【三章】式獣使いのお仕事。 *2*
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翌日も朝から、遥は空良から逃げるようにして、愁一郎と灯也の任務に同行することにした。空良が何も言わないことに、若干の疑問は感じていたが、二人きりで行動しなくて済むなら何でもいい、といった感じだ。
実のところ、色々な式獣使いと任務に赴くことは、新人研修の基本だからなのだが。
今日の任務は、遥が配属されてすぐ、空良と行ったことがあるのと同じ、小学校訪問、式獣使いと式獣のPR活動の任務だ。
二度目だから、任務の流れはだいたい理解している。
小学校に着いたらまず、担当の教員との打ち合わせ、それから、PR活動の拠点となる校庭に、模擬訓練の実演用の小さな瓦礫の山を作っておく。
これで準備は完了。
生徒数と授業の関係で、低学年と高学年の二度に分けて行われることになり、午前中は大きなトラブルもなく順調に終わった。
昼は控え室として用意された空き教室で、出してもらった給食をつついていた。
今日の献立は、わかめご飯、けんちん汁、鶏の唐揚げ、りんごタルトに牛乳だ。
少し前まで中学校で給食を食べていた遥はともかく、愁一郎や灯也にとって給食は懐かしかったらしく、二人とも上機嫌だった。食べながら自然と会話も弾む。
「やっぱり、子供は素直でかわいいですねぇ」
「ですね~。さっき、みんなが教室に戻っていく時、わざわざスッピーのとこまで駆けてきて、お仕事頑張ってね、って言われちゃいましたよ~」
「ええ。ああいう子達を見ていると、時々、やっぱり小学校の先生になってれば良かったなぁ、と思うこともあるんですよ」
愁一郎は、廊下や他の教室から聞こえてくる子供達の声に、優しい笑みを浮かべた。
「花島先輩も、最初から式獣使いになりたかったわけじゃないんですね?」
「も、って、どなたか他にも私のような方がいらっしゃるのですか?」
「え、あ……ええと、まぁ。じゃあ、花島先輩はなんで式獣使いに?」
一瞬、隼也から聞いた灯也の昔話を思い出して言ってしまった遥は、ヒヤリとしたが、笑ってごまかすことにした。
「私は、叶えられなかった葉月の……妻の夢を代わりに叶えているんです」
「花島先輩の奥さんって、式獣使いになりたかったんですか?」
「ええ。私は、大学四年の時、葉月に付き添うつもりで、式獣使いの試験を受けたのですが……絆侶に巡り逢えて、式獣使いになれたのは私だけだったという、皮肉な話です」
「でも、なんかカッコイイですよ! 奥さんの代わりに夢を叶えてあげる、なんて!」
「そ、そうでしょうか……」
照れくさそうに微笑む愁一郎に、遥はちょっぴり憧れを抱きつつ、仲の良かった自分の両親の姿を思い出し、目を細めた。
灯也も遥の言葉に同意するように頷くと、話を子供のことに戻した。
「二人とも子供好きなのかぁ。オレ、子供って何考えてるかわかんないから、苦手だなー」
「とか言いつつ、灯也くんは優芽の面倒、よく見てくれるじゃないですか。優芽はあなたのこと、結構お気に入りみたいなんですよ。そういえば、この前、秘密の約束をしたとか何とか……一体何を約束したんです?」
「あー……いや、たいした約束じゃないんで、気にしないで下さい」
気まずそうに視線を逸らした灯也に、愁一郎は意外とあっさり引き下がる。
「ま、無理に聞き出して優芽に嫌われたくはないので、諦めますが……。さて、そろそろ午後の準備に向かいますか」
のんびりとした雰囲気で頷き合い、三人が立ち上がって教室を出た直後――問題は発生した。
「本当に、本当に申し訳ございません! このようなことになって……」
遥たち三人の前で、土下座でもしそうな勢いで、教頭先生――見るからに苦労してそうな、眼鏡を掛けた中年の男性が、てっぺんだけ寂しくなった頭をぺこぺこと下げてきた。
「教頭先生、どうか頭を上げてください。私たちのことは、お気になさらず」
職員室前で謝り続ける教頭の姿に、他の教職員たちもつられて申し訳なさそうな視線を送ってくる。
これではまるで、遥たちが悪いことをしているような気分になってくるのだが……。
「校庭に集まってくれないっていうなら、オレたちが、教室に行けばいいんじゃないですかねー」
というのも、五年生の二クラスが揃いも揃って学級崩壊を起こしている状態で、校庭に集まるように指示しても、誰一人として教室から出ようとしなかったのだ。
仕方なく、四年生と六年生だけを相手にデモンストレーションを終えたのだが……それだけでは終わらなかった。
学校としては、五年生だけ参加させていないと、今度は保護者たちからクレームがくるというので、何としてでも五年生にも何か見せてあげてほしいという。
灯也の、教室を回るという提案に、目を輝かせた教頭は再び頭を下げると、
「お手数をおかけして申し訳ないですが……その、よろしくお願い致します」
「了解でっす! よし。じゃあ、張り切って行くぞ、かわいいレプス!」
肩の上で眠そうにしていた灯也の絆侶……ウサギのレプスが、その声に飛び起きる。
『なんやて? 今、かわいい言うたんは、灯也かっ?』
「おう、ようやく起きたな。じゃ、行くぞ」
女の子なのにかわいいと言われるのが嫌いなレプスは、午前も午後も、子供達にかわいいと連呼され、ふて寝していたのだった。しかしその点、灯也はさすが絆侶らしく、扱いに慣れた様子だ。
「ええと、では、ご案内致しますが……驚かないで下さいよ」
教頭の脅しに「そんな大げさな」と言っていた三人だったが、五年生の教室がある四階まできた時、唖然とした。
浅緑色をしたリノリウムの床に、筆記用具、破られたプリント、掃除用具、ラクガキだらけの汚い机などなど、学校の備品のありとあらゆるものが散らばっていた。
そして、ギャーギャーと大騒ぎしている生徒たちの声は廊下まで響いていた。
「……愁先輩、これでも子供好きだって、胸張って言いきれます?」
灯也の問いに、愁一郎は苦笑し、
「とりあえず、優芽が来年から通う小学校が、こうなっていないことを祈りますよ。さて、行きますか」
遥たちは半ば呆然としながら、教頭についていき、五年一組――クラス名の書かれた扉横のプレートは誰かのイタズラによって逆さまに差し替えられている――の教室に入った。
勢いよく開けられた扉に生徒たちの視線が集まり、一瞬だけ静まり返る。
が……次の瞬間には、元の状態に戻ってしまった。
机の上に乗って箒を振り回して遊ぶ男子生徒、教室の隅に座って小さな輪を作り、携帯用ゲーム機で通信対戦している生徒たち、黒板にラクガキして遊ぶ女子生徒たち。
生徒たち曰く、
「午前中に窓から見えたから、もう見なくていいじゃん」
「そんなの見て、何になんだよ」
「めんどくせー」
「式獣? なにそれ、ただの動物じゃん」
「教頭ハゲ頭ウゼェ、失せろ」
などなど……罵詈雑言の嵐だ。
そんな中、灯也の後ろに隠れるようにして立っていた遥は、いつも穏やかな愁一郎の顔が引きつっているのを見た。
(花島先輩が……怒ってる?)
遥がそのことに気付いた次の瞬間、
「いいかげんにしなさい!」
愁一郎がキレた。
生徒たちはみな、一見優しそうに見えた愁一郎の怒鳴り声に、驚いたように手を止め、口を閉ざしていった。
「そこのキミ、さっき、式獣はただの動物だ、と言いましたよね」
漫画を読んでいた少年が、愁一郎の気迫に圧されて、こくりと頷く。
「では、たとえば、ここで大きな地震が起きて、キミたちがみんな、崩れた小学校に閉じ込められてしまったとしますよ。そうしたら、キミはどうします?」
「……スマホで助け呼べばいーじゃん」
「災害時は、通信機器が使えなくなることが多いですよ」
「……じゃあ、自力で脱出すりゃいーんだろ」
「もし、ケガをしたり、瓦礫に挟まれて動けなくなっている友達がいたら? それでも、キミは無視して一人で逃げますか?」
「……んなこと知らねぇよ」
すると、愁一郎はスピカとレプス、コルンを、投げやりに答えた少年の前に呼び寄せ、言った。
「この式獣たちは、キミや助けを求めてる人たちを見つけたり、特殊な力によって傷を癒したりできるんです。どうです? これでも式獣はただの動物だと思いますか?」
「…………」
この時、まだ不満そうに黙り込んだ少年を、まっすぐに見つめていた愁一郎は、教室の隅で何かが光ったことに気付かなかった。
「愁先輩、あぶねぇっ!」
突然、灯也が愁一郎を横に押しやったかと思うと、次の瞬間には悲鳴が上がっていた。
一瞬何が起きたのかわからなかった遥も、カシャンと音を立てて床に落ちた物を見て、息をのんだ。
カッターナイフだ。
銀色に光るその先端には、赤黒い血がついていた。
「灯也! 大丈夫ですかっ!?」
愁一郎が、左腕を押さえている灯也の様子に青ざめる。
「ああ、コレくらい全然平気ッスよ。結構慣れてるしー。つーか、香澄とリラが居たら、ここで治癒能力の披露ができたのになー。残念ざんねん」
「灯也くんっ……あなたって人はっ!」
「んなことより、どうするんすか、これ?」
女子生徒たちの悲鳴がきっかけとなって、再び教室内は大騒ぎだ。
このまま、続けるのか否か――何かを言いかけた愁一郎を遮り、灯也は判断を仰いだ。
教頭先生はさきほどの愁一郎よりも青ざめ、口を鯉みたいにパクパクさせながら、動けずにいた。おそらく、その頭の中は生徒が傷害事件を起こしたことに対し、どう責任を取るか考えることで大忙しなのだろう。
「……そうですね。ここは引き下がるしかないでしょう」
そう判断し、灯也と遥が呆然としたままの教頭を連れて廊下に出ようとした、その時。
「あの……」
ショートカットの快活そうな女の子が、遥の着ている白い制服の袖を掴んでいた。
遥は一瞬驚きながらも「なぁに?」と答えると、女の子は恥ずかしそうに、小さな声でつぶやいた。
「あの……そのワンちゃん、触ってもいいですか?」
遥の足元に居たスピカは、犬呼ばわりされてムッとしたのが遥にはわかったが、そんなことは関係ない。興味を持ってくれる子が現れただけで嬉しくなった遥は目を輝かせた。
「もちろん! この子は私の仕事の絆侶で、スピカっていうんだよ。ほらスッピー、挨拶してあげて」
『……挨拶したところで、オイラの声はどうせ聞こえないだろ』
可愛げなく反論するスピカの頭の上に遥が手を乗せると、スピカは渋々とお辞儀をした。すると、女の子は安心したように手を伸ばし、遥の背中をそっと撫で始めた。
「ねぇ、スピカくんは、仕事が嫌になることないのかなぁ?」
『ないな。遥を守り、助けを求めている者を助ける、それがオイラの使命だし……好きなことだから、苦にはならないな』
「へぇ……スッピーってそんな風に考えてたんだ?」
思わぬところで、スピカの意見が聞けたことに、遥は仕事を忘れて満足そうに笑った。
が、次の瞬間、女の子の驚いた声にハッと我に返る。
「おねぇちゃん、スピカくんが何て言ったのか分かるの!?」
「うん、これも式獣使いの能力のひとつだからね。えっと、スピカは、仕事が好きだから、嫌になることはないよ、ってさ」
「……そうなんだぁ。すごいねぇ」
そのやり取りをきっかけに、近くで密かに聞いていた女の子のグループが集まってきて、スピカは質問攻めに遭った。
そのほとんどは、スピカの好きな食べ物や、誕生日などなど、式獣とは関係のないものばかりだったが、興味をもってくれただけでも、先ほどまでの態度を考えれば大進歩なのだろう。そうして数分後、ようやく質問が尽きたところで愁一郎が割って入ると、女の子たちは逃げるように、散っていってしまった。
さっき怒鳴ったのが相当効いたらしい。
「……嫌われてしまいましたかね」
「そんなことないですよ。あれ? 灯也先輩は?」
「出血が酷いようでしたので、教頭先生と保健室に行かせました。そろそろ私達も行きましょう」
遥は何となく名残惜しさを感じつつ、女の子たちにバイバイ、と手を振ると、愁一郎の後に続いて教室を後にした。