそれぞれ軍を統括する節度使らは独立性が高く争乱の元となっていました。節度使の権限を縮小することは宋の建国当初からの大きな目標でした。節度使の軍権の多くが皇帝の下に移譲され、軍も皇帝の下に禁軍として再編されてゆきます。


 このような改革は軍そのものの弱体化を招くこととなります。1004年に契丹が東北の国境を侵すとこれに抵抗できませんでした。宋の宮廷は文官に牛耳られており、都を南に移転するべきだという勢力と戦うべきだという勢力に分かれました。宋の軍隊は四十万以上にも及びましたが、しかし彼らは精兵とは言い難かったのです。

 現実の戦力差に基づき、宋は契丹と屈辱的な和睦、セン淵の盟を結ぶことになります。


 元々、宋の建国以前に、中国つまり漢人の土地とされていた燕雲十六州、現在の北京を含む河北省北部と山西省北部をあわせた土地が契丹に割譲されていました。当時の石炭の産地は山西省に集中しており、これは後の宋の経済発展にとって最初から手痛いペナルティとなっていました。

 塩の産地は山西省解州の運城湖と呼ばれる塩湖です。解州は燕雲十六州にはぎりぎり入っていません。ここでは夏に湖水が蒸発すると現れる塩の結晶をそのまま採取する事ができたのです。

 勿論海水を煮詰める製塩法は古くから知られていました。しかしそれも煮詰めるための燃料あっての事です。

 宋はその前身の後周の時代から燕雲十六州の奪還を目指していましたが、セン淵の盟は燕雲十六州の扱いを確定したものにしました。

 契丹は耶律阿保機が10世紀の初めに南満州で塩池を支配下に置き、塩の流通を支配下に置いたことから建国へと至りました。10世紀半ばに燕雲十六州の塩湖を得たことは契丹の経済を著しく強化する事になりました。


 宋の西北オルドスはタングート族が住み、唐末に節度使に任命された拓抜李氏が宋代にいたっても支配し宋に従属したものの、契丹の支援を得て反乱を起こします。

 三十年近い戦いの末に彼らは宋と和平を結びますが、彼らの主要輸出品であった塩は、宋の塩の専売制によって宋に売ることができず不満が溜まる事になります。三十年の和平の末、タングート族はオルドスに西夏を建国します。

 西夏は宋を攻め、敗北した宋は西夏に対しても屈辱的な和睦をすることになります。同じ頃契丹も宋を攻め、領地の割譲を要求しました。これらは最終的には、毎年差し出す歳幣、銀や絹の量を増すことで決着しました。

 しかし経済の飛躍的に発達した宋は、それら歳幣の負担にも、膨れ上がる軍役のための支出にも耐え続けました。


 12世紀に入ると北方では金が興り契丹改め遼が亡び、そして金に攻め込まれた宋は華北を失います。

 山西の塩湖を失った宋ではその後、南西の四川省で上総掘りと同様の掘削法による井戸を掘り、得た塩水と天然ガスから塩を得るようになります。天然ガスを燃やし塩水を煮詰めるのです。こうやって出来た塩は末塩と呼ばれて流通しました。この塩は専売制によって宋の財政に欠かせぬものでもありました。

 塩は中国史の重要な要素なのです。

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