大艦巨砲主義時代再来
シンガポール派遣艦隊全容は
装甲巡洋艦 穂高
重巡洋艦 筑波 剣 六甲
軽巡洋艦 阿賀野 矢矧 能代 酒匂
駆逐艦 迅雷型 計7隻
この艦隊は空母を少数しか持たない対イギリス用の艦隊であった。
ドイツのアデン湾主力艦隊は
戦艦 ラインラント
巡洋戦艦 ザイドリッツ ティルヴィング
通商破壊艦隊のような陣容であった。
「我々アデン湾主力艦隊に敗北は許されないのだ。
いや、偉大なる戦艦ラインハントがこの艦隊にある限り負ける要素はない。」
1943年10月18日、シンガポールを出港したシンガポール派遣艦隊は
21日にイギリス領インドのコチ海軍港で補給を済ませ、23日パンガラム島沖で
敵アデン湾主力艦隊を発見、パンガラム島沖340海里にてラインハントと交戦状態に入った。
「ラインハントの48cm砲の前で砕けるがいい!!射撃開始!」
ラインハントが業火を噴き上げるのと同時に穂高も射撃を開始した。
両者第一斉射はラインハントに一発命中、二発夾叉と
穂高は全弾回避した。
両者最大射程での砲撃から始まった海戦により日本とドイツの命中精度は
確実に日本の優勢となった。
「敵は40.6cm砲、命中しても一発轟沈は無い。」
シンガポール派遣艦隊司令長官”南雲 忠一”は英国情報部によりもたらされた
情報で40.6cm砲と聞かされていたのだ。
しかし、それはラインハント完成時の武装であった。
現在のラインハントの主砲はH41計画の主砲に使われる試製48cm砲を試験的に積んでいた。
穂高の第二斉射でラインハント二番砲塔直下弾薬庫に命中させ撃沈確実と思われていた。
しかし、ラインハントの2番砲塔は無傷であった。
「巡洋戦艦ザイドリッツ、ディルヴィング!
敵ブラックプリンスの回避コースを強制させる位置に砲弾を送り込め!」
装甲に阻まれた第二斉射と同時に敵の巡洋戦艦二隻が射撃を開始、
回避経路を強制される穂高にラインハントの狙いすました一撃が当たる。
「後部機関室上部に命中!エンジン出力低下!」
南雲は報告に耳を疑う。
装甲としては集中防御区画の次に防御に重点が置かれていた機関室であったが
それが貫通したということは相手は40.6cm砲ではないということであった。
蒼天の空に煙が被る。
穂高の速度は急速に落ちた。
「どういうことだ、ラインハントの主砲は40.6cmではなかったのか!」
機関部員は沈黙し、速力は35ノットから17ノットまで低下し浸水も生じた。
巡洋戦艦は次々に穂高に命中弾を送り込むが38cm砲では致命傷は与えられないものの
着実に浸水水量は増加していき、ラインハントの第四斉射で命中弾2発を受け
穂高は完全に沈黙、重巡洋艦など各艦艇は穂高が注意を引き付ける間に間合いを詰めようとしていたが
穂高が早々と轟沈したためラインハントの餌食となった。
そして、穂高は海戦終了後8時間をかけてバンガラム島370海里にて漁礁となった。
「各艦隊、穂高の仇をとる!全艦、最大船速!」
各艦艇の奮戦により巡洋戦艦ティルヴィングを撃沈するも
重巡洋艦筑波、六甲、撃沈、軽巡洋艦能代、酒匂撃沈、駆逐艦4隻撃沈となり
被害は甚大、ここにシンガポール派遣艦隊は壊滅したのであった。
山本はこの報告を受けると海軍各位を集め三日三晩対独戦略の見直しを図った。
ドイツではヒトラーがこの戦果を聞くとヴィルヘルム・マイゼル大将に
”柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章”をヒトラー自らの手で送ったという。
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