加筆修正版 エピローグ 新たな日常の始まり
エピローグ 新たな日常の始まり
あれから一ヶ月が経った。
僕は学校に行かないわけにはいかないので、仕方なく椿原中学校に通っていた。そして、そこで小学生の時に逆戻りしたような日常を送っていたのだ。
友達もおらず、毎日、一人でポツンとしている。
今では天空都市での毎日は夢だったようにも思える。色々あったのは事実だけど、天空都市での生活は輝いていた。
その思い出は今も色褪せていない。
でも、これが僕の選んだ選択の結果だから仕方がない。
誰かを恨むことなどできないし、自分の取った行動に悔いはなかった。
それでも、思い残すことがあるとすれば、やはりヘルガウストの言葉だ。この地上はいずれ大洪水で滅ぼされる。
僕も天空都市にいれば、それを食い止めるために何かできたかもしれない。だけど、今となっては叶わぬ話だ。
とはいえ、ウルベリウスはその事実を知っている。だからこそ、今は彼に全てを託すしかなかった。
果たして、大洪水が起きる日は来るのか、こういう日常に身を置いていると、何の実感も沸いてこなかった。
僕は教室の隅で本を読みながら、早く帰れる時間が来るのを待つ。
「セリオ君、学校には慣れた?」
放課後になり話しかけてきたのはハンバーガー屋であったあの倉橋美紀さんだった。倉橋さんだけはみんなみたいに無視することなく僕に話しかけてくれる。
それがまた恥ずかしいんだけど。
一方、同じクラスのユイは基本的に僕には話しかけてこない。でも、怒っているわけではなく、単に恥ずかしがっているだけみたいだった。
その証拠に家に帰ればユイもちゃんと話をしてくれるし、僕に向けられる眼差しは前よりも柔らかくなった気がした。
「まあまあだよ」
僕は読んでいた本をパタンと閉じた。
やっぱり、本だけは天空都市より日本の物の方が面白いよな。天空都市にはラノベなんてないし。
「良かった。でも、セリオ君が椿原中学に通うことになるなんて思わなかったな」
倉橋さんはコロコロと笑った。
「色々と事情があってね」
僕は窶れた笑みを浮かべる。果たして、椿原学園の生徒に僕の抱えていた事情を話す時は来るだろうか。
「そっか。私、文芸部の部員だから、興味があったら部室を覗きに来てね」
倉橋さんの言葉を聞き、僕もサンクフォード学園では文芸部だったんだよなと思い出した。
結局、一度しか部室に行かなかったけど、ミルカは気を悪くしていないだろうか。
「うん」
「最近の書店で売ってるお勧めの本とかも教えてあげるし」
図書室の新刊コーナーにもお店で売っている本はたくさん置いてある。それを読むのが今の僕の唯一の楽しみだ。
「ありがとう」
僕は力なく笑った。
「それじゃ、また明日ね」
そう言うと、倉橋さんは僕の前から去って行った。一方、僕と倉橋さんの遣り取りを見ていた男子たちはひそひそと囁いている。
何とも嫌な空気だ。
僕はその空気から逃げるように教室を出ると、図書室に借りた本を返してから、母さんの待っている家に帰った。
「お帰り、セリオ」
玄関で靴を脱いでいると母さんが、笑顔で僕を出迎えてくれた。
「うん」
僕はなるべく暗い顔をしないようにする。
暗い感情に流されると母さんを傷つけるようなことを言ってしまいそうだったから。やっぱり、アイスランドに帰ることはできないのだろうか。
「今日の学校はどうだった?」
母さんは笑ったまま尋ねてくる。
「別にこれと言ったことはなかったよ」
最初は毎日、学校に行くのが辛く思えたけど、もう慣れた。僕も精神的にタフになってきたみたいだな。
まあ、だからといって、あと三年間、椿原中学校にいるのを耐えられるかどうかは分からないけど。
でも、不思議と逃げる気にはならなかった。
カルベンとエリシアが会いに来てくれた時、僕も元気にやっている姿を見せたかったからな。
それには僕もここで踏ん張るしかない。
「そうなの。まあ、無理だけはしないようにね。それと、マフィンが焼けたから食べてちょうだい」
良い匂いが漂ってくると思ったら、マフィンがあるのか。それを知った僕は少しだけ元気が出て来た。
「うん」
僕はリビングへと足を向ける。
すると、リビングのテーブルには手乗りサイズのドラゴンがいて皿に入っていたマフィンを食い散らかしていた。
「よっ」
そう声をかけてきたのは紛れもなくジャハナッグだった。
「君はジャハナッグじゃないか」
僕は目を点にする。まさか再びドラゴンの姿を目にできるとは思わなかった。それも、こんなに早く。
「ああ。このマフィンはなかなか旨いな」
食い意地の張ったジャハナッグはムシャムシャと全てのマフィンを平らげてしまった。僕も楽しみにしてたのに。
「どうしてここに?」
僕は何か良くない知らせがありそうだなと思った。
「お前が天空都市に来れるようになったことを伝えに来たんだよ」
「そうなの?」
僕は信じられないといった顔をした。
「カルベンやエリシアには感謝するんだぞ。あの二人が必死になって町中の人たちから署名を集めたんだから」
「へー」
さすがカルベンたちだ。
日本でただ本を読んでいた僕とは行動力が違う。
でも、それだけ二人は僕に戻ってきて欲しいと思っていたのだろう。その友情には感謝するしかない。
「だけど、悪い知らせもあるんだ」
「何?」
今の僕なら何を聞かされても驚きはしない。
「つい最近になってヘルガウストが牢屋から逃げ出した。お前が仕留め損ねた魔王アルハザークの仕業だな」
ジャハナッグの言葉に僕はふつふつと怒りが込み上がってくる。
あんなに苦労して捕まえたヘルガウストに逃げられるなんて、天空都市にいる人たちは何をしているんだ。
「そんな」
「しかも、魔法主義同盟とゼラム教の対立も激しくなってる。そのせいでとうとう学園の生徒の中から死人が出ちまった」
ジャハナッグの言葉に僕は薄ら寒い物を感じる。
「魔界のゲートが開いた時でさえ、死人なんか出なかったのに」
天空都市の人間の愚かさが益々、酷くなってきたように思える。
みんな天空都市が破壊されるかもしれないことを知らないから、馬鹿みたいな争いをしていられるんだ。
ヘルガウストの一件は良い薬になると思ったんだけどな。やっぱり、人間、そう簡単には変われないか。
「そこが人間の救いがたさだよ。とにかく、今の天空都市はお前の力を必要としてるんだ。だから戻ってきてくれ」
ジャハナッグの言葉に僕は脱力しつつも、またカルベンとエリシアと会えるのかと思うとワクワクもしていた。
こうして、僕の新たな日常が始まることになったのだった。
(FIN)




