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ゴミの日

作者: さとぴっく

『7月最後の日曜日から2日目』


先週末から接近している大型台風は広範囲に薄気味悪い雨雲を広げていた。

 毎朝なんとなく見ている情報番組の女性アナウンサーは、地球の遥か上空から写した台風の全容と、排水溝のような巨大な渦の中心部を執拗に指差し、悲しそうな表情でこの台風の行末を心配していた。

とは言え差し当たり世間を騒がせるようなニュースもなく、この台風こそマスコミに歓迎され、世間の”暇つぶし”と言っても過言ではなかった。


木下達也は趣味、取り柄、長所、短所、夢、希望……などと言う思考を全く持ち合わせてなく、周囲からは”無気力でつまらないな男”とレッテルを貼られている。

 過去に女性と交際した事もあったが、指の本数にも満たない日数で終わっていて、歯の浮くような思い出を望んでいた訳でもなかった。


時計の短針がしぶしぶ「7」に届いたのをきっかけに、達也は半透明のゴミ袋を持って東向きの自分の部屋を出ると、向かいの建設中のビルからは湿気に混じった鈍い金属音が飛び交っていた。


ここのアパートに隣接した一軒家に住む初老の管理人は、敷地に面したゴミ置き場にて関所を開くのが毎朝の日課である。住民が捨てるゴミ袋のチェックをする為だ。

 達也も何度か出直しさせられた事があった。

 管理人は住民一人づつに軽快な朝の挨拶をすると、持参したゴミ袋を軍手で触ったり撫でたりするのだ。

 達也は決して非常識なゴミ出しはしていない。必ず当日の朝に出し、きちっと中身を分別し役所指定の半透明ゴミ袋を使用している。


管理人は生ゴミで出来た霧の中で、胸元に汗の水玉を滲ませたランニングを向け「おはようございます!」と含みのある満面の笑みで達也を迎え、ゴミ袋を奪い取った。

 「今朝方、向かいの工事中のビルからコンクリートだか、何だかが落ちて来たらしいよ」ビルの上部を指差しお前は知らなかっただろうと言う口調で話してきた。

 「危ないですね。怪我人は出たんですか?」と返した達也だが、別に怪我人の事等どうでもよかった。

 ただこれを言っておかないと、やたら無関心な奴と思われ変に目をつけられるのを防ぐ為だ。

 「たまたま誰もいなく大事にはならなかったよ」

 まるで自分が目撃者だったかの様に話しながら、両手は執拗いくらいに達也のゴミ袋を触っている。

 

この人も台風を歓迎するアナウンサーと一緒だな。大騒ぎにならないとつまらないらしい。

達也はこのアクティブな思考の管理人が心底苦手だった。


「そうですか、良かったですね。それじゃ、どうも」と義務的に軽く頭を下げこの関所から脱出しようとしたが、気になる物……いや文字。が目に入って来た。


「可燃ゴミ」「不燃ゴミ」「資源ゴミ」


赤く錆びた金属製のプレートに書かれたゴミ分別種の表示は毎日見ているが、その並びに今まで見たことのない……気付かなかったのかも知れないプレートが存在していた。

 と言っても暴走族が落書きした重厚な漢字が邪魔して全部は読めないが「×××××いゴミ ※回収日毎日(土日祝含む)」と表示してある。


何だこれは?


特に後半の“回収日毎日(土日祝含む)”が気になった。


何ゴミのことだろう? 回収日毎日、土日、祝日、含む。って……。


「あの~」


ゴミ触りに熱中している管理人へ向けた達也の声は、建設中ビルのノイズに押し流され、音声として認識されなかったようだ。


いいや。自分には関係ないだろう……と思いつつ、後ろ髪を引かれる思いでこの関所を後にした。


最寄り駅に到着するまで、10箇所以上のゴミ置き場があり、達也はその一つ一つを確認しながら通過した。

 しかし、どのゴミ置き場にも一般的なゴミ分別表示しかなかった。


そもそも何の為にこんなゴミの分別を強いられのだろう? それをしたからと言って何がどうなる?

 一人一人のモラルで環境は守られるとか言ってるけど、モラルってなんだい? あの管理人から「こんなゴミを捨ててはいけません。すぐに袋を入れ変えてきなさい」と言われるのが面倒だから分別してるだけで、世の中の為なんてこれっぽちも考えていない。


電車の優先席だって、そこに座れる場所があるから座っただけなのに、妊婦や年寄りが現れれば譲れ譲れと、とやかく言う人がいる。それが面倒だから座れない。


何の為に仕事をしている? それは住む所や食べ物を確保する為。


昔みたいに自由に出来れば良かったが、親父や母親がうるさくて面倒だったから家を出た。


達也は働きもせず何も行動しない毎日から親の逆鱗に触れ追い出された経緯があった。


そして、なんでこんな事で悩むんだろう? 


面倒になる事を防ぐ為に、面倒な事を考えているだけ。


夕方、職場の同僚たちが暇つぶしに台風の事を話題にしている。

 「これから直撃だってよ」

 「けっこうパワフルな奴らしいよ!」

 「なんか台風ってワクワクしないか?!」

 「台風の目の中入ったことある?」

 「子供のころ一回だけあるよ。本当に綺麗な空が見えるんだよ。太陽も見えた」

 「へぇ~、不思議だな」

 「なんか真っ直ぐ家に帰るのはもったいない気がするなぁ」

 「軽く飲んでくか? 台風到達までまだ時間あるし」

 「あの店サービスデイだよ!」

 「今日はきっと空いてるよ、いつもサービスデイは混んでるから」

 「せっかくだから台風を体感したいな」


どこも台風さまさまだ。


達也はとっとと帰る支度を始めた。同僚たちに誘われたくもないし、彼らも誘いたくはないだろう。以前は気を使ってたまに声をかけてくれたが何時も断っていた。他人の自慢話や苦労話、猥談を聞かされ、へたくそな愛想笑いで誤魔化す事が疲れる。それに今日に限って言えばあのゴミ捨て場のことで頭が飽和状態になっていた。


達也の姿が見えなくなると同僚達は口々に話をする。


「あいつ見たいな生き方もたまには良いけど楽しいのかね? 大人しく人当たり良さそうだけど性格を知られたら誰も必用としないよ」

「俺だったら、のたれ死んだ方がマシだなぁ」

「でも、あいつ、何時もつまらなそう顔してるけど、今日は何か違ってたよな?」

「そうだな、何か違う?」

「このまま、明るくなってくれれば……俺達も仲良く楽しく仕事できるんだよな」



達也は、雨と緩い風が半々になり始めた歩道を歩いていた。朝と同じく駅までのゴミ捨て場全てに目をやって色々考えてみる。


生ゴミ、有害ゴミ、資源ゴミ、古着、古紙、ペットボトル、カン、ビン、プラスチック容器……

 オフィス街のゴミ捨て場は住宅街よりかなり分別が細かい。ちゃんと分別できる人はどれだけいるのだろうか?


全国の自治体は必要以上に分別を細かくしているらしい。

 そうする事で全体の数割ぐらいの人は申し分なくちゃんと分別して捨てる。ただ可燃ゴミ、不燃ゴミの2種類だけだと回収してから焼却する時に更に分別しなくてはならない。

その手間を少しだけでも解消できればいい。ということなのだ。

 それに「リサイクル=エコ」と言う公式を、美徳として自己満足している人が多いのも事実で、例えば油がべっとり付いた空き缶をリサイクルする為には、それを一度洗浄する為の洗剤やら水を消費する。つまり、そこに費用が発生する物に関しては決してエコとは言えない。

 現在の消費者は物を購入する時に捨てる時のことも考えなければならないのだろう。


いっそのこと遺伝子の研究とかで全ての物を分解できるバクテリアを開発し、各家庭に配布したらどうだろう?

 鉄を食べるバクテリアが海底にいて沈没したタイタニック号が少しずつ小さくなっているとの事。


今の最先端技術でプラスチックやガラスを食べるバクテリアだって造れるのでは?


いや待てよ、全ての物を食い尽くすバクテリアはそのバクテリアに決して食べられない専用保管容器が必要になるだろう。……では、その容器は古くなって捨てるとしたら何ゴミになる? どうやってもゴミはなくならない。


気が付くと雨も風もかなり強くなってきていて、差している傘の骨が突風に折られてしまうくらいだ。

 駅前では薄いスカートを押さえながら走るOLや、鞄で頭のてっぺんを必死に押さえるサラリーマン。

 飛ばされた携帯電話を追いかける女子高生達があたふたしていた。

 ゴミ捨て場しか見てなかった達也は、この光景に予想以上の台風のすさまじさを感じた。


台風により電車は予定よりかなり遅れ、週末の終電でも無いのに朝のラッシュなみの混みようだ。湿った車内は蒸し暑くオマケに窓も明けられない状態のまま、台風を話題にする人々を運んだ。


台風だけでこんなに話ができるなんて……


もし、誰かがゴミ分別のことを話題にしていたら、今日だけは耳を傾けただろう。今日だけは。



電車から吐き出され駅前のコンビニで弁当を買おうとした時ある物の存在に気付いた。


”新発売!落書き消し!ペンキ・油性スプレーをたったの一拭き!「消しタローくん」特許出願中!”


高さ20cm直径8cmほどの円柱形で上の頭の部分にプラスチックのノズルがあり、押すと中から霧状になった薬品が飛び出すという解りやすい仕組みだ。

上のノズル部分は燃えないゴミで、缶の本体は穴を開け空き缶と一緒に捨てればいいな。


弁当と缶コーヒーが入った茶色い袋と、消しタローくんが入った白いビニール袋を持ってコンビニを出た。

 傘はこの雨風の中では役に立ちそうもない、傘立てに置いていくことにした。それに台風が過ぎれば明日からは暫く傘はいらないだろう。


マンションに着く頃には全身服のままシャワーを浴びた様になっていた。

 弁当とコーヒーが入ったびしょ濡れのビニール袋を部屋に置き、布巾雑巾兼用のボロきれと、消しタローくんを持ってゴミ捨て場へ。


いよいよだ…

「×××××いゴミ ※回収日毎日(土日祝含む)」


この暴走族が書いた落書きさえ消せれば答えが解る。


台風はやさしくなることを知らない。むしろ達也のやろうとしていることを、力づくで阻止しようとしているようだ。

 物語のクライマックスシーンにはピッタリの状況に久しぶり苦笑いをした。

 カシャ、カシャ、カシャと消しタローくんを大げさに振る。

 だがその音は暴風に消され、これから始まる事のゴングにしては情けない音だった。


「正体を暴いてやる」


頼りないセリフと供に、プレートの落書きとの格闘が始まった。

 消したろうくんを吹き付けても、すぐに新しい雨水が邪魔をしてしまいうまくいかない。

 ……時間も、消したろうくんもまだまだある、焦らずに……


何度か雑巾で擦っているうちに少しずつ落書きが消えてきた。


達也は、壁にぶら下がっていた生ゴミをノラ猫や烏から守るネットが外れ、足に絡みついている事に気がついていなかった。


「もうすぐだ。お前が何のゴミ捨て場なのか…」

 街灯の光も乏しく、ほぼ暗闇豪雨の中での作業だ。


やがて、その正体が現れた。


「えっ!」


「…燃え…ないゴミ」


落書きがほぼ消えたと同時にすぐ後で鈍い音がした。


振り向くと、向かいのビルから落ちてきたらしいコンクリートの残骸があった。風がなければ道路を挟んで、わざわざこっち側まで飛んでくるはずはない。それ程の強風を見せつけられた。


向かいのビルを見上げると、激しい雨が目につき刺さってきた、そして幽かに見えたのは屋上付近の数個のコンクリートが、月も星もない雨雲の夜空を背景に、暴風に煽られ落っこちそうに傾いているのが確認できる。


危険だ、落書きも消えたからいい加減戻ろう。


それにしても、何故「燃えないゴミ」が「回収日毎日」と掲示されて、従来の燃えないゴミ置き場の隣に、わざわざ新たに作る必要があったのだろう? 不可解だ。


達也のモチベーションはあっという間に急降下し、あまり深く考えずある結論を出した。

それは、ただの人為的な「間違い」または、ここの管理人を嫌っている者の「いたずら」だった。

こんなことのために、この豪雨の中で何をやってたんだろう……

消したろうくんは、落書きと達也の生まれて初めて味わった活気を、いとも簡単に跡形もなく消し去ってしまった。


下からも真横からも吹き付ける雨と風の中、今度は達也のすぐ右側に鈍い振動と硬いものが砕ける音がした。


「やばい、早くここから逃げないと!」


だが、足に絡まったネットの存在に気付いた時は手遅れだった。

 一歩踏み出すと足を取られ地面が濡れている事もあり、そのまま勢い良くうつぶせに倒れてしまった。

 「痛って!」両膝に激痛が走った。呼吸も苦しくなり、すぐには起き上がれない。


雨の音。

暴風の音。

それ以外はもう何も聞こえない。


そして、最後のコンクリートはうつぶせの達也の後頭部に直撃した。


消しタローくんは、達也の手から放れ、無機質な缶の音を数秒間響かせ、やがて止まった……





『7月最後の日曜日から3日目』


雨も風もなく穏やかな朝日。


マンションの管理人がもうすぐ目覚める頃、見慣れないゴミ回収車がマンションのゴミ捨て場の前で止まった。


やや筋肉質の男が運転席から降りて来るなり訛り口調でぼやいた。

「ここは、きちんとしてるゴミ捨て場って聞いてたけど、なんだよこれは? 特殊なゴミだから毎日来てやってるのに。モラルがなってないな、ここの住民は」


動かない達也の足からネットをはずし、ずぶ濡れの服や下着とかを脱がして、燃えるゴミの方に全部投げ捨てた。


「こんな落書きするから紛らわしいんだよな、まったく」


男は近くに転がっていた消しタローくんと雑巾を使って『燃えないゴミ。回収日毎日…』よりも、左側に書かれた小さな落書きを消し始めた。


やがて、達也も最後まで知らなかった本当のゴミ捨て場の正体が現れた。


『"絶対"燃えないゴミ。回収日毎日(土日曜、祝日、含む)』


「これで、よし!」


雑巾は燃えるゴミの方へ、消したろうくんは、ゴミ回収車の全開になっている運転席に向かってそれぞれ投げた。


「あとは、どうするか? 道具持ってきてないからなぁ…いいや、とりあえず積んでくか」


全裸にされた達也の痩せた体は軽々と持ち上げられ、車の後部にあるゴミを積載する場所に少し遠くから投げこまれた。

どさっ、という大きな物音に近くの木の上からずっと様子をうかがっていた烏が驚いて飛び立つ。


「ちっともわかってないんだなぁ『心』だけで良かったんだよ」


「心だけで」


「こいつの心は絶対燃えないんだからさ。まぁ、まだゴミになる程でも無さそうなヤツだけど。ん!? ちょっとだけ燃えた後があるなぁ……まだ少し温かいや」


「見てくれは悪くないな‥…腐っちまう前にリサイクルショップだな」




管理人がここに現れた時には「絶対燃えないゴミ」は回収が終わっていた。


台風一過の青空。


ちらかりすぎた街の中を走るゴミ回収車。

そして、そこに積まれた木下達也は、いつも以上につまらなそうな表情をしていた。





「完」

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