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#エピローグ:1031年8月 百合若 4

 姉だ、と思ったその人は別人のようにも見えた。

 背が伸び、髪はばらばら、粗末な小袖の裾は擦り切れ、膝は丸出しだ。

 だが、その表情で確信した。百合若を眺めて少しだけ険しくなって、すぐに柔らかくなる、その表情には見覚えがあった。


「姉君」


 百合若がぽつりと言うのを受けて、藤永修理権亮の息女にあられるか、と村岡将恒が問う。


「然り」


 首から麻糸で提げていたものを村岡将恒に渡す。何か小さいものだ。


「元は指に嵌めるものなれど、吾の指の小さきゆえ外しておる。輪の内に、父の名と我が名、吾の生まれ年の書いておる」


 村岡将恒の指先のものは薪の火で銀色に光った。小さな輪だ。

 目を近づけてしげしげと眺めた後、その輪は姉に捧げ返された。


「形見の品確かめ致した。坂東別当の御息女に間違いなき」


 そう言うと、村岡将恒は姉の前に片膝をついた。


「是非とも我が屋敷に参られよ。御艱難のほどこれまでいかにあろうとも、この後は吾に任され、安楽に過ごされよ」


 姉は首を小さく振った。


「吾と百合若はこの島に留まります」


 百合若はぎょっとした。声が出そうになって、姉に睨まれる。


「この島に四年籠り供養法会をとりおこないます。村岡殿は米糧、薪と石炭、紙と墨など持ち来て下され。代にはこれを使われよ」


 懐から取り出し、村岡将恒の掌の上にぱらぱらと何か、輝くものを落した。


(あわび)玉か」


 一つ指先に摘まれたそれは小さな三角形で、虹のようにきらきらと光った。

 村岡将恒は感嘆の声を漏らして、


「これ一枚でも充分にて。何もかも要るもの持ち来ましょう。しかし、誰か人はおらるるか。誰ぞ人置きましょうぞ」


 姉は少し火に近づきながら、


「男手は要らぬ。当てはあるゆえ、どこぞ港でも猫の島に行きたきという者あれば連れてこられよ」


「猫の島の名を挙げて募るのか」


「いいえ。何も言わずとその者は来たるゆえ」


 小さき女子にあろう、と姉は言った。


   ・


 猫の島に再び船の来るのはどうしても次の月になる。

 村岡将恒は一度佐渡に行くよう強く姉に勧めたが、姉は頑として聞かず、そして百合若も島に残ることになってしまった。

 船が帆を張って島から離れていくのを、百合若は姉と二人で浜から眺めた。肩に置かれた姉の手が今はちょっと恨めしい。


 二人きりになって、姉にまず聞いたのは母の消息だった。


「あの時、母は水に入られた」


 母は姉を背後に隠したが狭い舟の上である。郎党が皆殺され、舟子どもが振り回す刀を見ればその先もどうなるか見当もつく。

 そうして、母は姉を抱いて舟から海へ身を投げられた。

 

 母は泳げない。溺れ死んだのだ。

 姉はというと、その頃はまだ泳げなかったという。


「しかし、鬼どもの付いておったゆえ吾は命落とさず、ここにおる」


 この辺りの話の真偽は、鬼が(まこと)におるかどうかという話になるため、しばらくは信じられなかった。

 そもそも、母の死そのものが、受け入れ難かったのだ。


   ・


 姉が住まいとしていたのは、半ば朽ちかけた社だった。板葺きの屋根は雨漏りしていないのが奇瑞かと思われた。

 姉は夏のうちは社のなか、御神体と思しき丸石を脇によけてそこで寝起きしていた。


 冬は近くに積まれた石組みの室で過ごすという。

 これはちょっととしたもので、特に奥に仕切られた小さき部屋があり、大きな奇妙な形をした素焼きの(かめ)のようなものが鎮座ましていた。

 姉はこれをすいせんべんじょだと言った。要するに(かわや)だ。

 その甕に跨って用を足し、尻をへらで拭くと、更に隣の水で満たされた壺のふちから伸びた紐を引っ張る。紐の先は木の栓になっていて、そこから甕へ水が落ちてくるのでへらを洗うのだ。


 姉は常々、すいせんべんじょの無き所へは行くつもりは無いと百合若に行った。厠がそんなに大事か。

 更に7日に一度は風呂に入る。大事な真水を惜しげもなく使う。この島には多少塩辛いものの真水が湧くのだ。勿論湧くのはそれほど多くない。

 勿論風呂を沸かすに使う薪も石炭も大事だ。だが反論はできなかった。そして百合若が風呂を沸かす役だ。


 数年もするとガタがきた部分の修理は百合若がおこなうようになる。すいせんべんじょの鉛で出来た管が縦横に張り巡らされていたのに目を見張ったが、これが漏れると途端に嫌なものになる。詰まると果てしなく嫌らしい。

 そうなる度に百合若は、早く直せと言う姉の催促を背中に受けながら、臭い鉛管の糞詰まりを直すことになるのだ。


 社の修理も百合若の仕事になった。島は元々木材が足りぬので、基本的には流木を何とかして組み合わせることになる。

 島はひとまわり十里ほど、姉の言うところの5きろほどの大きさしかないが、二人で住む分には十分な大きさとも言えた。鎌や鍬や鉈、小刀や鉄鍋などの家財道具も多少錆びついてはいたが揃っており、焚きつけは島の北側に生えた柴を刈って事足りた。


 島の高いところには、かつてここに住んでいた牛頭の者たちが作った石室が並んでいる。ここは姉の領地だった。牛頭の者たちが書いたという書物が大事に置かれているのだ。

 こんなところに三年もよく一人でいたものだと思うが、姉によれば一人ではないという。そして今も二人ではないという。

 目に見えない、姉にしか見えない鬼たちがそこらじゅうにいて、姉を助けるのだという。


 見えないのだから疑わしい話なのだが、しかし確かに重い荷物がいつの間にか社の前に置かれていたり、知らぬうちに煮炊きの用意がされていたりする。姉が誰かと話すのを聞いて、見えないだけで鬼はいるのかと百合若は思った。

 さもないと、姉はおそろしくおかしなことになっている事になる。


 そして猫がいる。茶色の縞をもつのが一匹、そして真っ黒なのが一匹。いつもはどこにいるのか、真っ黒なほうは百合若に身体を一度も触らせたことが無い。


   ・


 百合若の日常は絶え間のない小間仕事と畑仕事、そして姉の教える学問で一杯だった。

 姉は百合若に教えるときは、普段のだらしない様子を改め、まったく今更とは思うのだが雅な殿上人のように振舞うのだった。

 姉はまず、仮名が読めるか確認したのち、島の小さな砂浜でひたすら、百合若に砂に仮名を書かせた。

 しばらくすると仮名に漢字が混じる。島、魚、木、鳥、貝、海。


 母の墓だという石を積んだ塞に連れていかれて、今日は四年忌だと言われて百合若はとうとう我慢できなくなった。

 この石塔を毎日何だろうかと思いながら近くを歩いていたのだ。一度などてっぺんの石を取って海に放り投げたこともある。そもそも墓とは何だ。この下に母の亡骸がある訳でも無いのに。


 そもそも、何故に母は死んだのか。鬼とやら何故母を助けなかった。何故吾はここにいるのか。なぜ姉君はこんな島に残っているのか。

 こんなところにずっといるなぞ、嫌だ。

 脈絡のない言葉が溢れた。


 言ってしまって、姉に口答えをしているのだという事を悟って、百合若はびっくりした。

 姉に逆らうなんて、昔は考えられなかった。

 今は、違う。


「では、なぜ母は死んだのか、教えましょう」


 姉は百合若のそんな内心に構わず、話し始めた。


  ・


 姉の話を要約すると、見知った事も無き誰か悪しき奴が、母も姉も百合若も邪魔になったので殺そうとしたためだという。


「百合若が元服の後旧領に復するを恐れた、三浦荘代佐伯太郎景通(かげみち)と足利荘代佐伯次郎景成(かげなり)の二人が、越後国司高階敏章(たかしなとしあき)に吾ら母子を殺させるよう頼んだのよ。

 代わりに越後国司は佐渡の金を掘る為の人を欲しがった、それで武蔵から寄越されたのが村岡の将恒」


「では、吾の生きておる事の知られば」


「佐伯の兄弟は悔しがるでしょうね。でもそれだけ。佐伯の兄弟はいずれまたあなたを殺そうとする筈よ」


「姉君よ、どうすれば良いか」


「母の仇、佐伯の兄弟を討ちなさい。さすれば皆あなたを認めましょう」


「では討つため島を出たき。ここに居ても討てぬ」


 百合若は勢い込んで言った。しかし、


「ここを出ても今の吾子に討てようか。元服もしておらぬ、郎党もおらぬ。

 百合若よ、まずは元服の時まで待ちなさい。

 その時来たらまず郎党を集めねばならぬ。その為には村岡将恒を助けねばならぬでしょう。

 かの者助ければ、多くの郎党を得らるる筈」


 また言いくるめられた感があるが、まだ子供の身には難しいのも確かだ。

 そこで、ふと思いついた。


「父はなぜいなくなった。誰に殺されたか」


 姉はそこで、顔をしかめてみせた。


「父は殺されておらぬ。仏神のいずれかに連れ行かれた」


 何ぞ奇妙なことを言う。


「そもそも吾らが父は、元の地より(かどわ)かされて足利に来たのよ。それが十年時が来たゆえ戻された」


「空言ならん。信じられぬ。何ぞかような事証あろうか」


 姉はそこで百合若の手を取った。


「吾らが父こそが証ぞ。そこらの者が明神と崇められようか。

 父は疱瘡(もがさ)から百姓を救い、田を増やし川を治め、法を定め戦に勝ち、銅を炭を掘り、道を橋をつくり、それだけの事をわずか十年でなしておる。

 吾らが父はな、遠くから来られて、遠くへと帰られたのだ」


 いや、違う。百合若は違うと思った。

 吾が父は父ぞ。父が神や仏であるなら、子である我は何ぞ。ただの人である。

 それに、さよならも言わずに去ったのはおかしい。

 さよならの言葉がある筈だった。


   ・


 日々はあっという間に過ぎてゆき、だから、今日船が来ると聞いて百合若は島に来てひと月が経ったのだという事にびっくりしたのだ。


 船からやってきた男たちが島の小さな砂浜の周りの岩をこじり、運び、壊して、積み上げ、そうして桟橋が作られた。

 恐らくは嵐が来れば壊れてしまう程度のものかも知れないが、物を島に運ぶ作業はそれで急に楽になったようだった。


 米櫃に干し大根、麦粉や大豆粉まで島に届けられていた。薪はそれを収める小屋まで作られた。石炭の小屋もだ。

 姉は、届けられた紙と墨の量に狂喜した。浜辺をぴょんぴょん飛び跳ねながら、何やらなんじゃもんじゃと奇妙な言葉を口走った。何かと聞けば、そういう事を書いた草紙を筆写するのだそうだ。


「写せば吾子にも読ませようぞ」


 そんな変なもの、読みたくない。

 と、そこに女の子が一人、浜に上がってきた。百合若より少し幼く見えたが、


「コケだぁ!」


 抱きつかれた。

 小さな子の扱いには慣れてはいると言っても、いきなりである。綽名を呼ばれたこともあって大いに混乱したが、頭を撫でて落ち着くよう、離れるよう言う。


「吾を知りおるか」


「吾はタウメぞ」


 その名前は、鉄選り輪のまわる海岸で、つめたい風の音と共に聞いたものだ。

 あの幼い子は死んだ。橋の下で。

 いや、泡を吹いて倒れた後、橋の下に寝かせて、そう、それきりいなくなってしまったのだ。もしかしたら、百合若の見ていないうちにさっと橋の下を立ち去ったのか。


「あとで教えようぞ」


  ・


 三日のあいだ船は荷を島に下ろし、そしてタウメを置いて去っていった。

 その帆の先が地平線の向こうにちょっと見えるくらいに遠ざかったところで、


「では吾が正体、お見せしようぞ」


 そう言って、消えた。


 え、と思って周囲を見回す。

 足元に、なにか触れる。毛か。何かがじゃれつく。


 子狐がいる。


 手を伸ばしても、逃げない。噛むことも無い。


「タウメよ、他に何ができよう」


「それが、今のところは何も」


 姉の言葉に、狐が喋った。

 さっと足元を離れると、草むらに駆け込み、そして代わりにタウメが現れた。


「姫に仕えるよう言われて来ました」


「宜しく仕えよ」


 要するに、タウメは目には見えるが化生、鬼の類であるらしい。


 タウメは姉の身の回りの手伝いを甲斐々しくこなし始めた。煮炊きや畑仕事もする。

 百合若の仕事は畑と、そして海に潜って鮑や魚を採ることとなった。細かな仕事が減った分、学問の時間は伸びた。


 冬の冷たい風が吹くようになると海は荒れ、船も来なくなった。春までもう半年は来ることも無い。

 百合若が海に入ることも無くなり、畑の周りに風除けの囲いを作ってしまうと仕事はほとんど無くなってしまった。

 秋のうちに島の草原で刈った丈の長い萱を編んでいると、タウメが横に来て一緒に編んでくれた。


「……タウメよ。化生変化の出来るのであれば、なぜ鉄選り場より逃げなんだ」


 百合若はずっと聞きたいと思っていた質問をした。


「あの頃は、変化とは知りおらず、ただ頭の痛いばかりでした」


 菅を足の指の間を通して撚り合わせながら、タウメはぽつぽつと答える。


「なにやら知らぬ思い出がいつの間にか出来おって。でも、それを思い出そうとすると頭が痛くて。

 痛くて辛くて、でも、あるとき、ふと楽になったのです。

 ふわふわと、思い出が夢と決まって楽になって、そして、

 気が付いたら、その時もう、畜生の姿になっておったのです」


   ・


 しばらく後のことだが、姉はタウメについて、次のように教えてくれた。


「あの娘は、先の世からの転生の者ぞ。

 先の世の思い出を持っておるが、思い出せぬ。先の世で極楽に暮らしおったゆえ、思い出すとつらいのよ。

 畜生道に半ば落ちたるは先の世の罪業ゆえなれど、回向改心し善行をおこなうゆえ、ああして人の姿も取ることができおる。

 その善業のために、あれらは吾らを助けるのよ」


「何故吾らを助くか」


「本をよく読み、学べばわかる事。よく学ばれよ」


 そうして百合若は、本を読み始めた。どのみちここには、牛頭の者たちの残した本の他に何も無いのだ。

#107 契丹国について


 契丹は元々は東モンゴルの八部族を祖とする遊牧民族で、10世紀の初めに契丹は華北に侵入し塩池を抑えた耶律阿保機によって勢力を伸ばし、やがて耶律阿保機は君長に、次いで皇帝となりました。漢人の制度を多く取り入れると共に遊牧民族の制度を定式化し、更に独自の文字を制定します。

 契丹国は半農半牧の二つの基盤を持つ国家で、そのために二つの法制度を運用しました。これは一度一つに纏めようとしていますが弊害からもとに戻されています。

 契丹は後の異民族による征服王朝のはしりと評価されることも多く、漢人の文化に染まって遊牧民族としてアイデンティティを浸食されていく過程も同一とよくみなされていますが、同時に周囲の遊牧民族と戦い従わせ続けた面も無視できません。


 契丹建国直後に渤海国を滅ぼしてその跡に建国された傀儡国家、東丹国は、しばらく後に住民ごと南満州へ強制移住によってその位置を移しています。その後東丹王、つまり契丹皇帝の兄は後唐へ亡命しましたが東丹はその王の子と共に存続します。

 その後後唐は契丹の援助により滅ぼされ、新たに建国された後晋は援助の見返りに燕雲十六州を割譲、しかしその後、後晋も契丹に滅ぼされます。この時に契丹は国号を遼と変え、東丹王の子が遼の皇帝となります。

 遼の国号は10世紀末に再び契丹に戻されます。この時期に契丹は宋の制度を多く取り入れます。科挙もこの時期に始めました。

 女真が完全に臣従したこの時期、契丹の国勢は最大に達しました。11世紀に入ると宋に侵入、大勝し、その後宋と結んだ講和、セン淵の盟により毎年多額の贈物を受け取るようになりました。1011年には朝鮮半島の高麗を攻めて首都を落としています。

 但し、次第に女真は契丹の統制から外れてゆき、独自に高麗と鴨緑江流域を争うようになります。

 1044年から契丹は遙か西、西夏へ遠征をおこないます。西夏への遠征は1050年にも行なわれました。この二度目の遠征で西夏は契丹に臣従することになります。1066年に契丹は再び遼と国号を変えます。


 1115年、女真の完顔部の長、阿骨打は金を建国します。金は遼を打ち破り、更に宋と結んで遼を追い詰め、1125年ついに遼は亡びます。西夏は金に臣従し、そして遼の王族であった耶律大石は北モンゴルで契丹人を糾合すると更に西夏の更に西に逃げ、カザフスタン東部のイリクサン朝を倒し、中央アジアに西遼という国を興します。

 西遼はその後セルジュク朝を滅ぼし西トルキスタンも征服します。西遼は中央アジアで1211年までその勢力を保ちますが、チンギスーハンに追われたナイマン部のクチュルクが西遼へ亡命すると国を乗っ取り帝位に登ると、熱心すぎる仏教優先政策をとって領地のイスラム住民を弾圧、住民の離反を招いてモンゴル帝国の到来と共に自然崩壊しました。

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