【三章】式獣使いのお仕事。 *1*
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翌日、遥は空良と行く予定だった小学校訪問の任務を灯也と代わってもらい、逆に、香澄の任務に同行させてもらうことになった。
香澄の運転でやってきたのは、都内にある小さな特別養護老人ホーム――竹林の里。
その名の由来となった若緑色に茂る竹林の奥に、病院に似た白壁の小さな建物が佇んでいた。
二人と二匹は、出迎えてくれた若い女性職員と簡単にスケジュールを確認した後、芝生が青々と輝く中庭に通された。
そこには、車椅子に座った十名ほどの老人たちが、半円を描くように並んで待っていた。
「はい、皆さん、お待たせしました! 今日は毎月来てくれている香澄さんとリラちゃんの他に、遥さんとスピカくんが初めて来て下さいましたよー」
司会役を務める男性職員の説明に、遥とスピカがお辞儀をすると、老人たちの間で小さな歓声が上がった。
「かわええさのぅ……ウチの孫を見とるようじゃ」
「わしゃあ、昔、あんな犬を飼っておってな……いやぁ、懐かしい」
それから30分ほど、昨日とはうってかわって晴れ渡った青空の下、ポカポカと暖かな春の日差しを浴びながら、のんびりとした時間が過ぎていった。
特に、式獣や式獣使いらしい何かをするでもなく、リラがお年寄りの膝に乗って、大人しく撫でられていたり、スピカが皆に頭を撫でられたり。ただ、触れ合っているだけの静かなひとときを過ごした後は、ホーム内で寝たきりになっている老人たちの部屋をひとつずつ回り、ちょっとした会話を交わしたり、触れ合ったりしていった。
最後に、食堂に集まった老人たちと、おしゃべりをしながらお茶とお菓子を頂いて……それで終わりだった。
こんなことが本当に式獣使いの『任務』といえるのだろうか。
ホームを後にした遥は、拍子抜けした気分で、香澄に尋ねてみた。
「たしかに、式獣の持っている特別な力を使うわけではないけれど、これも立派な任務よ。私たちがココに来た時と、帰る時とで、何か変わったことに気付かなかった?」
「変わったこと、ですか? うーん……あ、飯倉のおじいさんが、最初は全然、私たちに興味なさそうだったのに、帰り際になったら、『これ、食べるかい?』って嬉しそうな顔でお饅頭くれましたけど……?」
『気付いたのが食べ物のことだけかよ! 食いしん坊め!』
『まぁ、はしたないですわ』
車の後部座席から聞こえた式獣たちの声に、遥が不満そうに唸る。
一方の、ハンドルを握っている香澄は気にした風もなく、
「それでいいのよ。普段、外界と遮断されたホームという小さな世界で過ごしている彼らに、ちょっとした変化を与えてあげる。そのために、動物の姿をしたリラやスピカくんの存在と私たちがいるの。そうね……あなたは、アニマルセラピーって知ってる?」
「あっ、七海さんが……同期の友人が、イルカセラピーっていうのを大学で研究してたことがあるって言ってました! イルカと一緒に泳ぐと、元気になっちゃうっていうヤツですよね!」
時々、自閉症の子供がイルカと一緒に泳いで元気になった……なんて、ペット情報番組で取り上げられていたりもする。賢く愛らしいイルカの魅力もあいまって、水族館でイルカセラピー体験ができるところも作られたりして、ブームになったこともあった。
「まぁ、それと原理は同じよ。式獣たちは、あたしたち式獣使いとコミュニケーションが取れるから、他の動物のように躾や訓練をする必要はないし、互いのストレスは最小限で同じ効果が得られる、というわけなの」
「なるほど……そういうことだったんですか。あ、じゃあ、さっき食堂でお茶した時、皆のカップにスポイトみたいなので入れてた液体、あれって何だったんですか?」
香澄は他の人と楽しそうに会話中だったので、遥は何となく聞きそびれていたのだった。
『そういや、アレ、酒みたいな匂いがしてたぜ。昼間っから、酒飲んでいいのかよー』
「お酒だったんですか?」
スピカの指摘を受けて、自分のカップにも液体が入れられていたのを思い出した遥は、眉を潜めた。未成年なのに、飲んでしまっても良かったのだろうかと不安になる。
「ああ、あれはバッチフラワーレメディよ」
「ばっち……れ……?」
聞き慣れない言葉に、遥は首を傾げる。
「簡単に言うと、花や草木の抽出液かしらね。イギリスのバッチ博士の研究によって生まれたものだから、バッチフラワーレメディ。フラワーエッセンス、とも呼ばれているわね。お酒は防腐剤の役割でほんの少し入っているだけだから、問題ないわよ」
「へぇ……。で、それを入れるとどうなるんですか?」
「基本的には、イライラとか落ち込みとかのマイナスな感情を鎮めてくれる効果があるの。さっきはお年寄りたちと会話する中で、それぞれに必要なエッセンスをあたしが選んで、入れてあげていたのよ」
自分は皆と、ただ会話しているだけだったのに……と、遥はハンドルを握っている香澄に尊敬の眼差しを向けた。
そこでふと疑問が浮かぶ。
「じゃあ、私とスピカに入れたのって、どんなエッセンスだったんです?」
「スピカくんには、アグリモニー。あなたにはゲンチアナとインパチェンスよ」
香澄にサラリとエッセンスの名を言われたものの、遥は聞き取ることも覚えることもできず、がっくりと肩を落とした。
「あのぅ……私には、香澄先輩が何かの呪文を唱えているようにしか……」
「それくらい、自分で調べなさいな。何なら、あたしの師匠を紹介してあげるわよ?」
「師匠?」
「ええ。いつも無表情で無愛想な、あなたが苦手としている彼よ」
遥は、今一番思い出したくない姿を想像して顔をしかめた。
「……遠慮しておきます」
「あら、もったいない。彼はレメディの本場、イギリス出身だし、数年前まで住んでいたっていうオーストラリアも、盛んにレメディが作られている聖地みたいなトコなんだから、本格的に教えてもらえるわよ」
「……え。ええっ!? 課長って、イギリス人だったんですか!?」
遥は思いもよらなかった空良の新事実に、車の中で叫んだ。
『ちょっと、もう少し静かにできませんの?』
リラのツッコミを受け、慌てて口を押さえた遥に、香澄が苦笑する。
「正確には、お母様がイギリス系オーストラリア人で、お父様が日本人だから、ハーフよ。ほら、課長の髪……あれは地毛なのよね」
そう言われてみれば、染めているのとはちょっと違う、自然で綺麗な栗色だったかも、と遥は納得した。
昨日、隼也に聞いた、空良がシドニーの大学出身だということにも合点がいく。と同時に、遥は香澄に聞いてみようと思っていたことを思い出した。
彩瀬署までは、まだ数十分かかるし、課に戻ったら彼の目があるから聞けない。ならば今のうちに聞いておこう、と遥は話を切り出した。
「そういえば、香澄先輩は課長のこと、どう思っているんですか?」
「それは、部下として、ということかしら?」
他に何があるのだろう、と思いながら、遥は頷く。
「そうねぇ……仕事に関してなら、尊敬してるわ。どんな状況でも冷静な判断が出来て、すばやく指示が出せるのって、凄い才能だと思うの。アンタいくつの目を持ってるのよ、って厭味なくらい、小さな事にもよく気付くしね」
「あ、それは確かに……」
「でしょう? でも、そんな彼の機転が、今までたくさんの人を救ってきたのよ」
「……やっぱり、あの歳で課長なのって、凄いことなんですよね?」
「もちろんよ。たしか二年前のジャワ島地震の時に、彼は海外派遣チームに選抜されたの。その時にチームリーダーを務めていた折田部長に活躍ぶりを認められたみたいでね、帰国した直後の人事異動で、いきなり彩瀬署の課長に大抜擢! 別の部署に居た私まで知るくらい大騒ぎでね。当時彼は十七歳で、経験もまだ浅かったでしょうし、反対の声もあったんだけど、最後は折田部長が押し切る形で決定したって話よ」
最年少で式獣使いになっただけでなく、順調に課長に昇格できた彼は、どう思ったのだろう。あまりに凄い経歴に、遥にはまったく想像ができなかった。
「折田さんって……総本部長の折田さんのことですよね?」
折田正巳は、遥の兄が属している警視庁内の式獣総本部、つまり全国の式獣使いたちを束ねている最高責任者だ。
「へぇ、情報に疎そうなあなたでも、さすがに折田部長のことは知ってたのね」
「ええ、まぁ……実をいうと、折田さんは私の命の恩人だったりして……」
遥は保育園の時、遠足で行った山で一人、迷子になったことがある。
その時助けにきてくれたのが、折田部長とその絆侶の白くて大きな犬の式獣、アルスと、遥の父、肇と絆侶のパールだったのだ。
肇と折田は同期で、仕事以外でも仲が良く、渡月家に遊びに来たこともあった。
現在48歳にして独身、サーフィン好きの色黒で、渋くて優しいダンディーなおじ様……それが遥の持っている、折田部長のイメージだ。
「じゃあ、あなたはもしかして、折田部長に助けられたのがきっかけで、式獣使いになろうと思ったの?」
香澄の問いに、遥は曖昧な笑みを浮かべた。
「それも志望動機のひとつ、です。香澄先輩はどうして式獣使いに? たしか実家は大きな病院でしたよね? 家を継いだりとかしなくてよかったんですか?」
「あら、こう見えてもあたし、看護師の資格はちゃんと持ってるのよ」
「わ、すごいです! それで、傷の手当とか、すごく手際がよかったんですね~?」
「あれくらいは、式獣使いとしても、できて当然のレベルよ」
手先が不器用な遥にとっては、尊敬に値するレベルなのだが。
「でも、それじゃあ、なんで……?」
「小六の時、関西の祖母の家に行ってる時にね、大震災に遭って……その時、式獣使いと式獣が瓦礫の中から人を助け出す瞬間を見たからかしらね。看護師でも人の命は救えるけど、いざって時は助けを求めている人をまず見つけないと、治療すらできないでしょ? なら、要救助者を自分で見つけ出せる式獣使いになって、その場ですぐ治療もできたら、一番良いんじゃないかって思ったのよ。我ながら、単純な発想なんだけどね」
「いえ……そんな。すごいと思います」
「式那島でリラと出会えて、彼女が治癒能力を持ってるって知ったときは、運命かしら、って本気で思ったわよ」
『あの時の香澄ったら、本当に嬉しそうでしたわよね』
後部座席で聞いていたリラが、懐かしそうに言うと、香澄は珍しく顔を赤らめた。バックミラーに映っていたリラも、なんとなく嬉しそうだ。
「へぇ……そうだったんですかぁ……」
「さぁて、ちょうど彩瀬署に戻ってきたことだし、昔話はおしまいね」
「はい。色々教えてくださって、ありがとうございました!」
「どういたしまして。よかったら今度は、涼さまの話を聞かせて頂戴ね」
「はい!」
車庫入れする香澄を置いて、スピカと先に車を降りた遥は、昼下がりの太陽に向かって大きく伸びをした。
「ぷはー。色んな話聞けて、面白かったねぇ、スッピー」
『ああ、そうだな。んで、課長には謝る気になったか?』
「……うぐ。ごめんなさい」
『オイラに謝ってどうすんだよ……ったく』
何のために、香澄があんなに色々なことを話してくれたのか、ちっとも理解していないらしい。もはや諦めたように、スピカも伸びをするのだった。