【四章】今の自分にできること。 *6*
*6*
「……ここ、どこ?」
重い瞼を押し開け、視界にまず飛び込んできたのは、冷たそうなコンクリートの天井と壁だった。
遥は起き上がろうとして、しかしすぐに失敗した。後ろ手に手錠が嵌められ、両足首にもロープが巻かれていたからだ。
仕方なく頭だけを動かして周囲を確認してみたが、窓ひとつない部屋のようで、場所の特定はもちろん、今が何時であるかすら、見当がつかなかった。
「……床に転がされるよりは良かったと思うべきなのかなぁ?」
誰に言うでもないつぶやきが、シンと静まり返った部屋に溶けて消えていく。
妙に冷静でいられることを遥は自分でも意外に思いながら、小さくため息をついた。
それから、もぞもぞと身体を曲げ、両足をベッドから下ろすと、手錠が嵌まったままの両手をベッドにつけ、反動をつけて身体を起こした。
わずかな期待を抱きつつ部屋を見回してみたものの、やはりスピカの姿はなく、遥は肩を落とす。
立ち上がり、唯一の扉へ向かおうとした瞬間、どこからか監視されていたのか、タイミング良く白衣姿の中年の男性が入ってきた。
白髪まじりの長い黒髪を首の後ろで無造作に結び、うすら笑いを浮かべたその口元には無精髭。細長い眼鏡の奥では鋭い眼差しが怪しげな光を称えている。
「お目覚めかね、渡月遥くん」
「……あなた、誰?」
ねっとりとした男のしゃべり方に、応えた遥の声が思わず震える。
「私は、式獣の能力をこの国に役立てようと日々研究をしている、一研究者さ。キミは、聞くところによると、どんな式獣とでも会話ができるそうだね?」
「……っ!」
「まぁ、そんなに怯えずとも、キミは大人しくこちらの言うことに従ってくれさえすれば、何も怖いことはないのだよ?」
そう言う男の顔は笑っているが、その声はちっとも笑っていなかった。カツン、と足音を立てて近づいてくるたび、遥は無意識に身体を強張らせた。
「……な、にが、目的……なの?」
足首に巻かれたロープの存在を忘れて後ずさろうとした遥は、ベッドにぺたんと座り込んでしまった。その様子を面白そうに見つめてくる視線に、ぞわりと鳥肌が立った。
「我らはこれまで、崇高な目的のために多くの優秀な式獣を集めてきたのだ。日本を世界の中で優位に立たせるためには、彼ら式獣にスパイとして、そして兵器として、役に立ってもらおうというのだよ。しかし、式獣使いではなくなってしまった我らには、あれら式獣を誘導し正確に従わせるための手段――会話の理解ができないのだ」
「式獣使いじゃ、なくなってしまった?」
確かに、男の右手甲には契約印は刻まれていない。式獣使いの過激派だと予想していた遥は眉間に皺を寄せた。
「式獣どもめ、我らの考えに賛同しないと言って、生意気にも契約を解除しおったのだ」
語りながら、実に困った――そんな表情をした男が、遥の方を見て口元を吊り上げる。
「そこでキミの出番というわけだ。キミには全ての式獣と我らの仲介に入ってもらえないかと思ったのだが、どうだね?」
「嫌よ! 私のこの力は、そんなことに使うためのものじゃないもの!」
遥は右手甲の契約印を左手で隠すようにして胸に置くと、首を振って拒絶した。
しかし、男は鼻で笑うと、ベッドの脇に立ち、遥を見下ろし――ふいに首を掴んだ。
その手から逃れようと、酸素を求めて遥が身体をよじればよじるほど、きつく締められていく。息苦しさに涙が滲み、ぼやけた視界の中で、男の瞳が満足げに細められた。
「おや? まだキミは自分の置かれた状況が理解できていないようだね? 聞き分けの悪い子には……お仕置きだよ」
と、パチンと指が鳴らされた瞬間――唐突に首を締め付ける手が離れたかと思うと、
「……痛っ!?」
遥の右手甲――契約印に激痛が走り、じんわりと血が滲み始めた。
直接何かに傷つけられたわけではないのに突然生まれた痛みと傷に、遥は目を瞠る。
そして、どこからか、スピカの声にならない叫び声が聞こえてきた。
少なくとも声の届くくらいの距離にはいるらしい。が、目の前の男から逃れることも、どこにいるかもわからないスピカを助けにいくことも――どうやら無理そうだ。
「スッピーに……何をしたの!?」
「さぁね。キミの絆侶は、キミが従うと言うまでどんな目に遭うのだろうねぇ。あぁ、そうか。キミには絆侶が苦しみ叫ぶ声が聞こえているのかな?」
「そんな……ひどい!」
「ひどい? 式獣は所詮、我らの役に立つだけのモノでしかないだろう? 何をしたって、人間の勝手じゃないのかね? そもそも、キミたち式獣使いだって役立てて、使えなくなったらハイさようなら、と捨てているではないか。キミだって我らと『同じ』なのだよ」
「違う! 式獣はモノじゃないわ! ちゃんと感情を持った立派な生き物よ! 任務の時だって、みんなは自分の意思で手伝ってくれているわ。従うとかそんなんじゃなくて……一緒に寄り添って、助け合って、共存していく仲間なんじゃないの?」
「ほぅ、これは驚いた。やはり父娘だな。その考え方は、父上に教えられたのかね?」
男の言葉に、遥は目を見開いた。
「父さんを知ってるの!?」
「おや、ご存知なかったのかい。キミの父上は、我らに刃向かう連中の、リーダーだったのだよ。残念ながら、志半ばにして。不幸な事故で亡くなってしまったようだがねぇ」
「……まさか、あなたたち……父さんを?」
「さぁね。ではキミにも、父上に尋ねたのと同じ質問をするとしよう。式獣たちは、なぜ、本来持っていたはずの攻撃力を抑えるための枷、首輪を付けられている? それだって、人間が式獣の力を都合よく制御するために付けただけだろう? ならば我々とやっていることは大して変わらないではないか。どちらも、式獣をモノとしてしか、見ていないのではないかね?」
「……そんなこと、ない。私は、スッピーのことを、モノとして、みたことなんて、ない!」
「だが、式獣たちは枷から解放され、思う存分、己の能力を発揮したがっているのだよ。キミの絆侶だってそう――今頃、枷を外されて、キミという存在を忘れて開放感に浸っているかもしれないよ?」
男の言葉に、遥の身体の中で、何かがざわめき、嫌な予感が駆け巡る。
「違う! スッピーは人を傷つけたりなんて……したいと思ってるわけ、ないわ」
「うーむ、残念だ。どうやらキミにも我らの考えを理解して頂けないようだね。では、これでもまだ、従わないと言えるかい? それとも……」
白衣のポケットから取り出されたのは、透明な液体が入った注射器だ。
「コレでキミも、何も考えずに我々に従うだけの、人形になってみるかね?」
「……いやっ!」
近づいてくる男から逃げようとして、遥はベッドに倒れこんでしまった。
男は下卑た笑みを浮かべ、遥を左手で押さえつける。光る針の先端を、拘束されて動けない彼女の腕へと、押し当てようとした――その時。
遥の右手甲のクローバーが白い光を放ったかと思うと、ズズン……と、建物が縦に大きく揺れ、男は後ろによろけて倒れこんだ。
注射器がカシャンと音を立てて床に落ちた瞬間、照明が消え、部屋が闇に包まれる。
「何事だっ!? おい、警備員、報告しろ!」
手探りでドアを開けた男の叫びに、バタバタと足音が近づいてくる。
「研究長、大変です、例の式獣が暴走して!」
「暴走だとっ!?」
開いたドアから差し込んだ微かな光に、遥は歩き出そうとして躓き、床に倒れ込んだ。
「スッピー……」
いつの間にか、絆侶の声が聞こえなくなっていたことに気付き、遥は不安に襲われる。と同時に、己の身体から急激に力が抜けていくのを感じた。まるで血が抜かれていくかのような感触に、遥の背を冷たい汗が伝う。
バタバタと廊下を駆けていく足音がどこか遠くで聞こえている。
(たしか……式獣の暴走は……絆侶の体力を奪っていくのよね……?)
そんなことを思い出しながら、必死に起き上がろうとした遥だったが、とうとう耐え切れずに意識を手放した。
――スッピー、どうか、無事でいて。




