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加筆修正版 第一章 サンクフォード学園の日常

 第一章 サンクフォード学園での日常


 季節は巡り四月の春になる。

 僕も今日ほど緊張した日はなかった。それもそのはず、待ちに待った日がようやく訪れたからだ。

 僕は取り寄せたサンクフォード学園の制服に身を包む。いかにも魔法使いといった感じのケープはコスプレっぽくて少し恥ずかしい。

 それでも、センスの良さは感じられるので、着続ければ馴染むだろう。

 母さんはどういう手段を取ったのかは分からないが、制服や靴、鞄などを取り寄せてくれた。

 これでサンクフォード学園に通うのに問題はなくなった。

 だが、母さんがサンクフォード学園でどういう学生生活を送っていたのかはまだ聞かせて貰っていない。

 それが分かれば僕ももう少しリラックスできたのに。

 まあ、それはサンクフォード学園に通ってからのお楽しみと言われては、僕も根掘り葉掘り聞くことはできなかった。

 とにかく、今日はサンクフォード学園の入学式だし、恥ずかしいなどとは言っていられない。

 新しい学校では必ず上手くやって見せる。

 もう外国人だからという言い訳は通用しないのだ。今まで、あまりにもその言い訳を使いすぎていた気がするし。

 もし、サンクフォード学園が駄目だったら、もう他に行くところはないし、辛いことがあっても食らいついてやる。

 それにこれは自ら決めた道だ。誰に押しつけられた道でもない。だからこそ、逃げるわけにはいかなかった。

「似合ってるわよ、セリオ」

 母さんが微笑ましそうに言った。

「そうかな」

 僕は照れ臭くなった。親に晴れ姿を見せるのは、子供の僕としても嬉しくないわけではない。

 これが真っ黒な学ランだったら、僕の気持ちは沈みきっていただろうけど。

「ええ」

「もし、魔法が使えたら、もっと自信を持って制服も着ることができたのに」

 こんな制服は日本人には絶対に着こなせないだろう。母さんがこの制服を着ているところは見たかったな。

 写真とかあるなら、今度、見せて貰おう。

「そうね。でも、そこは気にしたら負けよ。母さんだって魔法は全く使えなかったけど、六年間、頑張ったんだから」

「だよね」

 長い六年間になりそうだな。もし、耐えられなかったらどうしようと不安にもなってしまう。

「でも、サンクフォード学園に通うのが嫌になったらすぐに言うのよ。あの学園は無理をしてまで通うところじゃないから」

 母さんの言葉には僕も肩の荷が軽くなった。

 ただ、その言葉に一度でも甘えてしまったら、二度と学校という場所には通えなくなってしまうと思う。

 それに、母さんは今まで日本の学校に通っていた僕に、そんな逃げ道は用意してくれなかった。

 だからこそ、これから通うサンクフォード学園には、そこはかとなく危険性のようなものを感じてしまうのだ。

「分かったよ。でも、椿原中学校には絶対に通いたくないから、何があっても耐えて見せる」

 カルベンのような生徒がいればきっと仲良くなれる。いや、カルベンだけに頼り切るような情けない真似はしない。

 僕は自分の手で素晴らしいと思える学校生活を手に入れて見せる。

「その意気ね」

「じゃあ、そろそろ行くよ」

 僕は黒い革の鞄を持つとそう言った。

「ええ。最後に言っておくけど、くれぐれも変な考えに捕らわれたら駄目よ。天空都市では色んな人たちが色んな思想を押しつけてくるから」

 母さんは不安げに言った。

 僕は緊張感も相俟って、その言葉の意味を深く考えなかった。そのせいで、後で後悔する羽目になるのだが。

 そして、僕が玄関に行こうとすると、ユイが立ち塞がるようにして現れる。

「何かコスプレっぽい制服ね。こんな制服、見たこともないけど、兄さんには不思議と似合ってるわ」

 ユイは腕を組みながら、嫌味っぽく笑う。

 ちなみに、ユイはもう何日も前から、椿原中学校に通っている。セーラー服を着たユイは本当に可愛らしかった。

「まあね」

 何と言われようと僕はこの制服を気に入っている。ま、ユイでもしっかりと着こなせると思うけど。

「今更、どこに行こうが止めやしないけど、今度、アイスランドに帰りたいなんていう弱音を吐いたら承知しないからね」

 ユイは僕の顔に突き刺すような視線を向けてきた。

「分かってるよ」

「ったく、外国人が普通に通えるような学校があるなら、お母さんももっと早く教えてくれれば良かったのに」

 ユイは未だに天空都市の存在を知らないのだ。

「そうすれば、僕と一緒の学校に通った?」

 僕は少し意地悪く尋ねた。

「馬鹿言わないで。あたしはアンタみたいに尻尾を巻いて逃げ出したりはしないから」

 ユイはツーンとした顔をする。

「そうだね」

「ま、せいぜい頑張ることね。あたしも、もう兄さんは同じ学校にいないんだって思ったら、だいぶ気が楽になったし」

 中学生になるのに不安を抱いていたのはユイも同じだったみたいだな。僕としてはユイが中学校でも上手くやっていけることを祈るしかないけど。

「それは良かった」

「でしょ。兄さんのことでからかわれるのはいい加減うんざりしてたし、中学じゃそんなことをするクソ野郎もいないと思うから」

 僕の存在がユイに迷惑をかけていることは分かっていた。それがなくなるのなら、僕だって気が楽になる。

「そう願いたいもんだ。とにかく、学校は別々になったけど、僕はユイのことをいつも思ってるから」

 僕は小恥ずかしくなるような台詞を言っていた。

「気持ち悪っ」

 悪寒を感じたように言うと、ユイはもう話すことはないと言わんばかりにクルッと身を翻して、自分の部屋に戻っていった。

 それを見た僕はこれ以上、のんびりしてはいられないと思い家を出る。それから、自転車に乗って駅前の雑居ビルへと向かう。

 制服を着てるせいか、いつもより心が引き締まっていた。ケープが風で靡くと、僕の気持ちもだんだん高揚してきたし。

 ちなみに体験入学の日から、今日まで僕は一度も天空都市には行かなかった。

 カルベンに色々と忠告されたので怖かったのだ。

 でも、今日からはそんな弱々しいことは言うわけにはいかない。

 僕は閑静な住宅街を自転車で突っ切っていく。その途中で黒い学ランを着た椿原中学校の生徒を見かけた。

 もし、サンクフォード学園の存在を知らなかったら、自分もあの死ぬほど似合わない学ランを着てたのか。

 学ランを着て、学校に通うことは自分にとって拷問にも等しいものになったかもしれないな。

 僕は駅の駐輪場に自転車を止めると雑居ビルに入った。

 ビルの三階には前と同じように警備員がいたが、カードを見せるとすんなりと通してくれた。

 僕はゲートの中に入る。もう怖さは感じなかった。そして、自分の体が神殿にワープすると、ほっとする。

 が、神殿には僕と同じようにサンクフォード学園の制服を着た子供たちが、ちらほらといた。

 みんな世界のどこかから来たんだろうな。髪や目の色が人によって違う。でも、違和感はなかった。

 僕は感慨深いものを感じながら神殿を出る。

 すると、雲が横にある青い空が見えたし、前と同じようにドラゴンのジャハナッグの姿も確認できた。

 僕はカルベンと一緒に歩いた天空都市の町を進んで行く。制服姿の生徒は更に増え始めた。

 みんなが歩いている方向に向かえば、道を間違える心配はない。

 そして、サンクフォード学園の校門の前にやって来ると、そこには嬉しいことにカルベンがいた。

 カルベンは僕の姿を確認すると手を上げる。

「やっぱり、サンクフォード学園に通うことにしたんだな、セリオ」

 カルベンは僕が目の前まで来ると嬉しそうに言った。

「うん」

 僕は弾んだような声で返事をする。

「なら、これから六年間、頑張ろう。とはいえ、途中で学園を止めていく生徒も少なくないんだよな」

「僕はそうならないよ」

 僕も並々ならぬ覚悟で、サンクフォード学園に通うことに決めたのだ。ここで逃げるような腰抜けにはなれない。

「だと良いんだけどな。とにかく、新入生は講堂に行かなきゃならない。そこで校長のウルベリウスの挨拶があるから」

「そっか」

 短い挨拶だと良いけど。

「そんなに緊張しなくても大丈夫さ。こういうのは慣れが肝心なんだ。俺だって、昨日は眠れなかったし、不安なのはみんな一緒だ」

「分かってるよ」

「なら良い。これでお前と一緒のクラスになれると、俺としても嬉しいんだけどな。今の俺にはお前の他に友達と呼べる奴はいないから」

 カルベンは頬を掻きながら言った。

「まあ、そこは運だよ」

「違いない。この天空都市にいる神様は宛てにできないからな。だから、気軽に祈ることだってできやしないんだ」

 そう言うと、カルベンは「じゃあ、行こう」と促してくる。僕もカルベンと一緒に講堂を目指した。

 そして、国会議事堂のような雰囲気を漂わせる講堂の中に入る。そこには椅子がずらりと並んでいて、既に座っている生徒もけっこういた。

 この広くて開放感のある講堂に入ったのは二度目だが、それでも圧倒されるものがある。椿原市にも市民ホールなどはあったが、漂ってくる空気が違う。

 この講堂の空気は新鮮で、脈動しているようにさえ感じられたのだ。だから、その空気を吸い込むだけで肺が痺れる。

 そんな講堂の天井は抜けるように高く、壁には電灯の代わりに光を発する不思議な石が取り付けられていた。

 あれは光石と言うらしく、この天空都市では色んなところに使われていると、カルベンは言った。

 僕とカルベンは空いている椅子に腰をかける。

 壇上にはまだ誰もいない。

 僕はそわそわするのを感じながら、入学式が始まり、偉大な魔法使いと言われるウルベリウスがやって来るのを待った。

 すると、次第に講堂の中が静かになり始める。みんな席に着いたようだった。歩き回っている生徒もいなくなった。

 そして、講堂の中が静まり返ると、壇上に髭の生えたローブ姿の老人が現れる。その立ち姿はなかなか堂に入ったものだった。

「初めまして、新入生の諸君。知っている者も多いだろうが、我が輩は校長のウルベリウスだ」

 ウルベリウスは顎髭を撫でながら言った。

 マイクも使っていないのに何て大きな声なんだろうと僕は思った。ひょっとして、これも魔法の力だろうか。

「この天空都市では大賢者などと称されているが、別にたいした者ではない」

 ウルベリウスは謙遜するように言うと、言葉を続ける。

「とにかく、新入生の諸君には六年間、リタイアせずにしっかりとこの学園で学んで貰いたい」

 ウルベリウスは声を張り上げる。

「知っての通り、この天空都市サンクリウムでは、良からぬ神たちが暗躍している。みんなもそれに影響されないように」

 ウルベリウスの言葉に僕も息を飲んだ。

「そして、差別は絶対にしてはならない。魔法を使える者も、そうでない者も等しく人間なのだ。我が輩や先生方もみんなをそれぞれ対等に扱う」

 ウルベリウスの声には力があった。

「そこら辺を踏まえて、新入生の諸君も自信を失うことなく、この学園で学んで欲しい。以上!」

 そう言うと、ウルベリウスは壇上から去って行った。それから、別の教師が挨拶と、この学園で学ぶ上での注意事項などを告げる。

 だが、その教師にウルベリウスのような威厳は感じられなかった。人間としての格が違うと言ったら失礼だろうか。

 そして、入学式が終わると、僕とカルベンは講堂の外に出る。そこにはクラス分けの表が大きな掲示板に貼り出されていた。

 生徒たちは、食い入るようにそれを見ている。まるで、入試の合否を見に来た人間みたいだ。

「俺たち同じクラスだぞ。いやー、実に運が良い」

 そう声を上げたのはカルベンだった。

「やったね」

 僕も喜んだ。

「お前とは初めて会った時から運命的なものを感じていたけど、まさか本当に同じクラスになれるなんてな」

 カルベンは少し大袈裟に言った。

「これで小学生の時みたいにクラスで孤立することもなくなるよ。僕、ずっと友達がいなかったから」

 僕は正直に話した。ここで嘘を吐いても、立ち振る舞いなんかを観察されればばれてしまうと思ったからだ。

「お前も肩身の狭い学校生活を送ってきたんだな。ま、俺もスペインじゃ、周りの顔色ばっかり窺ってたから、お前のような気の許せる友達がいるのは心強いよ」

 カルベンは自嘲するように言って、言葉を続ける。

「もっとも、まだ油断はできないぞ。嫌な奴らはどこにだっているからな」

 それは心得ている。

「そうだね」

 みんながみんなカルベンみたいに良い奴だとは限らない。でなければ、ウルベリウスも差別は駄目だと釘を刺したりはしなかったはずだ。

「ウルベリウスは声を大にして差別は駄目だとか言ってたけど、そんな言葉にどれだけの拘束力があるか」

 カルベンは暗い顔をした。

「ま、僕は差別には慣れてるから大丈夫だよ。とにかく、教室に行こう」

 僕はそう急かした。

「ああ。教室に行けば他にも仲良くなれるような奴が見つかるかもしれないからな。せいぜい期待しようぜ」

 そう言うと、カルベンと僕は校舎の中に入り、教室へと向かった。


 僕たちは緊張を孕んだ顔で教室の中に入る。前に見た時と同じように教室にある物のほとんどが木でできていた。

 こんな古臭い教室で一年間も学ぶのか。途中で、木製の椅子が壊れたりしなきゃ良いけど。

 僕は適当な席に座る。カルベンも僕の隣の席に座った。全ての机には教科書が積み上げられていた。

 僕は教科書をパラパラと捲ってみる。

 これと言って難しいことは書いてなかった。文字こそ違うが、日本で使われている教科書と大差はないように思えた。

 そして、その文字も翻訳の魔法の力で難なく理解することができる。

 僕が教科書を見ていると、教室に先生がやって来る。

「みんな席に着け」

 先生は三十歳半ばくらいの男性だった。スーツの上にマントを羽織っている。

「私はこのクラスの担任を務めるジェイムス・マクレガーだ。一年間、魔法の授業以外は全てこの私が教える」

 マクレガー先生はハキハキと言った。熱血教師という程ではなかったが、それでも意気込みは感じられた。

「何か質問はあるか?」

 マクレガー先生は教室にいる生徒たちを見回した。

 だが、誰も答えない。

「よし、ないようなら、改めてこの学園で学ぶ上での注意事項を告げるぞ」

 マクレガー先生は僕にとっては退屈な話を一時間もした。それから、授業終了の鐘が鳴ると、生徒たちに今日は帰って良いと言った。

 マクレガー先生がいなくなると途端に教室が騒がしくなる。この騒がしさは僕が日本の学校で一番嫌っていたものだ。

 もし、昼休みだったら、僕はぽつんと一人で文庫本を読んでいたところだからな。あんな姿はもう晒したくない。

「これからどうする、セリオ?」

 カルベンは隣の席にいる僕を見た。

「僕は家に帰るよ。母さんからは、毎日、必ず日本にある家に帰ってくるように、って言われてるから」

 それがサンクフォード学園に通う条件の一つだったのだ。別に難しいことではないが、慣れてくれば面倒くさく感じられるかもしれない。

「それは大変だな。俺は寮だから気が楽だけど。それと良かったら、これから町を見物しないか。色々と紹介しておきたい店とかもあるし」

 カルベンは笑いながら言った。

「それは良いね」

「だろ。美味しいアイスクリーム屋がある場所は是非とも知っておいて貰いたいし」

「楽しみだ」

 天空都市で売られているアイスは口にしてみたい。

 そんなことを思いながら、僕は鞄に教科書を詰め込むと、軽い足取りでカルベンと一緒に廊下を出た。

 すると、思わぬ事態になる。

 僕たちの前に特徴的な三人組が、立ちはだかったのだ。

 特に真ん中にいる太った生徒はかつて自分を苛めていたいじめっ子と酷似していた。いや、それ以上に酷い。

 何にせよ、友好的な連中には到底、見えなかった。

「おい、お前はカルベン・カルバーニだろ」

 太った男子生徒がそう尋ねてきた。

 その顔には嫌らしい笑みが浮かんでいる。こんな笑い方をする奴に良い奴はいないと僕も自分の経験から察していた。

「そうだけど、お前らは?」

 カルベンは絡まれる心当たりがないのか眉を持ち上げる。

「俺はマッド・オールドマン」

 太った男子生徒、マッドは太くて力がありそうな腕を組みながら言った。

「僕はヘック・ワイパー」

 小柄でネズミのような顔をしたヘックがニヤリと笑う。

「私はシェリー・パーカーソンよ」

 栗色の髪に狐のような吊り目をしたシェリーが済ましたように言った。

「で、何か用か?」

 カルベンは憮然とした。

「お前のことは聞いてるぞ。お前の父親はこの学園で魔法の授業を教えていた先生なのに、息子のお前が魔法を全く使えないから先生をクビになったって」

 マッドは嘲笑うように言った。これにはカルベンの顔にさっと朱が刺す。僕も息が途切れたくらいだし。

「何だと!」

 カルベンは怒りを露わにする。あの優しくて親切なカルベンが、こんな顔をするなんて思わなかった。

 つまりマッドが発した言葉はそれくらい侮辱的だったのだ。

「本当のことだろうが。全く、何でお前のようなできそこないの子供が生まれちまったんだろうな」

 マッドの言葉にカルベンは拳を振り上げた。あまりにも悪意に満ちた言い方に、僕も腸が煮えたぎる物を感じる。

 こいつの鼻の骨もへし折ってやろうか。

「俺が一番、気にしていることを良くも言ってくれたな、このデブ!」

 そう叫ぶと、カルベンはマッドに殴りかかったが簡単に避けられてしまった。その際、足も引っかけられてカルベンは無様に倒れる。

 それを見た三人組は実に嫌な顔で笑った。

「おっと。お前じゃ、俺には勝てないぜ。魔法でも殴り合いでもな」

 マッドがそう言うと、立ち上がろうとしていたカルベンの体を竜巻のようなものが包み込んだ。

 それから、カルベンは「ウワー」と言いながらグルグルと体を回転させられて、最後には竜巻の中から弾き出されて倒れた。

 僕の目には軽く五メートルは吹っ飛んだように見えた。そして、これが本物の魔法の力かと瞠目する。

 こんな力を子供が使えるなんて物騒なこと、この上ない。はっきり言って、子供に拳銃を持たせるのと同じだぞ。

「この俺自慢のトルネードの魔法を食らったら、誰も立ってはいられないぜ。相手が悪かったな、カルベン」

 マッドは勝ち誇ったように言った。

「こ、この」

 倒れたカルベンは何とか起き上がろうとするが、それができない。

 僕も魔法の力に戦くばかりで、身動きが取れなかった。

 すると、今度はカルベンの体に小さな光りが落ちた。カルベンの体から静電気のようなものが迸る。

 カルベンの体が痛々しく痙攣した。

「僕のサンダーボルトも良い威力をしてるだろ。本気になれば牛だって気絶させることができるんだぜ」

 ヘックはうっすらと煙を漂わせる手を翳しながら言った。確かにあの鮮烈な光りに打たれたらただでは済まないだろう。

 だが、それを人間に対して使うなんて、こいつはどういう神経をしているんだ。

 僕が非難がましい目をしていると、紅一点のような女子生徒、シェリーがカルベンと視線を合わす。

「私の得意魔法はストーン・アイズよ。私の目を見たら、誰でも固まったみたいに動けなくなるんだから」

 シェリーの言う通り、カルベンは石にでもされたかのようにカチカチに固まって動けなくなる。

 口を開こうとしているのに、唇が歪んで開けないのだ。まるで生きた彫像だ。そんなカルベンは、もう言葉も出せなかった。

「止めろよ」

 見るに見かねた僕が割って入った。

 どう考えても、これは単なる苛めにしか思えなかったし、僕の正義感にも火が付いたのだ。

 だが、強力な魔法の力にどう対抗するかは分からない。

 とはいえ、ここで助けようとしなかったら、僕にカルベンの友達でいる資格はないように思える。

 友のために命を擲つことほど大きな愛はないって、キリストも言ってたからな。

 これから、六年間もこの学園で学んでいくためにも、ここは一歩たりとも退くわけにはいかない。

「何だ、お前?」

 マッドは僕を睨み付ける。その目はまるで虫けらでも見るようだった。こんな目をされたことは僕も経験にない。

 やはり、日本にいたいじめっ子とは訳が違うようだ。

「僕はカルベンの友達だ」

 僕は勇気を出して言った。

「へー、お前も魔法が使えないできそこないの一人なのか。でなければカルベンの友達になんてならないからな」

 その言葉は僕にも聞き捨てならなかった。

 例え、どんな人間であっても、親切に色々なことを教えてくれたカルベンの友達にならない理由はなかったからだ。

 友達を侮辱されるのは自分のこと以上に腹が立つことを僕は知った。

「魔法は使えないけど、できそこないなんかじゃない」

 僕は立ち向かうように言った。

「魔法を使えない人間はみんなできそこないなんだよ。現に地上の奴らは俺たち魔法使いに支配されていることも気付かない」

 マッドはどこまでも傲慢だった。

 こういう奴がいるであろうことは僕も予想していたが、ここまで悪辣だとは思わなかった。

 すぐにでも殴りつけてやりたいけど、トルネードの魔法をかいくぐることはできないだろう。

 さて、どうする。

「気付かないのは裏でコソコソしているからさ。そんなに魔法を使えることが偉いなら、地上にいる人間たちの前でも堂々とやって見せれば良いんだ」

 そうすればきっと袋だたきに遭うだろう。それくらい魔法の力は普通の人間にとって危険なものなのだ。

「生意気なことを言うな、お前。だが、俺様はお前のような負けん気の強い奴は大好きだ。だから、最大威力のトルネードで吹き飛ばしてやる」

 そう言うと、マッドは手を翳して、僕の体を竜巻で包み込んだ。僕も地面に叩きつけられるような衝撃を覚悟する。

 やっぱり、僕のような人間は暴力を受ける側から脱却できないのか。世の中、腐りきっているな。

 でも、友達を庇って叩きのめされるなら本望だ。

 僕がもう駄目だと思っていると、不思議なことが起きた。僕を包み込んでいた竜巻が跡形もなく掻き消されてしまったのだ。

 そよ風のようなものが僕の肌を撫でる。これには吹き飛ばされることを覚悟していた僕も目を白黒させた。

「な、何!」

 マッドは目を剥くと、何度もトルネードの魔法を使う。だが、僕を包み込もうとすると竜巻はことごとく消えてしまうのだ。

 これにはマッドも顔の表情を引き攣らせる。その顔には何が起きているのか分からないと書いてあった。

 はっきり言ってしまえば、僕だって自分の身に何が起こっているのか分からない。誰かが助けてくれるような魔法をかけたのか。

 そして、それを見たヘックはマッドに加勢するように、小さな雷を僕の頭上に落として見せた。

 ピカッとした光りが、廊下の壁を走る。だが、僕が堪えた様子はない。

 それを受け、ヘックは何度も何度も僕に雷を落とした。

 だが、牛すら気絶させるというサンダーボルトの魔法は僕に対しては全く効果がなかった。

「僕の魔法が効かないなんて、どんな手品を使ったんだ?」

 ヘックは動揺した。

 すると、今度はシェリーが僕を睨み付ける。だが、僕がカチカチに固まることはなかった。

「私のストーン・アイズも効かない。こんなの初めてよ」

 シェリーは気圧されたように後ろに下がった。

 そして、僕が気が付かない間に廊下は人で一杯になっていた。みんな僕を穴でも空くように見詰めている。

 その目にあるのは驚嘆だった。

「お前、まさか魔法を無効化する力を持っているのか?そんな力は俺も聞いたことがないぞ」

 マッドは慄然としたように言った。

 魔法使いのマッドにとって、自慢の魔法が全く効かないことは相当なショックだったようだ。

 だが、僕はそれ以上のショックを受けていた。

 今まで生きてきた中で、自分に不思議な力があると自覚したことは一度もなかったからだ。

 ただ、目に見えないエネルギーのようなものが体中を行き巡っているのは感じる。魔法の力を受けたことで、自分の中で何かが覚醒したのを僕も感じ取っていた。

「そこまでにして置いたら、あんたたち」

 そう言ったのは悠然とした足取りで僕の前に立った金髪の女子生徒だった。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

「お前は?」

 マッドが半眼で尋ねる。

「あたしはエリシア・J・クライスハートよ。天空都市の小学校にいた時は学年で一番、優秀な成績を収めた生徒だったし、知らないの?」

 エリシアは肩にかかる金髪をサラッと掻き上げた。その仕草は何とも優美で、とても小学校を卒業したばかりの少女には見えなかった。

 何にせよ、エリシアは掛け値なしの、とびっきりの美少女だ。日本にいた女の子たちなんて、逆立ちしても適いはしないだろう。

 僕もユイより可愛い女の子を直に見たのは初めてだし。

「そういや小学生の時に聞いたな。同じ学年に、鼻持ちならない金髪のアメリカ人がいるって。それで、学年一の優等生が何の用だ?」

 マッドは再び尋ねる。

「魔法を使って喧嘩なんてしたら、あんたたち退学よ。ウルベリウス校長に言い付けてやるんだから」

 エリシアの言葉にマッドは笑い返した。

「どうせあの爺は動かないさ。口だけは達者だが、腰は重い。いい加減、引退すれば良いんだ」

 マッドはウルベリウスにも敬意を払わないのか。だとすると、あの校長の手腕にも不安を覚えるな。

「なら、その腰の重いウルベリウス校長に代わって、このあたしが傍若無人のあんたたちに罰を与えてやるわ」

 エリシアはサンダー・ストームと叫んだ。

 すると、バチバチと電気を帯びたような風か、マッド、ヘック、シェリーの三人を大きく吹き飛ばした。

 三人はドサッと床に派手に倒れると、ビクビクと体を痙攣させる。どうやら体が痺れてしまったらしい。

 そんな三人の姿はカルベン以上に無様なものだった。それを見た僕はいい気味だと思った。

 とにかく、唐突なエリシアの登場によって、呆気なく決着は付いた。

「口ほどにもないわね。でも、魔法を使って弱い者、苛めをする奴なんて、所詮、こんなもんよ」

 エリシアは倒れたマッドたちから僕に視線を移動させる。

「それはそうと、魔法が効かないなんて面白い力を持っているわね、あなた。どれどれ、あたしも少し試させて貰うわよ」

 エリシアはシャイン・ボールと口にして掌から光りの球を放った。が、その光りの球は僕の体に触れると影も形もなく霧散する。

 僕も一瞬ではあるがエネルギーの余波のようなものを感じたが、それは肌を撫でただけだった。

 エリシアはその現象を科学者のような顔で観察する。

「聖なる力を形にしたシャイン・ボールも効かないなんて凄いわね。あたしも色々な魔法の本を読んだけど、あなたみたいな力を持った人間がいるのは初めて知ったわ」

 エリシアは感心したように言った。

 すると、僕の近くに立ち上がったカルベンがやって来る。カルベンはしょんぼりしたような顔をしていた。

「情けないところを見せちまったな、セリオ。ったく、あんな奴らにコテンパにされるなんて格好悪いにも程があるぜ」

 カルベンは苦々しい顔で言葉を続ける。

「せっかく、サンクフォード学園に通えるようになったら、良い感じに変われると思ったのに」

 カルベンの声は消え入りそうだった。

 たぶん、スペインにいた時もあまり良い学校生活は送っていなかったに違いない。もちろん、詮索するつもりはないが。

「気にしない方が良いよ」

 僕は笑いながらやんわりと言った。

 ここでカルベンによそよそしい態度を取るのは、最低だと思っていたからだ。友達なら小さいことは気にしなくて良い。

 今後も似たようなことがあるなら、僕も友達であるカルベンを守っていくつもりだし。

「そうか?下手な慰めならいらないぞ」

「僕だって小学生の時は周りから苛められていたんだ。その時は今のカルベンよりもっと情けない姿を晒していたよ」

「そっか。でも、こんな俺だけど、これからも友達でいてくれるよな、セリオ」

 カルベンは恥ずかしそうな顔で僕を見た。

「もちろんさ」

 僕はニカッと白い歯を見せた。

 マッドたちのことは悔しいけど、おかげで僕とカルベンの仲は深まった。

 こういう経験を繰り返していけば僕もカルベンとは本当の親友のようになれるかもしれない。

「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」

 カルベンは頭の後ろに手を回した。

「とにかく、嫌なことは忘れて町を見物しよう。美味しいアイスクリーム屋があるところを教えてくれるんだろ」

「ああ」

 カルベンは頷いた。

「あたしも付き合って良い?どうせ暇だし、今日は何だか暖かいから、チョコミントのアイスでも食べたいから」

 そう言い出したのは僕たちの遣り取りを見ていたエリシアだった。

「構わないさ。お前だって俺を助けてくれたんだ。だから、アイスの一つくらいは喜んで奢らせて貰うよ」

 カルベンの言葉に僕も嫌な顔をはしなかったし、エリシアも弾けたような笑みを浮かべた。

 その後、僕たちは野次馬のような生徒をかき分けながら廊下を進むと、サンクフォード学園の校舎を出た。


 僕たちは町の中を歩いていた。

 両側に店が建ち並ぶ通りは、人で賑わっていた。制服姿のサンクフォード学園の生徒もけっこういる。

 僕はカルベンが教えてくれたアイスクリーム屋でアイスを食べる。天空都市で使えるお金は母さんから渡されていた。

 なので、買い食いするくらいの余裕はあった。

「今日も天空都市は賑やかね。アイスも美味しいし、あたしが住んでいたアメリカの町にはない活気だわ」

 エリシアがチョコミントのアイスを口にしながら言った。今日は陽気が良いだけに早く食べないとアイスが溶けそうだった。

「そうだね。僕の住んでいる町もこれだけ賑やかだったらな」

 僕は自分の住んでいる椿原市を思い出しながら言った。あの町がこれくらい賑やかになるのは夏祭りの時くらいなものだろう。

 もし、友達がいたら僕も夏祭りを楽しめたのに。ま、そんな僕を気遣って、母さんは僕と一緒に夏祭りに行ってくれたけど。

「賑やかなのは良いことばっかりじゃないさ。あそこの通りを見てみろよ。あそこからは治安の悪いゼラム通りになるんだ」

 カルベンが細い道の向こう側にある通りを指さした。そこはとにかく紫色が目立つ通りだった。

 建物の壁や、店の看板にまで紫が使われている。

 悪趣味と言ってしまえばそれまでだが、これはこれで趣があるのかもしれない。いかにも魔術的なものを感じさせるし。

「ゼラム通り?」

 僕が首を傾けながら尋ねた。

「そう。邪神ゼラムナートを芳信する連中がたくさんいる通りだ。特徴的な紫のローブを着た連中が見えるだろ」

 体をすっぽりと覆い隠し、杖を持った人たちは修行僧のような雰囲気を漂わせている。でも、日本の修行僧のような澄んだ空気は全く感じられない。

 禍々しいオカルト的な空気だけが漂っていた。

「何か気味が悪いね」

 僕は素直な感想を言った。

「ああ。あいつらはゼラム教の僧侶なんだよ。目を合わせたりすると、思いっきり睨み付けてくるから怖いぞ」

「ゼラム教って一体、何なのさ?」

 僕がそう尋ねるとエリシアが口を挟む。

「セリオったら、そんなことも知らなかったの?天空都市にいる以上、ゼラム教のことについて、無知でいることはとても危険なのよ」

 エリシアが目を丸くする。

 こういう言い方をされると、僕もエリシアのことが生意気に思えてくる。でも、エリシアに悪意がないのは分かる。

 ユイのような刺々しさもないし。

 単純に自分があまりにもこの天空都市のことを知らなさすぎるんだろう。

「そうなんだ。なら、この機会に教えてくれないかな」

 ここは虚栄を張っても仕方がない。

「分かったわ。ゼラム教は魔法が使える、使えないに関わらず、どんな人間でも差別されることなく自由に天空都市で暮らして良いって言っている人たちよ」

 エリシアは先生のような口振りで言った。

「良いこと言うね」

「そうでもないわよ。どんな人間でも暮らせるようになったら、天空都市の治安は益々、悪くなるわよ」

「そうだけど」

 カルベンも天空都市には治安が悪いところがあるって言っていた。犯罪を犯した人を取り締まるような人たちはいるのだろうか。

 少なくとも、マッドたちのような人間が大人になったら、どんな犯罪を犯すか分かったもんじゃない。

 魔法を使って犯罪を犯す輩は厳しく取り締まって欲しいものだ。

「アメリカの町だって色んな人種の人たちが暮らし始めたら、たちまち治安が悪くなったって話は良く聞くもの」

 エリシアは辟易したように言葉を続ける。

「それを考えれば、誰でも自由に暮らして良いなんて無責任にも程があるわ」

 エリシアの言葉は冷たかったが、僕もそれが現実だと言うことは分かっていた。

「それはあるね」

「でしょ。ゼラム教の教えは法や秩序を嫌う邪神ゼラムナートの考えを色濃く反映してるの。だから、何とも混沌としてるってわけ」

 混沌という言葉に僕は危ういものを感じた。混沌なんてものを望むのはゲームに出で来る邪神や魔王たちだけだからだ。

 でも、ゼラムナートの言うことが、間違っているとはどうしても思えなかった。たぶん、混沌は悪だという先入観が自分には強すぎるのだろう。

 そして、考え込む僕を見たエリシアは更に口を開く。

「ゼラム通りの更に向こう側にあるスラム街には犯罪者どころか、人外のモンスターさえいるのよ」

「それは怖いね」

 でも、モンスターは見てみたい。魔法とはまた違った驚きがあるはずだ。

「たぶん、ゼラムナートは善神サンクナートの邪魔をしたいだけなんだわ。サンクナートとゼラムナートは兄弟神なのに思いっきり仲が悪いし」

「どういうこと」

「善神サンクナートは天空都市に地上の人間の血が入り込むことを嫌ってるの。天空都市の秩序が乱れるからって言って」

 エリシアは秩序という言葉を強調した。

「しかも、元々、天空都市で暮らしていた純粋なリバイン人には選民思想も植え付けてるらしいのよ」

 それは危険だと僕は思った。エリシアもそう思っているのか、懸念を滲ませるように言葉を続ける。

「そのせいで、リバイン人の魔法が使える血を守ろうとする魔法主義同盟も結成されたくらいだし」

「へー」

「サンクナートは魔法を使える者は天空都市に受け入れても良いって言ってるけど、それ以外の人間は徹底的に排除する気でいるんだわ」

 まるで外国の移民政策みたいだと僕は感じた。

 ただ、そう言う政策は大抵、上手く行かないことを僕も知っている。では、ゼラムナートのやることなら上手く行くのか。

 おそらく、その答えは戦争や民族紛争で苦しんでいる人たちの姿にあるのだろう。

「つまり、善神サンクナートも邪神ゼラムナートも考え方が偏りすぎていて、ろくなもんじゃないってことさ」

 カルベンが言葉を差し挟んだ。

「あたしたちのような人間にとってはそう言えるわね。でも、サンクナートが言ってることもゼラムナートが言ってることも、間違ってるわけじゃないわ」

 エリシアは理解を示すように言葉を続ける。

「だからこそ、互いにぶつかり合って一歩も退かない」

 エリシアは困り顔をする。

「そんな二人の神が作った厄介な派閥、魔法主義同盟とゼラム教が、こうしている今も激しく対立しているのよ」

 そのことは僕もカルベンから体験入学の日に聞かされた。ただ、その時は人事のように思っていた。

 マッドのような奴が魔法を使えないカルベンを苛めるところ見なければ。

「もし、サンクナートとゼラムナートを生み出したとされる、絶対神ゼクスナートが間に入ってくれれば、まだ話は違ったんでしょうけど」

 絶対神という言葉には僕も薄ら寒いものを感じた。

 一体、どれ程の力を持っているのか、想像することすら適わない。絶対神ゼクスナートはこの世界で一番強いんだろうか。

「絶対神ゼクスナートは緩やかに衰退しつつあった天空都市を建て直すために、敢えて異なる価値観を持つサンクナートとゼラムナートを争わせてるって聞いたな」

 そう言うと、カルベンはアイスの溶け出していた部分を舐める。

「それで、天空都市に新しい風を吹き込もうとしたって話だ。ま、あくまで噂だし、実際はどうなのかは知らないけど」

 カルベンはボソリと言った。

「何だが雲を掴むような話だね。それで、カルベンとエリシアはどっちの考えを支持してるの?」

 僕は気になって尋ねた。

「俺はどちらかと言えばゼラムナートかな。魔法を使えない人間は排除しても良いなんてことになったら困るし」

 カルベンはアイスの塊を飲み込むとそう言った。

 確かにそんなことになったら僕だって困る。

 どうやら、僕には不思議な力があるみたいだけど、火の玉一つ作ることはできないのだから。

「あたしはサンクナートよ。どんな人間とでも仲良く暮らすだなんて、実際には不可能だわ。それは混迷を深めるアメリカという国が既に証明してるでしょ」

 エリシアの言うことは整然としていた。

「そっか」

 僕はどちらの考えも支持したくないと思った。答えは神ではなく、人間が見つけなければならないと思っていたからだ。

 例え、それによってどれだけの犠牲が出ようとも。でなければ、神ならぬ人間という種族は前に進めない気がする。

「ま、俺は校長のウルベリウスの考えに従うよ。校長は地上の人間と天空都市の人間の融和を真剣に考えてるし」

 カルベンはアイスのコーンをバリバリと噛み砕く。

「その上、いずれは全ての人間が地上と天空都市を行き来できるようになれば良いって言う理想も抱いている」

 カルベンは目を輝かせながら言った。

「それに、この天空都市を実質、支配しているのは執政院の院長のマルコス・マールハイトじゃなくて、大賢者ウルベリウスだって言っている奴もたくさんいるからな」

 カルベンは意見を求めるようにちらっとエリシアを見た。

「そうね。執政院にも大きな影響力を持つ大賢者ウルベリウスなら何かあっても英断を下してくれるって、あたしも信じているわ」

 エリシアも異論はないようだった。

 その後、僕たちは比較的、安全な場所を見て回る。

 町の中心にある見晴らしの良い時計塔や、百万冊を超える本がある大図書館にも足を運んだからな。

 まだまだ見てみたいところはあるが、それはまた今度という形になった。

 それから、ゲートのある神殿まで戻ってくると、僕は家に帰ろうとする。カルベンとエリシアも学園の寮に戻ると言った。


 僕は天空都市のゲートから椿原市に戻ってくると、その足で駅前のハンバーガー屋に入った。

 少しお腹が減っていたのだ。

 カルベンとエリシアの前ではアイス以外の物も食べたいとは言い出せなかったし。

 今の段階では友達ですらないエリシアはともかく、カルベンにはまだまだ気を遣ってると言うことだ。

 そして、僕はこれと言って食べたくなるような新メニューもないのでハンバーガーとポテトのセットを頼む。

 それから、すぐにテーブルに運ばれてきたハンバーガーに齧り付いた。

 ジャンクフードは嫌いじゃないし、太るかどうかなんて気にしないけど、やっぱり母さんの手料理の方が好きだな。

 もっとも、母さんはすぐにスーパーのパック寿司を夕飯にしたがるけど。

 そんなことを考えていると、隣のテーブルの席に椿原中学校の女子生徒が座った。しかも、その女子生徒は目をまん丸にして僕の顔を横見している。

 これには僕もハンバーガーを食べる手が止まった。

「あれ、もしかしてセリオ君じゃないの?」

 そう話しかけてきたのは、僕にとって見覚えのある女の子だった。これには体中に電流でも走ったかのようにビクッとする。

 ヘックの雷でさえ、僕をこんな風に痺れさせることはなかったというのに。

「君は確か倉橋美紀さんだったよね」

 僕は何とか記憶を手繰り寄せた。

 もし、それができなかったら、相手を不快にさせていたかもしれない。ま、小学生だった頃の僕は他人になんて興味を持たなかったからな。

 例え、それが可愛い女の子でも。

「そうだよ。名前、覚えていてくれたんだね。嬉しいな」

 倉橋さんはニコニコと笑った。

「同じ班になったこともあったからね」

 忘れていたら本気で失礼だ。でも、中学生になったら、いきなり大人びて見えるようになったな。

 化粧とかしているのだろうか。

「私、セリオ君と林間学校で、カレーを食べたことを良く覚えてて」

 倉橋さんは懐かしそうな顔をした。

「あのカレーはまずかったね」

 実のところ、林間学校の思い出なんて、それしか記憶になかった。

「うん。やっぱり、小学生に手作りのカレーは無理があったよ。普通にレトルトのカレーを温めるだけにしてくれれば良かったのに」

 倉橋さんはそう言って笑うと、僕に質問をぶつけてくる。

「それで、その制服ってどこの中学校のものなの?」

 倉橋さんは何げない感じで尋ねた。

「どこって言われても」

 まさか空に浮かぶ都市にある学校だとは言えなかった。倉橋さんがこの手の冗談を好むとは思えなかったし。

 だからと言って、真実を告げるのは躊躇われる。絶対に信じてもらえないと保証しても良いくらいだからな。

「でも、今は学校帰りなんでしょ。椿原市にそんな制服を着る学校なんてあったかな」

「電車で県外の学校に通ってるんだ」

 僕は苦しい嘘を吐く。

「毎日?」

 倉橋さんは黒くてつぶらな瞳を光らせながら尋ねる。

「そうだよ」

「凄いなぁ。でも、私だって高校生になったら遠くの学校に通うことになるかもしれないし、電車通学も覚悟しておかないと」

「そっか」

 僕もサンクフォード学園に入学試験がなかったのは助かったよなと思った。もしあったら、入学なんてできなかったかもしれない。

「私、セリオ君も椿原中学校に通って欲しかったな」

 倉橋さんの言葉に僕はドキッとした。

「椿原中学に通ったらまた苛められるさ」

「でも、セリオ君はいじめっ子の鼻をへし折って、苛めを終わらせたじゃない。あの一件で、みんなセリオ君のことを見直したんだよ」

 倉橋さんもその一人か。

「だけど、友達はできなかった」

 もし、友達ができていたら、普通に椿原中学に入ったかもしれない。そうなっていたら、カルベンやエリシアとは出会えなかった。

「そうだね。あと、私、セリオ君の妹のユイちゃんとは同じクラスだよ。まだ話せてはいないけど」

 ユイの名前が出て来ると、僕の心もざわつく。

「ユイは上手くやってる?」

 ユイはハーフだし、クラスで浮いたりはしていないだろうか。

「大丈夫。ユイちゃんには友達がたくさんいるから。私も友達になりたいんだけどなかなかそのきっかけが見つからなくて」

 倉橋さんの大丈夫という言葉を聞いて、僕も心の底から安心した。

 やっぱり、ユイのことはどうしても気になってしまう。本人は余計なお世話と言うだろうけど。

「僕が心配するまでもなかったか」

 変に気を回すと、ユイに怒られそうだな。

 ま、ユイも憎まれ口ばかり叩く奴だけど、何だかんだ言って僕のことは気に掛けているはずだ。

 だからこそ、ユイに隠し事をしていることには罪悪感を感じてしまう。

「うん」

 倉橋さんが苦笑すると、店員のいるカウンターの方から椿原中学校の制服を着た女の子が手を上げる。

「あー、美紀。そんなところで誰と話してるの?」

 女の子の声を聞き、僕はギクッとする。それから、素早く残りのポテトを口の中に押し込むと席を立った。

「じゃあ、僕は行くから」

 僕は慌てて立ち去ろうとする。カウンターの方にいる女の子に見覚えはないが、なるべく顔は知られたくない。

「うん。機会があれば、こうやってまた話そうね」

 そんな言葉が僕の背中に投げかけられた。

 その後、僕はハンバーガー屋を後にすると、家に帰ってくる。随分と帰るのが遅くなってしまったけど、ユイや母さんは心配してないだろうか。

 そんなことを考えながら、リビングに入ると、ケーキを食べているとユイと顔を合わせた。

「遅かったわね」

 ユイは頬にケーキのクリームを付けながら言った。

 そんなユイのツインテールの髪にはいつもと違うリボンが結ばれていたし、それがまた可愛らしい。

「ちょっと、ハンバーガー屋に寄ってたんだ。そしたら、前に同じクラスだった倉橋さんと会って」

 僕は綻んだ顔で言った。

「ふーん」

 ユイはわざとらしく鼻声を発する。

「ユイも今は同じクラスなのに、倉橋さんのことには興味がないの?」

 ユイと倉橋さんの友達としての相性はどうなんだろう。男の僕にはちょっと分からないな。

「ない。って言うか、倉橋なんていう女子は記憶にすらないわね。あたし、基本的に友達以外の女子はどうでも良いって思ってるから」

 この業腹な性格で友達がいるんだから感心してしまう。

「そっか。でも、倉橋さんはユイと友達になりたいって言ってたよ。明日になったら、話しかけてあげたら」

「学校での人付き合いにまで口を挟んで欲しくない。兄さんはそういう微妙な配慮ができないから友達ができないのよ」

 そう言われると、返す言葉がない。

「かもね。でも、サンクフォード学園ではもう友達ができたよ」

 もちろん、カルベンとエリシアのことだ。

「そのサンクフォード学園って一体どこにあるの。ネットで調べたんだけど、何の情報も上がってこないし」

「サンクフォード学園はホームページとか開設してないみたいだから、仕方ないよ」

 それを聞いたユイは眉間に皺を寄せる。

「アンタ、本当にちゃんと学校に通ってるんでしょうね」

 ユイはギロリと僕を見た。

「あ、当たり前だろ」

 これには僕も動揺してしまう。

「あたし、そのコスプレっぽいケープを見た時から、何となく胡散臭さを感じてたんだけど、あんまり変な学校に通わないでよ。世間に恥を晒すことになるから」

 ユイはそう言い聞かせて来る。

「分かってるよ」

「なら、良いけど。つーか、本当に変な学校だと思ったら、迷わず椿原中学校に通いなさいよ」

「えっ」

 それは思いがけない言葉だった。

「今なら、幾らでもやり直しはきくでしょ。今時、ホームページも開設してないような学校なんて、あたしの直感がろくなもんじゃないって言ってるのよ」

「それは」

 僕は言葉に詰まってしまう。確かにいつまでもサンクフォード学園のことを隠し続けるのは無理があるよな。

 いつかは話さなきゃならない。でも、それは今じゃない気がする。

「二人ともシチューができたわよ」

 良いタイミングで母さんの声がキッチンから聞こえてきた。

 それを受け、ユイは僕との話を切り上げると、ツインテールの髪を揺らしながらダイニングルームへと行った。 


 次の日、僕はサンクフォード学園に行く。すると、教室でマクレガー先生の授業が始まった。

 マクレガー先生の授業はとても分かり易く、数学も国語も難なく理解することができた。むしろ、レベルの低さすら感じたくらいだ。

 ま、今までいた日本の教育レベルがそれだけ高かったと言うことだろう。世界中の子供たちに合わせたら、どうしたってレベルは落とさざるを得なくなる。

 ただ、天空都市サンクリウムの歴史を教える授業は新鮮に感じられた。善神サンクナートと邪神ゼラムナートの戦いの歴史は興奮するものがあったし。

 あと、僕も魔法の授業には興味があった。

 だが、魔法の授業を受けられるのは、最低でも蝋燭に火を付ける魔法が使える者のみだ。僕にそんな超能力紛いなことはできない。

 なので、数日後から始まる魔法の授業は受けられそうになかった。

「セリオ、一緒に食堂に行こうぜ」

 昼休みになり、そう声をかけてきたのはカルベンだった。

「うん」

 僕は空腹感を感じながら椅子から立ち上がる。

 今日はどんな料理を食べようかと、少しワクワクしていたのだ。体験入学の時に食べたハンバーグも美味しかったし。

「今日の授業はどうだった?俺的には可もなく不可もなくって感じだったけど」

 カルベンは廊下を歩きながら軽い口調で尋ねてくる。

「僕にとっては簡単だったよ」

「そりゃ凄い。日本にいる子供って、やっぱり頭が良いんだな。俺も負けちゃいられないぜ」

「そうだね」

 スペインの子供の学力って、どうなんだろう。カルベンは地上にある小学校に通っていたと言ってるけど。

 それから、僕たちは食堂に辿り着くと、空いている席に座る。人は多かったが、座れないほどではなかった。

 ま、こういう賑やかさは嫌いなんだけど、それでも慣れていかないと。それが集団生活というものだし。

「俺はチキンソテーにするかな。父さんは学生の時から、この食堂のチキンソテーの味にハマってたって言ってたから。どうもガーリックソースが良いらしい」

「じやあ、僕はパスタにするよ」

「パスタも捨てがたいよな。この食堂で出される料理はどれも美味しいって話だし、しかも、世界中の料理がある」

 食堂の料理は学園の生徒になれば全部、無料になると僕は聞いていた。

 それなら、好きなだけ食べることができる。ま、僕は小食だからいっぱい注文することはできないけど。

 残したりしたら、せっかく作ってくれた人に申し訳ない。

「なら食べ飽きるってことはなさそうだね」

 寿司や天ぷらもあるのだろうか。

 もし、あったとしたら嬉しいな。大トロが食べ放題だったりしたら、本気でこの学園に感謝するよ。

「ああ。この学園を卒業するまでには俺も全てのメニューを制覇してやるつもりなんだ。そうすればちょっとした自慢になる」

 カルベンは熱の籠もった視線で、壁にあるメニュー表を見た。メニューの数はざっと百を超えるんじゃないかな。

「なら、僕も挑戦してみようかな」

「それが良い」

 カルベンはニカッと笑った。

「こんにちは、セリオ、カルベン」

 僕たちが料理を注文して待っていると、麗しい金髪を棚引かせたエリシアがやって来た。

 その足取りは優雅そのもので、まるでファッションショーでウォーキングするトップモデルのようだ。

 とにかく、今日もエリシアは天使のように可愛らしかった。

 そして、そんなエリシアの隣には赤い髪をした女子生徒がいる。

 女子生徒は何とも気まずそうな顔をしながらエリシアと共に僕の向かい側の席へと腰を下ろした。

「エリシアか。そっちの子は?」

 カルベンが興味を感じたように尋ねた。

「私はミルカ・ミルセールって言います」

 ミルカは小恥ずかしそうに言った。

 ちなみに制服のネクタイやリボンの色を見ればどの学年かは分かる。なので、エリシアの横にいる女子生徒は一年生だった。

「何か堅苦しいな。俺たち同じ学年なんだし、もっとフランクで良いのに」

 カルベンはミルカの丁寧な言葉を聞き、首を傾けた。

「仕方がないわよ。ミルカは古いしきたりの中で暮らしていた純粋なリバイン人の子なんだから。と言ってもミルセール家は貴族じゃないけどね」

 エリシアが説明する。純粋なリバイン人という言葉を聞き、カルベンも納得したような顔をした。

「純粋なリバイン人と言ってもミルセール家は自慢できることなんて何もない小さな家です。私自身も何の取り柄もありませんから」

 ミルカは恐縮したように言った。

「そう卑下しなくて良いのよ。血筋とか生まれとかを自慢する奴にろくな奴はいないし、それをしないだけミルカはマシだわ」

 エリシアの言葉には説得力があった。

「でも」

「あたしの両親だって魔法は使えるけど純粋なリバイン人じゃないし、普通にアメリカで暮らしてるわ。でも、あたしは学年一の優等生よ」

 エリシアはそう自負を滲ませる。それは一種の自慢ではあったが、嫌な響きは全く感じさせなかった。

 そして、それを聞いたミルカも目を大きく見開く。

「生まれ持った物より、努力で積み上げた物の方が大切だと言うことですね」

 ミルカはクスッと笑った。

「そういうこと。ま、ミルカは努力を惜しまないし、地道に頑張り続ければ、きっと良い結果が出せるわよ。もちろん、純粋なリバイン人じゃない子たちもね」

 エリシアも我が意を得たりといった感じで笑った。が、そんな二人の遣り取りに冷や水を浴びせるような生徒が現れた。

「笑わせてくれるわね、エリシア」

 現れたのは腰まで伸ばした銀髪が印象的な女子生徒だった。その底意地の悪そうな顔を見た僕はマッドを思い出していた。

「あんたはルフィア」

 エリシアの目がキッと細められる。

「覚えていてくれて光栄だわ。ま、この才女ルフィア・ベラルージュを忘れることほど、罪深いことはないのだけれど」

 ルフィアは嘲弄するように言った。

「相変わらずの不遜ぶりね、ルフィア。あんたのその態度には怒りを通り越して、呆れるしかいないわ」

 エリシアは噛み付くように言った。

「不遜ですって。勘違いはよろしくなくてよ、エリシア。優れている人間を優れていると称するのに何の抵抗があるのかしら」

 ルフィアは高らかに言った。

「その優れている人間があたしに一度も勝てなかったのはどういうことかしらね」

 エリシアの当て擦るような言葉にルフィアはこめかみをピクッとさせる。

「小学生の時のことをいつまでも持ち出すのは止めなさいな。サンクフォード学園に入ってからが本当の勝負よ」

「上等じゃないの」

 エリシアは挑発するように笑った。

「とにかく、ミルカ。こんな雑種共と付き合うのは止めなさい。善神サンクナート様の言われる通り、純粋なリバイン人としての誇りを大切にしなければ」

 ルフィアの言葉にミルカは顔を上げる。雑種という言葉には僕も強烈な悪意が込められているのを感じた。

「でも、そんな考え方は古いんじゃ」

 ミルカは小声で言った。

「古い物にこそ、本当の価値があるのよ。劣った人種の人間たちを受け入れた結果、その秩序が崩壊してしまったアメリカやヨーロッパを見なさい」

「それは…」

 ミルカは唇を震わせる。

 劣った人種なんて言ったら駄目だろうと僕も思う。

 ただ、世間体を気にする大人ではなく、子供の言葉だからこそ、真実の側面があるように思えてならなかった。

「どんな人間も差別なく、共に暮らすことができる。それは混沌とした世界を望む邪神ゼラムナートの甘言よ。惑わされるのは良くなくてよ」

 ルフィアの言葉には否定できない押しの強さがあった。聞いていた僕も言い返せるような言葉は思い浮かばなかったし。

「でも、リバイン人たちが、いつまでもこの天空都市の中で生き続けるのは無理があるし、いずれは地上の人たちと手を携えないといけないって校長先生も…」

 それでもミルカは反論する。

「ウルベリウス校長はお年を召されて耄碌しているのよ」

 ルフィアは鼻で笑いながら言葉を続ける。

「むしろ、魔王アルハザークさえ従え、魔法至上主義を掲げた偉大な魔導師ヘルガウスト様こそ校長に相応しかったんじゃないかしら」

「そんな」

 ミルカは自失するような声を発した。

 またしても、校長のウルベリウスを敬わない人間が現れたことに僕も少なからず動揺する。

「とにかく、ミルカはこちら側の人間よ。善神サンクナート様のみ言葉を信じる魔法主義同盟はいつでもあなたを歓迎してるわ」

 ルフィアはそう言うと「では、ごきげんよう」と気取ったような言葉を口にしてその場から去って行った。

「何か凄い生徒だったね」

 あんな個性的な生徒は日本にはまずいないだろうと僕は思った。まるで、漫画の世界のキャラクターだ。

「ルフィアは純粋なリバイン人の上に貴族の令嬢なのよ。セリオもあの子の言うことを真に受けない方が良いわよ」

 エリシアは念を押した。

「でも、善神サンクナートが後ろ盾としているんじゃ、そう簡単には魔法主義同盟には逆らえないよな」

 カルベンは悩ましげに言った。

「そうだけど、善神サンクナートは自分の掲げる秩序を守るためなら人間をチェスの駒のように扱うって言ってる人もいるの」

 エリシアは複雑そうに言葉を続ける。

「もちろん、サンクナートの言葉は否定できないものがあるけど、それを喜んで受け入れるのはやっぱり危険だと思うわ」

 エリシアが冷静で僕も助かった。

「そう言い切れるエリシアの芯の強さは俺も見習わなきゃならないな」

 カルベンは心から感心したように言った。

「私も同じです。例えどんな苦難があっても、みんなが共に暮らせる世界を目指すべきだと思いますから」

 ミルカはそう願うように言った。

「秩序のサンクナートに混沌のゼラムナートか。どちらが勝っても良い結果にはならなそうだね」

 僕は思案するように言った。

 日本にいる間は神様のことなんて考えたことがなかった。

 でも、この天空都市に来てからは、神はどうあるべきなのか、深く考える機会も出て来た。

 まあ、哲学なんていう洒落たものじゃないけど。

 僕は出口の見えない答えを探すような顔をする。親である母さんなら、今の自分にどんなアドバイスをしてくれるだろうか。

 その後、僕たちは微妙な空気を漂わせながら、注文した料理を食べる。ルフィアの言葉のせいで、僕もせっかくのパスタを美味しく食べれなかった。


 帰ってきた僕は家の自室でテレビゲームをしていた。ゲームをしている最中も色々と考えてしまう。

 サンクフォード学園に通うことにしたのは本当に正しい選択だったのか。友達がいなくても、椿原中学校で頑張り続けるべきだったのではないか。

 そうすれば恐ろしい神のことなど考えずにいられた。

 正直、母さんが自分を今まで天空都市に行かせなかった理由がようやく分かった気がする。

 天空都市にいる人間の価値観はあまりにも地上の人間とかけ離れていた。

 何にせよ、宗教や差別で苦しんでいる人間なんて、苛められている僕でさえテレビの中のできごとだと思っていた。

 だからこそ、マッドやルフィアのような心ない人間がいるのは辛い。ああいう連中の悪意をまともにぶつけられたら自分はどう対処すれば良いんだろう。

「入るわよ、セリオ」

 母さんは大きな皿を持って、僕の部屋に入った。

「母さん」

 僕は母さんの方を振り向く。その顔は少し引き攣っているように見えてしまったかもしれない。

「久しぶりに手作りのアップルパイを焼いたから食べてちょうだい」

 母さんは微笑みながら言った。僕は美味しそうなアップルパイを齧りながら、笑っている母さんに質問をぶつける。

「母さんは自分がサンクフォード学園に通って良かったと思う」

 その言葉を聞いた瞬間、母さんの表情が翳った。

「分からないわ。でも、天空都市には危険な思想が蔓延している。それには気を付けなければならないって、常に思ってたわ」

 母さんはしっかりした口調で言った。

「そっか」

 母さんらしい。

「本物の神や悪魔、宗教が身近にあるような世界は子供にとっては大変、危険だもの。どんな影響を受けるか分かったものじゃないわ」

「だよね」

「私はそんな天空都市の中にある考え方に付いていけなくなって、学園を卒業した後は地上で暮らすことに決めたの」

 母さんは虚空を見るような目で言った。

「そうなんだ」

「あなたのお父さんはリバイン人の血なんて引いてなかったけど、人間として立派な人だったわ」

「それを聞いて安心したよ」

 父さんが生きていれば、きっとその言葉を喜んだに違いない。

「あなたも、もし天空都市の在り方に疑問を抱いて、それが無視できなくなったら天空都市に行くことなんて止めてしまいなさい」

 母さんははっきりと言った。

「そんなことはできないよ。せっかく、友達もできたし、その友情に背を向けるようなことは絶対にできない」

 僕はすぐに言葉を返した。

「でも、その友達のせいで危険な目に遭うかもしれないわよ」

「かもね」

「私がサンクフォード学園に通っていた頃は、大賢者ウルベリウスと暗黒の魔導師ヘルガウストが激しく権力争いをしていた時だったわ」

 母さんはそう吐露し始める。

「そうなの?」

 ちょっと想像が付かなかった。

「ええ。その権力争いでは死者が何人も出たし、学園に漂っていた空気も暗いものだったわ。だから、私はサンクフォード学園にはあまり良い記憶がないの」

 母さんは弱々しく笑いながら言葉を続ける。

「私の周りにいた友達もウルベリウスとヘルガウストのどちらの味方になるのかを考えてばかりいたし」

 母さんは更に続ける。

「しかも、やっとのことでウルベリウスが校長になった後は、すぐに善神サンクナートと邪神ゼラムナートの対立が激しくなったでしょ。そのせいでまた死者が出たわ」

 それは今も続いているのだろうと僕は察した。

「それなら、母さんが僕を天空都市に行かせたくなかった理由も分かるな」

 僕もそんな場所に進んで行きたいとは思わなかった。だが、もう後に引くことはできない。

 全てを知った自分は天空都市を舞台にして生きていくしかないのだから。今更、元の何もない生活に戻れるとは思えなかった。

「でも、私はそこから逃げ出してしまった。もしかしたら、あなたはそこで戦い続けるのかもしれないわね」

 そう言って笑うと、母さんは僕の部屋から出て行った。


 

 第二章に続く。




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