【エピローグ】
【エピローグ】
翌日、遥は念のため病院で検査を受けた帰り、捻挫した足を引きずりながら出勤した。
「おはようございます~」
「あれ? 遥ちゃんって今日、休むんじゃなかったの?」
灯也の問いに、遥は苦笑し、自分の席に着くと、パソコンの電源ボタンを押した。
「いえ、なんか……報告書を早く出せっていう、課長の心の声が聞こえた気がして……」
冗談にも聞こえる遥の言葉に、灯也は「なるほど~」と激しく納得し、愁一郎と香澄も曖昧な笑みを浮かべた。
「……お前らなぁ」
誰も否定しなかったことに、空良のこめかみに青筋が浮かぶ。
『あ、空良さま、あの、落ち着いてくださいませ』
今にも怒鳴り出しそうな絆侶の様子に、アリエスはデスクの横でハラハラと困ったように立ち上がったが、空良は構わず続ける。
「別に俺は、一言もそんな事を言った覚えはないんだが……ま、どうせ今日だけじゃ書き終わらないだろ」
「くっ……。なんかムカつくので、書き終わらせてみせますよ!」
「ほぅ? できるものなら、やってみろ」
「ええ、絶対にやってみせます!」
突然始まった遥と空良の言い合いに、愁一郎のデスクに居たコルンはつぶやく。
『あれ、痴話ゲンカじゃよなぁ? おぬし、食えん仕事が増えおったのぅ』
「コルン、食えないのは夫婦ゲンカですよ」
『なーに、同じようなもんじゃろ』
たしかに、香澄と灯也の言い合いの他に、遥と空良までこうなってしまっては、愁一郎の苦労は今までの倍になってしまう。
「うーん……若いって、いいですねぇ」
「あれ? 花島先輩、どうしたんですか? ため息なんかついちゃって……」
「いえ……。ところで遥さん、足の怪我は大丈夫なのですか?」
「あ、はいー。ただの捻挫だけで、あとは全然、元気ですよ~」
「ごめんね、遥ちゃん。昨日はもう力が残ってなくて、ちゃんと治してあげられなくて」
香澄が申し訳なさそうに言うと、遥はとんでもない、と首を振った。
昨日の香澄とリラは、他にもたくさんの人の傷を癒して、今にも倒れそうだったのだ。
それなのに、捻挫して戻ってきた遥を心配して、リラの力で少しだけ痛みを取り除いてくれたのだ。それだけでもう充分だった。
「いえ、ありがとうございました!」
と、そこへ、式獣課のドアを叩く音がして、涼が入ってきた。
昨日と似たような冷たい会話を空良と交わした後、ようやく本題に入る。
遥が優芽の捜索へ向かった後、涼はスピカに言われたとおり、過激派についての情報をかなりの量、手に入れることができた。
他の拠点を隠れ蓑に、あの研究所で、拉致してきた式獣で数々の生体実験を行っていたこと。四月一日に起きた爆発事故も、彩瀬署の式獣使いを試すためのものだったこと。
そして、押さえた証拠書類や証拠品によって、過激派のトップに立っているメンバーのほとんどが逮捕されることになること。
しかし、それでもまだ多くの過激派が残っていることから、今後も警戒は続けなければならないということだった。
「それから、スピカが暴走した件だけど……」
遥は、スピカの暴走に関する記憶が曖昧になっていたのだが、スピカが遥を通して正直に報告したことから、式獣総本部で処分を決めるということになっていたのだ。
「今回の原因は、過激派連中の行為にあることと、スピカは誰も傷つけていないことから、処分はしないことになったよ」
「本当!? ありがとう、お兄ちゃん! スッピー、良かったね!」
『ああ……心配かけて悪かったな』
「では、私はこれを伝えに来ただけですので、失礼するとしますよ。あ、そういえば……」
事務的な会話を終えた涼は、そのまま出て行こうとして、ふと何かを思い出したように遥の元へ戻ってくると、そっと耳打ちした。
「さっき、おふくろからメールが来て、遥に伝言……任務お疲れ様、今週末に帰るから話聞かせてね、ってさ」
涼は他人事のように告げると、パタパタ手を振りながら、そのまま出て行ってしまった。
「え、えぇっ!?」
話を聞かせて、ということは、遥を式獣使いとして認めてくれたということなのか。
遥はどうしていいものやら頭を抱えると、気を紛らわすべく、メールソフトを立ち上げ、再び固まった。
「いや~っ! 大変、大変だよ~スッピー!」
パソコンの前で腰を浮かせた遥が叫ぶ。
『今度はなんだ? また、データでも吹っ飛んだか?』
「ううん、違うの、メールが届いてるの!」
『そりゃ、メールソフトなんだから、メールくらい届くだろ。何をそんなに驚いて……』
「メールくれたの、この前行った、あの、学級崩壊してたクラスの女の子だよ! ブログをたまたま見つけて、設置しておいたメールフォームから送ってくれたみたいなの!」
遥の言葉に、愁一郎と灯也が、興味深そうに顔を上げる。
「おや、どんなことが書いてあるんです?」
「えっと、ですね……」
――式獣課のみなさま、こんにちは。私は、横渚小学校五年一組の木村海里です。
この前は、もっと式獣について聞いてみたかったのに、あんなことになっちゃて、本当にごめんなさい。式獣使いのお兄さんをケガさせてしまったクラスの男子も、今度ちゃんと謝りたいと言ってました。もし、怒ってなかったら、また来てほしいです。
式獣について、もっと教えてほしいです。よろしくおねがいします。
「……だ、そうですよ~。うわー、嬉しいですねーっ」
「つーか、今度行ったら、カッター投げやがったあのガキ、一発殴ってもいいか?」
「ダメに決まってるでしょう、灯也くん」
「へいへい。ま、反省してるっつーなら、行ってやってもいいぞ。あ、念のため、香澄も連れて行こうぜ?」
「……アンタは、人のことを呼び捨てすんな、って何度言ったら分かるのよ!」
「そうそう、そんな感じでさ、香澄と愁先輩がいれば、オレら無敵だろ!」
「「なんですって?」」
香澄と愁一郎の視線に、灯也が笑いながら諸手を挙げる。
「冗談ッス、冗談! ほら、もう昼休みだし、オレ、飯買いにいってきまーす!」
逃げるように飛び出していった灯也はしかし、すぐに戻ってきた。
「なに? 財布でも忘れたの?」
「ちげぇよ。お客さん、連れてきたぜ」
「お客さん?」
灯也の後ろから入ってきたのは、葉月と、その手に引かれた優芽、そして、隼也だった。
病院帰りだという葉月は、心なしか弾んだ様子で、午前授業だったという隼也は、気懸かりだったという遥の元気そうな様子に、ひと安心といった感じだ。
「昨日は、隼也くんがまっさきに、私が連れ去られたことに気付いてくれたんだってね? ありがとう!」
「い、いや、遥ちゃんが無事で何よりだよ」
『隼也に電話かけて知らせたんは、ボクなんやけどなっ!』
「わ、そっか、レプスも、ありがとうね! あれ? でも、なんでレプスが私のリュックに入ってたの?」
この問いに答えたのは、絆侶である灯也ではなく、その弟の隼也だった。
「レプスは寒がりだし、家の中でもよく色んなバッグの中に潜ってるよ。変な癖だろ?」
「そうなんだ?」
レプスの絆侶には、実は隼也の方が向いているのではないかと誰もが思いつつ、誰一人口に出すことはなかった。
隼也との会話がひとしきり済むと、今度は葉月が遥の前に進み出て、深々と頭を下げた。
優芽も母親の真似をして、一緒にぺこりと頭を下げる姿が何とも愛らしい。
「遥さん、昨日は本当に、優芽を助けて下さって、ありがとうございました。これ、ほんのお礼の気持ちなので、後で食べてくださいね」
手渡されたケーキの箱に、遥の目が輝く。
「わ、こちらこそ、頂いてばっかりで、すみません……ありがとうございます~」
後でと言われたにも関わらず、箱を開けた遥は、嬉しいため息を漏らしつつ、アリエスを手招きした。
「アリー、見てみて。茶色モンブランと、黄色モンブランだよ~」
『あ、あの、遥さま……』
どうせ食べられないアリエスに向かって、何たる拷問を……とスピカは遥の足をバシッと叩いて抗議する。
が、遥はスピカを無視して空良の前まで行くと、ある提案をした。
「課長、もし私が今日中に報告書を提出できたら、アリーに一言『栗を食べてもいいよ』って言ってあげて下さい。そしたら、彼女だって心おきなく、食べれるんですから!」
遥のいつになく強気な姿勢に、周囲で小さな歓声が上がる。が、続く空良の見せた反応に、驚きのあまりシンと静まり返った。
空良は遥の持っていたケーキの箱からモンブランを無言で手に取ると、どこか気まずそうに座っていたアリエスの前に差し出した。
「アリエス、俺は別に、お前が俺の嫌いなものを食っても怒ったりしないからな」
『空良さま! あの……ありがとうございます!』
アリエスの瞳が驚きと感動に見開かれた。
彼女は、大好きなモンブランよりも何よりも、絆侶のその言葉――名前を呼んでくれることこそを望んでいたのだ。
空良は照れくさそうに顔を背けたが、その心はちゃんと絆侶と向き合っていた。
「アリー、良かったね! でもなんか、課長が素直すぎて気持ち悪いですー」
「……なんだと?」
「わー、ほらほら、二人とも落ち着いてください。遥さん、優芽があなたに言いたいことがあるんだそうですよ」
遥はすぐさま、空良から逃げるように、愁一郎に抱きかかえられた優芽に向き直った。
と、優芽は遥に満面の笑みを向けてきた。
「あのね、遥おねぇちゃん、ありがとう! ゆめも大きくなったら、しきじゅうつかいになって、こまってる人たすけるの!」
「優芽ちゃん!」
「あれ、優芽はレディースになるんじゃなかったのか?」
優芽の言葉に感動した遥だったが、横から割り込んできた灯也の言葉に首を傾げた。
「レディースって……暴走族の?」
不安そうに確認してくる愁一郎に、灯也はあっけらかんとした笑みを浮かべた。
「それ以外に何かあんの? 前に優芽と遊んだ時に、約束したんだよなー」
「灯也くん、優芽との秘密って、まさか」
「あ……その、優芽がオレのバイクに興味津々だったからさぁ、素質あるんかなーって」
「灯也くんっ!」
娘のこととなると我を失う愁一郎に、葉月がそっと声を掛ける。
「落ち着いて、愁ちゃん。あのね、私も、愁ちゃんに大事な報告があるの。皆さんにも、聞いてほしいこと」
「葉月?」
「あのね、優芽に、弟妹ができたのよ」
葉月の口から告げられた爆弾発言に、呆然と立ちすくみ愁一郎は絶句した。
「じゃあ、この前から具合が悪かったのって……」
「ええ。ツワリだったみたいなんです」
「わー、おめでとうございます~っ!」
遥が葉月とすっかり打ち解けて、手を取り合って喜んでいると、突然、空良のデスクに置かれている無線機に、式獣総本部からの緊急出動要請が入ってきた。
「こちら式獣総本部。一一四〇時、都内で発生した強盗事件の犯人の追跡捜査依頼です。彩瀬署は至急、出動可能状況の報告願います」
聞こえてきた女性の声に、課員たちの表情が一斉に真剣なものへと変わる。
「こちら彩瀬署、了解。ただちに、花島、風見、朝霧の三名で現場へ向かいます!」
――こうして今日も、彩瀬署式獣課の式獣使いと式獣たちは任務のため、各地へと出動していくのだった。
【了】




