日中講和
そして、1941年11月26日米国は日本に対して対日最後通告”ハルノート”を突き付けた。
しかし、日本への対日石油輸出禁止政策は黒竜江省の油田により無意味となり
ユダヤ人亡命者の受け入れによる大規模な投資、中国との講和により
ハルノートを完全に突っぱねたのだ。
最も米国を驚かせたのは日中講和であった。
杉原千畝の有能な知能を生かした会談により、満州国を認めさせる代わりに石油を
提供するということにより成功したのだ。
また中国の財閥と絡んでいた軍部の人員は投獄され、壊れかけた中国の内政を
立て直すために日本も支援を行い、結果として政府だけでなく中国国民全体での
親日を勝ち取ることができた。
米国大統領ルーズベルトは”遺憾の意”とハルノートを突き放した日本に対して
罵声を浴びせた。
しかし、大統領官邸に戻ると日本が戦争を始めない可能性が話し合われ
昼夜を問わず日本を戦争に引きずり出すことが話し合われた。
そして、官邸に戻ったルーズベルトは何度も机を叩いた。
「どういうことだ、日本は石油で戦争に引きずり出すことができるのでは
なかったのか!」
ルーズベルトは怒りに満ちていた。
中国は連合国を裏切り、日本はユダヤで大儲けしていると思うと一層怒りが増した。
秘書官は口を開く。
「どうやら日本は油田を発見したそうです。
我々の対日最後通告を無視できたのはこれが最大の要因でしょう。」
「それは本当かね!
ということは最初からハルノートなど無意味だったではないか!」
一呼吸もせずに言い終えたルーズベルトは息を荒げる。
しかし、秘書官は落ち着き払った口調で
「我々が戦争を仕掛けることが必然となった今、大義名分を得るしかありません。
彼ら日本は中国と親密な連携をとり、ユダヤ人でさえ経済支援をして
物資、人員、財力共に我々と対等、それ以上の力を持っています。
ここで対応を間違えるとアメリカの権威が失墜してしまいます。」
「わかっている!
だが、日本は戦争の引き金を全く引こうとしないのだ。」
まるで米国の思惑が露見しているかのように
進んでいる日本の政治により米国は右往左往するのであった。
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