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加筆修正版 第三章 セリオに秘められた力

 第三章 セリオに秘められた力 


 天空都市から帰ってきた僕は自室でゲームをやっていた。その傍にはコンビニで買ってきたポテトチップスとペットボトルのコーラがある。

 自分の家のすぐ近くに新しいコンビニができたのは助かった。天空都市にもコンビニがあれば良いのにと思う。

 でも、天空都市にはスーパーすらないので、それは贅沢な願いと言えた。でも、自動販売機くらいはあっても良いよなと思う。

 サンクフォード学園の食堂では色んなジュースが出されるとけど、コーラはないし。

 どうも天空都市の人間は地上の文明を取り入れることを、まるで片意地を張るように嫌っているところがある。

 天空都市がこれ以上、衰退しないためにも地上の便利さを取り入れることは必要な措置と言えた。

 ちなみに今日は僕の誕生日だ。

 だが、母さんは大学に行っていて、夕方にならないと帰ってこない。

 僕は今年の誕生日は母さんの好きなお寿司じゃなくて、ちゃんとしたケーキが食べたいなと思う。

 僕の誕生日にはなぜかケーキが出てこないんだよな。

 母さんも自分の好きな寿司はもちろんのことだが、ピザやフライドチキンなんかも買ってきてくれる。

 でも、ケーキだけがない。それは何となく物足りなかった。

 そんなことを考えていると、部屋の窓を誰かが叩く音が聞こえだ。

 僕が窓を開けると、そこには小さな羽の生えたドラゴンがいた。これには僕も驚きのあまり目を丸くする。

 ドラゴンを目にしたところで、今更、夢だとは思わない。が、それでも家の窓の外にドラゴンがいるなんて、心臓に悪い登場の仕方だった。

「よっ、セリオ」

 手乗りサイズのドラゴンが人間の言葉を発した。

 この声には聞き覚えがある。もちろん、前に聞いた時のような大気を震わすような迫力はないけど。

「君は?」

 僕はドラゴンの正体を知りつつも眉を揺らしながら尋ねた。

「こんな姿をしているけど、おいらは邪竜ジャハナッグだ。ウルベリウスの頼みで、お前に誕生日プレゼントを渡しに来た」

 ジャハナッグは首から下げている可愛らしい袋を僕に見せる。お使いもできるドラゴンなんてチャーミングだな。

「誕生日プレゼント?」

 僕はトーンがずれた声を発した。

「ああ。 誕生日を迎えた生徒には、学園側からプレゼントが渡されることになっているんだ」

「へー」

「とにかく、これを受け取れ」

 僕は袋を受け取ると、中にあるものを取り出した。すると、銀色に光る懐中時計が出て来た。

 一目でタダの安物とは違うと分かった。懐中時計の蓋には彫り物がされていたが、それが実に緻密なのだ。

 テレビに出で来る鑑定士なら良い仕事をしていると言っただろう。

「これは懐中時計だね」

 僕はいつも時計を身につけていない。時間を知りたければ携帯があるからな。なので、時計という物には新鮮さを感じた。

「ああ。伝説の金属のミスリルで作られているとっても高価な時計だ。オーダーメイドの品だし大事にするんだぞ」

「うん」

 こんな嬉しいプレゼントを貰ったのは久しぶりだな。

 母さんは僕にプレゼントを買ってきたりはしない。その代わり現金をくれる。

 それを使って好きなゲームなどを買ったりするのだが、ちゃんとしたプレゼントを貰えないことには僕も少し寂しさを感じていた。

「さてと、おいらは天空都市に戻らせて貰うかな。腹が減ったし、牛でも食いたい。どうせ日本にいるんだから、松阪牛を襲って食っちゃおうかな」

 ジャハナッグは笑えないことを言って飛び立とうとした。それを僕が慌てて引き止めようとする。

「君はゲートを通ってきたの?」

「そうだ。まさか、海の上を飛んできたとでも思ったのか?」

「まあ」

 失礼なことを言ってしまっただろうか。

「そんなことをしたら日が暮れちまうよ。ま、元の大きさに戻って飛べば、近くにある島までなら二時間もあれば辿り着けるけど」

「へー」

「ちなみにゲートには全ての生徒の情報が記録されてる。それを見れば誰がどこから来たかなんてすぐに分かるんだ。住所なんかも、学園側から教えて貰ってるし」

 ジャハナッグは胸を反らした。

 魔法の技術にはいつも驚かされるけど、ゲートの仕組みはやっぱり凄いな。

 地上でも大っぴらにゲートの魔法が使われるようになれば、飛行機なんて消えてなくなるかもしれない。

 天空都市にいる人間だけに独占させて置くには勿体ない力だと言える。

「そっか」

 僕も納得した。

「とにかく、プレゼントは渡したし、おいらの用は済んだ。ま、ウルベリウスに会ったら礼くらい言って置くんだぞ。じゃあな」

 そう言うと、ジャハナッグは今度こそ飛び立って、空の向こうへと消える。

 確かにウルベリウスにはお礼を言う必要があるよな。こんなに素敵なプレゼントを貰ったのは生まれて初めてかもしれないから。

 その後、僕はユイと大学から帰ってきた母さんと共に宅配寿司を食べた。期間限定の大トロもたくさん入っていたので、一万円以上はしただろう。

 さすがに本マグロの大トロを十カンも食べてしまっては、ケーキが食べたかったとは言えなかった。

 あと、今年も母さんからは何のプレゼントも渡されなかった。けど、一万円も貰ったからよしとして置こう。

 そんなにケーキが食べたければこのお金で買えば良い。

 ケーキバイキングもやっているレストランなんかにも行けば、ケーキは死ぬほど食べられるだろう。

 まあ、母さんも学園側から貰った懐中時計を見せたら、随分と複雑そうな顔をしたけど。

 

 僕はいつものようにカルベンと一緒に学園の食堂に来ていた。

 少し来るのが遅かったせいで食堂は生徒たちで溢れかえっていた。なので、注文したカツ丼が運ばれてくるまでにけっこう時間がかかった。

 僕は学園の食堂にもカツ丼があったことに、仄かなありがたさを感じながら、箸を進める。

 日本という国はどちらかと言えば嫌いだけど、日本の食べ物は大好きだ。意外にも僕は納豆が好きだからな。

 納豆は醤油の味を損なわないためにもたくさん混ぜない。という拘りも持っているくらいだから。

「へー、誕生日にそんな良いものを貰ったのか。俺も自分の誕生日が来るのが待ち遠しいな」

 カルベンはハンバーグを頬張りながら言った。

「カルベンの誕生日はいつなの?」

 僕はカルベンを横目にする。

 ちなみに箸を付けている肉厚のカツは食べ応え十分だった。しかも、日本の外でこんなに美味しいカツ丼が食べられるなんて思わなかった。

 大盛りもできるので、今度、挑戦してみよう。

「八月だし、ちょうど夏休みなんだ。だから、誕生日の日には家族みんなで、色々なところに行ったよ」

「そっか」

 僕は家族で出かけられることに羨ましさを感じる。

 ちなみに天空都市が破壊され、地上が大洪水で滅ぼされるかもしれないことを、カルベンもエリシアも知らない。

 知っていれば、暢気に夏休みの話なんてできなかっただろう。

 とはいえ、ヘルガウストの話を聞く限りでは大洪水が起きるまで、まだかなりの時間があるように思える。

 僕も自分自身のために何かしなければならないかもしれないな。

 いずれにせよ、再び大洪水が起きるかもしれないというショッキングな話はカルベンやエリシアにはできなかった。

「今度の誕生日は、家族でイタリアのアドリア海にでも行くつもりさ。ちょっとした家族旅行だな」

 カルベンはアドリア海の青い海を思い浮かべているような顔で言った。

 僕も父さんがいれば、海外に旅行に行けたのに。母さんと二人っきりで豪華なホテルに泊まっている光景は想像できないし。

 でも、大きくなったら僕も母さんを旅行に連れて行って見せる。それくらのことはできる大人になりたいからな。

「旅行に行けるなんて羨ましいね」

「まあな。とにかく、ヨーロッパは見るところが多くて良いよ。飛行機に乗らなくたって隣の国に行けるんだから」

 カルベンの言葉に僕も心が躍る。でも、すぐに自分のいる日本を思い出して、気落ちしてしまった。

「まあ、日本は海に囲まれているからね。列車で大陸を横断できるような素晴らしさはないさ」

「違いない」

 そう言ってカルベンが頷くと、僕の背後からエリシアが現れた。エリシアの髪は少し短くなっていたので、いつもより活発な印象を受けた。

「あたしは夏休みになったら家族で遊園地に行くつもりよ。ジェットコースターとか大好きだから」

 そう言うと、エリシアは僕の隣の椅子にどっかりと座った。

 その際、エリシアの隣に座っていた男子生徒は、少し顔を赤くする。エリシアの垢抜けた可愛らしさにドキッとしてしまったのだろう。

「遊園地も良いね」

 僕が遊園地に行ったのは、小学校の修学旅行以来だ。

 班のメンバーに仲間はずれにされて、一人で遊園地を歩き回ったあの修学旅行は思い出したくもない。

「なら、セリオもあたしと一緒に遊園地に行く?セリオは日本に住んでるんだし、飛行機に乗ればアメリカには来れるでしょ」

「良い考えだけど遠慮しとくよ」

 飛行機は嫌いだ。最近は飛行機が墜落するというニュースをよく見るし。

「残念ね。あたしのいるアメリカに来てくれれば、思いっきり楽しませてあげられるのに。って、別に変な意味じゃないわよ」

 エリシアは途中から慌てたように肩を竦めた。

「俺のいるスペインだって負けてないぜ。バルセロナにあるサクラダファミリアは是非、見て貰いたいし」

 混ぜ返すように行ったのはカルベンだ。

「アメリカのラスベガスだって凄いわよ。年齢制限があるカジノには入れないけど、マジックショーやミュージカルは楽しいし」

 エリシアはカルベンに負けまいと言った。

「天空都市にも遊園地みたいなアトラクションがあれば良いのに」

 僕はぼやいた。

 ま、天空都市に遊園地が作られる日は、あと千年経っても来ないと思う。遊園地よりはコンビニの方が先な気もするし。

「そうね。でも、天空都市には迷宮があるわよ。迷宮にはモンスターだって住み着いてるし、そのモンスターたちと戦えるなら遊園地以上に刺激的だと思うわ」

 エリシアは思い出したように言った。

「でも、迷宮に入るには冒険者ギルドで許可証を発行して貰わなきゃならない。俺たちの年齢じゃまず許可証は貰えないな」

 カルベンはハンバーグを全て平らげると皮肉げに言った。

「でしょうね」

「でも、この天空都市で観光できるようなところを探すなら、町の外にある妖精の森も良いんじゃないのか?」

 カルベンはフォークの先端をエリシアの顔に向けながら言葉を続ける。

「妖精の女王は絶世の美女って言われてるぜ。ま、実際にこの目で見てみないことには妖精の美しさなんて分からないが」

 妖精は見てみたいな。きっとドラゴンとは違った驚きがあるに違いない。

「でも、妖精の女王は大の人間嫌いだって話よ。ノコノコ行っても会ってはくれないでしょうね」

 エリシアは小さく息を吐いた。

「地上でも三人一緒にいられる日が来ると良いのにね」

 僕はポツリと言った。

「そうだな。ゲートの調整をして貰えれば、俺たちもジャハナッグみたいに天空都市から日本に行くこともできるかもしれない」

 カルベンは水を口に含む。

「ゲートの調整をしているのは誰なのかな」

 僕はコーンスープを飲みながら言った。

「魔方陣のある広間に立っている魔法使いだよ。あの魔法使いはサンクフォード学園を主席で卒業した奴だって聞いてるぜ」

 カルベンの言葉には僕は頭を巡らせる。

「そう言えばそんな人もいたね」

 あの背景と同化しているような魔法使いよりは、日本側の雑居ビルの中にいる警備員の方が余程、記憶に残っている。

 もしかしたら、あの魔法使いは自分の存在感を薄くするような魔法でも使っているのかもしれないな。

「ああ。ま、随分と影の薄い魔法使いだったから、忘れちまってもしょうがないけどな。でも、魔法の腕は確かだ」

 カルベンがそう言うなら間違いはないだろう。

「そうなんだ。その人に頼めばゲートの調整をしてくれるかな?」

「俺も試したことは一度もないんだけど、たぶん大丈夫だよ。俺の知っている奴も友達の家に行きたいって頼んだら、すぐにゲートの調整をして貰えたって言うから」

 カルベンの言葉に僕の期待も膨らむ。

 ゲートの調整さえできれば簡単に世界中に行けることになるからな。それを知ってしまったら飛行機に乗るなんて本当に馬鹿馬鹿しく思える。

「なら、もし調整をして貰えるようなら、日本に行きましょうよ。あたし、日本には一度行ってみたいと思ってたし」

 エリシアが溌剌と言った。

 これには僕も思わず嫌な顔をしてしまった。

 日本なんてヨーロッパやアメリカに比べたら全然、楽しくないと思う。まあ、東京とかに行けば話は違うのかもしれないけど。

 まあ、僕が日本、しかも、自分の町を案内できるとしたら、美味しいラーメン屋くらいかな。

「俺も行きたいな。スペインで放送された日本のアニメを見てから、ずっと日本には憧れてたんだ。もちろん、アニメだけじゃなくてゲームだってやりたいし、漫画も読みたい」

 カルベンはコップに入っていた氷を噛み砕きながら言った。

「でも、二人とも日本語は分からないんでしょ。それじゃあ、思う存分、楽しむことはできないよ」

 そう指摘したのは僕だ。

「その辺は翻訳の魔法があるから大丈夫だろ。翻訳の魔法は世界中の言葉に対応してるって聞いたし」

 カルベンが切り返す。

 確かに翻訳の魔法があれば、一番の障害となる言葉の壁は取り払われる。だが、それでも僕は二人を日本に招くのは気が進まなかった。

 二人をがっかりさせてしまっても、それが日本なら庇うつもりはない。

 ないが、やはり自分が長年、住んでいた国を見て、がっかりされるのは悔しいと思ってしまうのだ。

 この辺の感情は本当に複雑だ。

「現にお前の家にまでやって来たジャハナッグも日本語を話してただろ。忘れちまったのか?」

 カルベンの言葉に僕もハッとする。

「そうだった」

 確かにあの時のジャハナッグは日本語を話していた。あまりにも自然な形だったのでその事実をすっかり忘れていたのだ。

「なら、決まりね。今度の日曜日になったら日本に行きましょう。何か面白そうなイベントもあると嬉しいわね」

 エリシアが喜色のある声で、そう話を締め括った。


 日曜日になると、僕は何だかそわそわする。何て言ったって、カルベンとエリシアが僕の家にやって来るのだ。

 友達が家に遊びに来るなんて初めてだし、緊張するなという方に無理がある。でも、楽しい一日になれば良いとは思っていた。

「さっきから家の中をうろうろしてばかりいるけど、少しは落ち着きなさいよ」

 ユイがプリンを食べながら僕を睨み付けた。

「今日は友達が来るんだよ。だから、家の中は隅々まで綺麗にしておきたくて」

 掃除なんてするまでもなく、家の中は綺麗だ。

「へー、家に招けるくらい仲良くなれたんだ」

 ユイは小馬鹿にしたような口調で言ったが、僕は反発しなかった。そんな心の余裕を持てないくらい、そわそわしていたからな。

「うん」

「それでどんな子なの、兄さんの友達って?」

 ユイはプリンを飲み込むとそう尋ねてくる。

「スペイン人の男の子とアメリカ人の女の子さ」

 こんな説明ではどんな人物なのかイメージできないかもしれないけど。

「アメリカ人の女の子ねぇ。もしかして、可愛いの?」

 ユイの顔が少しだけ翳ったのを僕は見逃さなかった。

「文句なしに可愛いよ。透き通るような白い肌をした金髪の女の子だからね。あんな可愛い女の子は他にいないよ」

 全て本当のことだ。

 性格の方は少しきついところもあるけど、そこに悪意はない。

 エリシアはどこまでもストレートな物言いをする女の子なのだ。変化球を混ぜてくるユイとは違う。

「あっそ。どうせハーフのあたしじゃ、金髪の女の子には勝てないわよ」

 ユイはムスッとした。

「拗ねるなよ」

「別に拗ねてなんかいないわよ。あたしはアンタがどんな女の子と付き合おうと興味ないし」

 ユイは苦い笑みを浮かべながら肩を竦めた。

「付き合ってるわけじゃない」

「つか、そういう考え方がガキなのよ。男と女の間に綺麗な友情なんて、成り立つわけがないでしょうが」

「そうかな」

 僕はエリシアと恋愛関係になりたいなんて今のところ思ってないけど。

「そうよ。ま、超が付くほどの朴念仁の兄さんなら、そういう自意識もないのかもしれないけど。でも、向こうはそう思ってくれないわよ」

「肝に銘じておくよ」

 だとすれば、エリシアの好意には気付いてあげないとな。

「ったく、そんな女の子と仲良くなれるんなら、日本でも上手くやりなさいよ」

 ユイは大きく溜息を吐いた。

「それは無理だよ」

「意気地なし。とにかく、あたしは兄さんの友達となんて会いたくないから、今日は家にいないからね」

 そうツンケンすると、ユイはプリンのカップも片付けないでリビングから出て行った。


 約束の時間が近づいてくると、僕はカルベンとエリシアを迎えに行くため、家を出る。

 そして、ゲートのある神殿で、二人と会った。

 それから、何の問題もなく神殿にいた魔法使いにゲートの調整をして貰うと、僕たちはゲートの中に入る。

 すると、日本の雑居ビルの中にワープした。

 僕もカルベンとエリシアと共に日本にいると言うことを意識すると胸が高鳴る。二人を楽しませられるかどうかは僕の町を見るセンスに掛かっているのだ。

 なので、テレビでも紹介された美味しいラーメン屋には是非とも、連れて行ってあげなければと思っていた。

「へー、日本のゲートのある場所はこんなに殺風景だったのか。スペインのゲートは地下にある大聖堂に作られてるんだぜ」

 カルベンは首を巡らしながら言った。

 確かに大聖堂と比べたら、こんな雑居ビルの一室なんて、見窄らしく見えてしまうだろう。

「アメリカのゲートも地下にあるわ。ゲートのある部屋の真上に地下鉄があるから、天井が崩れてこないか心配だし」

 エリシアは天井を見上げた。

「ま、見つからないっていう点に置いてはこういう場所にゲートがあるのもアリかもしれないな」

 カルベンは窓の外にある駅に目を向けた。

「そうね。駅前だから立地も良いし」

 エリシアも同意する。それを聞いた僕は小さく咳払いすると、張り切るような声を上げる。

「とにかく、僕の家に行こう。たいしたお持て成しはできないけど、ジュースとお菓子くらいはあるから」

 そう言うと僕は見るべき物は何もない雑居ビルを出る。エリシアとカルベンもウキウキしている顔で僕の後に続いた。

 そして、エリシアとカルベンは駅前の大通りを見ると、目を輝かせる。

 ショッピングセンターの大きさにはカルベンも舌を巻いていたし、エリシアもアーケードの商店街を見てあの中を通りたいと何度も指を差した。

 だが、僕は二人を自分の家に連れて行くことが先決だと思い、ショッピングセンターと商店街のある方向には行かなかった。

 ま、この二つは逃げたりはしないからな。今日みたいな日をまた作れば、存分に楽しむことはできる。

 それから、僕は自転車ではなく歩きで、自宅へと向かう。

 その途中でカルベンがコンビニやビデオ屋に入ってみようと言ったが、エリシアに反対された。

 そして、僕は自宅であるマンションの前にやって来る。

 マンションはそれなりに大きかったし、建てられてから十年も経っていないので、まだ新しさを感じさせた。

 けど、このマンションは家賃とかも高いんだよな。

 僕自身は自宅が小さなアパートだったとしても全然、文句は言わないんだけど。

「ここがセリオの家か。一軒家かと思っていたけど、マンションだったんだな。ちょっと、イメージと違ってたぜ」

 カルベンは聳え立つ七階建てのマンションを前にしてそう言った。

「うん」

 僕は照れ臭そうに頷いた。

 そういえばカルベンには自分の家のことについては何も話していなかったな。僕としたことが抜けていた。

「でも、マンションだって馬鹿にできないわ。だって、ここは日本のマンションなのよ。建物としての品質はどの国よりも上でしょうよ」

 エリシアは知ったかぶりをする。

 そんなエリシアは学園の寮に入る前はアメリカの静かな住宅街で暮らしていたと言う。

エリシアの自宅はアメリカの富裕層が建てたがるような一軒家らしい。

「だろうな。俺も大人になったら、こんなマンションに住みたいぜ」

 カルベンは興奮気味に言った。

「それは良いかもね。あたしもマンションから見える夜景は楽しみたいし、その時はきっと贅沢な気分に浸れるはずよ」

 エリシアも同感したように頷いた。それから、僕たちはエレベーターに乗って四階にある僕の自宅に来る。

 そして、玄関のドアを開けると、母さんが「良く来たわね、二人とも。あなたたちのことはセリオから聞いているわ」とにこやかに言った。

 僕はさすがに緊張している二人を伴いながら、自室へと案内する。

 自室は前もって掃除もしたし、きっちりと整理整頓もした。見られて困るような物は何もない。

「へー、けっこう綺麗なんだな。でも、漫画の本はあまりないな」

 カルベンは少しだけ落胆したように言った。

 僕は漫画よりもゲームや小説の方が好きなんだよな。

 まさか、カルベンのために漫画を買うわけにもいかいないから、そこら辺はがっかりさせてしまったかもしれない。

「あたし、男の子の部屋って初めて入ったけど、ちょっと拍子抜けだわ。アメリカのテレビで紹介してる男の子の部屋って、本当に汚いもの」

 エリシアは僕のベッドに腰をかけると、何度も腰を弾ませて、座り心地を確かめようとする。

 男の子のベッドに平気な顔で腰をかけるなんて、女の子としてどうなんだろうとも思ったが。

「何を期待してたの、二人とも?」

 僕はげんなりした顔で問いかける。二人とも、男の子の部屋だからってエッチな本でもあると思ったのだろうか。

「別に」

 エリシアはそっぽを向いた。

「でも、ゲーム機があって安心したな。俺もゲームは得意だから、対戦とかしようぜ」

 僕もゲームは得意な方だ。

「あたしはテレビゲームなんてほとんどやったことはないから、ちゃんと手取り足取り教えてよね」

 エリシアを退屈させるわけにはいかないな。

「分かったよ」

 僕は笑いながら息を吐いた。

「カルベン君にエリシアちゃん、マンゴージュースだけど飲むかしら」

 母さんが大きなグラスに氷がたくさん入ったマンゴージュースを運んできた。その色は何とも綺麗で、カルベンもゴクリと喉を鳴らす。

「ありがとう」

 カルベンはお礼を言った。

「ありがとうございます」

 エリシアも丁寧にお礼を言った。

「僕が買ってきたケーキも出してあげてよ、母さん。二人ともお腹は空いているはずだから」

 ケーキは僕が選んで買ってきた。

 でも、自分が食べたかったわけじゃない。ただ、母さんに二人に出す食べ物を頼んだら寿司が出て来そうで不安だったのだ。

「ええ」

 母さんは頬に手を当てながら微笑した。それから、何かを思い出したように弾んだ声を発する。

「そういえばセリオ。今日は椿原中学校で創立記念祭があるから、暇なら三人で行ってみるのも良いんじゃないの?」

 そう言って、母さんは窓の外に視線を向ける。そこから、椿原中学校の校舎が見えるはずだった。

「町内会から、たこ焼きと焼きそばの無料券を貰ってるし」

 母さんの言葉に僕はあからさまに嫌な顔をした。

 僕も椿原中学校の創立記念祭なんて一度も行ったことはないし、その存在自体を忘れていた。

 母さんもこんなタイミングで言わなくても良いのにと恨めしくなる。

「へー、面白そうだな。この部屋には読みたい漫画の本もないし、ゲームならいつでもできるから、さっそく行ってみようぜ」

 カルベンは乗り気だ。

「あたしも興味があるし、行きたいわ」

 エリシアも揚々と笑った。

「僕は…」

 僕は口籠もった。

 椿原中学校に行ったら、かつてのクラスメイトと顔を合わせることになるかもしれないし、それだけは嫌だった。

「何、暗い顔をしてるんだよ。学校のお祭りなんて楽しそうじゃないか。しかも、椿原中学校って、お前が通うかもしれなかった学校だろ」

 カルベンは僕の肩を軽く叩いた。

「うん」

 僕は困ったように笑う。

 ここで絶対に行きたくないと駄々をこねるのはあまりにも子供だ。知っている奴と顔を合わせないように祈りながら行くしかないだろう。

 せっかく楽しい日になりそうだと思ったのに、母さんの余計な一言でなにもかもがぶち壊しになりそうだった。

「なら、迷ってないで行きましょうよ。あたし、一度で良いからたこ焼きって食べてみたかったのよね」

 エリシアは砕けたように言った。


 僕たちは椿原中学校の前にいた。

 校門には派手な飾り付けがされていて、中の敷地には出店が並んでいた。

 校門のすぐ傍にはビラを配っている生徒もいるし、体育館のある方からは吹奏楽の音楽が聞こえて来る。

 他にも体育館の横にあるグラウンドの方では野球やサッカーのゲームみたいなものが行われているのが見えた。

 中学校のお祭りだと思って、僕も馬鹿にしていたが、けっこう本格的な賑わいを見せていた。

 制服を着ている学生だけでなく、私服の人もけっこういるし。まあ、私服の人のほとんどが子供や若者だったが、中には年配者もいた。

 もし、僕に日本の友達がいたら、こういう学校のお祭りも、心置きなく楽しむことができたんだろうな。

 そんな仮定の話をしても意味がないことは分かっているけど。

 何にせよ、サンクフォード学園にも学園祭みたいなものはあるらしいから、それには期待している。

「ここが日本の中学校ね。なかなか良いところじゃないか。敷地もきちんと車が通れるようにコンクリートになってるし」

 カルベンは三階建ての校舎を眺めながら言った。

 その言葉通り、この場所からギリギリ見える椿原中学校の駐車場には車がたくさん止まっている。

 校舎の一部も新しく建て替えられていた。

 学校としてのレベルはともかく、建物や設備には相当なお金が掛かっていそうだった。

「そうね。建物も現代的で綺麗だわ。もう少し、制服のセンスが良ければこういう学校にも通ってみたかったわね」

 エリシアは枝毛を弄りながら言った。

「でも、サンクフォード学園には適わないよ」

 僕は居心地が悪そうに言った。

「そりゃそうだ。サンクフォード学園は学校としては別格だからな。比べられる学校が可哀想だ」

 カルベンもスペインの学校には通いたくないと思っていたのだろうか。

「そうよ。世界中の子供たちが分け隔てなく通える学校なんて、サンクフォード学園だけじゃないかしら」

 サンクフォード学園の門戸はどの国にも開かれてるからな。アメリカの学校なんかもそうだけど、やはり言葉や人種の壁は付きものだ。

 とはいえ、サンクフォード学園では肌の色が白い人間しか見たことがない。

 そこら辺に、リバイン人の血を引く人間の差別意識が見え隠れしているように思えるのだ。

「そうだね」

 僕は苦笑した。

 すると、出店でフランクフルトを買っていた椿原中学校の制服を着た男子生徒が僕の顔を見て、目を見開いた。

「おい。お前、セリオだろ」

 男子生徒は僕の方に近づいて来ると失礼にも指を差してきた。

「えっ」

 僕はビクッと肩を震わせる。

 絶対に話しかけられないように周囲の人間には気を配っていたのに、それが早くも無駄になった。

 しかも、話しかけてきた奴はいかにも性格が悪そうな顔をしている。何となくサルにも似てるし。

「お前、ウチの中学に通わないでどこに行ってるんだよ。みんなセリオは苛められるのが嫌で逃げ出したって言ってるぞ」

 男子生徒は睨むような目で言った。こいつも、僕に同じ中学に通って貰いたかったわけではないだろうに。

「そんなんじゃないよ」

「もしかして、お前、インターナショナル学校に通ってるのか。やっぱり、日本人と馴れ合うのは嫌だったってわけか」

「違う」

 僕は短く言葉を返した。

 馴れ合うことを嫌っていたのは日本人の方だ。僕は嫌な目に遭いながらもずっと友達が欲しいと思っていた。

「じゃあ、何なんだよ?」

 男子生徒は僕に詰め寄ってきた。

「そう言われても」

「金髪の女の子と仲良くするのが、そんなに楽しいのか。ま、どうせ俺たち日本人は外人には勝てないけどな」

 男子生徒の棘のある言葉にエリシアがしかめ面をした。が、すぐにグッと堪えるような表情を形作る。

「そんなことは…」

「お前みたいな奴はさっさと日本から出て行けば良いんだ。何だって、わざわざ日本に来たんだよ」

 男子生徒の悪態にカルベンが我慢しきれなくなったように噛み付いた。

「言いたい放題、言ってくれるな、このサル」

 カルベンは男子生徒の胸倉を掴みそうな勢いで言った。その怒りに満ちた顔はマッドの時と同じだった。

 カルベンも僕と同じように友達が侮辱されるのは許せないタチのようだ。

「ええ。あたしたちが幾ら魅力的に見えるからって、僻むのは見苦しいわよ」

 エリシアも怯むことなく前に出る。その際、肩に掛かる麗しい金髪を流れるようにして、払った。

「お前ら、やっぱり外人だな。俺たちを見下してやがるし、とっとと、この国から出て行けよ」

 二人の剣幕に気圧されたのか男子生徒は逃げるように背を向けて去って行った。

「気にするなよ、セリオ」

 カルベンは僕の肩にそっと手を乗せた。

 そうは言っても、胃がチクチクする。やっぱり、悪意を向けられるのに慣れると言うことはないな。

 だが、ムキになっても仕方がない。相手は子供、しかも、日本人では差別はいけないなどと言っても寝耳に水だろう。

「ええ。あんな態度を取るってことは、自分たちが劣った存在だと言うことを、自ら認めているようなものだわ」

 エリシアの声には蔑みの感情があった。

「優れているとか、劣っているとか、そういうことは言いたくないんだ。ただ、どうしていつもこうなっちゃうのか、その答えを知りたいだけで」

 優劣を競うような感情が差別を助長するんだと思う。なぜ、神様はそういう負の感情を人間に植え付けたのだろうか。

 まあ、神様の真意なんて俗人の僕が幾ら考えても分かるわけがないけど。

 ただ一つ言えることは、そういう負の感情に流されてはいけないということだ。

 悪意を向けてくる相手には、正しい心で立ち向かうしかない。でなければ、その関係は拗れるばかりだ。

「たぶん、答えなんかないさ。でも、その答えを求め続けるのを止めたら駄目だ」

 哲学的なことを言うカルベンも分かってくれたようだった。

「カルベンの言う通りだし、ちょっと、あたしも無神経なことを言っちゃったわね。反省するわ。でも、本当に気にしたら駄目よ、セリオ」

 エリシアの気遣いは素直に嬉しい。

 僕はカルベンとエリシアの存在に救われたような気持ちになりながら、何とか明るい笑顔を拵えて見せる。

「うん。とにかく、たこ焼きでも食べよう。味の方は保証しないけど、タダだから損はしないはずさ」

 そう気を取り直すように言うと、僕たちは無料券で買ったたこ焼きと焼きそばを買って食べた。

 味の方は子供が作っていたものだったから今一つだったけど、カルベンもエリシアも喜んでくれた。

 が、心が痛むようなイベントはまだ終わっていなかった。

 僕の視線の先に、友達と一緒にいるユイが現れたからだ。ユイは僕と目が合うと、凍り付いたような顔をする。

 それから、慌てて僕から視線を逸らしたが、隣にいたユイの友達は僕を指さした。これには僕と他人の振りをしようとしたユイも肩をビクッと震わせる。

「あっ、ユイのお兄さんだ」

 黒髪の女の子がそう言うと、ユイたちが僕たちの方に向かって歩いてくる。

「こんにちは、セリオ君。私、ユイの友達の如月志保だよ。こうやって話すのは初めてだよね」

 如月さんは屈託なく笑った。ユイの友達にしては明るくて、優しそうな子だな。

「あたしは神林くるみ。セリオとは四年生の時に一緒のクラスになったことがあるから覚えているわよねぇ」

 小悪魔的に笑う神林さんを見て僕は思い出した。この快活さを感じさせるショートカットの髪型は紛れもなく神林さんのものだ。

「う、うん」

 僕はユイたちの登場に目眩すらしそうになった。

「まさか、こんなところで会うなんて思わなかったわね。兄さんのことだから椿原中学の創立記念祭になんて絶対に来ないと思ってたのに」

 ユイは憎々しく言った。

「別に好きで来たわけじゃない」

 僕も声に力が入らない。

「あっそ。それで、そこの二人が兄さんの友達ってわけね」

 ユイがカルベンとエリシアにギラつくような視線を向ける。これには二人とも、顔の表情を固くさせた。

「そうだよ」

 僕がそう言うと、場の空気に戸惑っていたカルベンは焦ったように声を上げる。

「俺はカルベン・カルバーニだ。ユイって言うと、君は話に聞いていたセリオの妹さんで良いのか?」

 カルベンは表面上は気さくそうに尋ねた。

「そうよ」

 ユイは憮然としていて全く笑わない。

「あたしはエリシア・J・クライスハートよ。よろしくね、ユイちゃん」

 気圧されることなく自己紹介ができたのは、さすがエリシアと言うべきか。でも、ユイはカルベンとエリシアに対して意地を張るような言葉を口にする。

「あたし、アンタたちと仲良くする気なんてないから」

 ユイはプイッと顔を背けた。

「そういう言い方はないだろ、ユイ」

 これには僕も頭に来る。

 僕だけでなく、僕の友達に対しても、臍を曲げたような態度をするのは許せなかったからだ。

「そうだよ。幾ら相手が外国人だからって、そんなこと言っちゃ駄目だよ、ユイ」

 取りなしたのは如月さんだ。

「ま、あたしはユイの気持ちも分かるけどね」

 神林さんは何を考えているのか分からない顔でニヤニヤしていた。

「とにかく、ここは尻尾を巻いて逃げ出した兄さんがいて良い場所じゃないの。恥を掻かない内にとっとと家に帰りなさいよ」

 ユイは苛立ちをぶつけるように言った。

「もう遅い」

 僕はボソッと声を発する。

「ハアッ。まさか、もう誰かから何か言われたっていうの?」

 ユイは凄い形相で僕を睨んだ。

「そんなとこ」

「だから、アンタはバカ兄だって言うのよ。色々と気を遣ってやったけど、もう知らないっ」

 そう激昂したように言うと、ユイは背を向けてツカツカと僕の傍から離れていく。

 その後ろ姿を見送りながら、またやってしまったと思った。久々に本気で怒ったユイの顔を見たからな。

 帰ったらちゃんと謝らないと。

「ご免なさい、セリオ君。ユイはセリオ君が椿原中学に通わなかったことを本当に悔しがってるの。だから、あんなことを言っちゃうわけで」

 フォローしたのは如月さんだ。

 こういう友達がユイの傍にいてくれると、僕も安心できる。つくづくユイは友達に恵まれているな。

「あたしはユイの味方だし、チキンのセリオのことなんてどうでも良いけどね。でも、これ以上、ユイを苦しめたら承知しないわよ」

 神林さんはドスの効いた声で言った。でも、それだけユイのことを大切な友達だと思ってくれているのだろう。

 ユイのことは如月さんと神林さんの二人に任せるしかない。

 ユイの言うように僕が日本という国から逃げ出したのは事実だからな。今更、兄貴面をしてもユイを怒らせるだけだろう。

 何だかんだ言って、ユイは僕と共に歩んでいくことを望んでいたわけだし。だから、それを裏切った僕が何を言っても、もうユイの心には届かないはずだ。

「じゃあ、私たちはもう行くね」

 そう言うと、如月さんと神林さんはユイを追いかけて行った。残された僕たち三人はその場に立ち尽くす。

「なんて言うか、セリオが日本から逃げ出したいって思うのも分かる気がするな。妹ですらあの態度なんだから」

 カルベンは同情するように言った。

「ホント。日本人ってみんなあんな子ばっかりなのかしら?」

 エリシアも気疲れしたようだった。

「違うよ」

 と、思いたい。

「ま、無理はしない方が良いぞ。今のお前には天空都市っていう居場所があるんだし」

 カルベンの言う通りだ。今は自分を温かく迎えてくれる居場所を大切にしよう。

「あたしたちみたいな友達もいるってことも忘れないで欲しいわね」

 エリシアは片目を瞑って笑った。

「ありがとう、二人とも」

 二人の言葉に心が温かくなるものを感じながら、僕は自分が通うかもしれなかった学校の校舎を見詰めた。


 それから数日後、僕は放課後になるとカルベンとエリシアと一緒に帰ろうとする。すると、校門の近くで、生徒たちが屯していた。

 しかも、生徒たちは何か言い争っているようだった。

 関わり合いにならない方が良いと、つい思ってしまったが、そんな気持ちはすぐに捨てる。

 見て見ぬ振りをするのは嫌だったからだ。

「この汚い手を放したまえ。僕は執政院の院長、マルコス・マールハイトの息子だぞ。その気になれば父に頼んで、お前をこの天空都市に入れなくすることだってできる」

 胸倉を掴まれているマリウスはそう居丈高に言った。その顔にはふてぶてしい笑みが浮かんでいた。

「お前らリバイン人は、俺たちを何だと思っていやがるんだ。どこまでも露骨に見下しやがって」

 男子生徒は怒りを露わにしながら言った。

「何だと思ってやがるだって?薄汚いドブネズミだと思っているに決まってるだろ。そんなことも分からないのか?」

 今にも殴り掛かかられそうなマリウスだったが、その顔には余裕があった。

 とにかく、魔法主義同盟に関しては、いつかはこういう言い争いに発展するとは思っていた。

 でも、僕の目の前でやらなくても良いのにと思う。

「てめぇ」

 男子生徒の青筋が蠢いた。

「もう一度、警告する。この手を放せ。さもなければ君を僕の得意なファイアー・ストームで丸焼きにするぞ」

 マリウスはそう脅した。やっぱり、マリウスの自信の源は魔法を使えることらしいな。

「うるせぇ。その前にお前をぶん殴ってやる」

 自棄を起こした男子生徒はマリウスの顔に殴りかかった。

「やれやれ」

 マリウスがそう言うと、男子生徒の体にいきなり火が付く。それから、男子生徒が慌てて火を消そうとすると、その体に炎の風が浴びせられた。

「う、うわー」

 男子生徒は体中に付いた火を消そうと地面を転げ回った。それを見た他の生徒も、男子生徒の火を消そうと必死になる。

 こんな勢いの炎の風に巻かれたら下手すれば死ぬぞ。

 やはり、魔法は銃に匹敵する凶器だ。子供が持つには危険すぎる力だな。

「これで分かっただろ。どう足掻いてもできそこないが、僕たち純粋なリバイン人に勝てるわけがないことを」

 マリウスは気障ったらしくケープを払った。これには僕も何だかやりきれない気持ちになる。

 それから、火が消えた男子生徒はガクガクと震えながらも、憎々しそうにマリウスを見た。

 それを受け、マリウスは男子生徒に向かって再び手を翳す。掌に赤い光りが生まれたのを見た僕はたまらず飛び出した。

「そこまでにしておきなよ」

 何かの衝動に突き動かされるように割って入ったのは僕だ。苛めのような行為を黙って見過ごすことは僕にはできそうにない。

 安っぽい正義感だと言ってしまえばそれまでだけど、苛められる人間の辛さは十分、分かっているつもりだから。

「君はいつぞやの生徒だったね。止めに来たのなら少し遅かったようだ」

 マリウスは転がったままの男子生徒を見て笑う。こいつが魔法の力でやっていることは苛めですらない。

 単なる暴力だ。

「何で差別を助長するようなことを言うの?」

 僕は憤りを隠せなかった。

「いつまで経っても、彼が自分たちを天空都市に入るに値しない劣った存在だと認めないからだ」

「そういう言い方は止めろよ」

「なら、どういう言い方が良いと言うんだい。ご教示、願おうか」

 マリウスは嫌みったらしく言った。

「魔法なんてたいした力じゃない。そんな力はなくたって、他の方法で幾らでも埋め合わせが効く」

 僕はそう言い切った。

「魔法主義同盟の一員である僕の前で魔法の力を馬鹿にするのか。それはまた随分と大胆だな」

「そうだね」

「よろしい。そこまで言うなら、そのたいしたことのない力で君を丸焼きにしてやろう。後で泣いて許しを請うても遅いからな」

 そう言うと、マリウスは吹き抜けるような炎の風を放ってきた。肌がチリチリするような熱が押し寄せてくる。

 だが、炎の風は僕の体を焼くことなく通り過ぎる。僕にとって、それはそよ風のようなものだった。

「僕のファイアー・ストームが効かない?」

 マリウスは目を白黒させた。

「だから言っただろ。魔法なんてたいした力じゃないって」

 僕は笑ってやった。だが、僕に魔法を打ち消す力がなければ、大火傷を負っていたかもしれない。

「思い上がるなよ」

 マリウスは今度は特大の火球を僕に放ってきた。こんなのを食らったら、さすがに死にかねない。

 だが、頭に血が上ったマリウスは、そんなことは気にしていないようだった。

 そして、放たれた火球は僕の体にぶつかると、膨れ上がったかのように爆発する。僕の視界が炎で一杯になった。

 だが、僕の体は無傷だった。それどころか服にすら焦げあと一つない。これにはマリウスも顔を青くした。

 周囲の生徒たちもどよめきの声を上げる。

 そして、マリウスは再び魔法を放とうとしたが、今度は僕もそれを許さなかった。僕はマリウスの顔面に拳をお見舞いする。

 それを食らったマリウスは倒れて、目を回してしまう。魔法に頼ってばかりいるから、殴られた程度で気を失うんだ。

「お前にはこのパンチだけで十分だ」

 僕は豪胆に言った。

 これには周囲にいた生徒たちも「オー」と歓声を上げる。マリウスのやることを止めたいと思っていたのは僕だけじゃなかったようだ。

「やったな、セリオ。やっぱり、魔法が効かない力は凄いし、俺にとってはお前はヒーローだよ」

 カルベンが囃し立てるように言った。

 ヒーローなんて大袈裟だと思ったが、カルベンだけでなく集まっていた他の生徒たちもそう思っているような顔をしていた。

 なので、僕も少しだけ誇らしくなる。

「ええ。あたしもセリオにはあたしたちにない可能性を感じたわ」

 エリシアは気絶しているマリウスを見て笑った。

「まったくだな。マリウスのエクスプロードの魔法でさえ、傷一つ負わないなんて、本当に奇跡だ」

 そう言ったのはいつの間にか僕の傍にいたマーフィだった。その隣にはあのジェシカとリアンもいる。

「そうね。見ていて、胸がスカッとしたわ。私もマリウスは大嫌いだったから」

 ジェシカも清々しく笑う。

「これで少しはマリウスも大人しくなるだろう。もっとも、馬鹿に付ける薬はないというから、今後もマリウスが考え方を改めることはないだろうが」

 リアンはマリウスに負けず劣らず尊大だった。

 その後、倒れたマリウスは魔法主義同盟の連中に運ばれていく。しかも、生徒会員だという生徒たちもやって来る。

 その中にいた副会長を名乗る四年生の女子生徒、メリッサ・メリオールは僕の周囲に集まっていた生徒たちをテキパキと解散させた。

 それから、メリッサは僕を見ると、生徒会室にまで来るようにと言う。

 仕方なく、僕は生徒会員の生徒に連行されるように、学園の校舎の中に戻る。もちろん、カルベンとエリシアも僕を見捨てずに付いてきてくれた。

 そして、僕は心の準備もできないまま生徒会室に足を踏み入れることになった。

「揉め事を起こしてくれたようだな」

 眼鏡をかけた理知的な男子生徒がそう言った。ネクタイの色から五年生だと言うことが分かる。

 こんな威厳のありそうな生徒に話しかけられたのは初めてだ。

「はい」

 僕は縮こまってしまう。

 眼鏡の生徒の透徹した視線は大人以上に怖かったのだ。ただの生徒とは一線を画す雰囲気を眼鏡の生徒は持っている。

「俺は生徒会長のエルネスト・トワイラインだ。君を処罰しなければならないが、何か弁明はあるかな」

 エルネストは眼鏡越しに目を光らせた。

 僕もエルネストが生徒会長だと言っても、特に動揺はしなかった。エルネストはウルベリウスとは違った意味で理解のある人間に見えたからだ。

「マリウスは魔法の力で僕を殺そうとしました。でも、僕はマリウスを拳で殴っただけです」

 僕は臆することなく言った。この簡潔極まりない説明には、エルネストも苦笑するしかなかったようだ。

「セリオの言うことは本当です。セリオに非がないことはその場にいた俺が保証します」

 カルベンの声にはいつになく力があった。

「あたしも同じです」

 エリシアも一歩、前に踏み出てそう言った。

「そうか。なら、マリウスにはより重い処罰を課さなければならないな」

 エルネストは吟味するような口調で言った。

「はい」

 でなければ理不尽だと思いながら僕は首肯した。

「だが、やり返した君を無罪放免にするわけにはいかない。それでは他の生徒たちに示しが付かないからな」

「分かりました」

 喧嘩両成敗と言うことは僕も分かっている。

「では、君に対する処罰を言おう。君にはこの学園にある文化部に入って貰う」

 エルネストは堂々たる口調で言った。

「えっ」

 僕は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

 文化部に入るのは処罰と言うのだろうか。てっきりトイレ掃除でもやらされるものと思っていたけど。

「文化部はどこも部員不足で悩んでいる。だから、君にはどこでも良いから文化部に入って貰いたいんだ」

「はあ」

 その程度のことなら、特に問題はない。

 部活は退屈な学校生活にとってスパイスのようなものだと、僕の読んでいた青春小説にも書いてあったし。

 しかも、サンクフォード学園の文化部なら俄然、興味が沸き上がってくる。ただ、部員同士の人間関係には不安を覚えなくもないが。

「本来なら一ヶ月のトイレ掃除をやらせているところだ。だが、それよりは幾らかマシだろう」

 エルネストはフッと笑った。やっぱり、罰はトイレ掃除だったか。

「そうですね」

 僕もその処罰に異議を唱えるつもりはなかった。

 トイレ掃除で済むのなら、それでも良いと思っていたが、やはり部活はやってみたかったのだ。

 何なら、カルベンも誘ってみようかな。もっとも、カルベンは寮に持ち込んだ携帯ゲームをやるのに忙しいが。

「よし、ではもう行って良いぞ。文化部の部室棟なら、校舎の東側の渡り廊下の先にあるからな」

 エルネストがそう言うと、僕たちは生徒会室を出る。それから、僕はとりあえず部室棟に行ってみることにする。

 カルベンもエリシアも部には入らないけど付いてきてくれると言った。

 僕はまた一度も通ったことがない渡り廊下を歩く。

 渡り廊下からは広い中庭が見えた。そこには楽しそうに話をしている数人の女生徒が見える。

 そして、僕は校舎とは別の建物になっている部室棟にやって来た。それから、部室の入り口の扉に張られたネームプレートを見ていく。

 でも、なかなか良い部が見つからない。

 魔法薬部とかリバイン人の歴史研究部なんて入る気にもならないからな。迷宮探索部にはちょっと興味があったけど。

 僕はどんな活動をしているのかさっぱり分からない部室の前を通り過ぎていく。漫画研究部があれば面白いのに。

 天空都市にある漫画はまだ一度も読んだことがないし。

 僕はとりあえず文芸部と書かれた部室の前で立ち止まる。僕も本を読むのは大好きなので興味を持てたのだ。

 まあ、一番、無難そうだという理由もあるけど。

「失礼します」

 僕は緊張しながら部室の扉を開けた。魔法主義同盟の連中がいないことを天に向かって祈りながら。

「あ、セリオ君」

 そう声を上げたのは赤い髪をした見覚えのある女子生徒だった。

「君はミルカじゃないか。こんなところで会うとは思わなかったよ」

 僕は単純に驚いた。

 まあ、ミルカのような大人しい女の子なら、文芸部にいても驚くべきことではないんだろうけど。

 ただ、ここで会えたことには運命的なものを感じていたのだ。

「私、文芸部の部員ですから」

 ミルカは小恥ずかしそうな顔をする。

「みたいだね」

 僕は笑みを零した。

「このあたしとしたことが、ミルカが文芸部だったことを、すっかり忘れていたわ。ご免ね、ミルカ」

 エリシアが謝ると、ミルカは柔らかく笑う。

「気にしないでください。それよりもセリオ君たちはどうしてここに?」

 ミルカの琥珀色の目が揺らめいた。

「生徒会から文化部に入れって言われてるんだよ。だから、どこか良い部がないか探してたんだ」

 僕は頬をボリボリと掻きながら言った。

「ちなみに、あたしとカルベンは付いてきただけよ」

 エリシアが補足する。

「そうだったんですか。私、セリオ君が文芸部に入ってくれたらとっても嬉しいです」

 ミルカの目に曇りはなかった。

「なら、入って良いかな?」

 ミルカと一緒なら何となく気が楽だ。

「はい。どうせ私一人とかいない部ですし、活動とかも強制しませんから」

 ミルカは顔の表情を綻ばせた。

「それはありがたいね」

 女の子と部室で二人っきりか。

 ミルカはエリシアみたいな飛び抜けた可愛らしさは持ってないけど、一緒にいるとどこかほっとさせられる。

 この機会に仲良くなって置くのも良いかもしれない。

「でも、私がお勧めする本を読んでくれると嬉しいです」

 ミルカはホロッとした笑みを浮かべた。

「なら、どんな本が面白いか教えてくれないかな。僕も天空都市にある本についてはあまり知らないんだ」

 カルベンと一緒にいるのが楽しくて本を読むことも忘れていた。ミルカが面白い本をお勧めしてくれると本当に助かる。

「はい」

 そう言うとミルカは部室の壁に敷き詰められている本棚から本を取り出そうとする。すると、部室の扉がガラガラと開かれた。

 現れたのは忘れられない女子生徒、ルフィア・ベラルージュだった。

「何であなたたちが、ここにいるのよ」

 ルフィアは敵意に満ちた眼差しで僕たちを見る。

「それはこっちの台詞よ、ルフィア」

 負けまいと声を張り上げたのはエリシアだ。

「失礼ね。私はただ、文芸部のミルカに貸して貰った本を返しに来ただけよ。別に遊びに来たわけじゃないわ」

 ルフィアは優艶に笑う。

 こういう笑みを見せられると、僕もドキッとしてしまうな。ルフィアも大人になれば誰もが羨む美人になるに違いない。

「あっそ」

 エリシアはじっとした目をした。

「相変わらず癪に障る女ね、あなたって」

 ルフィアが毒を含んだような言葉で言った。

「それはお互い様でしょ」

「そうね。それはそうと、そこのあなた。あのマリウスと問題を起こしてくれたそうじゃないの」

 ルフィアの翡翠色の瞳が僕に向けられた。

 改めてルフィアの顔を見ると、エリシアとは違った可愛らしさが感じられる。

 なのに、その心は歪みきっている。ルフィアの心の在り方を人として勿体ないと思うのは僕だけだろうか。

「うん」

 僕は余計なことは言わないようにする。

「あんまり魔法主義同盟を敵に回すようなことは止めた方が良いわよ。同盟の中にはマリウスよりも恐ろしい魔法使いなんてたくさんいるんだから」

 それは僕も分かっている。

 これ以上、下手な行動を取ると、子供だけでなく大人たちも敵に回しかねない。その大人の中にはマリウスよりも、狡猾で救いがたい奴はいっぱいいるだろうし。

 彼らを刺激するのは得策ではないだろう。

「セリオなら、そいつらにも負けやしないさ」

 カルベンは僕の肩を叩きながら言った。

「それはどうかしらね。本気を出した魔法使いは恐ろしいものがあるわよ。ご両親と違って魔法が全く使えないカルベン君には分からないかもしれないけど」

 ルフィアはカルベンに対して嫌味を効かせる。それを受け、エリシアは叩き返すように口を開く。

「大丈夫よ。大人にだって負けない力を持っているあたしが、セリオの力の凄さを認めているんだから」

 エリシアの言葉に僕も勇気が沸いてくる。

「それはまた大層な自信ね」

 ルフィアはあくまで嘲弄するような態度を崩さない。

「単なる事実よ」

 エリシアはきっぱりと言った。

「それなら、私から言えることは何もないわね」

 ルフィアは矛を収めたように言うと僕を流し見る。

「あなたもせいぜい寝首を掻かれないように気を付けることね。幾ら魔法が効かなくても刃物で刺されたら、それで終わりなんだから」

 ルフィアの言う通りだった。まだ試してはいないけど、物理的な攻撃には僕の力も無力だと思う。

「それは脅しのつもり?」

 エリシアは挑戦的に尋ねた。

「どういう風に受け取るかはあなたたちの自由よ。それではごきげんよう」

 そう言って、ルフィアは鞄から取り出した本をオロオロしているミルカに渡すと、優雅な足取りで部室から出て行った。



 第四章に続く。



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