プロローグ
日本でも有数の格式あるホテルの最上階に位置する大ホールで、
華やかなパーティが盛大に開かれていた。
開始からすでに1時間が過ぎ、招待客の大半はすでに訪れている。
そのホールの入り口にあるレセプションデスクの黒い制服のホテルマンは、
先ほどまで暇を持て余し気味だったことが嘘のように、そのワイシャツの下は汗でびっしょりだった。
自分の目の前に立つその顔を認めて驚いた後、何度も何度もレセプションデスクの
リストに目を走らすも、その名前が見つからない。
これ以上待たせることは出来ないと意を決し視線をあげたにもかかわらず、
ちらりと思案顔で視線をさまよわせた後、きっぱりとそして、申し訳なさそうな笑み表情に浮かべ、
丁寧な口調で断りの言葉を述べた。
「誠に申し訳ありませんが、本日のご招待客の方のリストにお名前がないので、お入り頂けません」
その言葉に、パールともゴールドとも表現できる、光沢をもった布地で織られた
誰しもが知っている高級ブランドのロングドレスに身を包んだ女性が
見ようによっては、演技がかった戸惑いの表情を浮かべ、あからさまに困ったしぐさで、
唇に人差し指を当てた。
「やっぱり・・・。 仕事で今日、伺えるかギリギリまで分からなかったから、
返事を出さずにいたのよ。でも急に午後になって時間が空いたから、
秘書の方にその旨を伝えたら、ぜひにと言われてきたのだけど・・・」
ホテルマンが戸惑うように先ほどから繰り返し見ているリストに最後にもう一度目を走らしたが、
結果は同じだった。
「すみません。やはり、お名前が見当たりませんので」
「パーティには入れてもらえない?」
女性は途方に暮れたように心もとない表情で、明らか媚を込めて微笑む。
ホテルマンはそんな笑顔に、我知らず耳を赤くしながらも、自分の仕事を全うすべく
NOの言葉を伝える。
「申し訳ありません。お名前のない方をお通しする訳には・・・」
「そう。わかったわ」
「申し訳ありません」
「あなただってお仕事だものね」
「本当に・・・」
「いいのよ。何度も謝らなくても。 でも、可笑しいわね。
【どうしても出席を】と言ってきたのは向こうのはずなのにね。
来なかったと後から文句を言われても、受付で追い返されたといえば、
きっとホテル側の対応に驚きはされるだろうけど、お怒りにはならないわ。
何でも、今日の主役の方が【ぜひに】【必ず】と言って下さっていたらしいけど」
女性の言葉に、ホテルマンの表情が凍りつく。
「え・・・」
「それじゃね」
「あ・・・いや・・・」
先ほどとは違い、さっぱりとした表情でゆっくり肩をすくめた。
「すみません。少々お待ちを・・・確認してまいりますので・・・。」
「いいえ。もういいわ。こんな所でいつまでも立たされていたら、
週刊誌に何と書かれるやら・・・。帰るわ」
「い、今、今すぐに聞いてまいりますので」
「聞く?誰に?」
「ひ、秘書の方に・・・・」
ホテルマンは女性の静かだが怒りのこもった声音にしどろもどろに対応する。
「ここで私を待たすつもり?」
「すぐに、すぐに」
「もういいから」
「お待ちください!」
「だから、このやり取りだって、面白おかしく見ている人がいるというのに
これ以上、私に恥をかかせないで!」
女性は潜めた声音で、気分を害した丸わかりのしかめっ面で周りに視線をやる。
ホテルマンもその視線を追うと、確かにこのやり取りをそこに集っている他の客達が
興味本位を隠しもせずに遠巻きに見ていた。
【今をときめくトップモデル、今日子が、パーティ会場で門前払い!】
【あっぱれホテルマン、スーパーモデルの今日子の魅力にも屈せず、ドアの前で仁王立ち!】
そんな見出しが明日、スポーツ紙に面白可笑しく載る事が誰でも予想できるだろう。
ホテルマンは、額に汗をにじませ、ニッコリとひきつった笑顔を顔に貼り付ける。
「あぁ。ありました。ありました。
次のページにお名前がありました。
モデルの今日子様ですね。
すみません。私の見落としでした。ぜひ、お入りください!」
「そう?」
「えぇ、お待たせして誠に申し訳ありませんでした」
深々と教えられた角度で頭を下げたその姿に、今日子はニッコリ笑う。
「いいのよ。私もびっくりして少しきつい言い方をして、ごめんなさい。
だって、名前がないはずないんですもの」
「とんでもございません。さぁ、どうぞ、会場はあちらです」
今日子が、示された方へロングドレスを見事な足さばきで歩み寄ると
やはりそこに待機していた黒服のスタッフが、タイミング良くドアを開ける。
まばゆいシャンデリアの光が目に入る。
少しだけ戸惑ったように今日子が足をとめたのに気付いた者はいないだろう。
今日子は確かな足取りで、会場に足を踏み入れた。