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#10:1018年2月 草刈り

 それから数日、俘囚たちは大工のヨシツグと共に、自分達の家の材料となる木を伐りに出かけ、アキラは田堵の池原殿と共に、俘囚たちの地割を確認してまわった。


 家を建てるにしても水の便が要るし、大小便をどう捨てるかと言う話もある。例えば上名草の者が糞を川に流せば、下名草の者は川の水を使えなくなる。とはいえこの時代、大小便は流してしまうことになっている。飲料水は汚染されていない水源を探さなければならない。

 人糞による肥やしはこの時代存在していない。池原殿は馬糞を肥料として使うやりかたを導入すると息巻いていたが、人糞は駄目だという。


 アキラたちは、ここに家を建てろという位置の一面の草を刈って、竹の棒を立てると、次の地割へと移動した。


「どの谷でも、これは二町は堀を作って水を引かねばなるまい」


 池原殿はそう言う。だが難しいのは水をどこから引くかだ。


「清水川から引けぬものですか」


 アキラがこう言うと、この物知らずめ、と池原殿は呆れ声で言う。

 どれほど上流から引かねばならないか、恐らく五里は掘らねばなるまい。

 そう言われるとアキラも黙るほか無い。五里とはおよそ2.5キロだ。


 二人で草を刈って、道らしきものをざっくりと作る。


「そういえば助戸の郷長が、うちらの4戸づつの地割りについて、ムラを作るのかと聞いてきたな。村というのはこういうまばらな戸の集まりの事を言うのだそうだ。

 その助戸の作った村というのが既にあるんだと」


「流行り病を恐れての事ですか」


 アキラは思いついたことを言う。


「らしいな」


 最近アキラは気づいたのだが、郷とは別に点在するぼろ家は、夏の間自分の田の近くで寝起きするための、仮屋という名前の小屋だったらしい。

 仮屋の構造は郷の家の竪穴式とは違い、高い床がある。要するに竪穴式が冬の家で、仮屋が夏の家だ。

 ただ、それにしては立派な仮屋があると思っていたのだ。どうも冬も郷に戻らず、仮屋を立派にして通年暮らしている者が結構いるらしい。壁が高い竪穴式住居があると思っていたら、どうも半分竪穴半分高床なのだそうだ。

 疫病の時に郷を離れたものが、そのまま仮屋に居付いたのが始まりということか。そういう点在する新しい住処が、村と言うらしい。


「ではさしずめここは月谷村ですか」


「まぁ、郷とは呼べまいな」


 藪から飛び出してきた蛇の頭を驚きもせず叩き切る池原殿にアキラはちょっと圧倒される。転がる蛇の頭は、マムシだ。


「しかし吾子も難事よの。早く嫁を得て屋敷に戻れるようにならないとな」


 池原殿の言葉の意味がわからない。なぜ嫁を得れば屋敷に戻れるのか。そもそも今アキラは屋敷に戻れないのか?


「もしや吾子は、わかっておらぬか」


 全く判らないと言うアキラに、池原殿は呆れた表情を隠さない。


「頼義様は吾子に名草谷の奥山を与えられた。屋敷から10里はある。

 頼義様はなぜ吾子にそんな奥山をお与えになったのか。知れたことよ。屋敷から遠ざけるため。

 ではなぜ遠ざけられるのか。吾子は本当に判らぬか」


 全く判らない。そもそも遠ざけらているとは思ってもいなかった。しかし考えてみれば奥山と言うのは位置的におかしい。


「吾子は本当に判っておらぬのだな……

 では不本意だが、教えてやろう。まず、これから話す事は他言無用、決して話してはならぬ。よいな?」


 なんか似たような言葉を最近聞いた気がする。


「頼義様の母君は情の多い方で、様々な男と浮名を流したが、頼義様はそんな母君を快く思われてはいなかった。

 それはそうだろうよ。わが母が位の低い間男と大っぴらに情を通じているとすれば、流石に母への情も薄くなるというもの。

 いきおい乳母の方に対する頼義様の情は強くなる。

 その学問の才、故実に通じた智恵もあって、頼義様は乳母殿を尊ぶこと大きなものとなった」


 乳母殿とは尼女御のことだ。そこで池原殿は一息ついた。


「そこにだ、素性の知れぬ流れ者が乳母殿に親しゅうしておるのが見えるわけだ。

 もしの話だ。もし、ありえぬことだが、乳母殿と吾子が情を通じたとする。

 頼義様のお気持ちは如何なものになるか。思い当たらぬか」


 げっ。


 勿論アキラは尼女御に対して男女の関係になるような、そんな気分を感じたことは一度も無い。いくら尼女御が年齢に対して若く見えるとは言っても、アラフォーもいいところである。流石にそれは無い。

 だが、冷静に考えてみれば、そう勘ぐられても仕方の無いポジションだったのかも知れない。この冬の間、尼女御にマンツーマンで様々な知識や技能を仕込まれていたのだ。


「ようやく思い当たった、という顔だな。

 全く、本当に今になって判ったのだな。なんという愚か者よ。吾子は物知らずだけではないのか」


 酷い言われようである。しかしその通りに違いない。

 で、ああそうか。

 妻を迎えれば、尼女御と男女の関係になる可能性も大幅に減じるに違いない、という訳か。恐らくアキラとまだ見ぬその妻との関係を見た上で、屋敷に戻れるか吟味されることになるだろう。


 アキラは実際には屋敷から正式に遠ざけられた訳ではない。

 しかし、事情が飲み込めてしまえば、アキラはもう屋敷に寝起きするのは出来る限り避け、その身を遠ざかるべきなのだ。

 勿論屋敷でやるべきことは山ほどある。だが遠慮というものを働かせて、出来うる限り屋敷からその身を遠ざけなければならない。


 ……まだ今日は良いよな。

 住処が出来るまでは良いよな。


 ひととおり終える頃には二人ともくたびれ果ててしまっていて、これから田に馬鋤(うますき)をかけるという所期の予定はとても果たせそうに無い。

 とりあえず馬鋤の準備だけはして、田に鋤をかけるのは明日でよかろうという事にした。


「こりゃアキラよ、吾子は鎌使いが下手に過ぎるぞ」


 アキラの使っていた鎌の刃を検分していた池原殿が言う。見ればアキラの使っていた鎌の刃は盛大に刃こぼれしていた。朝はそうでもなかったと記憶しているから、その刃こぼれは確かにアキラのせいだ。

 ひととおり池原殿による鎌使いの技術指導があった後、


「こりゃ砥石が是非とも要るな……」


 池原殿は考え込んでしまった。


「砥石は炭何斗なのです?」


 アキラの問いに、


「鍛冶屋で刃物と共に用立てるものなのだ。いつもならば。

 しかし寺岡の鍛冶屋共、砥石を付けなんだな……」


 更に思案して、


「砥石、探してみるか。上手くすると炭焼きが多少なりとも減らせるやも知れん。

 鍛冶屋に、炭の代わりに砥石を受け取らないものか言ってみよう」


 アキラに向き直り、


「砥石の最上は都の西で採れるものだ。肌理(きめ)の細かい焼き物のような石で、川原などで見つけてきた石を削り、擦り合わせて平らな面をつくる。

 東国でも探せば似たような石があるだろう。

 あとで吾の持っている砥石をみせてやろう。吾も探すから、アキラもそれらしき石をとにかく探してくるのだ」


「川原などを探せば良いので?」


「山を掘るのはきつかろう。

 あと、そうだ。ついでに炭焼きを連れてまいれ。こちらで炭焼きをするに当たって、教えるものが居た方がなにかと良かろう」


「炭焼きはてっきり池原殿が教えてくださるものと思っておりました」


「炭焼きは郷のものとは違うのだよ。住処も暮らし方も全く違う」


 二人は重い腰を上げて屋敷への帰り支度をはじめた。


「炭焼きの多くは奥山の遠く、深山の谷に住んでおる。だがその住処はしばしば所を変える。

 炭焼きは何処に住むともわからん者だから税を収めん。

 また、郷で暮らしていけなくなった者が山に逃げ込み、炭焼きになることもある。

 炭焼きどもはこの足利の近くの山にはおるまい。木が少ないからな。

 まだ木が生い茂る深山に彼らを探さねばならぬ」


「……それはきつそうですな」


        ・


 夕方、鎌を振るい過ぎて上がらなくなった腕をぶら下げて、屋敷裏手の山に久しぶりに戻った。

 作業場に近づく前から臭いが酷い。

 子鹿の皮と骨は諦めよう。これが多分臭いの元だ。骨は煮て膠を取るつもりだったが、この臭いをものともせず作業できるとは思えなかった。

 窯に吊るしておいた肉は無事だったが、触ると表面が嫌な感じにぬめっている。

 これは食べたくないな……


 多分だが、ちゃんと燻製を作るためには前処理が、多分塩が欠かせないのではないだろうか。肉の保存とは結局水分を抜くことだ。そしてきっちり水分を抜くには塩が要る。

 そして塩は貴重品だった。下野は海から遠い内陸なのだ。醤油も有りはするが貴重品だった。しかも長持ちしない。塩は保存が利くから味付けは塩が専らだった。

 ああ、塩が欲しい。


 道具を幾つか回収すると、アキラは山を降りた。

 さらば、俺の作業場。

#10 田堵について


 田堵は平安時代の農作業のプロフェショナルです。田堵は9世紀からはじまった新制度、耕作能力に優れたものを監督として、担当田畑の管理を納税まで請け負わせる制度導入によって生まれた職種、階級になります。

 田堵は単なる納税請負者、富豪の輩から更に、農作業の専門家として特化した存在です。

 苗代作りや灌漑などの農作業の高度化は、高度専門職の必要性を産むこととなりました。田堵は労役監督に当たって暦の知識や土木作業の見積もり、納税では計算の技能を要求されました。これら技能をどこで学んだのかは不明です。

 田堵にもその事業の規模によって大小がありました。大規模になると大名田堵と呼ばれます。

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[一言] 人糞はなかなか危ないから
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