独大戦艦ラインハントと日英講和
1943年10月15日
ドイツがSOI電撃作戦を開始。
エルヴィン・ロンメル率いる大機甲師団総数100万はサウジアラビア、オマーン、イエメンを
破竹の勢いで突破、これを占領すると石油資源の確保を完了させた。
そして、この情報に英国は日本との講和条約について話がもたれるようになった。
「このままではインドを取られてしまいますぞ!」
老元帥が先ず声を上げる。
「いや、我々海軍ならなんとかできる。アラビア海にインド派遣艦隊を展開する。」
「何を言っている、海軍はプリンスオブウェールズとレパルスを失って以来、
士気はガタ落ちしているそうではないか。
素直に日本の和平提案を飲むべきだ。」
「そうだ、米国は既に日本に侵攻されあてにはならん。
ならば、日本の和平提案を飲みインドの権益を守らなくては!」
軍部は一気に日英講和の機運に傾き、チャーチルもインドの権益を守るため
日本との講和交渉を受けることにした。
そして、チャーチルと東条はセイロン島最大都市コロンボにて講和会談を行った。
都市といえど、日本の帝都東京とは雲泥の差であるが設備は充実している。
東条はチャーチルの意見を聞くことにした。
「我々英国は今まで貴方方の和平提案を無視してきた。」
東条は頷く。
チャーチルは話を続ける。
「それに関して身勝手は重々承知で講和をしたいと考えている。
今、ドイツ第三帝国はインド権益を狙いアラビア海にUボートと
アデン湾主力艦隊とその旗艦”ラインラント”により英国海軍は大打撃を受けている。
もし、日本の和平提案の中にある共同防衛宣言が本当ならば今この時、講和条約を結びたい。」
「英国の事情は分かりました。こちらも断る理由はありません。」
そして、イギリスと日本は講和を果たした。
その翌週、日本海軍はシンガポール派遣艦隊をアラビア海に向け出港、
ドイツに対し宣戦布告した。
東条の話を聞いた山本は笑みを浮かべた。
「そうか、チャーチルは泣きついて来たのか。
これで連合国の中核三国の内二国を引きはがすことに成功しましたな。」
東条は笑う。
「これで米国の国際的孤立は深まりました。」
「米国との講和の決め手は陸軍の米本土上陸作戦、ドイツに宣戦布告した以上
シンガポール派遣艦隊では役不足、なるべく早くモハーベ砂漠を落としてください。」
「勿論です、あそこには上原元帥がおります。」
そして、世界最強を謳う大戦艦ラインハントと浮沈戦艦を沈めた黒姫の2番艦”穂高”の
戦いがアラビア海で行われようとしていた。
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