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#エピローグ:1031年4月 百合若 2

 荒れ寺の主人は桔梗尼といった。

 一人で暮らしているという。百合若はそれを、振舞われた塩粥を夢中で食べながら聞いた。

 置いてくれと百合若が頼む前に、どこか行くところはあるのかと聞かれ、どこにもないと答えると、ここに居てよいと言われた。


 それから、桔梗尼と百合若の二人暮らしが始まった。

 桔梗尼はどこから手に入れたのか着替えを百合若に与えてくれた。

 百合若は川原で薪を拾ってきた。海岸まで行くこともあった。山や林には入ることが許されていないと教えられた。郷の人間では無いからだ。

 寺の敷地の中にあった小さな畑を手伝い、そして百合若は桔梗尼に文字を教わった。

 桔梗尼は体が弱いのか床に臥せることが多かったが、百合若は代わりに周囲の村に喜捨を頼みに歩いた。物乞いかと罵られもしたが、米を分けてくれる家もあった。

 郷のほうでは桔梗尼をよく思わない人間もいた。百合若はよく桔梗尼の子かと聞かれたが、拾われた子だと正直に話すのが常だった。


 なぜよく思わない人がいるのか、桔梗尼に聞いたことがある。村人には聞くべきではないように思ったのだ。


「むかしね、色々と遊ばせるところにいた、そのせいだね」


 それ以上は詳しく教えてくれなかった。

 その時は分からなかったが、後になって思えば、あれは身体を売っていたことがあったのだろうと見当もつく。容色が衰えて身体を売るのが難しくなり、やがて芸だけでは暮らしを立てていけなくなって一人暮らしをしていたのだろう。おそらくは遊女であったのか。国庁のあたりだとそういう需要もある。

 子がいないことをその頃は不思議に思わなかったが、今になって思えば、寺の境内に並ぶ小さな石の列は、彼女の子供たちの墓だったのかも知れない。


 郷の者と顔馴染みにもなると、稲刈りの手伝いをさせてもらえることになった。米と藁束を分けてもらうと、冬の支度が出来るようになった。山に入って薪を拾っても良いと郷の許しももらえた。これで暖かく暮らせる。

 冬の間はお堂の奥で二人小さくなって過ごした。物語を、文字を、歌を教わる。


 小さな火鉢を抱えるように二人、雪の中に二人。

 雪解けと共に、百合若の心にも凍っていたものが解ける気配がした。


 それから百合若はくよくよ悩むようになった。

 本当は帰るところが、行くべきところがあるのだ。母、姉、都のおじいさん、そして猫の島。

 しかしそれを喋ったら、もうここには居られないのではないだろうか。


 それと察したのか、ある日、桔梗尼は身の上を話すように百合若に促した。

 

 浜辺での二年の砂鉄採り、舟では母と姉と別れて。百合若の語りはとりとめのないものとなった。

 足利の幸せな日々の思い出が溢れてくると、涙が止まらなくなった。

 桔梗尼の膝に縋り付いて泣く百合若の背中をさすりながら、彼女はこう言った。


「コケ、いや百合若や、ようくお聞きなさい。

 吾子らを襲いし賊はまだこの辺りにおる筈です。賊は国庁の官人と繋がっておる事でしょう。だから吾子はここ、直江の津から早く離れなければいけません」


 やはり、居られなくなるのか。


「尼さま、コケは尼さまのそばにおる」


 桔梗尼は百合若の髪をなでながら続ける。


「牛頭講の者を呼びましょう。吾子はその者と共に逃げなさい」


   ・


「ミドリマルか、よう来た」


 ミドリマルと呼ばれた男は、記憶にある吾が父ほども大きいかと思われた。

 革袴に革袖、更にその上から黒い毛皮を無袖の肩衣に着ており、大きな荷物を小さな御堂のうちに置くと荷を解き始めた。

 ぽんぽんと灯明油や布や塩、雑物を置いていくミドリマルに、桔梗尼は言う。


「この子を連れていかれよ。散所太夫の手のかからぬ所、北が良い」


 ミドリマルはぎろり、と大きな目を廻して百合若を見た。


「面倒事か」


「坂東別当の子よ。名は百合若。但しコケと今は呼ばれよ」


「なんと」


 ミドリマルは百合若の腕を掴むと、


「これは細き。歳いくつぞ」


 百合若は黙っていたが、桔梗尼が黙っていたので、言った。


「八つにて」


 ふむ、とミドリマルは手を放して唸った。


「見た目より歳若き」


「字はいくらか読める。書き物はまだよく教えておらぬ」


 桔梗尼が言う。


「吾がよく字読めぬ」


「代わりに読んでくれよう。陸奥か出羽まで連れられよ。手紙持たせるゆえ、他の牛頭講に渡されよ」


 桔梗尼の強く言うのに押し負けた格好で、ミドリマルは、判った、と言った。


「用意いたそう。この子の格好は旅に向かぬ」


   ・


 春早い、風がまだ強く冷たい頃、ミドリマルと百合若は旅立った。

 長い長い砂浜を北へと歩いてゆく。

 子供の足ではさほど長くは歩けない。ミドリマルはたびたび休んで百合若の体力に合わせてくれた。最初の日は結局二十里も歩けなかった。

 百合若は倒れるようにして眠りについた。


 翌日は山道に入った。百合若は草鞋を履かされた。

 雪解け水は次第にその量を増しながら二人の前に立ちはだかった。その冷たさに震えながら谷間の小川を渡る。

 雪の積もっていない谷で百合若は薪を拾い、ミドリマルは山鳥を狩った。夜は獣の革を被って寝た。鼻の曲がりそうなひどい匂いがした。


 翌日は再び平地に道は戻った。

 郷を見かけるとミドリマルは行商へと出かけていく。荷物を郷の中で広げて小間物を商う。漆塗りの木の椀や釣り針、色糸などを売るのだ。対価は米だ。

 百合若は荷物番だ。木の棒を持って荷物の前に座り込み、寄ってくる子供たちを追っ払う。


 いつの間にか百合若は一日に三十里は歩けるようになっていた。

 自分も荷物を持つと百合若は主張したが、ミドリマルは百合若に荷物を持たせなかった。つまるところ、百合若はもっと歩くべきなのだ。

 籾殻の付いたままの米を小さな鉢に()いて脱穀するのは百合若の役目になった。

 夜になるとミドリマルは昔の話をしてくれた。


「昔は牛頭の者と呼ばれた方々が、あちらこちらにおられた」


 知恵ある人だが、頭に短い角が生えているのだという。

 しかし昔、流行り病の酷いときに、病をもたらす行疫神とされて石もて追い払われたのだという。

 追われた牛頭の者たちは島に逃げたという。

 牛頭講というのは、その人たちに技術を教わった人たちが始めたものだという。


「よそでは疫座と呼びよるのと同じぞ」


 この辺りでミドリマルは育ち、牛頭の者ともよく遊んだという。


「水てっぷを作って貰ったのだが、あれは面白うあった」


 竹の筒に棒を差して、抜き差しで竹筒の中の水が飛ぶのだという。牛頭の者どもはそれを近郷の子の分まで幾つも造って遊ばせたのだという。


「しかし牛頭の方の言う事はいまいち判らぬ事も多かった。

 その水てっぷにしても、決まり仕切り事あるといわれるが、水かかると負けというのはわからぬ。水かかれば面白き。なぜ負けになろう。まこと奇妙な事であった」


 またしばらくして牛頭の者の話になった。


「向こうの山辺りで(あかがね)探し掘りおったな」


 遠くの山を指して言う。何がそれほど銅が大事であったかわからぬ。

 百合若はその後、ミドリマルが牛頭の話をするたびに表情の優しくなることを学んだ。よっぽど良い思い出なのだろう。


 大河を渡り、遥かに広がる湿原を横切り、ぽつぽつと寂しく点在する民家に泊めてもらいながら、更に北を目指す。

 季節は梅雨にさしかかろうとしていた。


 道は再び山奥へと入っていった。大きな山が前方に見えてくる。


「忌み名の山ぞ」


 山はかつて火を噴いて辺りを滅ぼし、そのとき山のかけらが海に落ちて島になったのだという。それが飛び島、以前話に出ていた、牛頭の者たちの逃げた先だ。

 道はいつのまにか浜へと降りていく。浜辺には小さな舟がひとつ。

 海の向こうにうっすら、平たい島の影が見える。


「牛頭講の隠し湊にて」


 ・


 ミドリマルはおよそ行程の半分ほどはなんとか漕ぎきったと思う。

 残りは舟が流されないように百合若が櫓を握り、時々なんとか気力を振り絞ったミドリマルが漕いでは休み、漕いでは休み、そのうち海流が島に舟を近づけてくれた。


 飛び島の浜には家が軒を並べて連なり、その床の下に舟を仕舞い込むようになっていた。ミドリマルはげっそりした顔で岸に上がると、その場で砂浜に横になった。


「舟はどうも好かぬ」


 ミドリマルは横になったまま懐から手紙を取り出すと、近づいてきた人間にそれを渡す。

 しばらくすると別の人間がやってきて、百合若についてくるように言う。坂道を登りきると、高い所に一軒離れた屋敷があった。


 母屋の板敷きの奥には、男たちが車座になって座っていて、百合若はその真ん中に連れていかれた。


「坂東別当の子とな」


「何ぞ証でもありや」


 百合若はそこで促されたが、思いつくものは何もない。


「誰か判る者おらぬか」


 しばらくして、一人男がやってきた。


安東(うとう)次郎安方(やすたか)にて」


 酒の甘い匂いがする。烏帽子はよれて直垂は擦り切れかけている。

 男は津軽から来たという。かつては多く人のおったのだが、吾だけ残された、と。


「津軽屋敷はいまや吾ひとりに探させおる」


 では坂東別当の子のしるしを知っておるかと聞くと、知らないという。


「他の者が知っておったゆえ」


 しかし、それらの者おらぬではないか、吾子はいったい如何する心積もりじゃと聞くと、安東安方は泣きだした。


「見つけるまで帰ってくるなと言われた、しかし銭の尽きおる」


 流石に子供にも分かる。こいつは駄目だ。

 そこにミドリマルがやってきた。のっしと、百合若の隣に座る。


「とりあえず、猫の島とやら、連れ行けばよかろう」


「それは忌み名ぞ。触れ回るでない」


 ほかにその名を教えたのはと聞かれ、桔梗尼には、と百合若は答えた。他には喋っておらぬ。


「これは何かしら名のある方の所縁には違いない」


 車座の中の誰かが言った。だが誰が連れ行く。


「吾らは猫の島に渡れぬ。この飛び島を牛頭の方々より譲り受けし時に言われし事ぞ」


 ミドリマルよ、吾子も行けぬ。そう言われてミドリマルは憤慨した。


「吾は悪しくあって、で、こいつに連れ行かせると」


 指差された安東安方が慌てたように辺りを見回すのに構わず、車座の別の者が答える。


「佐渡に疫座(えのざ)のおるゆえ連れ行け。疫座の者は渡ること禁じられておらぬ。疫座なれば坂東別当の子、大切にしよう」


 そうと決まった。


   ・


 三角帆は白く風を孕んで広く、船は飛ぶように青い海を割って走った。


 佐渡は島と聞いていたが思っていたより遥かに大きかった。

 船は砂洲を越えて湾内に入る。鳥居の見える湊を選んで乗り上げたが、神社を尋ねてみると、疫座を探すならよそ、島の南に廻れと言われた。

 歩いていくと大変なので舟で行けと言われて、ミドリマルの顔がまたしかめっ面になった。


 湾を出て島の南側に廻ると、ずっと端の端のほうに、確かに小さな湊がある。


 上陸すると小さな谷中の郷で、しかし更に山の奥へと案内される。木挽き職人たちが水車を動かすのが見える。鍛冶屋も籾摺り小屋も見える。足利ではよく見た光景だったが、よそでは見ることの無かった風景だった。

 山の奥に、切り開かれた村がみえた。ここは丸ごと疫座の村なのだ。


 ミドリマル、安東安方、そして百合若の三人は山中の屋敷に通された。

 煉瓦積の高床に三角屋根、長庇が周り縁の上に張り出している。足利風の建築だ。


「ここは前佐渡守の別業であってな」


 案内してくれた男がミドリマルに言う。


「今は別院衆のうち残りし者が住みおる」


 屋敷の脇待に上がって待っていると、ばらばらと大人たちが集まってきて、最後に直垂姿の武者がやってきた。

 武者はちょっと百合若を眺めると、近づいて言った。


「まこと坂東別当の子にあらば、手足に赤疱瘡のあとが痣として残りしゆえ、見ればわかる」


 手を出してみよ、と促され、百合若は両手を前に伸ばした。


胼胝(たこ)ができておる」


 武者は百合若の手を握り確かめながら、唸った。


「まこと坂東別当藤永修理権亮の御子、百合若様であられる」


 そう武者が告げると、一同はどよめいた。


「長き艱難、お辛かったであろう。よくよく休まれよ」


 言われたことはよく分からなかったが、百合若はようやく、優しくしてくれる人たちの元に来たのだと理解した。

 ここにつらい日々はようやく、終わりを告げたのだ。


 だが、行かねばならないところがある。


「猫の島にどなたか案内されたく。姉背の待っておるゆえ」

#百合若大臣について


 百合若大臣は様々なバリエーションを含む物語で、最も古く物語としてまとまっているのが、幸若舞「百合若大臣」です。

 9世紀、左大臣公満の子として生まれ17歳にして右大臣にのぼった百合若は、三条壬生の大納言顕頼卿の姫君を妻に迎えます。

 蒙古から四万隻の大軍が筑紫に攻めてくると、伊勢の巫女は百合若に鉄の弓矢持たせて大将として迎え撃たせます。しかし蒙古の軍勢は神風にあって撤退し、百合若はそのまま筑紫国司に任ぜられて蒙古に備えることになります。百合若は豊後の府に屋敷を構え、妻を呼んで暮らします。

 敵の大将一人も討ち取っていないでは勝利にならないとして百合若は大小合わせて八万隻の軍船を建造し、海上で蒙古軍と衝突します。睨み合いが三年続き、やがて始まった合戦では百合若の鉄の矢が蒙古の軍船を次々に沈めてゆきます。蒙古四万隻のうち三万隻を沈め、勝利に沸くのですが、百合若は鳥が飛ぶのを見て島が近い事を察し、休むために近くにあった島、玄海が島に上陸します。

 百合若は疲れから三日三晩寝込みますが、その間に家臣の別府兄弟の兄は、百合若が死んだと偽って船団を出発させ、百合若を一人島に取り残します。

 百合若は戦死したと報告した別府兄弟は戦勝の褒賞として筑紫の国司となり、百合若の妻に恋文を送ります。妻は自害しようとしますが乳母が虚偽の返事をしたため、結婚の強制に対して猶予を得ます。妻の放出した財の中に鷹がおり、うち一羽、緑丸が百合若の元にたどり着きます。

 百合若は木の葉に血で手紙を書き緑丸に託し、受け取った妻は筆や硯まで緑丸に結わえたため、その重さに緑丸は途中の海で墜死します。

 妻は宇佐神宮に祈り、その願いあって釣り人が玄海が島にやってきて百合若を連れ帰りますが、その頃には百合若は奇怪な容貌となっており、噂を聞いた別府兄弟は奇怪な男を連れてまいれと命じました。

 新年の祝いの席で弓が引かれるが、奇怪な容貌のままの百合若はこれを酷評します。ならばお前が引いてみよと誰も引けない鉄の弓、百合若のかつて使用していた弓を渡されると、百合若は見事弓を引き名乗りをあげ、その正体を悟った一同は頭を下げます。別府兄弟の兄は舌を引き抜かれ首を鋸引きされます。


 壱岐には百合若説教と呼ばれる話が伝わっており、これは様々に細部が違います。更に複数のパターンがあり、例えば、朝日長者と富を競う萬の長者が百合若という子を得て将軍の姫と結婚する段取りとなるが、その前に鯨満国へ鬼退治に出かけることになり、ここで百合若は式部兄弟に置き去りにされます。漁師の三兄弟が夢を見て百合若を助けると、百合若は片目が潰れ片足を曳いた姿で式部兄弟の前に現れ、名乗りを上げると式部兄弟の弟を弓で真っ二つ、兄を七日七晩砂に埋めた上で頭を落とします。


 沖縄の宮古水納島にも百合若伝承が残されており、帰ってきた百合若に鎧を着せ、百合若が踊ると錆びた金具が吹っ飛んでそれが悪者に当たり滅ぼしたとなっており、鉄弓が出てきません。しかし各地に伝わる大臣舞と呼ばれる踊り歌の歌詞には百合若に関するものがあり、その中には鎧を着てみせる箇所が存在しています。


 伝承がもっとも強く伝わるのは豊後ですが、例えば群馬の妙義山などにも百合若伝承を持つところがあります。


 百合若大臣の物語は「ユリシーズ」への類似性をつとに比較され、少なくとも中央アジアに伝わった類型説話の影響があったのではないかと言われています。

 もし誰か作者を仮定するとすれば、時代設定がばらばらで蒙古襲来後に仮定すべきであること、筑紫国司なのに豊後に府を構えるといった地勢の矛盾など、あまり教養のある人の創作では無いように思われます。元々は宇佐神宮に強く関連した説話として成立したと思われ、例えば鷹や飼っていた動物を放つ箇所は八幡宮独自の行事、法生会を強く連想させます。

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